第6章 とうとう支社長と


 恐らく支社長はキャバ嬢の楓とわたしが同一人物だと気づいただろう。怒りにまかせてわたしを解雇するだろうか?
 会社は支社長のものではない。支社長もまた会社に雇われて人間に過ぎない。わたしとの個人的なことでわたしを首にはできないだろう。
 わたしが女装していたことを公にして、わたしを追い詰めることはできる。しかし、そんなことをすれば、女装していたわたしと付き合っていたことでかえって自分をおとしめることになる。ただ、支社長はわたしが女装していることを公にするような人ではない。
 だから会社を辞める必要はない。しかし、支社長と同じ屋根の下で働くことはできないと感じた。どんな顔をして支社長の前に立てばいいのかわからなかったのだ。
 わたしは辞表を手にして支社長室へ向かった。

 支社長室の前に立ち、大きく息をしてからドアをノックした。ハイと秘書の可愛らしい声がして、秘書が顔を覗かせた。
 「総務の戸倉です。支社長に折り入ってお話ししたいことがありまして、取り次いでいただけますか?」
 「アポは・・ないですよね?」
 頷くと秘書はドアの向こうに消えた。すぐにドアが開き、どうぞと案内された。
 「総務の戸倉です」
 「何か話があるそうだが?」
 会社でのいつもの表情で支社長が言う。
 「これを」
 辞表を差し出す。
 「どうして会社を辞めるんだね?」
 「一身上の都合です」
 「一身上の都合? ここよりいい条件で働ける職場が見つかったのかな?」
 わたしが楓だと気づいていないんだろうかと首をひねった。
 「いえ、これから捜します」
 「これから捜す? 景気が少し良くなってきたとは言え、すぐに新しい職場が見つかるとは限らないぞ。いいのかね?」
 「はい」
 「もう一度聞くが、どうして辞めるんだね?」
 わたしはもう一度一身上の都合ですと答えた。そう答えるしかない。例えわたしが楓だとわかっていなくても辞めるしかないのだ。
 「わかった。取り敢えずこれは預かっておくことにしよう。1週間時間を上げよう。1週間考えて、辞意が変わらなければもう一度ここに来なさい」
 「辞意を翻すつもりはありません」
 「そうか。キミは総務にとって必要な人物だと聞いている。辞めるのは残念だが」
 「失礼します」
 頭を下げて踵を返した。
 「戸倉君、ちょっといいかな?」
 「ハイ、何でしょう?」
 「楓君に連絡してくれるかな? 昨日と同じ場所、同じ時間で待っていると」
 その言葉で支社長は楓とわたしが同一人物だと気づいていたことを理解した。
 「必ず伝えてくれよ。話はまだ終わっていないんだ」
 振り向いて支社長を見た。哀願するような目でわたしを見ていた。わたしは頭をもう一度下げて支社長室を退出した。

 行くべきか行かざるべきか。ハムレット以上に悩みに悩んだ。
 (話がまだ終わっていないって言ってたよな?)
 今更どんな話があると言うんだろうかと訝った。夕方ギリギリまで悩んで、もう一度話だけして終わりにしようと決めた。
 (女装して行くか、女装しないで行くか? 支社長は楓君に連絡してくれと言ったな。つまり楓の姿で、女装してきてくれと言うことだ)
 大急ぎで楓に変身して、昨日支社長と待ち合わせした割烹へ赴いた。

