第8章 愛する薫との別れ


 その後薫からは何の連絡もない。掛けるなと言われていた電話を掛けてみたけれど、つながらない。つながらないのは当然だとは思うけれど、わたしとしては子どもたちの様子を聞きたいのだ。この春、楓は小学校3年に、翔太郎は小学校に上がるはずだ。
 そっと見るだけでいいと、支社長に断って東京に出てきた。港区にある高層マンションがわたしの家族が住む場所だ。
 今のわたしは男装したところで男には見えない。薫に見られても、わたしだとわからないと思う出で立ちで出かけていった。
 すなわち、ブラジャーが透けて見えるブラウスにミニのフレアスカート、3重に掛けたゴールドのネックレス、ゴールドの腕輪に鎖骨まで届きそうなイヤリング、ラメ入りのストッキングを身につけ、少し大きめの帽子にグラデュエーションの入ったサングラスを掛けている。
 濃いアイシャドウに二枚重ねのつけまつげ、生肉を食べたような真っ赤な口紅、派手すぎてかえって目立つのではないかと考えたけれど、わたしがそんな格好をするとは薫は思ってもみないだろうからと考え直したのだ。
 同じ階の別の部屋を訪れた客の振りをして、薫たちが住んでいる部屋の前を通り過ぎて驚いた。表札が変わっていたのだ。
 (まさか、別の男と結婚?)
 それはないことに気づいて撤回だ。わたしと薫はまだ離婚していないのだから再婚できるはずがない。薫の旧姓でもないから別人が住んでいることになる。
 確かめるため、思い切ってチャイムを押した。
 「はあい」
 明るい声が戻ってきた。薫の声ではない。
 「すみません。ここは戸倉さんのお宅ではないでしょうか?」
 顔を出した若い女性に尋ねてみた。
 「いえ、違いますけど」
 「確かここだと聞いたのですけど」
 「わたしたち、一昨年の秋、ここに引っ越してきたんです。その前に住んでいた方じゃないですか?」
 「一昨年の秋・・・。すみませんでした」
 頭を下げてマンションを出た。
 (どこに行ったんだろう?)
 つきあいのあったご近所さんを訪れて薫の行方を尋ねてみた。もちろん顔を見られないように用心して。
 「正確には知らないけど、茅ヶ崎だって言ってたわ」
 「ありがとうございます」
 礼を言って茅ヶ崎へ向かった。

 まっすぐに市役所を訪れた。転居届は出しているだろう。住民票から現住所を割り出そうと考えたのだ。
 戸倉薫になりすまして住民票を取った。請求書に記載する薫の生年月日を忘れるはずがない。
 運転免許証が必要だったけれど、持っていた保険証を使った。いろいろ質問されたけれど、薫のことならすらすら答えられる。
 住民票を手にして早速その住所に移動した。

 着いたときには、あたりは薄暗くなっていた。比較的古い団地の端に新たに造成された場所にこぢんまりとした総二階の家があり、戸倉の表札が出ていた。中から子どもたちに笑い声が聞こえる。思わず涙がこぼれた。
 垣根の外から中の様子を窺おうとしたとき、玄関に入っていく人影に気づき、姿を隠した。
 ドアを開いて男がただいまと言う。お帰りなさい、あなたと聞き覚えのある薫の声が耳に届いてきた。
 「パパ、お帰り」
 「お帰り、パパ」
 子どもたちのはしゃぐ声にわたしは愕然とした。
 (どうしてあいつが、薫がどうしてあいつのことをあなたと呼ぶんだ? 子どもたちがパパと呼ぶんだ?)
