第9章 愛する人のために


 わたしはすべてを忘れることにした。薫と結婚していたことも、ふたりの子どもに恵まれたことも。
 食品会社で働いているところを村田に見初められて一緒に暮らしていると思いこむことにした。
 (汚いところをこのまま使わせていいんだろうか?)
 村田に貫かれながら考えた。今のままではもちろん村田と結婚できない。例え性転換したところで、今の日本の法律では翔太郎が成人するまでは性別の変更が認められない。翔太郎が成人するのを待っていたら、村田は寿命が尽きてしまうだろう。
 ただ、結婚できなくても女になった方が村田のためだ。わたしが愛するのは村田だけで、もはやこの醜いものは必要ない。そう決断した。
 「あなた。わたし、性転換するわ。性転換して女になるわ」
 「性転換? 性転換しても戸籍が変えられないんだぞ。戸籍が変えられなければ、結婚できない。結婚できなければ性転換する必要などなかろう」
 「法律的には結婚できないわ。でも男と女として結婚の形を取りたいの。そのためには性転換、女になることが必要よ。妻にこんなものが付いていたらおかしいでしょう?」
 「それはそうだが、そんなのはいい訳で、わたしのために性転換しようと言うんじゃないだろうな?」
 「ち、違うわよ。あくまで結婚の体裁を整えるためよ」
 村田は、わたしは今のままでも構わないんだがなとあまり乗り気ではない。
 「わたしが構うの! 今のままじゃイヤなの!」
 「そうか、そうか。そこまで言うのなら、性転換しなさい」
 乗り気でないと言った割りには村田は嬉しそうな顔をしている。
 「で? どこで手術して貰うんだ? 国内か? それとも外国か?」
 「まだ決めていないけど、アフターのことを考えると国内の方がいいと思うの。今から調べてみるわ」
 「何だ。豊胸したときみたいに決めてから相談したのかと思った。時間を掛けてできるだけ腕のいい医者を選ぶんだぞ。焦る必要はない。焦ってろくな結果は生まれないからな」
 「わかってるわ」
 そう言うことで、性転換手術をやってくれる病院を探すことになった。
 (大学病院かあ。モルモットにされそうだし、研修医みたいな若いドクターに見られるのはイヤだな)
 民間病院もいくつかヒットした。その中にわたしが豊胸術を受けた大阪朝永病院もあった。
 (あの先生、美男子で恥ずかしいけど、胸の仕上がりからすれば手術は上手そう。一度連絡してみよう)
 早速電話を掛けてみた。
 《院長は手術中で手が離せません。後日ご連絡ください》
 《申し訳ございません。院長は本日東京出張で不在です。後日お掛け直しください》
 何度電話を入れてもなかなか連絡が取れない。だから、診察日を尋ね、予約を取って大阪に出かけて行った。

 予約の2番目ということで、待つことなく診察室へ招き入れられた。
 「村田楓さん、よく覚えていますよ。いつの日か性転換手術を受けに来ると予想していました」
 「どうしてそんなことがわかるんでしょうか?」
 「長年の勘ですよ」
 勘と言われれば、それ以上聞きようがない。
 「陰茎切除、除睾術、造腟術、すべてをご希望ですね?」
 「すべてを希望しない人っているんでしょうか?」
 「ペニスがなければいいと言う方もいましてね。もちろん除睾術も行って、外陰部の形を女性のように整えますけどね。造腟術をやらないと言った方が早いですかね?」
 「そんな人がいるんですか」
 「要するに、男性とのセックスはできなくてもいいから女性として暮らしたい。そんな方がいるんですよ」
 女装するだけだったらそれでもいいけれど、わたしには村田というパートナーがいる。造腟術は必須だ。
 「では、手術の詳細について説明しておこう」
 「先生、詳しく聞いてもわからないと思います。仕上がりだけ見せてください」
 「そうですか。では、手術の詳細は説明したことにして。仕上がりの写真はと」
 マウスを操作して、Resultのホルダーを開いた。
 「これが立位での写真、これがいわゆるM字開脚したときの写真、陰唇を開いて貰ったときの写真、これはクスコで腟内を見た写真、最後にシリコン拡張期を挿入して深さを計測している写真。どうです?」
 「まるで本物です。これだけですか?」
 そう尋ねると、別のホルダーを開いて見せてくれた。次々に。どれもまるで女性に見えた。ただ、人によっては傷が見えた。
 「できるだけ傷が残らないようにはしているんですが、ケロイド体質の人はどうしても少し傷が残ってしまうんですよ。村田さんはどうかな? 豊胸術の傷跡を見れば、およそ想像が付きますが?」
 言われて右手を挙げて腋を見せた。
 「傷はここにあるはずですが、まったく見えなくなっていますね。これなら大丈夫ですね」
 「本当にこの人たちみたいに仕上げていただけるんですね?」
 本田医師は大丈夫と太鼓判を押した。
 「では、手術承諾書にサインを。すんだら、術前検査に入ります。すべてに問題がなければ、来週の水曜日、午後2時の手術としましょう」
 「来週の水曜日、午後2時ですね?」
 「あ、入院は前日の午前10時までにお願いしますよ。いろいろと準備がありますからね」
 診察室を出て、前回と同じような検査を受けた。検査に異常はなく、翌週の火曜日入院してくださいと受付嬢に言われて、入院に必要な書類一式を渡された。

