第3章 若返りの薬再び


 会長の突然の引退で会長派はすぼんでしまい、社長である巧の天下となった。会長であった郷一郎が無能と決めつけていた巧であったが、業績は今までと同じか、むしろいい状態で推移した。巧の発展・維持に功績があったのは鈴木だった。
 会長を外した立役者であった鈴木は、社長である巧に取り入り、これまでの会長のやり方を巧に伝授したのだ。伝授したと言うよりも、鈴木が巧を繰っていると言った方が正しいかもしれない。
 目の上にたんこぶであり、自由を奪っていた郷一郎がいなくなり、早苗は、これまでにない自由を満喫していた。

 鈴木が巧に困ったことが起こったのですがと社長室に入ってきた告げた。
 「何が起こったんだ?」
 「会長のことです」
 「元に戻ったのか?」
 「いや、それはないです」
 「だったら、何が起こったと言うのだ?」
 「会長の病気見舞いに行きたいと言ってくるものが後を絶ちませんで」
 「放置しておけばいいんだ」
 巧は簡単に答えたが、鈴木はそうもいかないんですと反論した。
 「病気は嘘で、社長が拉致・監禁しているのではと言うんです」
 「なに! 誰がそんなことを」
 「元会長派の連中に決まっているではないですか」
 「まだオヤジを担ぎ出すつもりなんだな?」
 「社長の代になって冷や飯を食ってますからね」
 それほど冷遇しているつもりはないんだがと巧はぼやいた。
 「しかし、どうすればいいんだ? 若返ったなどとは今更言えんぞ」
 「その通りでございます。で、ですね。考えたのですが、彼らの考えている75歳の年を取った会長はもはや存在していないわけです」
 巧は頷く。
 「存在しないわけですから、死んだことにしてはいかがかと」
 「死んだことにするだと!」
 「はい、そうでございます。引退したのは病気のためであり、その病気が悪化してあっけなくと言うストーリーで葬式も行ってはいかがかと」
 「なるほど。死んだことになれば、出所してきてもオヤジはどうしようもなくなるだろうな」
 「はい。それなりの待遇を与えれば、よろしいかと」
 と言うことで、郷一郎は病気で急死したことにされ、大々的に葬式が行われた。

 郷一郎は、懲役5年の実刑が下され、刑務所で家具作りに専念していた。
 「なに! 懲役5年だと!!」
 裁判長によって主文が言い渡されたとき、郷一郎は椅子から立ち上がって叫んだ。その郷一郎を弁護士が制した。
 「本名も動機も一切語っていなかったのですよ。10年を言い渡されても可笑しくないのですから、ここで騒いで検察側が控訴したら、5年ではすまなくなりますよ」
 その言葉にガックリときて、郷一郎は椅子に座り直した。
 (鈴木のやつ、何をやってるんだ。若返りの薬を買ったやつを捕まえればことは簡単なのに)
 鈴木からは申し訳ないの言葉の一点張りだった。
 (それに早苗が告訴を取り下げれば)
 それを鈴木に依頼したのだが、返事はとうぜんノーだった。
 「奥様は、会長のことを自分を犯した憎むべき赤の他人と考えておられますので、減刑を申し出るつもりはまったくないようです」
 「儂が郷一郎だと伝えたのか?」
 「若返りの薬など信じて貰えません。心証がますます悪くなって、もっと重い刑をとおっしゃっております。さらにですね。会長のことを外で産ませた子どもではないかと疑っております。つまり、息子に妻を犯させたのではとまで考えているのでございます」
 「はあ、それでは絶対に無理だな」
 甘んじて受けざるを得なかったのだった。
 「あああ、若返りなど考えなければよかった」
 「会長、会長は50ほどになっておられます。5年服役してもまだ55です。20年若返っているわけですから、損はないはずです」
 その言葉に郷一郎はものは考えようだなと思った。

 家具作りなどまったくやったことがなかったけれど、真面目に働けば仮釈放があると知り、懸命に家具作りに励んだ。そののせいで郷一郎の腕はピカイチと判定されるまでになっていた。
 そして、刑務所送りになって4年3ヶ月目郷一郎は仮釈放となった。
 「郷田、もう戻ってくるんじゃないぞ」
 そう諭されて保護司が用意したと言う狭いアパートに入った。そのアパートは実は鈴木が用意したアパートだった。郷一郎を監視するためのものだ。
 実のところを言えば、郷一郎ほど真面目に働いていた場合、4年目には仮釈放になるはずだった。
 ところが、郷田一郎と言う名前も怪しく、住所不定で、レイプに関しての供述も曖昧であり、身許引受人がなかったため、仮釈放が伸びたのだ。
 ここで鈴木が手を回して、二宮グループ傘下の子会社である大塚製作所と言う家具作りの会社に身許を引き受けさせ、さらに就職を依頼したのだった。