 男の顔がはっきりと見えた。御木本だった。

 どこをどう歩いたか覚えていない。何とか茅ヶ崎駅近くにある旅館に宿を取って泊まった。
 考えを巡らせる。御木本がどうして薫や子どもたちと暮らしているのかと。しかし、考えがまとまらない。
 (薫、いや、御木本を糾弾してみよう。それしかない)
 薫と子どもたちの笑い声を思い出すと心が押しつぶされて、死んでしまいたくなっていた。

 翌日、夜が明けぬ前に旅館を出て、薫たちが住む家へ向かった。宿を取ったのに一睡もできなかった。目は血走り、化粧ののりも悪い。最悪のコンディションだ。
 御木本がどこで働き、何時に家を出るのかわからないので、できるだけ早く家の前について御木本が出てくるところを押さえるつもりだ。
 午前5時半には家の前に着いた。まだ灯は点っていない。雲行きが怪しい。雨が降ってこなければいいがと思いながら、ジッと家を見ていた。
 午前6時前、家の裏手に灯が点った。恐らく薫が起きてきて朝食の準備を始めたのだろう。この時点で家に乗り込み、薫を問い質そうかとも考えたけれど、そんなに簡単に話がすむはずもない。御木本が起きてきて、さらに子どもたちが起きてきたら、収拾が付かなくなる。予定通り御木本を捕まえることにして、じっと待つことにした。
 午前7時前、玄関ドアが開いて御木本が出てきた。玄関先で恥ずかしげもなくキスしている。仲がよい夫婦に見える御木本と薫に腹が立った。この場に包丁があったら、ふたりを刺し殺していたかもしれない。
 歩き始めた御木本を少し距離を置いて尾けていく。茅ヶ崎駅までそう遠くないから、歩いて駅まで行くと踏んでいた。その予想は当たった。
 駅が見えてきたとき、わたしは足を速めて御木本に追いつき、横に並んだ。御木本はわたしの方をちらりと見てから視線を正面に戻したのだけれど、ハッと気づいたようにわたしの方を見て立ち止まった。
 「どうしてお前がここにいるんだ?」
 「よくわたしだとわかったわね?」
 「そりゃわかるさ。写真で・・」
 口を噤んだ。最近のわたしを知っている証拠だ。
 「どこかで話をしましょう。人に聞かれない場所で」
 「わかった。ちょっと待ってくれ。会社に連絡を入れておく」
 スーツの内ポケットから携帯電話を取り出して掛けた。
 「もしもし、わたしだ。ちょっと野暮用ができた。出社は恐らく9時を回るだろう。会議は10時に下げておいてくれ」
 それだけ言って携帯を切った。御木本がどんな仕事をしているのかわからないけれど、会社のトップ、あるいはそれに相当する位置にいると思った。
 「あそこにしよう」
 御木本が示したのは中央病院という大きな病院だった。待合いにはすでに患者が待っていた。離れた席に陣取る。
 「どうして、ここに来たんだ? もう来る用事はないだろう?」
 小声で話す。
 「子どもたちの様子を見たくて」
 「子ども? ちっ! 抜かったな。写真くらいは送ってやるべきだったな」
 その言葉に、御木本が何か画策したことがはっきりとした。
 「あなたと薫が一緒にいる理由を教えて」
 「理由を知ったって仕方がないだろう? 覆水盆に返らず。お前と薫の仲はもはや終わってるんだからな」
 「そんなことはわかってるわ。でも、知りたいの。知っておきたいのよ」
 御木本をジッと見ると、フッと小さな笑いを浮かべた。
 「わかった。すべてを話してやる。だが、話を聞いたら、この先二度と俺たちには近づくな。もちろん子どもたちにもだ」
 「子どもたちをきちんと育ててくれるの?」
 「ああ。俺によくなついてくれているからな。俺の子ども以上に可愛いよ。だからきっちり育ててやる」
 「それなら約束するわ。どんな事実が隠れていようと、二度とあなたたちのそばには来ないって」
 「男に二言はないな?」
 「なによ。それ」
 「ははは。今のお前に言う言葉じゃないか」
 大声で笑うので、近くにいた人の数人がわたしたちを見た。御木本は声を落として続けた。
 「3年前、イヤ4年前の夏に行われた同窓会を覚えているか?」
 「4年前? 覚えていないわ」
 「そうだろうな。おまえはやっと取れた盆休みが終わるとすぐに福岡に戻ったからな」
 わたしの働いていた会社は、週休二日で土日は休みだったけれど、盆休みなどはなかった。けれど、何とか代休を取って戻った覚えがある。2泊3日の滞在ですぐに福岡へとんぼ返りしたのだ。
