第1章 送られてきた荷物


 あの時掛かってきた1本の電話がわたしの運命を変えた。
 「もしもし、戸倉ですが」
 相手も確かめずに電話に出た。
 《もしもし、俺だ。御木本だ》
 「御木本? ああ、おまえか。どうしたんだ?」
 御木本から電話が掛かってくるなんて初めてだ。戸惑いを隠せなかった。
 《実は、荷物を預かって欲しいんだ》
 「荷物? 何の?」
 《聞かなくてもわかってるだろう?》
 その言葉に荷物の中身が想像できた。
 「いつまで預かればいいんだ?」
 《カタがつくまで当分の間だ》
 「当分の間ってどれくらいだ?」
 《今はわからない。ともかく頼むよ。こんなこと頼めるのはおまえの他にはいないんだよ》
 それほどの仲じゃないのにと考える。
 「困るよ」
 《どこかに隠しておいてくれればいいから。じゃあ、頼んだよ。明日にはそっちに届くと思うから》
 「お、おい。待て」
 電話が切れた。すぐに掛け直したけれど、電源が切られていますのアナウンスが流れるばかりだった。
 途方に暮れて携帯を見つめていた。
 「あなた、どうかしたの?」
 風呂から出てきた妻が小首を傾げて尋ねてきた。
 「いや、なんでもない」
 「誰からの電話だったの?」
 電話を受けていたのは聞かれていたようだ。
 「ああ、御木本から。ほら、高校時代、同級だった」
 嘘をつけないわたしは、正直に答えた。
 「ああ、御木本君。彼がどうかしたの?」
 「荷物を送るから預かって欲しいって」
 「荷物? 何の?」
 「さあ、言わなかった」
 「変なものじゃないでしょうね? 覚醒剤とか」
 「まさか。あいつはそんなことをする人間じゃないだろう?」
 「そうね。預かってあげるの?」
 「預かるも預からないも、明日届くだろうって言って切ってしまったから」
 「そう。じゃあ、仕方がないわね。妙なものでないことを祈るだけね」
 妙なものの可能性が高いんだかなと考えながら、薫の腰を抱いた。

 子どもをふたりも産んでいるというのに、薫のスタイルは独身時代と変わっていない。胸は上を向いているし、ウエストは締まっている。何よりあそこの締まりがいい。
 「今日が危険日よ。コンドームをしてね」
 わたしの方はそろそろ3人目をと考えているけれど、薫はまだ欲しくないという。どうも薫には逆らえない。だからコンドームをして挑んだ。
 薫の喘ぐ声、表情がいい。料理も上手だし、子育ても完璧だ。こんな妻を娶れて幸せ者だと思う。
 「か、薫!」
 久しぶりで溜まっていたものがすべて吐き出された。薫は両足を突っ張って身体を痙攣させ、白目を剥いた。

 今日もよかったわと薫が耳元で囁く。
 「明日は何時だ?」
 「8時過ぎの便。6時半にはここを出ないと」
 「そうか。来月は5月の連休か?」
 薫は毎月1回、博多に単身赴任しているわたしの元にやってきて、掃除や洗濯をして、セックスして東京に戻っていく。
 「来年、楓のお受験でしょう? これまでみたいに毎月は来られないわ」
 「お受験? まだ幼稚園なのに?」
 「小学校からいいところに入れていないと、いい中学、いい高校、いい大学には入れないのよ」
 「女の子なのに?」
 「男の子とか女の子とか関係ないでしょう? そんなの時代遅れだわ」
 目をつり上げる。わたしは思わず視線を逸らした。
 「いい学校にいれば、いい男に巡り会える。わたしみたいにね」
 そう言われれば反論できない。
 「わかったよ。すると次は夏休みに入ってからか?」
 「今はわからないわ。来るときは連絡を入れるから。あなた、別にわたしが来なくてもやっていけるでしょう?」
 「・・・まあな」
 「ソープに行ってもいいけど、素人の女に手を出しちゃダメよ。わかってるわね?」
 薫は男の生理がよくわかっている。その上で、プロならオーケー、妻の座が脅かされる行為は止めろと言っているわけだ。
 「ソープなんて行かないさ。薫の顔を思い浮かべてマス掻くよ」
 「いい年をしてマスターベーション? ま、いいわ。あなたらしくて。もう寝ましょう。明日は早いから」
 薫はわたしに抱きついて寝息を立て始めた。薫はわたしと違って寝付きがいい。ホントに羨ましい。薫の寝顔を見ながら、やがてわたしも眠り込んでいた。

