第1章 若返りの薬


 テーブルの上に置かれた豪華な料理ももう食べ飽きた。
 「酒がないぞ。酒だ! 早く持って来い!」
 二宮グループの会長となった二宮郷一郎は、毎日のように酒と女に溺れていた。今も郷一郎の股の間には若い女性がいて、郷一郎の男根を舐めていた。
 ノックのあと部屋に入ってきたのは、酒を持ったメイドではなく、秘書の鈴木だった。
 「会長、お母様が」
 「死んだか?」
 「はい。たった今、病院から連絡が」
 「やっと死んだか。男だったくせに長生きだったな。もういいぞ」
 女性を足蹴にすると立ち上がった。足蹴にされた女性は、郷一郎の下着を手に取って穿かせている。
 服を着込むと玄関に向かい、車に乗り込んだ。鈴木が運転手に病院へ急ぐように指示し、真っ直ぐ病院へ向かった。
 「いくつだった?」
 「96でございます」
 「ふん、男の平均寿命より10年以上は生きたな。儂も性転換するかな」
 鈴木は馬鹿なことを考えながら、返事はしなかった。薦めることはもちろんできないし、止めろと言うことも会長の意志に背くことになるからだ。

 病院に着くと真っ直ぐにエレベータへ向かい、待っていた人たちを押し退けて乗り込んでいった。鈴木は頭を下げながら、郷一郎の横に付いた。
 7階の特室に郷一郎の母が入院しているのだけれど、他の階で降りる人もいる。エレベーターが停まるたびに郷一郎はいらいらとしながらエレベーターの表示を見ていた。
 7階に着くとドアが開く前から外に出ようとしてドアにぶつかった。急いでも死に目には会えませんよと鈴木は心の中で思っていた。
 特室に入ると、郷一郎の息子で社長の巧が妻と共に待っていた。
 「おふくろ!」
 先ほどまでとは打って変わり、郷一郎は母の手を握ってボロリと涙を流した。
 (なさぬ仲とは言え、会長は大奥様に可愛がってもらったからなあ)
 鈴木は郷一郎をじっと見つめていた。

 郷一郎は5歳の時、二宮峻介・悦子夫婦の養子に入った。郷一郎の母が二宮義孝の腹違いの兄弟だった。郷一郎は、養母悦子が性転換して女になった伯父・二宮義孝だと知ったのは18の時だった。すごく可愛がってくれていたから、実の母だと思っていた。だから、実の母ではなく、しかも元は男であったことを知ったときのショックは大きかった。
 だから、悦子とは少し距離を置くようになっていたけれど、心の中では実の母以上に慕っていたのだった。
 母の手など握ったことがなかったけれど、郷一郎は死後の処置が始まるまでずっと母の手を握っていた。
 養父峻介はすでに亡く、本来喪主を務めるべき郷一郎は悲嘆に暮れてほとんど寝込むような状態で喪主は郷一郎の息子である巧が務めた。
 火葬場には行かず、郷一郎は酒を飲み続けていた。もっと親孝行したかったと嘆きながら。

 49日が過ぎ、納骨が終わって、ようやく郷一郎は元の傲慢な君主に戻っていた。巧は実の息子で社長なのだが、社長の器ではなかった。だから、会長である郷一郎が、会社経営に関してことごとく口を出していた。
 (もはや血縁で継ぐことは困難だな)
 そう考えていた郷一郎は、社内から優秀な人間を次期社長に担ぎ上げようとしていた。それを知った巧は、何とかそれを阻止しようと腹心の部下たちを使って裏工作を始めていた。会長寄りの人間を栄転と言う明目で左遷したりしたのだ。