 女将らしい女性は昨日と変わらぬ表情でわたしを迎え、昨日と同じ座敷に案内した。
 「楓君、必ず来てくれると確信していたよ」
 昨日と同じく、満面の笑顔でわたしを迎えた。
 「お話というのは?」
 できるだけ感情を殺してそう尋ねた。
 「わたしは楓君を心の底から愛している」
 支社長の目は真剣で本気だ。けれど、それをわたしは受け入れるわけにはいかない。
 「それは女としてのわたしでしょう? わたしは男です」
 支社長は首を横に振った。
 「男とか女とか関係ない。わたしは楓君という人間に惚れたんだよ」
 「そう言っていただけるのは嬉しいんですが、男と男で愛を育めますか?」
 「世の中にはたくさんいるじゃないか。男同士で愛し合う人たちが」
 「わたしには・・・」
 「できないというのか? あの熱い口づけは嘘だったのか?」
 支社長とのあの身体が蕩けるようなキスを思い出すと身体が熱くなり、下を向かざるを得なかった。
 「でも、わたし、結婚していますから」
 わたしにとってこの言葉が最大の武器だ。
 「結婚していなければわたしの愛を受け入れてくれると言うことなんだね?」
 最大の武器が打ち砕かれてしまい、いい訳が了承になってしまった。けれど、それがわたしの本心でもある。薫と結婚していなければ、すぐにでも支社長の胸に飛び込みたい、そう思っていた。
 薫と結婚している。それが大きな足かせだ。
 「楓君が結婚している、そこがわたしにとっても大問題だ。昨日、一晩中悩んだよ。悩んだ上で、こうして楓君に愛を告白している」
 「薫と離婚はできませんから」
 これだけは譲歩できない。
 「それはよくわかっている。楓君はそう言う人だからね」
 「ならば、支社長には諦めていただくしかないですね」
 「楓君との結婚は諦めよう。ただ、別の解決方法があるんだ」
 えっと驚いた。
 「奥さんと離婚しないままでわたしと付き合うという方法だ」
 「わたしが女性と付き合えばもちろん不倫になります。男性である支社長と付き合ってもやはり不倫になると思うんですけど、支社長と不倫しろと言うんですか?」
 「そうだな。妻を裏切るわけだから不倫と言うことになるだろうな。わたしは妻と離婚するまで不倫などしたことがない。それなのに楓君に不倫を勧めている。おかしなことだ。しかし、自分で自分が抑えられないんだよ。不倫関係でも何でもいい。楓君をこの腕に抱きたい。そう思っているんだよ」
 薫は女装したわたしに、男性と付き合ったりしていないでしょうねと何度も尋ねた。女性とはもちろん男性と関係を持つこともとんでもないことだ。
 「薫が絶対に許さないでしょう」
 「ははは。楓君、不倫するのに妻の許しがいるだろうかね?」
 それはそうだ。不倫すると宣言して不倫する男はいないだろう。
 「なあ、楓君、わたしの愛を受け入れてはくれないか?」
 清廉潔白な支社長がここまで言うのだ。わたしの思いは揺らいでいた。
 「少し、少し考えさせてください」
 「わかった。来週まで待とう。それはそうと、戸倉君の辞表はどうするつもりなんだね?」
 まるでわたしと楓が違う人物であるかのように尋ねた。
 「辞めさせていただきます。こんなことになって、支社長と一緒に働く気持ちになりませんし、万が一わたしとのことが表沙汰になると支社長も困るでしょうから」
 支社長は少し考えてから切り出した。
 「今住んでいるマンションは、会社の借り上げだね?」
 「はい」
 「会社を辞めるとなると、原則あのマンションを出て行かなければならないが、どうするんだ?」
 考えていなかった。
 「安いアパートでも探します」
 「仕事はどうするんだ? 今朝も尋ねたが、そうそう簡単にいい仕事が見つかるとは思えないぞ」
 「キャバ嬢を本格的にやります」
 「キャバ嬢か。キャバ嬢なんて長くはやっていけないと思うよ。それより辞表を撤回して、今まで通り働きたまえ」
 収入的にはそれが一番だ。薫が尋ねてきたときも安心して迎えられる。
 「・・・そうですね。再考してみます」
 「色よい返事を待っているよ。楓君、料理を食べて行きなさい。昨日も手を付けずに帰ったんだ。作ってくれる料理人に失礼になる」
 支社長と長くいたくなかったけれど、そんなことを言われれば料理に手を付けざるを得ない。
 まるで支店長が前にいないかのようにして料理を口に運んだ。美味しいはずの料理に味がなかった。

