第5章 深まっていく支社長との仲


 翌週の土曜日、約束通り中華料理をご馳走になった。ありきたりな中華ではなく、手の込んだ料理に感激だ。
 「楓君、携帯の番号を教えてくれ。連絡するのに店に行くくらいなら、その金を料理に掛けた方がいい」
 「ごめんなさい。携帯は持っていないの」
 携帯電話は持っているけれど、わたし自身の番号を教えるわけにはいかない。
 「今どき珍しいな。じゃあ、店を出たら携帯を買ってやろう」
 中華料理店を出ると、見かけたショップに入ってスマートフォンを買ってくれ、早速支社長の番号とメールアドレスを登録してくれた。
 「では、また連絡するから。次は、そうだな。ステーキにでもするか」
 ご馳走してスマートフォンまで買い与えて、見返りは本当にないんだろうかと考えた。
 (今は、泳がせているだけで、先になったら恐らく・・・)
 どうしようかと考えたけれど、そのときはそのときだとそんな考えを脳裏から消し去った。

 マンションを出る前にスマートフォンの電源を切って、自分の携帯に電源を入れる。退社するとすぐにスマートフォンの電源を入れ、自分の携帯は電源を切る。退社後は完全に別人として生活することになるわけだ。
 ただ、スマートフォンの番号だけは薫に教えておくことにした。
 (なかなか出ないな)
 知らない番号から掛かってきた電話だ。こんな時は出るなと教えてあるので出ないのだ。だから、まずわたしの携帯で薫を呼び出した。
 「夜の仕事用にスマートフォンを買ったから」
 支社長に買って貰ったことは内緒だ。そんなことを告げたら、浮気していると勘ぐられるに決まっている。
 「今からスマートフォンから電話を掛けるよ。末尾が110だからね」
 すぐにスマートフォンで掛け直した。
 《スマートフォンなんて買う余裕があるの?》
 第一声がこれだ。
 「給料が少し上がったんだ。それに、客を同伴に誘ったりするのに、自分の携帯じゃ不味いだろ?」
 《それはわかるけど、まさかお客と懇ろになったりしないでしょうね?》
 「薫。俺は男だよ。いくら女装しているからと言って、男と寝るつもりなんてないよ」
 《わかってるけど、念のためにね》
 「月曜日から金曜までの午前7時から午後6時までは今までの携帯。それ以外はこのスマートフォンに掛けてくれ」
 《会社からの連絡はそれでいいの?》
 「女装していないときだけ持ち歩くようにしているから大丈夫だよ」
 《それでいいのなら構わないけれど》
 薫の心配はわかる。実際キャバ嬢として働いているときに緊急連絡が入ったらしいけれど、翌日まで気がつかず、部長から大目玉を食らったことがあるのだ。けれど、わたしでなければならないと言うこともなかったから、同じスタンスで行くことにしているのだ。

