第10章 3度目の副作用


 裕美(映見)は女子短大に無事合格した。結婚は短大を出てからと言うことになっていたのだけれど、高校卒業と共に結婚披露宴が行われた。丈一郎が結婚を急いだせいもあったけれど、裕美(映見)が妊娠したからだ。
 「結婚しても短大には行くからね」
 高校もまともに出ていなかった裕美(映見)は是が非でも短大に行きたかったのだ。もちろん丈一郎が拒むことはなかった。
 そんなことで、短大1年の6月、裕美(映見)と丈一郎の結婚披露宴が行われた。映見(郷一郎)は新婦の母として出席したわけだ。
 「お父さんの役割をしたかった?」
 達夫に導かれて祭壇に向かうとき、裕美(映見)はこっそり映見(郷一郎)に尋ねた。
 「とんでもないわ。可愛い娘を他の男にやる役目なんて」
 それは正直な気持ちだった。男親はみんなそうかもしれない。映見(郷一郎)はもはや男親ではないのだけれど。

 結婚披露宴が終わると、映見(郷一郎)はすぐさま仕事に戻った。ここ3年の間に、二宮グループ全体の改革を断行し、もともと総合商社に本部があったものをグループ全体を統括する部署を作り、その経営戦略部の部長に就任していた。総合商社の社長よりは上に見られる存在になっていたのだ。

 理香(鈴木)は、相変わらず、家事と育児に明け暮れ、ため息をつく毎日だった。
 (こんなことのために女になったんじゃないぞ)
 と考えていたけれど、達夫のためだったら、今のままでも構わないなとも考えていた。映見(郷一郎)に対する忠誠心よりも、達夫に対する女としての愛情の方が勝っていたのだった。
 (達明を産んだだけで、妻らしいことをまったくやっていない会長は、もはや妻とは言えない。消えて貰うしかない)
 映見(郷一郎)が消えてしまえば、理香(鈴木)が妻の座に付けると考えたのだ。
 (殺すわけにはいかないけど、もう一度若返って貰えば?)
 映見(郷一郎)は今は40歳だ。もう一度若返りの薬を使えば、15-20歳に若返るはずだ。そうなれば、映見(郷一郎)は達夫の妻たり得ない。
 理香(鈴木)は密かに動き始めた。

