第2章 ストレス逃れに


 送ってきた荷物の内容からすれば、5年間女装しているとは言え、フルタイムで女装しているのではなく、ときどき女装して、恐らく男と関係を持っているんだろうことが想像された。
 (その女装を止めたと言うことなのだろうか? それとも一時的なのか?)
 連絡がつかないから確かめようがない。
 (いると連絡があったら困るから捨てられないな)
 梱包し直して、クローゼットの奥に収めておいた。

 御木本が送ってきた荷物の中身が女装用品だとわかってからは、興味が薄れ、そこにそんな荷物があることすら忘れそうになっていた。
 思い出させたのは、御木本からの電話だった。
 《もしもし、俺だ。御木本だ》
 「あ、ああ。御木本。おまえ、いったいどこで何をしていたんだ?」
 《いろいろとあってな》
 「女装は止めたのか?」
 《ああ、止めた》
 何か事情がありそうだったけれど、尋ねなかった。
 「じゃあ、お前が送りつけてきた荷物、どうするんだよ」
 《それで電話したんだ。俺にはもう必要がないから適当に処分してくれないか?》
 「適当に? 適当にたって、あんなもの、そう簡単に捨てられないぞ」
 《いろいろ考えないで捨ててくれたらいいさ》
 「お前のところに送り返すから、お前が捨ててくれよ。もともとはお前のものなんだから」
 《こっちにそれがあったら困るからお前に保管を頼んだんだろう? 送り返すなんてことは止めてくれよ》
 荷物に貼られていた配送伝票に記載された御木本の住所には東京都だけしか記載されておらず、送り返そうにも送り返せないのだ。
 住所を教えてくれと言ったところで教えてくれそうもない。
 「困るんだけどな・・・」
 《処分費用として5万ほど送っておくから、頼んだぞ》
 電話が切れた。結局わたしがあの女装用品を処分することを合意させられたことになってしまった。わたしの性格なのか、こう言ったことをまったく断れない。

 宣言通り薫はやってこない。その上、会社でもめ事だ。部長が犯した失敗をわたしに責任転嫁してきたのだ。生活のことがなかったら、辞表を叩きつけてやるところだ。
 夕食のときもやけ酒を飲み、マンションに戻ってからも大切に飲んでいた残りの響を飲み干してしまった。
 (ああ、もうどこかへ消えてしまいたい)
 そう思うけれど、この現実世界からは逃げられない。薫や子どもたちを残してどこへ行けると言うんだ。
 (待てよ。あれがあるか)
 御木本が送りつけてきた女装用品は結局捨てられずにクローゼットの中に押しこまれたままだった。
 (御木本は日頃のストレスから逃げるために女装するって言ってたな。ストレス解消のためか。・・やってみるか)
 酔っていなかったらそんなことは考えなかったかもしれない。この時わたしは、相当酔っていたに違いない。
 荷物を引っ張り出して、女装用品を広げた。
 (ストレス解消になるかどうかやってみよう)
 ふらつきながら裸になり、ショーツを手にして履いた。収まりが悪い。玉袋がショーツがはみ出している。手で持ち上げると何とか収まった。
 次はブラジャーだ。ストラップに手を通して背中のホックを留める。苦労したけれど、何とか留めることができた。後で振り返ってみると、よく後ろ手に留められたものだと感心する。涙型の人工乳房をカップの中に納めた。触ってみるとなかなかの手触りだ。
 新品ではないパンストを取り出して履く。パンストがこれほど履きにくいものだとは思ってもみなかった。
 デニムのスカートを穿き、ブラウスを着た。それからボブスタイルのウイッグをかぶってみた。
 鏡を覗く。
 (ほう、結構いいじゃないか。・・髭がいかんな)
 洗面所に行き、電気カミソリで髭を丁寧に剃った。そうしてから女装用品を広げたリビングに戻り、口紅を塗った。
 もう一度鏡を覗く。
 (楓は美人だね)
 娘はわたし似だ。娘が大きくなったら、こんな顔になるだろうと思ったとき、自分に楓という名前をつけていた。
 (上手く化粧ができたら、もっと美人になれるね)
 そう感じたけれど、化粧なんてできそうもない。
 (女の子が胡座なんか掻いたらだめでしょう?)
 いわゆるぺったんこ座りをする。股関節が痛むけれど、しばらくするとなれた。また、鏡を覗く。
 (楓、可愛いよ)
 自然と鼻歌が漏れてきた。なんだか人生がバラ色に思われてきた。
 (喉が渇いたわ)
 立ち上がってキッチンへ向かう。股の間でパンストが擦れる感じが新鮮でいい。コップで水を飲む。コップに口紅が付いた。面白いと感じた。

