第3章 完璧なる女装


 会社では脱毛していることがばれないかと冷や冷やしていた。けれど、それは杞憂に終わったことが昼休みにはわかった。
 退社したら夕食をすませて女装する、そう思うと浮き浮きし、いつもより仕事がはかどった。
 いつもの定食屋で夕食をすませると脇目もふらずにマンションに戻っった。入浴をすませると早速着替えだ。ガフをつけてショーツを穿く。後ろ手にブラジャーをつけて人工乳房を挿入。パンストを履いて、今日はワンピースを着てみた。ウエストの部分でファスナーがあがらず、諦めて最初に穿いたデニムのミニスカートにした。
 化粧は30分ほどでできた。わたしには化粧の才能があるようだ。女らしく振る舞いながら、女の声が出せるように発声練習する。かなり女らしく振る舞えるようになったと思うけれど、声はまったくだめだ。手持ちのデジタルレコーダーに収めて聞いてみると男としか思えないのだ。
 (これでは外出は先の先だな)
 声を出さなければ外出できるんじゃないかと思うのだけれど、万が一のことを考えるとどうしても二の足を踏んでしまうのだ。

 入浴をすませてあるので就寝時間と決めてある午前0時まで女装したまま過ごした。
 (はあ、シンデレラもここまでだな)
 0時の時報と共に女装を解く。トランクを手にしながら、はたと気づいた。脱毛がばれないわけだから、ショーツを穿いていたって大丈夫だと。
 ガフもつけなおして、ショーツを穿いた。
 (ブラジャーは?)
 ブラジャーの線が残って見咎められたら大変だ。だからブラジャーをするのは止めた。
 (パジャマは?)
 朝になったら脱げばいいわけだから、女物でもいいし、ネグリジェでもいい。大好きなサテン地のスリップにした。
 (寝ている間にウエストを細くするかな?)
 ワンピースを着るためにはウエストを細くする必要がある。その目的でウエストニッパーも着けて寝た。

 会社でのストレスは、女装することで完全に消え去った。御木本の言うとおりだ。女装用品を送りつけてきた御木本に感謝、感謝だ。万が一御木本が女装用品を返せと言ってきたら、もう捨てたと答えるればいい。
 3日に1回脱毛剤で脱毛しているうちに、効能通り全身の毛が薄くなってきたように感じる。けれど、完全を期すならば本格的な脱毛は必要だろう。けれど、それはできない。
 ネットで調べていてひとついい方法を見つけた。それは脱色するという方法だ。脱色すれば、特にすね毛の存在が目立たなくなる。脱毛する前にまず脱色してみた。なかなかいいようだ。これならば、脱毛の間隔を延ばすことができる。
 わたしは淡泊な方で、ストレスのせいもあって朝立ちすることはまったくない。だから、ガフをいつもつけてショーツを穿いていた。
 困るのは小便するときだ。ガフを着けているとまず立ち小便はできない。個室に入ってショーツとガフを下ろし、座って小便するしかない。ただ、下ろしたガフを引き上げるのが結構大変なのだ。
 それならばガフをしなければいいに決まっている。けれど、ガフをしないでショーツは履きたくないし、ショーツは絶対に履きたいのだ。だから選択枝はないと言うことだ。
 「あら? 戸倉さん、最近食欲がないの? 残すようになったわね?」
 定食屋の女将が言う。
 「いや、ダイエットしてるんですよ」
 「ダイエット? そんなに太ってないじゃないの」
 「それがね。検診でコレステロールが高いって言われちゃいましてね。少し体重を落とした方がいいって指導されたんですよ」
 コレステロールが高いのは本当だ。けれど、ダイエットしろとは言われていない。運動しろと言われただけだ。ダイエットのいい訳に過ぎない。
 「そうなの。じゃあ、少し料理に工夫してあげるわ」
 ありがた迷惑だなと思いながら、すみませんねと笑顔を向けておいた。
 (ウエストだいぶ細くなったぞ)
 そのダイエットとウエストニッパーのおかげで、ウエストが10センチばかり細くなった。きつかったスカート類が楽々入る。もちろんワンピースもファスナーがすいすいあがるようになった。御木本が送りつけてきた服がすべて着られる喜びに浸っている。