 例によって空メールを打った。数時間後、時間と場所を指定した返事が来た。理香(鈴木)は達明を抱えて指定の場所に出かけていった。
 「ごめん下さい」
 ドアを開いて理香(鈴木)は首を傾げた。以前の中年男性ではなく、若い女がデスクの向こうに座っていたからだ。
 「メールアドレスからするとあなたとは3度目ね」
 理香(鈴木)に笑顔を向けて彼女はそう言った。
 「え? もしかして?」
 「若返ったの。2度目は女になることがわかっていたから、少し躊躇ったんだけどね。若返っても30過ぎの女になってもねえと考えて、少し早めに使ったの」
 なるほどと理香(鈴木)は納得した。
 「20代前半でも通るかしら?」
 20代後半だなと思ったけれど、理香(鈴木)は、そうですねと答えたおいた。
 「あなたは2回分を使って一気に40-50歳若返って女になったんだったわね?」
 理香(鈴木)は頷いた。
 「あなた、まだ若返るには早いけど、別の人が使うの?」
 「はい。最初に薬を分けていただいた上司に」
 「おいくつになったの?」
 「確か、40くらいだったと思います」
 女は40ねえとぽつりと言い、理香(鈴木)を上目で見た。
 「40だと下手をすれば15くらいになってしまいますけど?」
 「そこのところは、了承済みです」
 ここは躊躇わずに嘘をついた。
 「ならいいですけど。・・・もしかしてその人、若返りの薬を使うのが3回目と言うことはないでしょうね?」
 予想質問でなかったので、理香(鈴木)は一瞬答えを躊躇った。
 「3回目なんですね?」
 念を押されてそうですと答えざるを得なかった。
 「3回目がどうして問題なんですか?」
 「実は、この若返りの薬、1CCを3回使った人間がまだいないんですよね」
 「それが? もう20歳くらい若返るんじゃないんですか?」
 「それがわかっていないんですね」
 そう言ってから、あなたはお得意さんですから、少し詳しくお話ししておきましょうと続けた。
 「この若返りの薬、開発時は40-50歳若返って女性になると言うものでした。開発者は53歳の男性で、40-50歳も若返ったら赤ん坊になってしまうわけですし、女になりたい男でもなかった。だから、自身は使用できなかったんですね」
 なるほどと理香(鈴木)は頷いた。
 「時間をかけて開発したのに、何とかならないものかと考えた末に半分打ったら、若返りも半分にならないかと考えたわけです」
 理香(鈴木)は、悪くない考えですねと答えた。
 「自分に打つのは躊躇されました。けれど、どうなるかわからない注射を打ってくれる人物は現れません。やむなく自身に打つことにしました。最大限若返っても3歳くらいですから、何とかなると考えたようです。で、半量を打ったところ、20歳ほど若返ることができました。それが今使っている量です。当時50歳だった婦人にも半量を打って若返らせました。その量で密かに若返りの薬として販売を始めたわけです」
 「開発者と言うのはあなたじゃないんですか?」
 女は頷いた。
 「販売を始めて5年ほどたったとき、もう一度若返りたいと言う男が現れたんですね。その時はなにも考えずにもう一度薬を売りました。そうしたら、若返った上に性転換してしまったんですね。別の男にも二度目の注射をしたら、若返った上に性転換して女になってしまったんです。そう言うことで、若返りの薬を2回使うと性転換することがわかりました」
 「つまり、開発時の量を使ったのと同じことになるからですね?」
 「はい、そう言うことでしょう。で、ですね。先ほども言いましたように、3回使った人間はまだいないんです。どうなるのか想像もつきません」
 「これまでの話からすると、20-25歳若返ると考えるのが普通じゃないでしょうか?」
 「それならいいんですが、もしかすると3回目を使うと40-50歳若返るんじゃないかと考えているんです」
 「どうしてでしょうか?」
 「ここは研究者としての勘です」
 「勘・・・ですか?」
 「もちろん、勘が間違っていることもあります。ただ、勘が正しければ、大変なことになるわけです。その40歳と言う方に薬を投与して、20歳前後に若返ればいいですけれど、万が一40歳若返ると赤ん坊どころか消えてしまう可能性もあるのです。どうします?」
 理香(鈴木)としては消えて貰った方が都合はいいわけだ。
 「勘が間違っていることに掛けましょう」
 「本当にいいですか? この世から消えてしまうことになるかも知れないんですよ」
 最初に若返りの薬を使ったとき、会長は75歳だった。あれから10年たっている。消えたっていいんじゃないかと理香(鈴木)は考えた。
 「構いません。20歳若返ることに掛けましょう」
 悪運の強い会長のことだから、20歳前後になるだろうと理香(鈴木)は考えたのだ。
 「いや、お代はいただきません」
 100万円の入った封筒を差し出すと、女は押し戻してきた。
 「わたしとしても3回打ったときの効果を知りたいところです。結果を報告していただくことを条件に無償で提供致しましょう」
 「それは助かります。じゃあ、結果は後日メールで」
 「詳しくメールしなくてもいいです。若返った年齢を送って下さい」
 わかりましたと答えて、理香(鈴木)は薬を受け取って帰路についた。

 薬が効きすぎて消えてしまうことに対し、理香(鈴木)は迷っていた。自分の我が儘で、自分の幸せのために薬を使ってもいいものかと。赤の他人ならそれほど躊躇しないのだろうけれど、映見(郷一郎)は、長く仕えてきた主人なのだ。すぐには決断できなかった。

 若返りの薬を手に入れて2ヶ月目、理香(鈴木)はむかつきを覚えた。
 (どうしたんだろう? 悪いものは食べていないけど)
 そう考えながら、まさかと考え、薬店に行って妊娠検査薬を買った。
 (陽性だ。妊娠している・・・)
 婦人科に行き、はっきりと妊娠を告げられた。その結果を持って、理香(鈴木)はついに行動に移した。

