第5章 地下室から脱出したものの


 寂しさを紛らすために、最初の頃はご近所の奥さん方と買い物に行ったり、会食に行ったりしていました。それはそれなりに楽しい時間でした。
 けれど、一歩家庭に戻ると夫はいません。寒々とした部屋に一人の自分を見つけるだけです。
 そんなとき、ずっと飲んでいなかったアルコールを口にするようになりました。最初は自宅の中だけで飲んでいましたが、やがて夜の町に出かけるようになっていました。
 若くてスタイルに自信があったわたしを誘惑する男も少なからずいました。けれど、わたしは相手にしませんでした。
 そんなわたしがどうしてあんなことをしてしまったんでしょう? アルコールのせいでしょうか?



 ご主人様が出かけたら、迎えに来るから待っててくれと言い残して、男はトレーを持って部屋を出て行った。わたしは今か今かとその瞬間を待った。
 数時間後、男はトレーを持ってやってきた。
 「ご、ご主人様は、ま、まだ、で、出かけていないけど、で、出かける、じゅ、準備をしている。も、もう少し、ま、待ってくれ」
 食事を差し出されたけれど、興奮して食べる気にならない。
 「た、食べていないと、ご、ご主人に、う、疑われるよ」
 そう諭されて、いつものおじやを食べた。

 トレーを持って部屋を出て行ってすぐ、男がスーツケースを持って戻ってきた。
 「お、俺が、つ、連れ出して、い、いるのを、み、見られたら、だ、だめだと、お、思うんだ。だ、だから、こ、これに、は、入って、く、くれないか?」
 そのスーツケースは身体を丸めてようやく入れるほどの小さなものだった。かなり小さいから人間が入っているとは想像できないだろう。
 男が小さな鍵を使って首かせを外してくれた。ものすごく楽になった。そのスーツケースに入ろうとすると男に留められた。
 「き、着ているものを、ぬ、脱いで」
 「はあ? どうして?」
 「ご、ご主人様から、い、いただいたものなんて、い、いらないだろう?」
 言うとおりだけどなと考え込んでいると、新しい下着や服を用意してあるんだと男が言った。
 新しい下着や服があるのなら、そちらの方がいいに決まっている。わたしは、着ていたものを脱ぎ去り、全裸でスーツケースの中に収まった。
 「じゃ、じゃあ、な、何があっても、こ、声を、だ、出すなよ」
 そう告げて、ファスナーを閉じていった。真っ暗になった。閉所恐怖症があったら、とても耐えられないだろうなと思った。
 スーツケースが起こされる。わたしの足と臀が下になるように入れられていたから問題はない。
 ゴロゴロと振動が身体に伝わってくる。それから抱えあげられたようだ。わたしの体重は相当減っているように思えるが、それでも50キロ以上はあるだろう。抱えるのは大変だろうなと考えていた。
 (まあ、あの男のことだから、どんなに重くても運び出してくれるだろう)
 下ろされたのだろう、ショックが伝わってきた。そして再びゴロゴロ。またも抱え上げられる。短いゴロゴロの後、もう一度抱え上げられて横向きにされた。
 どうなっているんだろうかと考えていると、エンジンのかかる音が響いてきた。どうやら車に乗せられたようだ。
 小さなGを感じ、車が動き出した。
 (どこに行くんだろう? 裸だから、どこかの家、男の家かな?)
 かなり長いドライブだった。やがて砂利道らしき音がして車が止まった。小さな音がした後、わたしが入ってスーツケースが持ち上げられ、男のよいしょ、よいしょのかけ声が聞こえてきた。
 下ろされ、ゴロゴロと転がる音、そして動きが止まった。
 (あれ? どうなった?)
 スーツケースが開かれないのだ。心配しているとスーツケースが横倒しにされてファスナーが開かれた。
 「だ、大丈夫?」
 男が優しく声をかけてくる。
 「ええ、大丈夫よ」
 起き上がって見回すと、山小屋のような作りの部屋だ。テレビやソファーもあり、あまり広くはないがリビングの体をなしている。
 「ここはどこ?」
 「お、俺の、い、家だ」
 「ふうん、こんなところに住んでるんだ」
 「こ、これを」
 男が手渡してきたのは、ワインレッドのショーツとブラジャーだ。男に背中を向けてショーツを穿き、ブラジャーを着けた。ブラジャーのサイズはぴったりだった。
 白のブラウスに花柄のミディ丈のスカートを与えられた。
 「わ、若奥さん、み、みたいだね」
 目を細めて男が言う。部屋の隅に置かれている鏡を覗くと、確かに若奥様と言った風情に見えた。
 「こ、これを、は、履いて」
 ウサギの耳が付いた子どもっぽいスリッパを差し出した。シューズらしきものは見あたらない。
 (このスリッパで出て行くのは難だな)
 「あ、案内するよ」
 手招きされ、とりあえずついて行く。
 「こ、ここが、ト、トイレと、ふ、風呂場だ」
 ユニットバスが据えられていた。
 「キ、キッチンは、こ、ここだよ」
 こぢんまりしたキッチンだ。キッチンの大きさに似合わない大型の冷蔵庫が据えられていた。
 「こ、ここが、お、俺たちの、へ、部屋だよ」
 俺たちという言葉に首を傾げながら部屋の中を覗くと、部屋の真ん中にダブルベッドが据えられ、奥の隅にドレッサーがあった。
 「ふ、服は、こ、ここにある」
 クローゼットを開く。そこには種々の女性服がつるされていた。
 「これ、わたしの?」
 「そ、そうだよ。こ、ここで、く、暮らすために、ひ、必要だろう?」
 「ここで暮らす!」
 「お、俺と、く、暮らして、く、くれるんだろう?」
 えっと驚きの声を上げると、だめなのかと尋ねてきた。
 「そんな約束はしてないわ」
 「や、約束は、し、してなくても、セ、セックスしたんだ。セ、セックスしたら、い、一緒に、く、暮らすのが、ふ、普通だろう?」
 「セックスしただけで一緒になってたら、苦労しないわ」
 「い、一緒に、く、暮らして、く、くれないのか?」
 「わたしをあの部屋から助け出してくれたことには感謝するわ。でも、一緒には暮らせないわ」
 「そ、そんなの、ひ、ひどいよ」
 男はめそめそと泣き始める。わたしはシューズを探す。けれど、玄関にもどこにもそれらしきものがない。
 「靴は? 靴はないの?」
 「こ、ここから、で、出て行く、こ、ことがないから、よ、用意、し、してないよ」
 今履いているスリッパで出て行くしかないと考え玄関を開こうとしたが開かない。
 「どうして開かないの?」
 「こ、ここからは、で、出て、い、行けないよ。お、俺と、く、暮らすんだから」
 男を見ると、表情が変わっていた。
 「お、おまえは、お、俺のものだ。ず、ずっと、こ、ここに、いてもらうよ」
 こんな男と暮らすなんてとんでもないと玄関以外の出口を探して回ったけれど、どこもカギがかかっていて出られない。窓もはめ込みになっている上に鉄格子が付いていた。あの地下室らしき狭い部屋から脱出できたものの、新たにこの山小屋風の建物に閉じこめられてしまったのだ。
 男はわたしを独占するためにあの部屋から連れ出したのだ。
 (あの部屋よりはましか・・・。広いし、ベッドもふかふかだ。バストイレもある。それに、ここならば性転換を強要されるリスクはない)
 ここを出て行ったとして、この姿で誰が受け入れてくれるだろう? 吉良の策略でこうなったと訴えても何の証拠もわたしは持ち合わせていないし、吉良の策略というのはわたしの憶測に過ぎない。
 それに男が撮っていたビデオだ。あのビデをが公表されれば、わたしは女になりたい男で、自ら女になったと蔑まれるだけだ。
 それに、出て行くというのに男から衣服をもらうわけにはいかないし、現金もない。たちまち暮らしに困ってしまう。
 (しばらくここでこの男と暮らそう。そうしてから現金やその他一人で暮らしていけるものを密かに調達することにしよう)
 そう結論して男の方に向き直った。
 「わたしを愛してくれるの?」
 「も、もちろんだよ」
 「大切にしてくれるわよね?」
 男は大きく頷いた。
 「じゃあ、一緒に暮らしてあげるわ」
 男は大喜びでボクを抱きしめた。