 仕事を辞め、支社長から離れて暮らそうと考えていたのに、その考えが揺らいでいる。それはわたし自身が支社長を愛し始めていたことに気づいたからだ。女としてという意味ではなく、人間として。
 支社長は薫と別れずに不倫関係でいいと言う。会社も辞めずに働けと言う。わたしにとってもっともいい条件なのだが、支社長との関係が表沙汰になったときのことが怖い。
 「わたしは別に怖くない。先が短いからな」
 一週間後同じ割烹で、まだ迷っていると告げると支社長はそう言ったのだ。
 「先が長くなってどう言う意味ですか?」
 「実は、皆には隠しているがわたしはガンなんだよ」
 「ガン!」
 「あと1年の命だと宣言されている。上手くもっても2年だと。そのことを知って、女房もわたしを解き放ってくれたんだよ」
 言葉がなかった。
 「残り少ない人生を、楓君、キミと共に過ごしたいんだよ。お願いだ。一生の」
 1年、長くて2年なら、支社長の思いを叶えてあげられると思った。それくらいの間なら、隠し通せるかもしれない。
 「わかりました。わたし、支社長のお世話になります」
 「本当か? 本当なのか? よかった。本当によかった」
 支社長は涙を流して喜んでいる。これでよかったんだろうかと思ったけれど、これでよかったんだと思うことにした。