 6時半に目覚めたとき、薫は既に着替えて化粧をばっちりと決め、バックスタイルを鏡で点検しているところだった。
 「起きたの?」
 「もう出るのか?」
 「ええ。味噌汁は温め直して。卵焼きとシシャモを焼いておいたから」
 「わかった。気を付けてな」
 「あなたも。毎日きちんと食べるのよ」
 ベッドの上のわたしに歩み寄ってきて頬にキスすると手を振って部屋を出て行った。来月会えないことを思い出し、抱きしめてディープキスでもした方がよかったかなと後悔していた。
 薫が部屋を出て行ってしばらくしてからノロノロと起き上がり、顔を洗って準備されていた朝食を食べた。
 薫の料理は美味い。単身赴任が解けて、一刻も早く薫や子どもたちと一緒に暮らしたいと思う。

 いつも日曜日に洗濯をするのだが、薫が昨日洗濯をやってくれたので、今日は洗濯の必要がない。新聞をゆっくり読んで、ボンヤリとしていた。
 宅配便がやってきたのは午前10時過ぎのことだった。
 「戸倉要さま、ここに受け取りのサインをフルネームでお願いいたします」
 差し出された伝票にサインを入れて、段ボール箱ふたつを受け取った。一方は軽く、一方はかなり重かった。
 (何が入ってるんだろう?)
 興味をそそられたけれど、およその中身はわかっている。だから、中身は確かめずにクローゼットの奥に仕舞い込んでおいた。
 それから散歩に出た。途中でランチを摂るつもりだ。
 (薫、そろそろ家に着く時刻だな)
 正月以来子どもたちに会っていない。盆には何とか帰らないとと思うが、会社が果たして休みをくれるかどうかだ。
 いつも行く書店に入り、東野圭吾の推理小説を2冊買った。推理小説は時間つぶしと頭の体操にもってこいだ。
 ラーメン屋に入って、博多ラーメンを注文する。博多に来て豚骨ラーメンが好きになった。東京の醤油ラーメンはもはや食べられそうもない。
 ラーメンを食べ終わった頃、携帯が鳴った。薫からだった。
 《もしもし、あなた? 今着いたわ》
 「遅かったな?」
 《途中で買い物をしていたから》
 「そうか。子どもたちは元気か?」
 《今から迎えに行くところ》
 「義母さんによろしくと伝えてくれ」
 《わかってるわ》
 薫がわたしの元にやってくるとき、子どもたちは薫の実家に預けてくる。義母は、喜んで子守を引き受けてくれる。孫はことのほか可愛いらしい。わたしに孫ができるのはいつのことだろうかと思う。
 マンションに戻り、小説を読んで時間が過ぎていった。夕食はいつもの定食屋に行く。御木本とはひと月前この店で17年ぶりに再会したのだけれど、もう会えないような気がする。もちろん今日も来ていなかった。来るはずもない。
 夜の時間も小説を読んでつぶした。

 朝はちゃんと食事を作る。今日は豆腐とあげの味噌汁にスクランブルエッグ、納豆だ。片付けをしてから会社に出る。
 会社は総合商社で、その総務課にいる。わたしには一応係長という肩書きはあるが、下から突き上げられ、上からなじられるクッション役に過ぎない。給料が安かったら、即辞めるところだ。
 昼食は社員食堂で摂り、夕食はいつもの定食屋に行く。そんな繰り返しだ。

 御木本が送ってきた荷物のことは気になるけれど、気にしないことにしていた。イヤ、やっぱり気になる。わたしが予想している品物が入っているのか、それとも別のものが入っているのか? 気にはなるけれど、荷物を開くことはなかった。