 翌週月曜日の夕方大阪に出て、駅前にあるホテルに泊まった。書類に不備がないことを確かめてからベッドに入り、翌朝火曜日、9時にホテルを出て大阪朝永病院の門を潜った。
 本田医師はいろいろと準備があると言っていたけれど、剃毛と浣腸だけだった。
 「手術って緊張するでしょうけど、院長先生は、この道のエキスパートだから心配しないでいいわよ。ぐっすり眠れるようにこのクスリを飲んでね」
 わたしと同い年くらいのナースが錠剤を置いていった。それを飲み下し、目を閉じた。
 (いよいよ明日は女に生まれ変わるんだ)
 あまり不安はなかった。

 手術当日の昼前、村田が部屋にやってきた。
 「心配でね。手術がすむまでここにいるよ」
 「来なくていいって言ったのに」
 それでも来てくれて嬉しかった。午後1時30分、村田とキスして手術室に運ばれていった。
 豊胸術以来の手術室。気分は屠殺場の牛だ。両手を縛られ、両足を上げられて固定される。
 「眠くなりますよ。数を10から逆に数えてください」
 10から数え始めたけれど、いくつまで数えたかまったく覚えていない。気がついたら、病室に戻っていた。
 「よく頑張ったな」
 村田がそう言ってわたしの手を握ったけれど、手術を受けた実感がない。
 「痛くないのか? 大丈夫なのか?」
 心配そうに聞く。
 「痛くないわよ。ぜんぜん」
 (手術前の説明通り、まったく痛くないな)
 硬膜外麻酔と言って、背中に細いチューブを入れてあり、手術に引き続いて手術後も麻酔薬が少しずつ与えられているから痛まないそうだ。
 ただ、骨盤あたりに圧迫感のようなものと灼熱感のようなものがあり、不快だった。
 (痛みがないんだから、贅沢は言ってられないな)
 時々両足が締め付けられる。手術の安静で両足に血の塊ができることがあり、それが肺に飛ぶと肺梗塞という恐ろしい病気になって死ぬことがあるらしい。その予防のための処置だった。
 「あなた、もう帰っていいわ。明日は仕事でしょう?」
 「仕事は休む」
 「あなたがいてくれるのは嬉しいけど、いてくれても早く治るわけでもないし、仕事に支障が出たらわたしが困るわ。だから、帰って」
 村田はしばらく考えてから、来週来るよと言ってわたしの頬にキスすると病室を出て行った。
 村田の姿が消えると急に寂しくなって、心細くなった。けれど、今さら戻ってとは言えなかった。
 そっと股間を触ってみた。分厚いガーゼが当てられているけれど、その下にはもはや何もないことがはっきりとわかった。
 (これで後ろめたさなしに村田に抱かれることができる)
 嬉しくて叫びそうになった。
 「村田さん、検温ですよ」
 看護師がやってきて、痛みはないかと尋ねた。
 「ぜんぜん痛くありません。手術してないみたい」
 「それは良かったですね。この病院で手術して良かったでしょう?」
 「はい。ただ、仕上がりが心配で」
 「それは大丈夫って自信を持って言えるわ。ここで手術して満足できなかった方はぜんぜんいないのよ」
 「いつ見られるかしら?」
 「抜糸の時には見せてもらえると思うわ。37度2分ね」
 「熱があるのね?」
 「手術後は少し出るものよ。これくらい心配ないわよ」
 にっこりと微笑んで出て行った。性転換の患者になれているようで安心した。