 郷一郎は朝から晩まで家具作りに励み、本当にレイプ事件を起こしたのかなと社長の大塚に思わせる一方、こっそりと若返りの薬を探していた。
 (1CCのアンプルが100万なのだ。税金を払っていないだろうからぼろい商売だ。やめるはずがない)
 若返れば、本人であることの証明が困難になることは郷一郎で証明済みだ。つまり若返った人間は、行方不明になっているはずだ。
 (そう言えば、儂はどうなってるんだ?)
 鈴木に尋ねると、二宮郷一郎は死んだことになっておりますとの返事が戻ってきた。
 「死んだことになっているだと!」
 「病気療養中では言い訳ができなくなりまして。それに、会長が出てきたところでだれも会長とは認めませんので」
 已むを得ないとは言え、自分のアイデンティティが消えてしまったことに絶望感を覚えていた。
 さて、そのようなことがあって、郷一郎は何の予兆もなく突然行方がわからなくなった行方不明者を捜すことにしたのだが、これが結構多いのだ。はっきり言ってどうしようもなかった。
 しかし、保護司の許可を得て久方ぶりに飲みに行ったスナックでひそひそ話をしている声が耳に入った。
 「健太郎がまたいなくなったのよ」
 「ナンバー2でしょう? どうして?」
 「原因がねえ。さっぱりよ。これで去年店にいたメンバーの半分が辞めたことになるわ。補充はできてるけど、若いのを雇うと出費がかさんでねえ」
 これは怪しいと思った。話しているのはあるパブのママらしい。そのママに聞いても恐らく知らないだろうと判断して、翌週、パブを訪れた。
 「へえ、家具職人さん。どんな家具を作っているの?」
 「レトロ風のタンスとか、椅子とかテーブルとかだな」
 目の前にあるテーブルの品定めなどをしながら、話を進めていった。
 「還暦が近くなると体力の衰えを感じるよ」
 「還暦になるんですか? わっかい!」
 お世辞に決まっているが、嬉しそうな表情を見せておいた。
 「若返りの薬とかがあればいいんだけどなあ。そしたら、あんたと一晩中」
 ニタッと笑ってみせると、わたしはもうお婆ちゃんよと言った。
 「お婆ちゃんてことはないだろう? まだ20代だろう?」
 「あはは。冗談がきつい。20代なんてとっくの昔よ」
 水割りを飲みながら、彼女はあと5年たったらと意味深なことを言った。
 「あと5年たったら? どう言う意味なんだ?」
 映見と書いたプレートを付けたその女性は、あたりを見回してから若返りの薬があるのよと言った。
 「ははは。冗談だろう? そんな薬があるはずがない」
 それが普通の反応だろうから、そう言ってみた。
 「それがあるのよね」
 「眉唾だなあ」
 「本当よ。あそこにいる子、年はいくつだと思う?」
 「うーん、二十歳くらいかな?」
 映見はうふふと笑い、実は41なのよと言った。
 「嘘だろう?」
 「嘘じゃないわよ。以前は舞美って名前で働いていたんだけど、突然いなくなってね。ひと月ほどたって新人が入ってきたんだけど、顔立ちがよく似てるし、話し方なんてまったく舞美だから、こっそりと聞いてみたの?」
 「なんと言ったんだ?」
 「若返りの薬を使ったって」
 「やっぱり信じられないな。ありえない。新人さんに担がれてるんだよ」
 否定しておく必要があると感じて否定し続けた。
 「若返りの薬と聞いて、最近入った新人を見ていると、みんな舞美と同じなのね。突然いなくなったホステスと顔立ちが似ていて、話し方もほぼ同じなの」
 「信じられない話だな。飲むときの話題としては最高だよ。そんな薬があったら、俺も使ってみたいね」
 「あなただったらいいわね」
 「どう言う意味だ?」
 「1本100万するんだけど、打つと20歳くらい若返るらしいのね。あなただった、30後半になれるわ」
 「映見ちゃんが打つと10歳前後か。小学校からやり直さないと行けなくなるな」
 「そうなのよ。だから、40になるまでお金を貯めて待とうと思ってるの」
 「なるほどね。薬を売っている人には連絡が付くのか?」
 「興味が沸いた?」
 「本物かどうか確かめたくなった。本物だったら、やってみる」
 「そう。だったらあとで教えてあげる」
 どうして今すぐじゃないんだろうかと考えながら水割りを飲んだ。

 モーテルの一室で郷一郎は映見を組み伏せ貫いていた。
 「あん、あん ああ、いい。一郎さん、すごい。もっと、もっと、もっと突いてえ」
 店が跳ねたあと、お持ち帰りしたのだ。
 「映見! 行くぞ!!」
 「来て、来て!」
 腰を何度か打ち付け映見の中に注ぎ込む。映見は身体を仰け反らせ、ううんと声を上げた。映見の膣が郷一郎のペニスをぎゅぎゅっと締め付けてくる。ポーズではなく本当に逝ったなと郷一郎は満足げな笑みを浮かべた。
 「一郎さん、すごい。三回もできるなんて」
 見かけだけでなく、体力精力も若い頃に戻ったなと思った。
 「メールアドレスは?」
 「わたしから打ってあげる。知らないアドレスだったら返信がないかもしれないでしょう?」
 その通りだなと思いながら映見が空メールを送信するのを見ていた。