 「俺は高校時代から薫のことが好きだったんだ。けど、話したことも、声を掛けたことすらなかった。薫のことが好きだってことは誰にも言わなかった」
 御木本は別の女性が好きだと聞いていた。まさか薫のことが好きだったなんてまったく知らなかった。
 「同窓会の日、笑顔を振りまいている薫を見て、思い切って声を掛けたんだ。もちろん、すでにお前と結婚しているのも知っていたし、子どももいることも知ってたんだが、俺の気持ちを伝えておきたかったんだ」
 同窓会の席で、昔はお前のことが好きだったんだなんて告白することはしばしば見られる風景だ。実際わたしも、同級の女性に好きだったのよと言われたことがある。
 「薫は最初は冗談だと思って聞いてたよ。まあ、当然だろうな。ただ、俺がIT関係の会社の社長をしているって言ったあたりから俺に興味を持ってくれたんだ」
 IT関係の会社の社長という言葉に、驚きを隠せなかった。相当稼ぎがあることが予想されたからだ。
 「わたしには並以上の稼ぎがあったわ」
 「俺は恐らくお前の10倍は稼いでいるな」
 自慢げに言う。
 「薫は金に靡くような女じゃないわ!」
 「そう思っているのはお前だけだ。金さえあれば、どんな女でも手に入る。薫を抱いたとき、そう確信したね」
 「信じられない・・・・」
 あり得ない話だと思った。
 「それが事実だ。ただ、お前が単身赴任してなくてこっちにいたら、同じ結末になってはいなかっただろう」
 薫に寂しい思いをさせていたのは確かだ。しかし、単身赴任を断るわけにはいかなかった。そんなことをすれば、薫との生活そのものが壊れてしまうからだ。
 「心も俺に傾いた薫はお前と離婚したいと言い出した。ところが薫の口からは言い出しにくい。何しろ裏切ったのは薫の方だからだ。そこで、お前の方から離婚を切り出す、あるいは離婚をせざるを得ない状況を作り出すことにした。ところが仕事人間のお前は、浮気のひとつもしない。酒すらもほとんど飲まない。家でちびちびやる程度だ。離婚の原因となるものがまったく見あたらないのだ。何かないかと考えあぐねた末に思いついたのが女装だ」
 御木本はわたしの顔を見てにやっと笑った。
 「わたしに女装させるために、あなたが女装してわたしに近づいたの?」
 「そうだ」
 「あのときのあなた、あの時だけ女装していたようには思えなかったわ。何年も女装していると思ったけど?」
 「女装にはなれてたんだ。大学時代、演劇部にいてね。お前もそうだが、俺もあまり背が高くない。だから、大学では女役をしばしばやらされていたんだよ。役になりきるために、1年間女装したまま大学に通わされたこともある」
 そうでなかったら、あれほど完璧な女装はできなかったはずだ。
 「男と関係を持ったことがあるって話は?」
 「演技に決まってるだろう? ただな。お前が俺の誘いに乗ってきたらどうしようかって思ったな。けど、薫が言うんだ。あの人は絶対に乗ってこないって。そう言う意味ではお前、信頼されていたんだな」
 わたしは絶対に不倫はしないと心に決めていた。そう言う状況にはならないようにしていたし、例えそうなりそうになっても逃げ出していた。村田とは例外だ。
 「女装用品を送ったからといってお前が女装するとは限らない。しかし、お前は仕事でストレスを抱えていた。ストレス逃れに女装しているという話をしておいたから、乗ってくるんじゃないかと考えていたんだ」
 そんな思惑に、わたしはまんまと引っかかってしまったのだ。
 「あんなにたくさんの女装用品をどうやって手に入れたの?」
 「そりゃあ、ネットに決まってるだろう?」
 「ネットで手に入るの?」
 「今は何でもネットで手に入る時代だ。ただ、着古しがあっただろう?」
 「ええ」
 「あれは薫のものだ。お前は薫の下着を身につけて喜んでいたんだよ」
 薄笑いを浮かべて言った。薫の下着を身につけていただなんて、恥ずかしい。
 「ただ、本当に女装を始めるかどうかまったく未知数だった。そこで7月の連休に薫に確かめにいかせた」
 だから当分の間来ないと言っていたのにやってきたのだ。
 「薫はお前が脱毛していることを確かめて、女装していることを掴んだんだ」
 やはり脱毛していたことに気づいていたんだ。今思えば気づかないはずはないのだ。気づいていて気づいた振りをしなかったのは、こういう裏の事情があったからだ。