 翌朝早く本田医師がやってきた。
 「傷を見よう。痛くなかったかな?」
 「ハイ、痛くはありませんでしたけど、足を圧迫されるので眠れませんでした」
 「血栓予防だから仕方がないんだ」
 話しているうちに看護師がテープを外してガーゼを取り除いた。
 「膝を立てて、広げて」
 言われたとおりに膝を立てて開いた。本田医師が顔をくっつけんばかりに覗き込んできた。かなり恥ずかしいけれど、相手は医者だし、しかも手術してくれた医者なのだ。
 「出血は想定内だな。腫れはほとんどない。よしよし」
 満足げに頷き、大丈夫ですよとわたしに告げてペタペタと消毒した。
 「綺麗に仕上がってるんですね?」
 そんな質問に笑顔で頷いた。

 本田医師が病室を出て行ったあと、朝食が運ばれてきた。
 「もう食べてもいいんですか?」
 「消化管の手術をしたんじゃないですからいいんですよ」
 運んできた看護師に説明され、恐る恐る食べた。半分ほどしか食べられなかったけれど、どうもなかった。
 トレーが下げられると、両足を圧迫していた器具が取り除かれた。楽になったなと考えているとベッドから置きなさいと命じられた。
 「術後の回復が早くなるんです」
 そう言われてベッドから足を降ろして立ち上がった。ふらついてすぐに腰を下ろした。
 「寝ていると良くなりませんよ。若いんだから頑張って」
 もう若くないんだけどと思いながら、指示に従って離床につとめた。

 手術後3日目の朝、背中に入れたチューブが抜かれて、サークル歩行器で歩けるようになった。ただ、膀胱に入れた管がまだ入っているので、歩きにくい。
 背中に入れたチューブから麻酔薬が入れられなくなったせいで、骨盤の奥にじわっとした痛みが生まれた。けれど、耐えられない痛みではない。ただ、倦怠感は抜けない。
 手術後7日目の朝、本田医師が病室に入ってくるなり人造膣に入れてある詰め物を抜こうと宣言した。
 「それって痛いんでしょう」
 「痛いよ。痛くて気を失った患者がいるくらいだよ」
 ええっと驚きの声を上げると、院長先生、そんなに脅かしちゃだめでしょうと看護師がたしなめた。
 「少し痛むだけですから心配しないで」
 看護師が優しくそう言った。どちらが本当かわからない。わたしは覚悟した。
 「じゃあ、抜くからね」
 ステンレス製の器具で詰め物を挟んで抜いていった。ずるっとした感触がしたけれど、ほとんど痛みはなかった。
 「どうだ? 痛かっただろう?」
 「死ぬほど痛かったです」
 そう答えると死ななくて良かったなと言い、看護師にあとで下に降ろすように命じた。
 「何をするんですか?」
 「クスコで膣の中を調べるんだよ。あ、バルーンも抜いておいてね」
 看護師に告げると病室を出て行った。すぐに看護師がわたしの膀胱に入れられていたチューブを抜いてくれた。
 「トイレに行っておしっこするのよ」
 「はい」
 「すぐに迎えに来ますから、少し待ってってください」
 看護師はばたばたと病室を出て行った。
 (すぐに来るって言ったのに)
 なかなか迎えが来ず、やってきたのは30分ほどたった頃だった。院長先生が待ってるからと急かされて診察室に降りた。
 婦人科の診察台に乗せられた。女になったんだと自覚した。消毒の後、クスコが挿入された。気持ちが悪いというか、元々ない場所に器具が入ってくるのだ。奇妙な感覚だった。
 「うん。膣の状態は良好だ」
 そう言ってクスコを引き抜いた。
 「先生、仕上がりを見せていただけますか?」
 「もちろん。今から写真を撮って見せてあげるつもりだったんだよ」
 「写真を撮るんですか?」
 「今後手術する患者さんに見せるためだよ」
 わたしも見せてもらっているわけだから文句は言えないし、顔を写すわけじゃないから、平気と言えば平気だ。
 フラッシュが光った。角度を変えて数枚撮っている。
 「さあ、見なさい。いい仕上がりだろう?」
 液晶モニターが小さいからかもしれないけれど、まさに女性に持ち物に見えた。ただ、縫い目がまだ目立つ。
 「抜糸はいつなんですか?」
 「来週にしよう」
 その言葉にまだ退院できないんだと思った。