 郷一郎の妻・早苗は良家の子女で、22歳で当時30歳の郷一郎と結婚した。郷一郎は家庭内にあっても傲慢で、母以外の女は虫けらのように思っていた。悦子があまりによき母親で、他の女が皆劣って見えていたのだ。
 早苗は、経済的な苦労がないから郷一郎の妻であり続けていたが、本当は殺したいほど憎んでいた。
 郷一郎夫妻には、44歳の巧の他に41歳になる娘・琴美がいる。二十歳の時に見合い結婚させられ、今は3児の母だ。ただ、この見合い結婚は政略結婚であり、父に対して不満を抱いていた。

 風呂上がり、郷一郎は鏡を覗き込み、老けたなと思った。
 (75歳は後期高齢者だと医者が言っていたが)
 後期高齢者と言う言葉を聞くと、ものすごく年を取ったと言う印象を持った。
 (まだ若いぞ)
 そう虚勢を張ってみるけれど、寄る年波には勝てない。衰えていく自分がわかるのだ。
 (髪の毛も薄くなってきたな)
 養毛剤をたっぷりと振り付けて頭皮をマッサージする。
 (父と血が繋がっていなくてよかった)
 養父である峻介は、50の頃から前頭部の髪が後退し始め、還暦を迎える頃には頭頂部にはほとんど毛がなかったのだ。
 (若返りの薬でもあればいいのだが)
 秦の始皇帝が若返りの薬を探していたと言う話を聞いたことがあるけれど、そんな薬は存在しないだろうと思う。
 (ひとは死ななければ、この世は停滞してしまうのだ)
 そう考えていたけれど、心の奥底では若返りたいと思っていた。それはひとの常であろう。

 同業者と飲んでいるとき、若返りの話になった。
 「いいですなあ、そんな薬とかがあれば」
 「若返ったらどうします?」
 「それは、・・若い女とやりまくりますよ」
 「そうですよねえ」
 若返って仕事をばりばりやろうなんて考えは誰ひとりとしてなかった。皆仕事に頑張ってきたから、休みたいと言う気持ちが強いのだろうと考えていた。
 「わたしは興味ないんですが、若返りの薬があるらしいって聞きましたよ」
 この会のメンバーとしては若い男がそう言いだした。ホントかと皆が注目した。
 「あくまでお噂ですよ、噂。わたしは信じていませんけどね」
 「どこで聞いたんです?」
 「ネットですよ」
 その言葉にネットかあと落胆の声が上がった。
 「ネットはガセネタが多いですからね」
 皆はうんうんと頷いている。
 「だいたい若返りなんてあり得ないでしょう。秦の始皇帝の時代から若返りは人間の最大の関心事ですから、若返りの薬があったとしたら、今まで見つからなかったはずがないですよ」
 その意見に反論する人間はいなかった。

 自宅に戻った郷一郎は、本当に若返りの薬はないんだろうかと考えていた。
 「鈴木、おまえはどう思う?」
 「若返りの薬でございますか?」
 そうだと答えると、調べてみましょうと言った。
 「儂も先はそう長くないだろう。調べるのなら早めに頼むぞ」
 畏まりましたと答えながら、殺しても死なない癖にと鈴木は考えていた。

 毎晩のように飲んだくれて戻ってくる郷一郎に早苗は辟易としていた。今晩も午前0時を回った頃戻ってきてベッドに滑り込んできた。
 (夫婦別室にしてくれれば、同室でもベッドを別々にしてくれれば)
 そう思うのだけれど、郷一郎がそうさせてくれない。
 「止めてください!」
 郷一郎が早苗の身体をまさぐり始めたのだ。こう言うときは他の女を抱いてきてはいないけれど、お触りはしているはずだ。そんな手で触って欲しくなかった。けれど、郷一郎はその手を緩めない。
 あまり抵抗すると妻なのに拒否するのかと言って殴られることもあるのだ。これはパワハラ、セクハラだと思うのだけれど、言い出せないでいる。
 「ああ、止めて」
 「止めて? こんなに濡れているのに?」
 70が近いとは言え、完全には枯れていない。女は死ぬまで現役だと言う言葉を誰が言ったかなと思いながら、やがて早苗は両足を開いていた。
 挿入されるとき少し痛みがあった。濡れてはいるけれど、まだ充分濡れていないのだ。郷一郎はそのことにはまったく気がつかずに、押し込んでくる。
 (若い時みたいに硬くないわね)
 それに少し縮んだようだとも早苗は感じていた。正常位で挿入され、しばらくすると側臥位、それからバックになり、正常位に戻って射精された。いつものコースだ。
 射精はやはり勢いがないと思う。逝かなかったけれど、逝った振りをした。郷一郎は満足したように酒臭い鼾を掻き始めた。
 こんな男と結婚したのは間違いだったと早苗は思う。経済的なことばかりを考えすぎたと、後悔していた。