 ひと月たって、女としての振る舞いにも自信ができ、デジタルレコーダーに吹き込んだ声もほとんど女にしか聞こえなくなった。
 (明日は外出してみようかな?)
 くるくる回ってスカートが広がるのを楽しみながら思っていた。
 (電話が鳴ってる。こんな時間に誰だ?)
 こんな時間に電話をかけてくるのは薫しかいない。こほんとひとつ咳をしてから受話ボタンを押した。油断すると今度は女声が出そうになるからだ。
 「もしもし、どうした?」
 そばにいるわけでもないのに、心臓がばくばくだ。
 《あなた、元気》
 「元気だけど」
 《明日から3連休でしょう?》
 月曜日の海の日まで休みが続いている。
 「ああ、それがどうしたんだ?
 《子どもたちをおばあちゃんに預けてそっちに行くから》
 「えっ!? 来るのか?」
 《あら? 都合の悪いことでもあるの?》
 「あるわけないだろう? しばらく来られないって言ってたから、驚いただけだよ」
 《そう。第1便で行くから、待っててね》
 「わかった。待ってる」
 電話が切れた。
 (大変だ。急いで部屋を整理しないと)
 薫はしばらくやってこない、つまりこの部屋には誰も来ないと言うことで、部屋の中は一人暮らしの女の部屋のようになっていた。それを元に戻しておかなければならないのだ。
 着ていたものを脱ぎ捨てて、トランクスとTシャツに着替える。そうしてから、クローゼットの中に収めている女性用の服を御木本が送ってきた段ボールの中に一つ一つ収めていった。送られてきたとおりに収めれば、きちんと収まるはずだ。
 ウイッグ、化粧道具、諸々を詰めていく。
 (洗面所は?)
 ここにも化粧品の一部や脱毛剤などがあった。バスルームの中にも。さらにいつもは使っていなかったシャンプーやリンスのたぐいも隠さなければならない。
 すべて隠し終えたときには午前2時を回っていた。
 (これで本当にいいか?)
 部屋を端から点検していく。3回点検してようやくベッドに入った。ガフがないとずいぶん楽だなと考えているうちに眠っていた。

 チャイムが鳴っている。
 (もう来たのか?)
 がばっと起き上がって時計を見ると、午前8時だった。第1便で来ると言っていたが、最も早くて8時過ぎに着く便しかない。ここまで来る時間を考えれば、9時を回るはずだ。いくら何でも早すぎる。
 「ハイ、何でしょう?」
 返事がない。ドアを開いてみたけれど、誰もいない。
 (はて? 空耳だったか?)
 薫が来ることが気になったための幻聴だったのかもしれない。
 (ちょうどいい。薫が来るまでにもう一度点検だ)
 女装用品は完全に隠してあったのだが、洗濯機に汚れ物がないことに気づいた。土曜日がわたしの洗濯日なのだ。
 汚れていない下着類を1週間分洗濯機に放り込み、スイッチを入れた。もう一度点検する。
 (もう大丈夫だ。抜けはない)
 朝食を作って食べ、薫がやってくるのを待った。