 金曜日になった。金曜日は薫が来ていない限り、アルコールを飲む日だ。会社帰りに借りてきたDVDを見ながら、ウイスキーをチビチビとやる。
 「響13年」と言う高級ウイスキーだ。これは掛け値なしに美味い。当然のことながらストレートでその深い味わいを楽しむ。
 この日予定量のウイスキーを飲み終え、DVDのエンドタイトルが流れ始めたとき、御木本が送ってきた荷物のことが急に脳裏に浮かんだ。
 (中に入っているものを確かめてみよう)
 そう考えたのは恐らく酔って自制心をなくしていたせいだろう。わたしはソファーから立ち上がって、件の荷物を置いてあるクローゼットを開いた。二段に重ねたその荷物の表面にうっすらと埃が積もっていた。
 「よいしょ」
 荷物をリビングに運び出す。
 (やっぱり止めようか・・・)
 そう考えているのに、わたしは荷物をクローゼットに戻すことはしなかった。11時の時報が鳴ったとき、わたしの手は荷物のガムテープを剥いでいた。
 軽い方の荷物を開いた。
 (やはり思った通りか)
 わずかにベージュがかった白のヒダスカートが一番上に載っていた。その下にはデニムのミニスカート、さらにグレーのタイトスカートが出てきた。その下からブラウス2着、チュニック2着、Tシャツ3着が出てきた。そして、綺麗に畳まれた下着だ。
 白、黒、紫、深紅、若草色、緑、濃紺のショーツだ。ブラジャーも畳まれて入っている。その数5枚だ。ショーツとペアのものが3枚あるようだ。何度か使われ洗濯されたパンストと封を切っていないパンストが入っている。
 さらのその下にキャミソールが数着入っていて、それを取り除くと、ベージュ色のショーツのようなものが3着置かれていた。そして人工乳房。涙型をしたペアの人工乳房と、ふたつの乳房が繋がったまるで本物に見える人工乳房だ。
 わたしは溜息をつき、もう一方の荷物を開いた。数冊の本と化粧品が入っていた。
 (重いはずだ)
 何種類あるか数えるのに苦労するほどの種類の化粧品に混じって、脱毛剤が2本入っていた。1本は3分の2ほどが使われていた。化粧品もすべて使いかけだ。
 脱毛剤の説明書も同梱されていた。その説明書に目を通す。
 (何度か使っていると、毛が生えなくなる成分を含んでいるか・・・・)
 入っている本は、化粧の仕方を解説したものだ。ところどころにラインマーカーが引かれていた。
 (底の方にまだ何かあるな)
 二重底の下にはウイッグが入っていた。ボブスタイルのものとロングのもので、どちらも人毛の高級品のようだ。
 (まだ下がある)
 3重底というわけだ。そこには四足のシューズが入っていた。サイズは大きいがもちろん女性用だ。
 (女装するにはまだ足りないものがあるな)
 そう考えてよくよく見ると、化粧品の中に隠れてアクセサリーの入ったボックスがあった。リング3本、ネックレス2本、ピアス2本だ。
 ほぼすべての女装用品がわたしに送られてきたと言うことになる。
 (御木本の奴、女装を止めたのかな? 預かってくれと言うことは、一時的にここに避難させただけなのか?)
 よくわからない。
 (御木本に電話を掛けてみよう)
 携帯を手に取り、交換しておいた番号に電話した。
 《お掛けになった電話は現在使われていないか、電波の・・・》
 高校卒業以来たった一度しか会っていないのに、どうしてわたしの元にこんなものを送りつけてきたのか、説明くらいしても良さそうなものだ。
 腹が立って、止めるはずだったウイスキーをグラスにもうワンショット注いだ。

