第2章 それぞれの思惑


 早苗の悲鳴で郷一郎は目を覚ました。
 「誰か! 誰か来て!!」
 ドアのそばにシーツを巻いた早苗が立っていた。
 「早苗、どうした? 何があったんだ?」
 ベッドから起き上がった郷一郎に、早苗は来ないでと叫んだ。
 「どうしたんだ?」
 「あなた、誰? 誰なの?」
 「はあ、何を言ってるんだ。儂だよ、儂。郷一郎だよ」
 早苗に郷一郎が歩み寄っていくと、恐怖の眼差しで金切り声を上げた。
 「馬鹿なこと言わないで、近寄らないで!」
 ドアが開き、メイドの平野が入ってきた。
 「あの男が、あの男が」
 郷一郎を指さして早苗が言い、卒倒してその場に崩れ落ちた。
 「奥様、奥様」
 ふたりに歩み寄ろうとすると、あなたは誰ですか、警察を呼びますと平野が叫んだ。
 「儂だよ。儂がわからないのか?」
 「あなたなんて知りません。ああ、奥様、この男に犯されたのですね。おいたわしい」
 そう言いながら、平野は携帯電話をかけ始めた。郷一郎はわけがわからず茫然とその場に立っていた。

 パトカーのサイレンが耳に届いてきたとき、郷一郎はハッと我に返って、クローゼットの扉を開いた。扉の裏側に鏡がある。それを覗き込んで郷一郎は驚いた。若い男が写っていたからだ。
 「やった! 若返ったんだ。だから、おまえたちにはわからなかったんだ」
 そう叫んで早苗たちの方を向いた。しかし、そこには早苗たちはおらず、代わりに警察官がなだれ込んできた。
 「おい、おまえ! 住居不法侵入で逮捕する」
 「ちょ、ちょっと待て。ここは儂の家だ」
 「この家の持ち主、二宮郷一郎氏はおまえよりもずっと年上だ」
 「若返ったんだよ。儂が二宮郷一郎だ」
 「馬鹿も休み休み言え」
 手錠を掛けられて、下着姿のまま郷一郎は引っ立てられていった。

 パトカーの中で、儂は二宮郷一郎だと叫び続けたけれど、当然のように誰も信じてくれない。
 取調室の中でも何度も訴えたけれど、相手にされなかった。
 「そうだ。鈴木を、秘書の鈴木を呼んでくれ。あいつなら、儂が二宮郷一郎だと証明してくれる」
 取り調べに当たった刑事は、埒が開かないと判断して、会長秘書である鈴木を呼び寄せた。
 鈴木は若返った郷一郎を見ると、会長ではないと刑事に話した上で、真実を話すよう説得しますからと言って人払いを依頼した。
 「話の内容を聞いておきたいのですが」
 「いや、それだと真実を言わない可能性がありますので、どうかふたりで話をさせてください」
 何かあるなと感じながらも刑事はふたりだけで話すことを許した。

 人払いがすむと、鈴木は郷一郎しか知らないことを2、3尋ねた。
 「本当に若返ったのですね?」
 「そうだよ。だから、儂だと証明してくれ」
 鈴木は腕組みをして唸る。
 「証明は難しいと思います。どう見ても会長は会長ではありませんから」
 「若返ったことを証明できればいいではないか」
 「若返りなどと言う荒唐無稽なことを誰が信じると言うのですか?」
 「若返りの薬を売ったやつに証明して貰えばいい」
 鈴木は考え込み、証明してくれるかどうかと答えた。
 「どうして証明してくれないんだ?」
 「1本100万で売ってるんですよ。こっそりと。恐らく税金を払っていないでしょう。薬の存在を証明すると言うことは、脱税を認めることになるはずです。儲けは億単位と思われますから、損を覚悟で証明してくれるとは思われませんが」
 「理屈はわかる。その損をこちらで補填すると申し出ればどうだ?」
 考えてから、鈴木は交渉してみましょうと答えた。
 「結論が出るまで、若返りの薬の件は黙っておいてください」
 「どうしてだ?」
 「若返りの薬を売った人間が交渉に応じない場合、妙な言い訳をしていたと心証が悪くなると思います。ですから」
 「わかった。おまえの交渉結果を信じて待つ」
 「それでは失礼致します」
 鈴木は頭を下げて取調室を出た。
 「どうだ? 吐きそうか?」
 「2、3確かめておきたいことがありますので、少し時間をいただけますか?」
 「拘留期限までに頼むよ」
 わかりましたと答えて鈴木は警察をあとにした。

 夜中に若い男が侵入してきて犯されたと言うのに感じてしまった自分に早苗は恥じながらも、やっぱり若い男はいいわとも考えていた。
 寝室に戻るとき、警察が連れて行ったと言うのにまだあの男がいるような気がして少し身構えながら入っていった。
 昨夜剥ぎ取られた下着を身に着け、平野が持ってきたブラウスを着て、スカートを穿く。そうしてから床の上を見た。
 (これはあの人のスーツだわ)
 ネクタイも靴下もあるのだけれど、下着が見当たらない。早苗は首を傾げた。
 (下着はどこに? それ以前にあの人はどこに行ったの? あの男、自分は郷一郎だと言ってたけど・・・)
 郷一郎であるはずがないと早苗は考え直した。75歳の郷一郎と違って、かなり若かったからだ。
 (でも、あの男、どこかで見たことがあるような)
 若かりし時の郷一郎の顔が浮かんだ。
 (まさか・・・)
 「平野さん、主人の書斎に行くわ」
 平野は訳がわからず早苗についていった。