 薫がマンションにやってきたのは、午前10時をかなり回った頃だった。
 「ごめんなさい。第1便に間に合わなくて」
 シューズを脱ぎながら微笑む。わたしは薫のその表情とともにシューズを脱ぐ仕草を見ていた。自分がその立場になったときどうやればいいのか頭に入れるためだ。
 「どうかしたの?」
 「いや、なんでもない」
 「そう・・・」
 薫は部屋の中を見回し、小首を傾げた。
 「どうかしたか?」
 「ずいぶん片付いてるなって思って」
 どきっとする。
 「薫が来るって言うから掃除をしておいたんだ」
 「そう。じゃあ、掃除をする必要はなし。キッチンも片付いてる。洗濯は?」
 「あ、もう終わったかな? 干さないと」
 立とうとすると薫がそれくらいわたしがやるわと制した。洗濯物を洗濯機から取り出して物干しに干している薫の後ろ姿を見ながら、スカートを穿いた自分の後ろ姿は薫のように格好いいんだろうかと考えていた。薫の丸いヒップは最高の造形だ。
 「お昼、何を作ろうか?」
 「何でもいいよ」
 「何でもいいよが一番困るのよね」
 そう言いながら冷蔵庫の扉を開いた。
 「あら? 何にも入ってないじゃないの」
 このところダイエットの一環で朝食は野菜ジュースとトースト一枚と決めていた。今朝の朝食もそうだった。
 「買い出しに行ってくるわ」
 「俺も行こう」
 「あら? 珍しいのね」
 「いけないか?」
 「そんなことないわ。嬉しいわ。行きましょう」
 連れだってマンションを出た。薫と買い物に出るなんて確かに久しぶりだ。女の買い物に付き合うのは苦痛でならないから、いつもマンションで本を読むかテレビを見ていたからだ。
 薫と一緒に買い物に出た理由は、女装を始めてからというもの、休みの日に外を出歩くことがなかったからだ。
 (今日は女装して久しぶりに外出する予定だったんだがな)
 薫が帰るまでそれは延期だなと考えながら、道行く女性の仕草を観察していた。

 冷蔵庫に買ってきた食材を詰め込むと、薫は昼食の準備を始めた。スパゲティーを作っているようだ。
 (麺の太さでゆで時間が違うんだ。それにタイマーを使うんだ。なるほどね)
 薫がいつもキッチンで何をどうやっているか見ていなかったので、新鮮な思いで見ていた。
 (これも女装のお陰だな)
 薫の作ったスパゲティーは最高に美味かった。

 片付けが済むと薫がそわそわし始めた。魂胆はわかっている。ただ、わたしにはすぐに乗れない理由がある。ベッドに行けば、脱毛していることがばれる恐れが高いからだ。けれど、応じないわけにはいかない。そのために薫は時間と金を掛けてやってきたのだから。
 常夜灯だけにして薄明かりの中で薫と抱き合う。久しぶりのキス。薫の唾液を味わう。響よりも美味いと感じた。
 全裸になって愛撫する。薫の反応を伺いながら、脱毛していることがばれないか冷や冷やだ。
 「コンドーム、してよ」
 「わかってるよ」
 3人目は作らないことで合意している。安全日とわかっていても、薫は決して生でやらせてくれない。
 合体して貫く。ずっとガフをして勃起させていなかったから大丈夫かなと心配したけれど、何の問題もなかった。
 「ああ、いい、ああ、いい」
 防音が効いているからいいものを薫は喘ぎまくった。
 「ああ、あなた。もう行って。もう行って。死んじゃう・・・」
 薫が身体を痙攣させると同時にわたしも行っていた。

 どうやら脱毛していたことはばれなかったようだ。しばらくして起きだした薫は、服を着込むと夕食の仕込みに掛かった。
 「いつもの定食屋ばかりじゃ飽きるでしょう? 料理を作って冷凍しておくから、解凍して食べてね)」
 気持ちがありがたい。すまないねと礼を言っておいた。

 翌日曜日、夕方の便で東京に戻ると薫はわたしに告げた。
 「明日までいたかったけど、帰りの便が取れなかったのよ。ごめんね」
 「いいんだ。次はいつ来るんだ?」
 「夏休みもセミナーがあるみたいなの。お盆だけは何もないと思うけど、お盆にこちらに来る便はなかなか取れないでしょう?」
 「俺が戻るしかないが、どうだろうな? 休みは暦通りで、盆休みがない会社だから」
 「9月になったら、お婆ちゃんに頼んでこっちに来るわ。それでいい?」
 「無理をしなくていいよ。俺はひとりでも大丈夫だから」
 「愛してるわ」
 「俺もだ。楓たちをよろしく頼むよ」
 マンションを出て行く直前も薫とベッドを共にした。丸一日で5回もセックスした。離れていればこそだと思う。