 どれくらいたっただろうか? 気がつくとベッドの上で寝ていた。時計を見ると、午前5時だった。
 パンストのせいか股間が蒸れているような気がする。ブラジャーの締め付けは苦しいけれど、新鮮な気分だ。人工乳房の重さも心地よいと感じた。ただ、顔にかかる髪の毛が鬱陶しい。
 (どうしようか? 着替えて寝直すか?)
 しかし眠気はまったくない。アルコールを飲み過ぎたせいで少し頭が痛むだけだ。
 (もう起きよう)
 起き上がってトイレへ向かった。スカートをまくり上げてパンストとショーツを下ろして便器に座って用を足した。座ってするのは生まれて初めてだ。これも新鮮な気分がした。
 ペニスの先をティッシュで拭いてからショーツを上げ、パンストを上げた。立ち上がり、スカートの裾を引っ張り下ろす。
 そのままキッチンに行き、朝食の準備を始めた。土日は休みだ。この二日間、女装したまま暮らしてみようと考えていた。
 冷凍した飯はまだあるけれど、米を研いだ。自然と鼻歌が漏れてくる。こんなに気分がいいのは久しぶりだ。
 炊飯器にセットしてから味噌汁の準備をし、滅多に作らない卵焼きを作った。卵焼きは面倒だから、いつもはスクランブルエッグかハムエッグなのだ。
 飯が炊きあがるまで新聞を読む。膝を揃えて、落ちてくる髪の毛を左手で押さえながら読む。女は結構めんどくさいと思う。
 飯が炊きあがった。味噌を入れて味噌汁を完成させ、テーブルに料理を並べて食べた。極力女らしく。
 片付けをしてから歯を磨く。
 (むむ。髭が少し生えてきている。あ、そうだ。脱毛剤があったな。あれは髭にも使えるかな?)
 歯磨きを終えて脱毛剤の説明書をチェックする。髭に使っていいとは書かれていない。
 (使って悪いとも書かれていないから大丈夫だろう。同じ体毛なんだから)
 脱毛剤を髭の部分に塗り広げて指定された時間を待つ。そうしてから顔を洗った。髭は見事になくなり、つるつるになっていた。
 (今日一日何をするかな? あ、そうだ。化粧をやってみよう)
 化粧の仕方を解説した本をじっくりと読む。そうしてから、化粧に挑戦した。顔をしっかりと洗い、化粧水をたっぷりたたき込む。
 (乳液も塗った方がいいのかな? わからないから塗っておこう)
 乳液もたっぷり塗っておいた。
 (化粧ベースか)
 リキッドファンデーションを解説本に従って塗り広げた。
 (Tゾーンは明るいものか)
 最初に塗った方が明るいようだ。最初からやり直しだ。クレンジングオイルで洗い流してやり直した。
 パウダーファンデーションで整える。今のところ上手く行っているようだ。チークをほんの少しだけ塗っておいた。
 次いで眉を描く。自分の眉はリキッドファンデーションを塗って消してあった。解説本に従って眉を描いていった。
 (ふふ。上手く行ったぞ)
 綺麗な眉が描かれて満足だ。アイシャドウに挑戦する。注意して少しずつ塗っていく。もう少しと思ったけれど、そこで止めた。もし悪ければ後で追加すればいいことだからだ。
 アイラインを引き、マスカラを塗った。ちょっとダマになったけれど、今日のところはそれでよしとした。
 ピンクの口紅を塗って完成だ。自分でも驚くほどの仕上がりだった。
 (楓って美人だねえ)
 不思議な高揚感に包まれていた。