 書斎に入ると早苗は本棚を調べ始めた。そこには二宮グループの年鑑がずらりと並んでいた。
 (10年? いえ、20年前くらいでしょうね)
 20年前の年鑑を取り出した。20年前は郷一郎はまだ社長で、年鑑のトップに写真がでているのだ。
 (この写真と同じ顔だ)
 平野が横から年鑑を覗き込み、もしかして旦那様の隠し子でしょうかと言った。そう言われて、その可能性が高いと早苗は思った。
 (そうだとして、あの人はどこに行ったのかしら? 鈴木なら知っているかも)
 早苗はすぐさま鈴木に電話を掛けた。

 鈴木は若返りの薬を買った男に電話を掛けていた。
 (まさか、本物だったとは)
 あの薬が効いたのではなく他に原因があるかもしれないとも考えていたけれど、他の原因に思いつかなかった。
 (出ないな。直接あの店に行ってみるか)
 若返りの薬を買ったマンションの一室に行ってみると空き室になっていた。
 (薬が偽物とわかって金を返せと言われるのを恐れたか、それとも税金逃れか、一カ所に留まっていないんだろうな)
 恐らくどこか別の場所で売っていると考えたけれど、探している時間はなかった。
 (会長には見つからないと報告するしかないな)
 警察署へ向かっていると会長夫人から着信があった。
 「もしもし、奥様、鈴木でございます」
 《鈴木さん、今朝、家に若い男が不法侵入したこと、知ってるわよね?》
 「はい、存じております」
 《あの男、冷静になって考えてみると、若い頃の主人にそっくりなのよ》
 本人だからそっくりなのは当たり前だと鈴木は考えていた。
 《もしかして、あの人の隠し子と言うことはないでしょうね?》
 若返りの薬の存在を信じていなかったら、そう考えてもおかしくないかと思った。
 「それはないと思います。ずっと会長を監視しておりますので」
 《そう。じゃあ、あの男はいったい何なのかしら? それとあの人がいないのはどうしてかしら?》
 「その点に関しましては・・」
 警察署に行って郷一郎と話をするより、まず夫人と話をしておいた方がいいなと鈴木は考えた。
 「今から、お屋敷に伺って説明しましょう。少々お待ちください」
 ウインカーを出して、二宮邸へ向かった。