 近くのバス停まで送っていき、薫が乗ったバスが見えなくなるまで見送ってからマンションに戻った。
 ベッドには薫の体温がまだ残っているような気がしたけれど、そんなことはかなぐり捨てて女装に取りかかった。今のわたしにとって女装していた方が居心地がいいからだ。
 シャワーを浴びてから、脱毛した。ガフをして、ショーツを履く。ブラジャーも苦労せずに着けられる。人工乳房を挿入して、パンストを履く。パンストも難なく履けるようになった。そうしてから、薫が置いていったワンピースを着た。薫のワンピースが入るとは驚きだ。
 薫が作り置きしていったハンバーグを解凍して、野菜を刻んで添えて食べた。涙が出るほど美味かった。
 片付けを済ませ、予定通り外出することにした。化粧を入念に行い、バッグの中身を確かめてからそっとマンションを出た。ヒールのあるシューズを履くのは初めてだけど、それほど苦労はしなかった。
 ブティックのショーウインドウを眺める。マネキンの着た服を見るためではなく、ガラスに反射して見える自分の姿を見るためだ。
 少し自信なさげな、若い女が映っている。実年齢より5つは若く見えると言うのは言い過ぎだろうか。けれど、少し若く見えるのは間違いない。
 (大丈夫。もっと自信を持って)
 駅前に向かって歩く。ときどき、すれ違う男の視線がわたしを追っているのに気づく。男だとばれているんじゃなくて、可愛い子だなと思っているんだろうと考える。
 駅前にある喫茶店に入る。
 「チョコレートパフェ、ください」
 男のままだったら絶対に注文しないものを頼んだ。一度でいいから食べてみたかったのだ。
 女の声は上手く出せたようで、店員はチョコレートパフェおひとつですねと復唱して去っていった。
 ガラス窓を通して行き交う人々を見る。
 (この中に女装した人はいないよな)
 女性の喉元に目がいってしまう。そのとき、自分の喉仏は誰かに見られていないか不安になった。だから下を向いて、できるだけ喉を見られないようにしておいた。
 運ばれてきたチョコレートパフェは思っていた以上に美味しかった。女装して得られた特典がもうひとつ増えたと思った。
 暗くなってきたからもうマンションに戻ることにした。本当はスナックでも入ってカクテルでも飲もうと考えていたのだけれど、外出1日目だ。どこでぼろが出るかわからないから止めにしたのだ。
 ぶらぶらとマンションに向かって歩く。
 (誰も誘ってくれないなあ)
 そう考え、ナンパされることを期待していたことに自分で驚かされた。ナンパされて付いていけば、男とばれる危険が増す。ばれて嘲笑されるだけならいいけれど、怪我でも負わされたら大変なことになる。さらに会社にばれてしまえば失職の可能性だってあるのだ。
 足を速めてマンションに戻った。

 海の日の月曜日も朝から女装して外出した。主にウインドウショッピングだ。何しろ先立つものがないからだ。
 翌火曜日からも、例の定食屋で夕食をすませると女装して外出した。あてどもなく歩くばかりだ。
 (新しい服が欲しいな。下着だってもっと欲しい)
 そう考えていたとき、キャバクラ嬢になりませんかと声を掛けられた。
 「わたしなんてダメですよ。年だから」
 「大丈夫。実年齢を言うキャバ嬢なんていませんよ。そうだな。あなただったら、23で通るんじゃないの」
 そんな甘い言葉につい乗ってしまって、キャバ嬢として働くことにした。もちろん、あのアイテムの存在がなかったらそんなことは考えなかっただろう。あのアイテムとは、本物そっくりのふたつの乳房が繋がった人工乳房だ。
 接着剤を薄く塗り広げて、胸に押し当てていると跳んだり撥ねたりしても離れないようになる。しかも境目がまずわからないのだ。ファンデーションを使うとわからない境目は完全に消えて人工乳房と気づかれる恐れはまったくないと言ってよいほどになる。
 ガフをしてショーツだけを履いて鏡に映してみる。完全に女に見えた。
 (これなら完璧だ。稼いで女装のアイテムを増やそう。化粧品も補充しなければならないし。髭の永久脱毛をやっておこう。眉毛をあたらなければ大丈夫だろう)
 昼間は商社マンとして、夜は夜の蝶として働き始めた。



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