 今日は料理をまずまず美味しく食べられた。支社長は上機嫌でタクシーを呼んだ。行く先は支社長のマンションだった。
 支社長のマンションに行けば、キスだけではすまないだろう。怖いと思ったけれど、支社長にもたれ掛かっていた。
 支社長は堂々とわたしをマンションに連れて行った。誰に見咎められようとも動じないとの姿勢だ。支社長は今は独身だ。マンションに女性を引き込んでも咎められることはない。ただ、相手が女装者であるわたしだと誰にも知られてはならないという条件付きだ。
 エレベーターが止まった。支社長が振り返ってわたしに手を差し伸べる。心臓が早鐘のように打ち始めていた。
 部屋に入った。広くて掃除の行き届いた部屋だ。
 「女房がいなくなって、だだっ広くなってしまったよ」
 そう言いながらわたしを抱きしめた。
 「本当にわたしに抱かれてくれるのか?」
 「やっと決心したのに、そんなことをおっしゃらないでください」
 「いいんだね」
 返事をする前に唇が重ねられてきた。
 (ああ、身体が蕩ける。きっとわたしは支社長をずっと前から愛していたんだ。こうなることを望んでいたんだ)
 長いキスの後、ベッドに導かれた。押し倒され、愛撫される。着ていたものが一枚一枚脱がされていった。
 「この大きな胸を仕事中はどうやって隠しているのか不思議だったんだが、作り物だったんだな?」
 「すみません」
 「謝ることはない。別に大した問題じゃない」
 ショーツが脱がされた。
 「これで男の部分を隠しているんだな?」
 「ガフっていいます」
 「そうか。これは簡単に脱がせないな」
 「ガフは着けたままでお願いします。見にくいものを見せたくありませんから」
 「脱がせなくてもいいのか?」
 「このガフは脱がなくて、男性を受け入れられるようになっています」
 丁度アヌスの位置に穴が開いているのだ。穴がないガフでも横にずらせば行為は可能なのだ。
 「なるほど」
 支社長は愛撫を再開した。男なのにこんなに感じるなんて思ってもみなかった。愛液がトクトクと漏れ出ているのを感じた。
 「支社長、フェラチオ、しましょうか?」
 わたしはフェラチオをして貰うのが大好きだった。だから、フェラチオしてあげれば、支社長もきっと喜んでくれると考えたのだ。
 「できるのか?」
 「やったことはありませんから上手くやれるかどうかわかりませんが」
 「お願いするよ。あ、それと、支社長は止めてくれないか?」
 「では何とお呼びしたら?」
 「あなたでいい。もうひとつ。丁寧語はいい。もっとフランクに」
 「わかったわ。・・・あなた」
 あなたなんて言うのはちょっと気恥ずかしい。支社長の穿いているトランクスを下ろす。勃起したペニスを見るのは初めてだ。少し戸惑いながら口の中に収めた。
 わたしが住むマンションにはAVビデオが何本かある。単身赴任を始めた頃それを見て年甲斐もなくマスターベーションしていた。そのビデオを思い出しながら、支社長のペニスを舐めた。
 フェラチオなんて男がやるべきではないと思っていたけれど、そんなに大したことではない。太い指を舐めていると思えばいいのだ。それに、支社長のことが好きだから、どんなことでもやれる。
 「楓、もういい」
 支社長がわたしの肩を叩いた。
 (いよいよだ。ついにこうなる日が来たのだ)
 支社長とキスした日などに、支社長の顔を思い浮かべながらガフの上からペニスを擦り、アヌスに指を入れたりしていた。その指が支社長のペニスだったらいいのにと思っていたことが実現するのだ。
 仰向けになって膝を立てる。支社長はどこからか取り出してきたコンドームを着けている。
 「楓、愛している。心から」
 わたしの顔を見つめてそう言い、わたしの両足を抱えた。わたしも膝に手を当て、挿入しやすいように体勢を整えた。
 支社長のペニスがわたしのアヌスに、イヤ腟口に宛がわれた。押しつけられる。
 「入らないな」
 腰を引き、再び押しつける。何度も繰り返しているうちに少しずつわたしの中に入ってきた。
 (痛い!)
 わたしは思わず上半身をよじった。一番大きな亀頭がわたしの中に入ったのだ。ジンジンとした痛みがわたしを襲う。
 「大丈夫か?」
 わたしは頷く。薫との初夜、薫はわたしの貫通に表情ひとつ変えなかったと思う。処女かもしれないと思っていた幻想が、今砕けた。
 「もっと入れるよ」
 優しく言い、押しこんできた。一番太いとことが入ったからか根本まで入るのは比較的容易だった。
 「楓、ひとつになれたね?」
 そう言われて、涙がこぼれ落ちた。わたしが流した久しぶりの涙はうれし涙だった。
 「動かすよ」
 ゆっくりとした抽送が始まった。わたしのアヌスがピクピクと震え、そのたびに痛みを伴った。けれど、ジッと我慢した。
 支社長はときどきわたしにキスしながら抽送を続けた。
 「バックにしよう」
 支社長がポコッと抜けていった。わたしは俯せになってから腰を上げた。支社長の手がわたしに臀を掴む。再びペニスがわたしのアヌスに宛がわれた。今度は少しの圧力でわたしの中に入り込んだ。けれど、痛みは変わらない。
 ゆったりとした抽送が再開された。激しくすると終わってしまうのを恐れて、ゆったりと動かし抽送を楽しんでいるようだ。
 (ああ、どうしたんだろう? このモヤモヤした感じは)
 切ないような、何と表現していいのかわからないような感覚が身体の奥に沸き上がってきたのだ。
 (わたしは感じているのか? そうでないとこの感覚は説明できない)
 そのモヤモヤ感は、強くなったり弱くなったりを繰り返した。
 「楓、そろそろだ。楓の顔を見ながら行きたい」
 正常位に戻って貫かれる。どちらかというとバックの方が楽だけれど、わたしの顔を見ていたいと言う支社長の気持ちを優先した。
 正常位に戻ってすぐはゆっくりだったけれど、その抽送が急に早くなった。
 「楓、楓。愛してるよ」
 支社長のペニスがわたしの中で膨らんでくるのを感じた。支社長はその膨らんだものをわたしの奥深くに押しこみ呻いた。
 支社長のペニスの蠢きをはっきりと自覚できた。行ったという感覚はわたしにはなかったけれど、わたしの身体は幸福感に満たされていった。
 「楓、キミと結ばれて、本当に幸せだ」
 「わたしもです。こんな幸せ、感じたことがありません」
 薫とセックスするとき、射精したときの快感はあったけれど、今日のような身体中に感じる幸福感は経験がなかった。
 「わたしが死ぬまでそばにいてくれるね?」
 「もちろんです。2年と言わず、3年でも5年でも生きてください。ずっとそばにいます」
 わたしは、はっきりと支社長への愛を自覚した。自分が男であることなど忘れて。



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