 その日、会議で遅く戻ってきた映見(郷一郎)は、シャワーを浴びると真っ直ぐベッドのある書斎に行って眠り込んでしまった。
 息が少しアルコール臭かったから、どこかで会食して飲んできたようだと理香(鈴木)は想像した。
 (チャンスだ)
 隠し持っていた若返りの薬をアンプルから注射器に吸い取ると、映見(郷一郎)が眠っている書斎に入っていった。
 尻に針を突き立てたけれど、針が細いせいか、完全に寝入っているせいか、まったく反応がない。シリンジを押して薬液を注入する。その時だけ、注射した部分を払いのけるような仕草をして寝返りを打った。
 理香(鈴木)はそっと書斎を抜け出した。
 (さあ、どうなるんだろう?)
 適度に若返るか、若返りすぎてこの世から消え去ってしまうか? 少し緊張しながら、達夫の待つ寝室へ入っていった。
 「何をしていたんだ?」
 「え? 何でもないわ」
 「映見の部屋に注射器を持って入っていたな? 何の注射だ?」
 睨み付けられて理香(鈴木)は白状した。この世に若返りの薬が存在していることも。
 「若返りの薬だと! そんなものはあるはずがない!」
 「旦那様、若返りの薬があるのは事実です」
 理香(鈴木)は自身や映見(郷一郎が若返って女になったとは言えなかった。
 「その若返りの薬を映見に注射をしたのか?」
 「旦那様の子どもを妊娠したんです。旦那様の妻になりたいんです。だから、奥様が邪魔で」
 「俺の子どもを妊娠した! そうか・・・」
 達夫は書斎の方を見遣った。映見(郷一郎)は夫である達夫よりも職場での立場がかなり上になってしまい、夫をほとんど無視状態だ。
 (それに引き替え、理香は俺によく尽くしてくれている。達明も本当の母親のように理香に懐いている)
 「若返りの薬が本物かどうか、もし本物なら、どれくらい若返るか、様子を見てみようか」
 その言葉に理香(鈴木)はホッと胸を撫で下ろしていた。

 一夜が明けた。どんなに遅く眠ってもいつもは午前5時に起き出してくる映見(郷一郎)が起きてこなかった。
 理香(鈴木)が書斎を覗いてみると、映見(郷一郎)が小さく呻いていた。
 「奥様、奥様?」
 声を掛けても布団を被って呻くばかりだ。
 (あれ? 熱があるみたい)
 体温計を入れてみると、見ている間に上がっていった。
 「40度近くある!」
 薬の副作用なのか、インフルエンザなどの別の病気なのか、まったく想像がつかない。
 「旦那様、旦那様!」
 達夫を起こしに行く。達夫はどうしたんだと寝ぼけ眼で起き上がった。
 「奥様、熱が出ています。40度近くあります」
 「40度? 薬の副作用なのか?」
 わかりませんとしか答えられなかった。達夫は映見(郷一郎)の様子を見に行った。映見(郷一郎)は布団を被ってがたがた震えていた。
 「映見、映見」
 声を掛けても反応がない。
 「取り敢えず、頭を冷やして経過を見よう」
 達夫がそう言うので理香(鈴木)は氷枕を用意して映見(郷一郎)に当てた。映見(郷一郎)の震えが治まったのはそれから1時間ほどたってからだった。
 「42度以上あるみたいです。どうしましょう?」
 「普通の病気じゃ42度も出ないだろう。薬の副作用だと思う。だから、身体を冷やして様子を見ることにしよう」
 若返って消えてしまってもいいと考えていたのに、今のままで死んだら困るなと理香(鈴木)は心配していた。