 時間はまだ9時前だ。溜まっていた洗濯物を洗濯機に入れ、広げた女装用品はベッドの上に移動させてから部屋の中を掃除した。いつもやっていることなので苦にはならない。
 洗濯物を干してしばらくたった午前10時、玄関のチャイムが鳴った。心臓が早鐘のように打つ。
 「戸倉さん! お届け物です」
 どうやら宅配便らしい。居留守を使って、女装を説いた後に届けてもらうことにした。
 「戸倉さん! おられませんか?」
 もう一度チャイムが鳴らされた。しばらくしてポストに不在票が差し入れられる音がした。計画通りだ。
 女らしく振る舞いながら、テレビを見たり、雑誌を見たりして過ごす。昼は作ったことのないスパゲティーに挑戦だ。麺をゆですぎてしまったが、味は結構良かった。
 午後の時間もずっと女装したままだ。推理小説を読んだり、DVDを見たりして過ごした。
 夕食は大抵例の定食屋で食べるので、夕食を自分で作るのは久しぶりだ。材料が心許ないので、カレーにした。カレーなら明日も食べられる。
 夕食後の片付けをしながら、宅配便のことを思い出した。
 (今日でなくてもいい。明日にしよう)
 夕食の片付けをするとやることがない。女らしい仕草の練習をすることに決め、壁際に置いた鏡を見ながら歩く練習をする。
 (主婦は夫がいない昼間、何をやってるんだろうな? 買い物か。そうだよな。外出できれば、時間を潰す必要がないよな)
 男と見破られないよう練習しないとと自然と身が入った。

 午後10時、名残惜しいけれど、着ていたものを脱ぎ、下着は洗濯機に入れてから化粧を落とした。
 身体を洗いながら、会社のことも薫のこともすっかり忘れていて、ストレスフリーになっていたことに気づいた。
 (女装はいいぞ。明日も女装しよう)
 入浴を終えて身体を拭きながら、別に明日でなくてもいいんだと気づいた。用意しておいたトランクスとTシャツをタンスに戻して、別のショーツを履いて、ブラジャーをした。もちろん人工乳房をカップに納めておいた。
 (ネグリジェがないんだ。と言うことは、御木本の女装は昼間だけと言うことかな?)
 そう考えて、下着だけでベッドに潜り込んだ。いつもは寝付きが悪いのに、目を閉じるとあっという間に眠り込んでいた。

 今朝は午前6時前に目が覚めた。誰も見ていないとは言え、ブラジャーにショーツ姿で部屋の中を動き回るのは恥ずかしい。こそこそとトイレに入り、やはり座って用を足した。
 スカートはヒダスカート、ブラウスはレースが付いていてヒダスカートに合わせているだろうものを着た。もちろんパンストも履いておいた。
 ウイッグをロングのものに取り替えてみた。ぐっと女らしくなった。朝食の準備より先に化粧を施しておいた。昨日は2時間あまり掛かったけれど、今日は1時間ちょっとで仕上がった。
 それから朝食の準備だ。わかめと豆腐の味噌汁にスクランブルエッグ、納豆、それに鮭を焼いて食べた。
 「ご馳走様でした」
 手を合わせるなんてこれまでしたことがなかったけれど、そうするのが当然だと感じて手を合わせていた。
 片付けが済むと、今日は女声の出し方の練習をした。昨夜見た夢の中で、男声で喋って男だとばれ、みんなに指差されて嘲笑される場面があったからだ。
 女声の出し方はネットにいくらでも転がっている。それを参考にして、練習だ。場所はベッドルーム。マンション自体防音が効いているけれど、ベッドルームは防音が完璧だ。女らしく振る舞いながら、女の声を出せるように練習した。
 化粧と違ってなかなか上達しない。昼食を挟んで夕方まで頑張ったけれど、どうしても女らしい声が出せなかった。
 (明日からは男に戻ってストレスと闘わないといけないのか)
 ため息が出た。けれど、逃げるわけにはいかない。寝るまでの時間、せいぜい女装を楽しむことにした。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。午後11時、入浴することにした。化粧を落として入浴する。バスルームから出ると、トランクスにTシャツを着た。今晩はそうしておいた方がいいと思ったからだ。
 けれど、なかなか寝付かれなかった。
 (ショーツに履き替えて、ブラジャーをして寝ようかな?)
 そう考えているうちに眠っていた。