 二ヶ月後、郷一郎は、若返りの薬のことなどすっかり忘れていた。会長室から出かけようとしたとき鈴木が入ってきた。
 「会長、見つかりましたよ」
 「見つかった? 何が」
 鈴木は呆れたと言うような表情で郷一郎に若返りの薬でございますよと答えた。
 「なに? 若返りの薬が見つかったのか?」
 「はい、さようでございます」
 「秦の始皇帝の時代から見つからなかったものをたった2ヶ月でおまえが見つけたと言うのか?」
 「この薬が作られたのは去年の話でございます。ですから、2ヶ月も掛かったのがむしろ遅かったと言えるかもしれません」
 「本当なのか?」
 「はい。それも、たったの100万で手に入りました」
 「100万で若返る? 催眠術でも掛けて、はい、1歳若返りましたなどと言うのは許さんぞ!」
 「実際に若返ったと言う男から買いましたので」
 「それが事実かどうか、どうしてわかるのだ?」
 郷一郎は疑い深い。だからこそ、この業界で生き延びてきたのだ。
 「会長、お気づきになりませんか?」
 「なに?」
 「わたくしでございますよ」
 そう言われて郷一郎は鈴木をまじまじと見た。
 「そう言えば、少し若くなっているような・・・」
 頭髪にちらほら見られていた白髪がまったく見当たらないのだ。それに目尻にあった皺が消えていた。
 「鈴木、おまえ、その若返りの薬を使ったのか?」
 「はい。わたくしは昔で言う毒味役のようなものでございますから、試しに使ってみました。会長に毒になるようなものでしたら困りますので」
 「そ、そうか。そこまでやってくれるとは、おまえは素晴らしい秘書だ」
 「ご理解いただいたところで、どう致しましょう?」
 「どう致しましょうかとは?」
 「お使いになるかどうかと言うことを伺っているのでございます」
 「もちろん使うに決まっているだろう」
 「では、どれくらいの若返りをご希望でしょうか?」
 郷一郎は首を傾げ、若返りの程度を調整できるのかと尋ねた。
 「そのようでございます」
 「おまえはどれくらい使ったのだ?」
 「0.5CCで10歳ほど若返るとのことでしたので、0.5CCを使わせていただきました」
 「なるほど、10年若返ったと言うことだな」
 郷一郎の目には確かにそれくらい若返ったように見えた。
 「会長はいかがいたしますか?」
 郷一郎は考える。5歳若返ると70歳、10歳だと65歳だ。それくらいでは若返りの喜びは薄いだろう。
 (15歳若返れば60歳、20歳若返れば55歳か。それ以上若返るのは問題だな)
 「うん、20歳若返ることにしよう」
 「20歳でございますね。わかりました。薬を1CC注射することに致しましょう」
 「30歳若返りたいと言ったら、どうするつもりだったのだ?」
 「その時はもう100万出して、もう1本調達するしかないでしょうね」
 「薬はいくらでも売ってくれるのか?」
 「交渉次第だと言っておりました。もしかすると、次は100万以上ふっかけられるかもしれませんが」
 鈴木は鞄の中からバイアルと注射器を取りだした。
 「薬が効くまでどれくらい掛かるのだ?」
 「わたくしの場合、注射して1週間ほどで効果が現れ始め、ひと月たった頃に若返りは止まったようでございます」
 「1週間で効き始めて、ひと月で55歳になるんだな?」
 「多少個人差があるとのことですので、効き始めが早くなることも若返りがどこまで進むか未知数とのことです」
 「まったく効かないなどと言うことはないだろうな?」
 「そこのところは大丈夫とのことです。1週間プラスマイナス3日で効果が現れ、55歳プラスマイナス5歳になるはずです」
 「50歳から60歳と言うことだな。わかった。やってくれ」
 50歳台ならば、もっとも元気なときだ。薬が効いて若返るのが楽しみだなと考えながら、注射を受けた。すごく痛い注射だった。