 保護司に何と言い訳しようかと考えていたけれどめんどくさくなってそのままモーテルに泊まった。
 翌朝シャワーを浴びて外に出ると映見が返信が来てるよと携帯電話を見せた。
 「今日の10時、上野か」
 仕事を休まないといけないなと考え、大塚に体調が悪いから休むと携帯で連絡を入れておいた。
 「薬が手には入ったら、たんまり礼をするから」
 そう言うと映見はお礼はいらないわと答えた。郷一郎が首を傾げると若くなった一郎さんに抱いて貰えればいいわと言った。
 「それならお安いことだ。チェックアウトまで時間が少しあるがどうする?」
 「そんなこと聞かずもがなでしょう?」
 抱きついてきた映見と唇を合わせた。

 郷一郎は目的のビルを見上げた。
 (303だな)
 階段を上って303号室のチャイムを鳴らした。
 《どなた?》
 「サンセットと言うパブで働いている映見と言うホステスの紹介で来たんですが」
 《紹介されたと言う証拠はありますか?》
 のぞき窓に転送してもらった映見へのメールを差し出した。ややあってドアが開き、若い男が入ってと告げた。
 40代と思われるその男性は、結構高級な衣装を身に着けていた。かなり儲けているなと郷一郎は思った。
 「映見と言うホステスとどう言う関係?」
 振り返らずにそう尋ねてきた。
 「言わなくてもわかるでしょう?」
 そう郷一郎が答えると男は肩を竦めた。
 「彼女との年齢差を埋めようと思いましてね」
 「なるほど。座って」
 テーブルを挟んで椅子に座る。
 「およそのことは聞いていると思いますが、もう一度説明しておきましょう」
 「いえ、ほとんど知りませんからしっかり教えてください」
 知らないことにしておいた方がいいと郷一郎は考えたのだ。
 「あ、そうですか。じゃあ、まずお値段ですけど、1アンプル100万円になります。これはよろしいですか?」
 「それは聞いています」
 「高いとお考えにはなりませんか?」
 「注射だけで若返るんです。安い買い物だと思います」
 「いつもニコニコ現金払いと言うことは?」
 郷一郎は懐から分厚い封筒を取り出してテーブルの上に置いた。
 「100万ちょうど入っています」
 男はその封筒を手にして、中身の万札をぱらぱらと調べ、懐の中に入れた。
 「ちゃんと調べなくてもいいんですか?」
 「だいたい重さでわかります」
 1-2枚誤魔化してもよかったなと郷一郎は思った。
 「注射は1回。1回で約20歳ほど若返ります」
 そう言い、小さな箱を差し出した。開けるとアンプルが入っていた。
 「約20歳ですか?」
 「はい、そうです。はっきり何歳若返ると言えないのには理由があります。まず第一に、薬の効き目には個人差があります。第2に、ひとによって年齢と見かけに差があります」
 郷一郎が25歳若返ったように思えたのは、個人差なんだろうなと思った。
 「ああ、そう言うこと。よくわかりました。注射したらすぐに効くんでしょうか?」
 「これにも個人差があります。効果が出てくるのはだいたい1週間前後ですが、早いひとで3-4日から変化が出ますし、遅い人でも10日後には変化が現れます」
 「10日以上掛かると言うことは?」
 「滅多にないですけど、たまにそう言うこともあるようです」
 「たまに・・ですか」
 「はい。2週間を過ぎても若返りが起こらない場合は連絡してください。今日いただいた現金はお返し致します」
 「今まで、返金したことは」
 「まったくありません。つまり、この注射をした全員が若返っていると言うことです」
 男はそう言ってにっこりと笑みを浮かべた。
 「アンプルに加えて、注射器と針、アルコール綿をサービス致します」
 大した金額じゃないなと郷一郎は思ったけれど、それらを手に入れるのは用意じゃないなとも考えていた。
 「使った注射器とアンプルなどの処分には充分気をつけてください。覚醒剤を使用していると疑われかねませんから」
 「わかりました。・・どこに注射したらいいんですかね?」
 「どこでもいいですが、誰かに打って貰うんだったら、腕の外側、病院で注射して貰う場所ですね。もしご自身でやられるんでしたら、下腹部あたりがいいと思いますよ」
 男は腕と下腹部を指さしながら言った。
 「なにも問題は起こらないとは思いますが、何かありましたらわたし宛に空メールを打ってください。メールアドレスはご存じですね?」
 「わかっております。では、いただいていきます」
 若返りの薬他が入った箱を受け取り、立ち上がった。
 「あ、ひとつ確認しておきたいことが」
 「なんでしょうか?」
 「この薬を使うのはもちろん初めてですよね?」
 「え? もちろんですよ。何か問題でも?」
 「いえ、初めてならいいんです」
 2度目だったら効果がないんだろうか、それとも効き過ぎるんだろうかなと考えながら郷一郎はそのビルをあとにした。

 アパートにまっすぐ帰ると、ドアに鍵を掛け、窓のカーテンを引くと箱を開いて注射器を取り出して、アンプルをカットして注射器に太い方の針を付けて中身を吸い取った。針を細いの方に取り替え、下腹部を消毒して注射針を刺した。ゆっくりと注入していく。身体が熱くなったような気がした。



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