 熱は一向に下がらず、食事はおろか、水も飲まないので、このまま死んでしまうんじゃないかと達夫の方も気になり始めて5日目、少し下熱し始めて38度くらいになった。
 スポーツドリンクを与えると、少しずつ飲むようになってひと安心していた。
 「理香、少し若返っていないか?」
 達夫に言われて見ると、目尻の皺がなくなって、肌がみずみずしくなっていた。着替えをさせるとき観察してみると、垂れかけていた乳房に張りが出てきた。下腹が出てきたと映見(郷一郎)は気にしていたけれど、それもへこんできていた。
 若返りの注射をして7日目の夕刻には、与えたおかゆを食べるようになった。ホッと一安心したものの、理香(鈴木)は映見(郷一郎)の様子がおかしいことに気づいた。
 ボーッとしていて、話しかけても反応がないのだ。
 「旦那様、奥様、おかしくありませんか?」
 「そうだな。まるで人形だ」
 達夫が言うとおり、まるで生きた人形だった。
 「だいぶ若返ったが、これでは死んだも同然だな」
 理香(鈴木)は女子高生くらいに若返ったかなと思った。
 「このままだったら、どうします?」
 「そうだな。どこかの施設に入れるしかないだろうな」
 この状態では理香(鈴木)も映見(郷一郎)の面倒を見切れないと考えた。達明にも手を取られるからだ。
 達夫は伝手を使って、施設を探してみると言い、会社に出かけていった。すぐに見つかるのだろうかと不安になっていた。

 10日目の朝、おむつを替えようと書斎のベッドに行くと、映見(郷一郎)がおしっこに行きたいと言葉を発した。
 「奥様、気がつかれたんですね?」
 映見(郷一郎)は首を傾げ、おしっこと言う。理香(鈴木)は映見(郷一郎)に肩を貸して、トイレに連れて行き、ショーツを下げて便座に座らせた。
 小便を済ませてもじっと座ったままなので、理香(鈴木)はトイレットペーパーを使って拭いてやった。
 ショーツを上げてやると、トイレを出たのだが、映見(郷一郎)はボーッと突っ立ったままだった。
 「奥様、奥様?」
 理香(鈴木)の方を見るけれど焦点が合っていなかった。
 (まだ、おかしい)
 椅子に座らせて食事を取らせようとしたけれど、食器をじっと見つめているばかりだ。
 「食べて。こうするのよ」
 スプーンを手に取って食べる様子を見せると、ようやくスプーンを使って食べ始めた。そんな様子を見ていた達夫は、まるで赤ん坊のようだなと言った。理香(鈴木)もそうだなと感じていた。
 自らはなにもしない、できないのだが、教えてやると何とかできた。例えば着替えだ。パジャマを脱いで下着を着けるのも、やってみせるとできるのだ。ただ、恥ずかしいとか言う感覚がないらしく、平気で素っ裸になった。
 夕方まで掛かって、トイレの使い方や服の身に着け方、スプーンを使った食事の取り方を何とか教え込んだ。
 仕事を終えて戻ってきた達夫は、まるで幼児が二人いるようだなと言った。理香(鈴木)はその通りだなと思った。体格は違うが、精神状態はほぼおなじだと思っていた。
 「やはり施設に入れよう」
 「どこに?」
 「最初考えたのは、精神病院なんだが」
 「いくら何でも精神病院なんておかわいそうです」
 達夫は肩を竦め、第2候補として、知能障害などの子どもを収容している施設はどうかと提案した。
 「奥様は、17,18に見えるんですよ。そのような施設には入れて貰えないんじゃないですか?」
 そうかもしれないなと達夫はやはり精神病院しかないなと考えていた。

 理香(鈴木)は達明と映見(郷一郎)を連れて早苗の屋敷を訪れた。
 「いったい何の用なの?」
 早苗にとって3人とも他人だから、3人の訪問を訝った。
 「大奥様、若返りの薬のことはお聞きになっていますね?」
 「どうしてあなたがそんなことを言い出すの?」
 「わたくし、会長の秘書を務めておりました鈴木でございます」
 「え? でも、あなたは女性でしょう?」
 「はい。若返った上に性転換して女になりました」
 「冗談でしょう?」
 「本当でございます。この女性も実は元は男性で、若返って女性になっております」
 そう言われて早苗は映見(郷一郎)を見た。
 「あの人にすごく似ている。まさか?」
 「そのまさかでございます。会長の隠し子として達夫様と結婚したのは会長でございます」
 「あの映見が? でも、この女性はずいぶん若いわ」
 「もう一度若返ったのでございます」
 早苗は目を丸くして、映見(郷一郎)を見た。



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