 郷一郎は若返りを今か今かと待っていた。
 (お! 勃起力が強くなったみたいだ)
 注射して3日後、キャバレーからお持ち帰りした女とセックスしているとき、郷一郎はそう感じた。
 (若返って、女とガンガンやりまくるぞ)
 漏れ出るような射精ではなく、久しぶりに勢いのある射精ができたと喜んだ。

 しかし、1週間がたっても10日が過ぎても、若返ったようには見えなかった。そして、2週間が過ぎた。
 (ぜんぜん変わらないじゃないか!)
 鏡を見て郷一郎は怒りを覚えていた。
 「鈴木! 鈴木!! 鈴木はどこだ!」
 聞こえているはずなのにすぐにはやって来なかった。ややあって鈴木が小さくなってやってきた。
 「鈴木! 2週間たったが一向に若返らないぞ。どう言うことなんだ!」
 「会長。若返りの薬など、やはり存在しないようで」
 「おまえは若返って・・・」
 言いながら鈴木を見ると、若返って見えていた鈴木が元に戻っていた。
 「どう言うことだ!」
 「実はわたしは薬を使っていないんです」
 「何! しかし、先々週は若返って見えたぞ」
 「それはですね・・・」
 髪の毛を染めて白髪を隠し、さらにビニルテープで皺を伸ばしていたのだった。
 「儂を騙すとは、どう言うことだ!」
 「あの薬は一応若返りのクスリと言うことではありましたが、恐らくまがい物であろうと思いまして、わたし自身は使わなかったのです」
 「毒味がどうのこうの言っていたが?」
 鈴木は申し訳ございませんと頭を下げた。
 「2週間たって、効果がないところを見ると、騙されたと言うことなんだな?」
 「わたくしが自腹を切りますので」
 「100万も払ったら給料がなくなってしまうだろうが!」
 「それはそうですが」
 「もうよい。夢を見せてくれたと思えば、安いものだ」
 「そう言っていただければ。ともかく申し訳ございませんでした」
 鈴木は頭を下げつつ部屋を出て行った。今までよくやってくれていたので、首を切るわけにはいかないと郷一郎は思っていた。

 その日、午後11時頃、珍しく早めの郷一郎が戻ってきた。もちろん酔っ払っていた。酔っ払っていたとしても、こう言うときは100パーセント手を出してくるなと早苗は身構えた。
 案の定、腋の下から手が差し入れられて乳房が揉まれた。キスされる。酒のイヤな臭いが鼻を突いた。
 着ているものが脱がされていき、クンニされる。いつもの郷一郎のやり方だ。そして、貫かれた。
 (あら? いつもより硬いわ)
 若い時みたいと思った。正常位から側臥位、バック、そして正常位へ戻り、突かれたあと射精された。勢いがあり、久しぶりに逝ってしまった。
 いつもこうだったらいいのになと考えながら郷一郎に抱きついて眠った。

 早苗が目覚めたとき、郷一郎は早苗に背中を向けて眠っていた。衰えて緊張のなくなっているはずの皮膚に張りがあった。
 おかしいなと思っているとき郷一郎が寝返りを打って早苗の方を向いた。
 (郷一郎じゃない!)
 早苗は思わず悲鳴を上げていた。


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