 昼前、尿意を催した。トイレに入り、どぎついピンク色のサニタリーショーツを降ろす。そのサニタリーショーツは人工腟から詰め物を抜いたあと履かされたものだ。ガーゼではなく、通常の生理用品が付けられている。その生理用品にどす黒い血液のようなものが少し付着していた。
 座って小便した。これまでずっと座って小便していたから座ってすることに違和感はないけれど、小便の出方がまったく違う。力を入れたとたん、ジャーッと出るのだ。これが女の小便かとちょっと感激した。
 ビデで洗浄する。不思議な感覚だ。軽くティッシュで拭いたあと、ナースコールを押して看護師を呼んだ。小便のあとナースを呼ぶように指導されていたからだ。
 消毒されて、新しい生理用品をサニタリーショーツにつけて履かされた。こんなことが抜糸まで続く。早く抜糸がすまないかなと思った。

 昼食を終えた頃、村田がやってきた。
 「元気そうだな、顔色がいい」
 「まだ少しきついけど」
 「そう見えないが。宮崎のマンゴーを持ってきた。食べるか?」
 「食べたいけど、お腹が一杯。お昼をすませたばかりなの」
 「そうか。では、冷蔵庫に入れておこう」
 大きな箱を冷蔵庫に収めている。
 「経過は順調なんだって?」
 「そうみたい。今朝、人造膣に詰めていたものを抜いてもらって、おしっこも管も抜けたから、トイレでおしっこしているのよ」
 「仕上がりは見たのか?」
 「ええ。すごく綺麗にできてたわ」
 「そうか。それはよかった」
 見せてくれと言い出すと思ってのに、そんなことはまったくなかった。さすが、村田、地位のある人は違うなと思った。
 「元気な顔を見て安心した。退院は来週あたりになるそうだな?」
 「ええ。まだ抜糸がすんでいないから、退院はそのあとだと思うわ。お仕事、どう? 問題ない?」
 「順調だよ。業績が7パーセント伸びた」
 すべては支社長である村田の采配のおかげだ。その後、村田はとりとめのない話を2時間ばかりして、マンゴーを切ってくれてから、次は退院の時しか来られないがとすまなそうに言って帰って行った。

 夕方になって看護師がトレーを持ってきた。そのトレーには忌まわしき道具、拡張棒が入っていた。
 サニタリーショーツを降ろして、KYジェリーをたっぷり塗ったシリコン製の拡張棒が人造膣の中に挿入された。
 「方向はこの方向、無理をしないようにゆっくり挿入してね。奥まで入ったら、15分間そのままにしておくのよ。今晩寝る前にもやってね」
 今夜からわたし自身の手で拡張しなければならない。面倒だけど、村田のために作った膣がなくなっては元も子もない。

 毎日毎日クスコで膣の中を観察された。これがいやでいやでならない。それに排尿後の消毒だ。さらに膣拡張。
 手術後12日目、13日目、二回に分けて抜糸が行われた。ほとんど痛みはなかった。
 「傷にこれを塗っておくんだよ。傷の治りが良くなって、ケロイドにもなりにくくなるんだよ」
 ビタミンEを主成分とした軟膏だった。抜糸したことで排尿後の消毒は不要となった。そして、手術後14日目、村田が迎えに来て退院となった。



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