 次の土曜日、やはり支社長とステーキハウスにいた。
 「どうだ? 携帯は便利だろう?」
 「便利ですけど、どこにいても監視されているようでイヤだわ」
 「ははは。それもそうかな? ま、連絡して欲しくなければ拒否にすればいいし、電源を切っておくという手もある」
 「今のところ、それはありませんわ」
 そこに電話が入った。スマートフォンの番号を知っているのは支社長と薫だけだ。薫からだと言うことだ。
 「ごめんなさい」
 断って部屋の隅に行き、電話に出た。
 「もしもし」
 《わたし。今、何をしてるの?》
 支社長の方を振り向き、お友達と食事中だと伝えた。
 《お友達? スマートフォンに出たってことは女装してるってことなんでしょう? 相手は男なの? 女なの?》
 「女性に決まってるでしょう? お店の同僚よ」
 《それなら安心だわ。今日電話をしたのはね。楓が熱を出して》
 「熱が? どれくらい?」
 《39度》
 「病院へは行ったの?」
 《行ったわよ》
 「原因は何なの? 妙な病気じゃないでしょうね?」
 《ただの手足口病だったわ。しばらくしたら治るって》
 「安心したわ。気を付けてよ」
 《わかってるわ。それだけ連絡したかったの。じゃあね。昼間でも女装できてるって、あなた、すごいね》
 それだけ言って切れた。席に戻ると誰からだと支社長が尋ねた。
 「高校時代の親友よ」
 これは事実だ。
 「子どもが病気だって?」
 「ええ。何かあると電話を掛けてくるの。手足口病に掛かったって」
 「親友か。いいもんだね。で? 食事の相手は女性だと答えていたようだが?」
 「相手が男性だなんて答えたら、根掘り葉掘り聞かれて1時間や2時間の電話じゃすまなくなるの。だから、女性だって答えたの」
 「うん? 旦那以外の男性と一緒にいると知られないためじゃないのか?」
 「旦那なんていないですよ」
 話のつじつま合わせについそう答えてしまった。
 「はあ? 独身なのか? 以前、結婚しているようなことを言っていたが?」
 「結婚していても独身だと答えなさいって答えたからですね?」
 「ああ。そうだ。あ、そうか。独身でもいいわけだ」
 「そう言うことです」
 「参った。すっかり欺されてしまったぞ。毎週土曜日に誘い出して、旦那を放って置いていいのかと思っていたが、遠慮しなくていいんだな?」
 「ええ。かまいませんよ」
 「それはよかった。今後は気兼ねせずに呼び出せるな」
 笑顔を見せる支社長にわたしは心の中では困っていた。

 ウイークデーの昼間はもちろん、スマートフォンをオンにしているときでもキャバ嬢として働いているときはスマートフォンはロッカーの中だ。
 つまり、土日と深夜しかわたしと繋がらないことになる。だから、連絡はもっぱらメールだ。
 「楓君の声を直接聞きたいんだがねえ」
 支社長はそうぼやく。
 「ところで、ウイークデーの昼間は何をやってるんだい?」
 もっとも困る質問だ。答えに窮していると、どこかで働いてるんだなと言う。
 「いや、言わなくてもいいよ。キャバ嬢とは真反対の堅い職業だろうことは想像がつく。すごく真面目だからね」
 まさか支社長の部下のひとりですとは言えず、ハイと答えておいた。

 土曜日だけではなく日曜日もデートできるはずだけど、わたしと支社長とのデートは土曜の昼間に限られていた。日曜日は支社長の方に抜けられない用事があるのだ。例えば接待ゴルフなど。
 そんな土曜日のデートが続き、11月になった。
 「先週の土曜日はどうしたんだ?」
 11月初めの連休、薫が来ていたのだ。
 「身内に不幸があって」
 あまりいいいい訳とは言えないけれど、咄嗟に出たのはそんな言い訳だった。
 「誰が亡くなったんだ?」
 「伯母です。まだ55だったんですけど、子宮ガンで」
 「そうか。まだ若いのに」
 伯母が亡くなったのは去年のことだが、支社長は信じてくれたようだ。
 「ところで、明後日月曜日は店が休みだろう?」
 「はい」
 「ちょっと早いがふぐを食いに行かないか? 美味いふぐを食わせる店を知っているんだ」
 「昼間はダメですけど・・・」
 「もちろん、楓君の昼間の仕事が終わってからでいいよ。どうだ?」
 男には皆下心があると思っている。けれど、支社長ならば大丈夫だろうと考えていた。

 月曜日、仕事を早めに終えると大急ぎでマンションに戻った。シャワーを浴びて変身する。今日もばっちり化粧が決まった。
 後ろ隣のマンション前を指定してタクシーを呼び寄せて、支社長が待つふぐ料理店を訪れた。
 支社長はいつものようにわたしより先に着いて待っていた。
 「今日も綺麗だよ、楓君。さあ、どんどん食べてくれ」
 有田焼らしい大皿に広げられたふぐ刺しを頂く。ふぐなんて久しぶりだ。白子が出た。これは絶品だった。唐揚げはふぐ刺しより美味いと思った。鍋はどうでもよかった。
 料理を楽しみながら、支社長はひれ酒を飲んだ。これで3杯目だ。
 (酔っていれば、誘う元気もないだろうな)
 そう思いながらわたしもひれ酒を飲み干した。