 仕事は面白くないけれど、ストレス解消の道があると思うと、まあ楽しく仕事に励むことができた。
 (仕事を終えてマンションに戻ったら、寝るまでの間、女装を楽しもうかな?)
 そんなことを考えていた。
 (そうなると、すね毛も腋毛も剃っておきたいんだが・・・)
 女子社員のスカートから覗く足を見ながら思った。
 (あ、そうか。女子社員と違って男は足を出すことがないんだ。すね毛を剃ったって、誰にもばれやしないんだ)
 マンションに戻ったら早速脱毛しようと決意した。

 夕方、いつもの定食屋に寄った。
 「あら? 戸倉さん、昨日は来なかったわね?」
 何と返事をしようかと思案していると、奥さんが来ていたのねと言い出したので、頷いておいた。
 午後7時、マンションに戻って早速女装をしようとしたのだけれど、宅配便のことを思い出した。
 「もしもし。○○マンションの戸倉ですけど、不在票が入っていたのをすっかり忘れてしまって。今から届けて貰ってもいいですか?」
 8時頃なら届けられるとの返事で、それまで女装せずに待つことにした。
 (なかなか来ないなあ)
 午後8時を回ったけれど、宅配便はやってこない。チャイムが鳴ったのは午後8時10分だったのだけれど、9時近くになってるんじゃないかと思ったくらいだ。
 伝票にサインを入れて荷物を受け取る。段ボール箱が三つだ。そのひとつを開く。ワンピースにスカート、カーデガンなどがぎっしりと詰まっていた。差出人が御木本だったから、こんなことだろうと考えていたから驚きはなかった。
 もうひとつの段ボール箱を開く。女性用のスーツが数着入っていた。ブランドものだ。最後の段ボールには、パジャマやネグリジェが入っていた。サテン地のスリップも入っていた。白、赤、紫のものだ。これはすぐにでも着てみたいと思った。
 その奥にウエストニッパーが入っていた。最初に送られてきたスカートのウエストがかなりきつかったので、必要だなと思っていたので、無駄な出費をしなくて助かる。
 鍵を確かめ、脱毛剤を持って浴室に入った。腋毛、すね毛、そして陰毛にも脱毛剤を擦りつけておいた。さらに少し気になり始めた髭にも。
 15分後、わたしの身体はツルツルになっていた。
 (いいね、いいね)
 身体を拭くと、ショーツを履き、ブラジャーをして、サテン地のスリップを着た。鏡に映してみると、久しぶりに勃起した。
 (これはいただけないな)
 スリップを持ち上げる隆起を見て思った。
 (確か、あれがこの邪魔者を押さえるものだったんじゃないかな?)
 ベージュ色のショーツのようなものが気になっていたのだ。それを取りだして、いったんショーツを脱いで、その妙なショーツを履いてみた。かなりタイトだ。やっとの事で腰まで引き上げ、既に萎えていたペニスを後ろに折り曲げて完全に上げてみた。ペニスの存在が消えた。
 (やはりこうするものだったんだ)
 ショーツを履いて、スリップの裾を降ろした。もはや隆起は目立たず、ほとんど女に見えた。
 遅くなったので、化粧はせずにそのまま寝るまでの時間を過ごすことにした。
 (このさらさら感、最高だね)
 スリップの上から腿を撫でていると突然携帯電話のメロディーが鳴り響いた。表示は薫だった。
 《あなた。今、何をしてる?》
 「風呂から上がったところだよ」
 《そう。わたしがいけなくて寂しい?》
 「当たり前のことを聞くなよ。何か用か?」
 《何だか冷たいのね?》
 「そ、そんなことはないさ」
 《浮気なんてしないと信じてるけど、絶対にダメよ》
 「わかってるよ。用事はそれだけか?」
 《あなたの声を聞きたかっただけよ。じゃあ、お休み》
 キスする音がした。浮気はしていないけど、女装なんてしてもいいのかなと携帯電話を見つめながら思った。



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