 実家に不法侵入者があり、母がレイプされたことが巧の元に届いたのは、出社してすぐのことだった。
 (母は確か68だったな。若くは見えるがレイプするとはなんてやつだ)
 すぐにでも母の元に駆けつけたかったけれど、その日は会議が目白押しで、時間が取れたのは夕刻になってからだった。
 「今日は早退する。実家に寄るから何かあったら電話してくれ」
 そう言い残して巧は実家へ向かった。早苗に対する事情聴取は午後までかかり、ようやくひと息ついた頃だった。
 「おふくろ、大丈夫か?」
 早苗は巧の顔を見ると、巧ちゃんと言って泣くばかりだった。かなりショックを受けてるんだと巧は感じ、犯人を断罪してやると心に決めていた。
 そこへ鈴木がやってきた。
 「おや? 鈴木、どうしてキミがここへ?」
 巧がそう言うと、ご一緒でちょうどよかったと鈴木は答えた。
 「何がちょうどいいんだ?」
 「今朝の事件について、奥様だけではなく社長にも説明しようと考えていたところなんです」
 「キミに何の関係があるんだ?」
 鈴木は平野の方を見て、キミは外して貰えるかなと頼んだ。平野はわかりましたと答え、部屋を出て行った。部屋を出て行ったけれど、ドアに耳を当てて聞き耳を立てていた。
 「どう言うことなんだ?」
 「実は、2ヶ月ほど前、会長から若返りの薬を探すよう依頼を受けまして」
 「若返りの薬! オヤジももうろくしたな。そんなあり得ないものを探せなどと」
 「そうでございます」
 「オヤジは75だったな。先行きが短くなって死ぬのが怖くなったんだろうな」
 ひとは誰しも年を取れば死を考えるようになるだろう。
 「まさにその通りでございます。で、ですね。もちろん、わたくしもそんな薬が見つけられるとは考えていなかったのですが」
 「見つかったと言うのか?」
 「はあ、若返りの薬を売っている会社があると言う噂をたまたま耳にしまして、探し出して、2週間ほど前、手に入れてきたのです」
 「本物なのか?」
 「そこのところはまったく懐疑的でしたが、会長は是非使ってくれと言いまして」
 鈴木は保身のため少し修飾して話した。
 「2週間前使ったと言うんだな? しかし、若返ってはいなかったぞ」
 「はい。その通りでございます」
 「今朝の事件とはどう言う関係が?」
 巧にはある程度話が見えていたのだけれど、あえて尋ねたのだ。
 「昨夜会長をこちらへお届けしたときには、いつもの会長でした」
 巧も早苗も黙って聞いている。
 「今朝、こちらで不法侵入者があり、奥様が大変な被害に遭ったと伺いました。心を痛めておりましたが、警察の方から突然呼び出しがありまして、不法侵入者が話をしたいと言っていると言うのです。訳がわかりませんでしたが、わたくしならば不法侵入の理由を話すと言うことで、会って参りました」
 ここで鈴木はひと息ついた。
 「結論から申し上げますと、不法侵入者は会長でした」
 あの男が会長のはずがないわと早苗が叫んだ。
 「いえ、間違いありません」
 「若返りの薬で若返ったオヤジだと言うんだな?」
 「その通りでございます」
 若返った郷一郎だと聞いて、早苗はそれ事実なら、あの男は郷一郎に間違いなと思った。セックスの手順・テクニックがまさに郷一郎だったからだ。
 「若返りの薬を使ったのは2週間前だと言ったな?」
 「はい、その通りでございます」
 「どうして2週間もたって突然効いたんだ?」
 「そこのところはわたくしには・・・・」
 「侵入者とされている男が若返ったオヤジだとすると、話は変わってくるな」
 鈴木はその通りでございますと答えた。
 「自分の家に入ったんだから、不法侵入にはならない。それに、おふくろ、おやじと寝たんだからレイプには当たらない。おふくろが嫌がるのを無理に犯したのなら別だが」
 早苗の表情からすると無理矢理と言うことではなかったと巧も鈴木も感じた。
 「どうすればいいの?」
 「あの男が若返ったオヤジだと証明するには、若返りの薬が現に存在することを示せばいいんだが?」
 「1本しか買い取っていませんし、今日薬を手に入れた会社に行ってみましたが、もぬけの空でした」
 「そっちの方からは無理だとして、われわれが若返ったオヤジだと証言すれば、信じて貰えるかもしれないな」
 「はなはだ困難でしょうが・・・」
 「あの男があの人だとなると、無罪放免いなるのね?」
 それがどうしたのかと巧が尋ねると、若返ったあの人が戻ってくるなんて耐えられないと早苗が訴えた。
 「あと10年我慢すればいいと思っていたのに、あの人、50歳くらいになってるんでしょう? 死ぬまであの人から逃れられなくなってしまうなんて、耐えられないわ」
 巧はその言葉に、郷一郎自身が社長に返り咲くかもしれないと考えていた。
 「でしたら、いかが致しましょうか?」
 「オヤジだとわれわれが証言しなければどうなる?」
 「住居不法侵入と強制性交罪で断罪されることになるでしょう」
 「不法侵入はともかく、強制性交罪はかなり罪が重かったな」
 「わたくしは存じませんが」
 「おふくろ、あの男はわれわれと無関係と言うことにしないか? そうすればおふくろは自由になる」
 「ホントにそれでいいんでしょうか?」
 「俺もオヤジに消えて貰った方がいい。刑務所にいる間に、俺が会社を牛耳る」
 鈴木は予想通りだなと考えていた。
 「鈴木さん、おやじにはわれわれの意図は隠して、刑に服するように納得させて貰えるかな?」
 鈴木は、呼びすてからさん付けになったことに気づき、立場が上がったなと感じた。
 「畏まりました。お任せください」
 鈴木は長年仕えてきた郷一郎を捨てようとしていた。ずっと虐げられてきたし、もはや郷一郎の時代ではないと判断したからだ。
 「オヤジの姿が見えないことをどう説明するんだ?」
 「引退して伊豆の別荘にいることに致しましょう」
 こんなところは鈴木の頭の回転は速い。その方向で行くことになった。

 鈴木が郷一郎の面会を申し出るとすぐに取り次がれた。郷一郎は鈴木からの連絡を首を長くして待っていたようだ。
 「どうだった?」
 「それがですね・・・」
 鈴木の反応に郷一郎は結果を予想して力が抜ける思いだった。
 「あの薬を買った会社に行きましたところ、もぬけの空でして。合法的な薬ではないでしょうから、収入を申告していないのではと考えます」
 「つまり税逃れのために雲隠れしたと言うことなんだな?」
 「そうだとわたくしも考えております」
 「妻や子どもたちに儂だと証言して貰おう」
 「一番身近な奥様が、他人に犯されたと証言しているのですよ。とても無理だと思われますが」
 「では、どうすればいいのだ? 若返りの薬と言う最大の証拠もなければ、家族も証言してくれない」
 「住居侵入罪は軽い罪ですし、レイプにしてもまったく抵抗していないわけですから、罪は成立しないと思います。だから、軽い刑ですむと思いますので、少しの間我慢していただけますか?」
 「仕方がないか・・・」
 「できるだけ早くに若返りの薬を販売した男を見つけて参ります。見つかれば、会長自身の家に戻って、奥様と性交なされたわけですから、罪にはなりませんので」
 「わかった。一刻も早くその男を見つけてくれ」
 こうして、郷一郎は裁判を受けることになった。



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