 ウイスキーをちびちび飲みながら、御木本との再会を思い出す。出会ったのはあの定食屋だ。わたしはあの定食屋にはほぼ毎日行く。美味くて安いからだ。
 あの日、会議が遅れて店に着いたのは、午後8時前だった。
 「あら? 戸倉さん、今日は遅いわね?」
 この店の名物女将が笑顔を向けて来た。
 「つまらない会議があってね。日替わり、まだある?」
 「ハイ、ハイ、ありますよ」
 女将が盆に料理を並べているとき、視界の端に女性の姿が入ってきた。この店に女性が来ることは珍しくはないのだけれど、大抵は彼氏と一緒だ。女性だけというのも珍しいのにその女性はひとりで、しかも熱燗らしきものを手酌で飲んでいた。
 「あの女性、いつも来るの?」
 料理の載った盆を渡してきた女将にこっそりと尋ねてみた。
 「いえ、今日は初めてよ」
 「ふうん。ひとりで手酌で飲むなんて女性がいるんだね」
 「たまにね」
 「へえ、そうなんだ」
 そう言いながら、その女性の方を見たとき、その女性と目が合ってしまった。その女性は目を見開き、慌てたように視線を逸らせた。
 (あれ? わたしを知っているのか?)
 しかし、わたしには覚えがない。料理を食べながら、その女性をちらちら見ていたのだけれど、食べ終わる頃、遠い昔どこかで会ったような気がしてきた。
 料理を食べ終わり、お茶を飲みながら記憶の糸を手繰る。
 (あ、思い出した。あいつだ。学園祭の時・・・・)
 クラスの出し物として女装喫茶をやったことがある。そのときジャンケンで負けて女装させられた御木本そっくりなのだ。
 「女将さん、お愛想お願いします」
 女らしくしゃべっているが、声は低めだ。喉仏は確認できないけれど、絶対に女装した男、恐らく御木本だと考えた。
 慌てて会計を済ませると、店を出て行くその女性を追った。しばらく歩いたとき、その女性は振り向き、困ったような表情を見せた。
 真正面から見たとき、この女性は女装した御木本だと確信した。
 「久しぶりだな。16年、イヤ17年ぶりかな?」
 声をかけると、こんなところで会うなんて思ってもみなかったわと答えた。
 「やっぱりお前か。こんなところで立ち話も何だな。俺のマンションに来ないか? すぐ近くなんだ」
 「こんな格好をしているのに、女を連れ込んだって思われない?」
 「大丈夫だよ。そろそろ薫が来る時期だからな。薫だと思われるよ」
 マンションの方へ誘導する。
 「薫って、矢野薫と結婚していたんだわね?」
 「ああ、彼女、高校時代は目立たなかったが、いい女になったぞ」
 「わたしくらい?」
 タイプは違うが、女装した御木本はかなりの美人だった。
 「部屋は602号だ。先に入っていてくれ。その方が疑われない。あそこに見える茶色のマンションだ」
 鍵を渡し、先にマンションに行かせた。数分後、部屋に戻ると、御木本は部屋の中を観察していた。
 「いい部屋ね?」
 「会社の借り上げだよ。いつからそんな格好をしてるんだ?」
 「5年くらい前からかな?」
 「どうしてなんだ?」
 「あの頃、仕事が忙しくて。ストレス解消って言うか、毎晩のように飲み歩いていたの。そんなとき、たまたま入ったのが女装スナックで、ストレス解消のために女装を勧められたの」
 「ストレス解消のための女装?」
 「そうなの。女装するとまったくの別人になれるわけ。日頃の自分を完全に忘れ去れるから、ストレス解消になるって訳なの」
 「なるほどね」
 御木本は他の同級生にも出会ったことがあるけど、見破られたのは初めてよと言った。
 「いや、おまえ、高校時代、女装させられたことがあるだろう?」
 「ああ。そんなことがあったわね。じゃんけんで負けて女装させられたんだったわね」
 「そうだよ。あの時のおまえの姿が目に焼き付いていたからな」
 「あら? まさか、女装したわたしに恋をしていたなんてことはないでしょうね?」
 笑顔でわたしに尋ねる。
 「まさか。しかし、女装したおまえは美人だったことはよく覚えているよ。今日も綺麗だよ。男だなんて信じられないくらいだ」
 「嬉しいわ。わたしのこと、そんなふうに思ってくれるなんて」
 小首を傾げて見上げてくる御木本に、男だとわかっているのにくらっと来た。
 「奥さんは東京でしょう?」
 「あ、ああ」
 「溜まってるんじゃないの? 出させてあげるわ」
 「バ、バカなことを」
 「遠慮しなくていいわよ。わたし、処女じゃないから。据え膳食わぬは男の恥って言うでしょう?」
 処女じゃないという言葉にどきっとした。
 「そっちの趣味はないから」
 「あら? 膣もアナルも変わらないのよ。むしろアナルの方がいいって言う人の方が多いくらいよ。ねえ、やりましょうよ」
 「止めろよ。そんなことをするんだったら、今すぐ出て行ってくれ」
 「もう! 堅いんだから。昔とちっとも変わっていないのね」
 御木本は諦めたのかソファーの上に座り込んだ。
 「お茶を入れるよ。緑茶でいいな?」
 「いいわ。うんと濃いお茶を入れて」
 お茶を入れてからは、先ほどとは打って変わって、昔話を話し始めた。話している様子は、生まれたときから女性だったように思えた。
 2時間あまり話しただろうか? 連絡先を交換して別れたのだった。



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