 「ただ、お前の女装がいつまで続くかわからない。テンポラリーでは離婚の材料にならない。恒常的でなければな。そこで、ひと月ほどたってから、今度は俺が福岡出張のついでにお前がどうしているか確かめに行った」
 「えっ!? あなたが来たの?」
 「そうだ。退社時刻前にお前の会社の前に行き、待っていたんだ。今日のおまえみたいにな。仕事を終えたお前がいつも行く定食屋で食事をしたあとマンションに戻り、女装して出て行くのを見て、計画は成功したと思ったね」
 「ひとつ疑問なんだけど、女装することが離婚の原因になるの?」
 「そこなんだ。女装するやつって、最近、多いからな。それだけではダメかもしれないとは感じていた。ただ、薫が女装する夫は絶対にイヤだと言い張れば、いけるんじゃないかともね」
 「あの時点では女装を始めてまだ数ヶ月だったわ。止めると約束すれば、離婚を要求できないでしょう?」
 「その通りだ。離婚を要求するためにはお前が女装するだけじゃダメだ。男と関係を持ってくれなければ。男と関係を持てば、これは完全に離婚を要求できる」
 「そうよね」
 「お前が単に女装を楽しんでいるだけなら、女装する夫はイヤだと薫がいくら言い張っても望みは薄い。ところが突破口が見えてきた。興信所の探偵を雇って調査したところ、昼間は会社で働き、夜はキャバ嬢として働いていると言うじゃないか」
 「興信所の探偵を使ったの?」
 「ああ。そんなにしばしばお前を観察にいけないし、俺が見張っているのがばれたら身も蓋もないだろう?」
 それはそうだ。
 「キャバ嬢として働いているという報告を見て、これは脈があると感じたね」
 「どうして?」
 「どうしてって、キャバ嬢なんて男の相手じゃないか。そのうち言い寄ってくる男がいて、関係を持つ可能性が高いってわけだ。女に変身したお前は結構美人だからな」
 「確かに何人かのお客に言い寄られたことはあったわ。でも、わたしはそんなつもりはなかったわ」
 「しかし、村田という男とつきあい始めた。現在同居している男だ」
 「初めはそんなつもりはなかったわ。ただ一緒に食事をしただけよ」
 「それも興信所の探偵から報告が入っていた。毎週土曜日、ランチを一緒に摂るだけだとね。けれど、それだけですむはずがないと様子を見ることにした。なかなか進展がなかったがお前と村田がディープキスをしている写真を目にしてこれは行けると思ったよ」
 支社長とのあのキスを写真に収められていたなんて恥ずかしすぎる。
 「ところが。クリスマスイヴの夜、お前が女だと信じている村田がお前にプロポーズし、お前は自分が男だと告白して進み始めていた関係が破綻したことを知った。振り出しに戻ったと本当に落胆したよ」
 わたしもあれで終わったと思っていた。
 「ところがどうしたことか、翌週女装したお前が村田のマンションに行き、一夜を過ごしたとの連絡が入った。訳がわからなかったが、ともかくお前と村田の間に男女の関係ができたと喜んだ」
 「村田がガンで余命幾ばくもないと言うから、1年だけのつもりで」
 「ガンというのは嘘だったらしいな?」
 わたしは頷く。
 「ガンだと嘘までついて、男のお前を手に入れたとは信じられないな」
 「それだけわたしを愛してくれていたんです」
 「男なのに?」
 「男とか女とかではなくわたしという人間に惚れたって言ってました」
 「そうか。まあ、いい。あの日一夜だけだったら、そんな関係はなかったと否定されれば終わりだ。ところが、お前と村田が同棲を始めたと連絡が入り、これで離婚の条件がそろった喜んだんだ。そうして時期を見計らって、薫に離婚を突きつけに行かせた」
 「でも、薫はわたしとは絶対に離婚しないと言ったわ」
 「そうなんだな。初めはお前に離婚を承諾させるつもりで福岡に行ったんだ。ところが、お前を追求しているうちに気持ちが変わったらしい」
 「どうしてよ?」
 「お前はただ謝るだけで、自ら離婚を持ち出してきた。離婚すれば、喜んで村田と一緒になるだろうことが予想されて許せなかったと言うわけだ」
 そのことは薫自身もわたしに言っていたなと思い出す。
 「その話を聞いて、どうして離婚しなかったんだと薫を責めたけれど、がんとして受け入れてくれなかったんだ」
 薫は一度言ったことは翻さないところがあるからだろう。
 「じゃあ、今はただの同居人なの?」
 「そう言うことだが、ご近所さんは俺のことを薫の夫だと思ってる」