 午後9時過ぎ、支社長はタクシーを呼び、送っていくと言った。やはり支社長は紳士だと感じた。
 出掛けるときタクシーに乗った場所、わたしの住むマンションの後ろ隣のマンション前でタクシーから降ろして貰った。
 「ご馳走になりました」
 頭を下げると、支社長はタクシーを降り、タクシーの運転手に少し待つように告げてわたしの背中に手を回してマンションに向かって歩き始めた。
 (お茶でもいかが何て言うシテュエーションかな? わたしにはできないけど)
 そう考えていると、タクシーから見えない場所に来ると突然わたしの腰を抱いた。
 「楓君、好きだ」
 唇が重ねられてきた。
 (どうしよう? ここで拒否はできないよな。キスくらいだったらいいか?)
 そう思ったときには、差し入れられてきた支社長の舌を吸っていた。長い長いディープキスだった。男とキスして身体が蕩けるなんて思っても見なかったけれど、実際身体の力が抜けるほど、支社長とのキスに酔っていた。
 「また連絡する」
 そう言い残して支社長はタクシーに乗り込み去っていった。わたしは少し動揺しながら、タクシー尾灯が角を曲がっていくのを見ていた。
 (男と、支社長とキスしてしまった。しかもそのキスに酔ってしまった。あり得ない。ひれ酒のせいだ。きっと)
 自分を正当化しながら、マンションの隙間を通り抜けてわたしの住むマンションに戻った。

 その日から支社長とのデートが土曜日の昼間と月曜日の夜に増えた。別れ際、支社長は必ずわたしにキスをせがんだ。一度許してしまったから今更拒否もできず、わたしはそのキスに応えた。あの日はひれ酒のためだと思っていたけれど、酔っていないときにも支社長とのキスで身体が痺れ、蕩けた。薫には悪いけれど、こんなことは初めてだ。
 わたしは支社長にのめり込み始めていた。
 (けどわたしは男。支社長とこれ以上の関係にはなれない)
 男であることを呪っている自分に驚き、もうこれ以上深みにはまらないようにと自分に言い聞かせた。

 クリスマスイヴ、滅多に取らない有給休暇を取って支社長とデートした。高級ホテルのディナーは最高に美味しかった。
 「若いカップルばかりね?」
 わたしたち以外は、すべて若いカップルだと言っても過言ではなかった。
 「わたしたちはどう思われているかな?」
 周りを見回しながら支社長が言う。
 「不倫カップル」
 それ以外、答えようがないだろう。
 「最近は年齢差カップルだって多いぞ」
 不満そうに言う。支社長は56才、わたしは32才、親子ほども年が離れている。
 「妻との離婚を考えている」
 「えっ!」
 突然の言葉にわたしは驚き、口に手を当てた。
 「別に楓君のせいではない。以前から妻とは別居状態でな。ようやく妻も同意してくれそうなんだよ」
 「離婚するから付き合ってくれは、妻がいる男が口にする一番多い言葉ですよね?」
 支社長とは付き合えないわけだから、婉曲的に断るしかない。
 「楓君の信頼が薄いと言うことなんだな?」
 悲しそうに言うので慌てて否定した。
 「そうじゃなくて、確実でないことに乗りたくないだけなんです」
 「なるほど。楓君の性格が出てるな」
 自嘲気味に笑った。
 「と言うことはだ。その言葉は、離婚が成立したらわたしと正式に付き合ってくれると取ってもいいんだね?」
 そう言うことになってしまう。
 「そうなりますけど、本当に離婚されるんですか?」
 「もちろんだよ。年明けには離婚が成立する予定だ」
 その言葉にわたしは困惑を隠せなかった。この段階に来て、わたしは男だから支社長とは付き合えませんなどと言えるわけもないのだ。
 「わたしは恐らく楓君の父親と同じくらいの年齢だろう。けれど、楓君を心から愛しているんだ。大切に思っている。楓君以上に愛せる人はいないと思っている。どうか考えて欲しい。この先の人生をわたしと共に歩んでくれることを。お願いだよ」
 優しくわたしの顔を覗き込んでくる支社長にすまない気持ちで一杯だ。
 「わたしが本気だと言うことを形で示しておこう」
 支社長がそう言い、スーツの内ポケットから小さなケースを取り出した。羅紗で包まれたそのケースは明らかに指輪が入っていると思われた。
 蓋を開いて差し出すそのケースには、かなり大きなダイヤモンドが付いた指輪が入っていた。
 「こんなもの、受け取れません」
 受け取る訳にはいかないのだ。
 「離婚が成立しなかったら、返してくれても、イヤ、捨ててくれてもいい。拘束はしない。離婚が成立する前にわたしのことがイヤになっても捨ててくれてもいい。だから、今日のところは受け取ってくれ」
 そこまで言われれば受け取らざるを得ない。ケースを受け取り、指輪を左の薬指に填めた。
 支社長は満面の笑みを浮かべて、よかったと呟いた。

 支社長から受け取った指輪は婚約指輪のようなものだ。支社長との結婚はふたつの障害でできない。
 まずはわたしは薫と結婚している。そして、わたしは男だ。薫と離婚したって、支社長とは結婚できない。
 (ああ、困ったなあ。支社長とデートなんてしなければよかった)
 後悔先に立たず。会社を辞めて遠くに消えればと考えたけれど、妻子を養っていかなければならない立場を放棄できない。
 指輪を見ながら困り果てた。

 正月休み、東京に戻った。もちろん支社長から貰った指輪はマンションに置いてきた。薫も子供たちも薫の実家で正月を過ごしていたから、わたしもそちらを訪問した。
 「お義母さん、いつもお世話になって申し訳ありません」
 「いいんですよ。ふたりが可愛くて、一緒に住みたいくらいですよ」
 単身赴任が明けたら、義母と同居してもいいなと考えている。
 「あなた、痩せたというより窶れたんじゃないの?」
 薫が心配げに言うのもわかる。実際、支社長のことで悩んで眠れない日が続いていたのだ。
 その晴れない気分をさらに曇らせたのは我が子の言動だ。楓がこのおじちゃん誰とわたしに向かって言うのだ。
 楓に父親と思われていないのだ。だが、単身赴任が解けて東京に戻れれば、すべてが解決するだろうと考えていた。

 3が日が過ぎた。4日が土曜日だったので、仕事始めは6日だ。だから5日に博多に戻った。支社長と顔を合わせるのが辛い。気が滅入る。
 6日、訓示する支社長の顔が明るい。妻との離婚が成立したのだ。そのことはスマートフォンに入ったメールで知っていた。メールには離婚成立の報告と、今日夕方のデートの誘い、そして、プロポーズへの返事が欲しい旨が書かれていた。
 (どうしよう? 男だから結婚できないと正直に告白するしかないかな?)
 そんなことを告白したら、恐らく会社を首になるだろう。けれど、身から出たさびだ。甘んじて受けるしかない。
 妻子を養う方法として、アルバイト的ではなく正式にキャバ嬢として働こうと考えていた。それならば、現在の収入を遙かに超える収入が得られると考えたのだ。

 退社すると真っ直ぐにマンションへ戻り、楓に変身して約束の割烹を訪れた。かなり高級な割烹だ。
 「いらっしゃいませ。村田様がお待ちです」
 女将らしい女性に座敷に案内された。支社長がいつものようににこやかにわたしを迎えた。
 「メールは見てくれたかな?」
 「はい」
 「離婚が成立してわたしもようやく自由の身だ」
 満面の笑みで言う。
 「楓君!」
 支社長は座り直して正座した。
 「わたしと結婚してくれ。どうかお願いだ」
 深々と頭を下げる。
 「ごめんなさい。わたし、支社長とは結婚できないんです」
 「どうしてだ?」
 「わたし、結婚してるんです」
 「独身だと言ったじゃないか!」
 「それにわたしは、わたしは・・・女じゃないんです。男なんです」
 唖然とする支社長を残してわたしは部屋を走り出た。



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