 「子どもたちはどうやって手なずけたの?」
 「ふたりはまだ幼かったから、毎日一緒にいれば、その気がなくてもなついてくれるさ。もう4年近くになるからな。俺も可愛がってるしな」
 あの同窓会に出ていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
 「これで話はすべてだ」
 「謝るべきは薫の方だったのね?」
 「それはそうだろうが、お前自身がこうなってしまった以上、謝るも謝らないもないと思うな」
 「それでも謝って欲しいわ」
 「薫の性格から言ってそれは無理だろうな」
 それはわたしにもわかっている。
 「離婚届の件、俺が説得して書かせるから」
 「わたしは書かないわ」
 「なんだって!? どうしてだよ」
 「離婚すれば、あなたたちは正式に結婚できるけど、わたしの方は例え性転換したところで村田と結婚できる訳じゃない。子どもたちがまだ小さいからね。離婚のメリットがわたしにはないわ」
 「えええっ! そんなこと言わないで、離婚届を書いてくれよ。すべてを正直に話したんだから」
 「自分が悪いのに謝りもせず、自分だけが幸せになろうなんて、それでいいと思ってるの? わたしは絶対に書かないからね」
 そう宣言して走って病院を出た。愛していた薫の仕打ちに涙が溢れて止まらなかった。

 支社長の元に戻り、御木本から聞いたことを話した。
 「薫が悪いのよ、薫が。自分が浮気していたのに・・・」
 「楓、奥さんのことをまだ愛しているのか?」
 愛していないと言おうとしたけれど、それは本心ではなかった。不倫されても、こんな仕打ちを受けても、わたしはまだ薫を愛している。
 「確かに奥さんが不倫していたことは悪い。しかし、女装用品を送りつけたとはいえ、女装を強要したわけではない。女装を始めたのは、楓自身の問題だ。女装したくらいでは離婚の原因にはならない。問題は、わたしと関係を持ったことだ。わたしがガンだと嘘をつかなければ、楓はまだ単なる女装子だったかもしれないな。そう言う意味ではわたしが一番悪いんじゃないかな?」
 「あなたが悪いだなんて・・・。ガンだと嘘をつかなくても、わたし、きっとあなたとこうなっていたわ」
 「では、今の自分を奥さんのせいにすることはないな。お互い様と言うところだ。わたしとしては奥さんに感謝したいくらいだ。楓がわたしのそばにいてくれるようになったんだからな」
 薫を恨めないじゃないかと思った。
 「奥さんの浮気相手、御木本とか言ったな?」
 「ええ」
 「奥さんを愛しているんだろう?」
 「高校時代からずっと好きだったって」
 「ふたりの子どももなついていて、御木本という男も子どものことを愛している。そうだな?」
 わたしは頷く。
 「楓と奥さんとの仲はもはや修復できないだろう。となれば、御木本という男に任せるしかないな。楓がまだ奥さんのことを愛しているのならば、奥さんの幸せをまず考えるべきだろう。子どもたちにとっても父親と認識している御木本という男との結婚の方がいいに決まっている。そうではないかな?」
 薫ばかりに恨み言をぶつけたけれど、本当は御木本が悪いのだ。あいつが薫にちょっかいを出さなければ、こんなことにはならなかったのだ。
 けれど、ここまで来たら、すべてを御木本に任せるしかないのだ。愛する薫と子どもたちのために。

 わたしは離婚届を取り寄せ、わたしが書くべき項目を埋め、手紙と共に薫宛に送った。
 『薫へ
 すべては御木本に聞きました。最初は不倫した薫を恨みました。けれど、薫が不倫に走った原因はわたしにもあることに気づきました。悪かったのはわたしです。仕事にかまけて薫のことを大事にしてあげられなかった。後悔しています。
 薫のこと、何があっても一生愛しますと誓ったことは忘れていません。こんなことになったけれど、今でも薫のことを愛しています。だから、離婚することが薫にとって一番の幸せだと考えました。薫を愛しているからこの道を選んだのです。薫には幸せになって欲しいのです。
 御木本と末永くお幸せに。子どもたちをよろしくお願いいたします。
 楓
 追伸 わたしは村田と幸せになります。薫以上に幸せになって見せます。だから、心配しないでください』



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