 夕食の準備をすることになった。わたしは料理はまったくできない。男が料理本を開いて、これとこれが食べたいと要求してきた。
 「味の保証はしないわよ」
 「キ、キミが、つ、作ってくれるものなら、な、何でも、い、いいよ」
 そう言って、冷蔵庫の中から必要な食材を取りだした。冷蔵庫の中には、とてつもなく多量の食料が詰まっていた。
 多量に入っているはずだ。窓から見える外の景色は、今いる建物がかなり山奥にあることが見て取れるからだ。
 「あなた、本当にここで暮らしてるの?」
 「い、いつもは、じ、事務所だよ。こ、ここへは、つ、月に、い、一、に、二回、か、かな?」
 「わたしの服とか食料品はいつ用意したの?」
 「キ、キミが、あ、あそこから、つ、連れ出してくれって、た、頼んだ、と、時からだよ」
 最初からわたしをここに閉じこめて独占しようとしていたとは、知能が低い割には良く気が回る。こういった人間はある部分ではすごく気が回るところがあるとは聞いたことがある。

 レシピ通りに作った料理は、食べられないことはなかった。男は美味い、美味いと喜んで食べた。
 片付けを終えると、男がバスタブにお湯を溜め始めた。
 (風呂に入るのは、何ヶ月ぶりだろう?)
 日常生活から離れて温泉場に行くような気分だ。
 「た、溜まったよ」
 言われて時計を見ると、午後9時だった。時計を見るのも久しぶりだ。男が下着とネグリジェを取り出してきて、先に入れと言った。遠慮なく入ることにした。
 シャンプーを多量に使っても泡が立たない。3回目でようやく泡が出て、髪の毛を綺麗にすることができた。やはり洗髪はきちんとしないと綺麗にならないようだ。いつもは使わないコンディショナーも使ってみた。
 それから身体を洗った。バケツの水では出なくなっていた垢が後から後から出てきた。ふた皮くらい剥けたかもしれない。それほど垢が出た。
 それからバスタブに浸かった。
 (はあ、気持ちがいい。生き返る気分だ。それにしても不思議な光景だな)
 湯船に浮かぶふたつの膨らみを見て思った。
 (そうだ。メジャーがあったら、どれくらいあるのか計ってみよう)
 ゆったりとお湯に浸かって、上がった。
 「き、綺麗だよ」
 髪の毛をドライヤーで乾かしていると、男がわたしの肩口にキスして言い、バスルームに入っていった。
 (髪が長いって言うのは面倒だな。短く切ろうかな?)
 なかなか乾かないのだ。やっと乾いたなと思ってドライヤーを置いたところで、男がバスルームから出てきた。
 「か、髪の長い、お、女は、い、いいね。お、女は、か、髪が、い、命だから」
 そう言って、わたしの髪の毛を梳くって匂いを嗅いでいる。男が長い髪が好きだと言っているのだから切れなくなったなと思った。
 「あのう、メジャーはあるかしら?」
 「メ、メジャー? な、何に、つ、使うんだ?」
 「いいから、あったら貸してよ」
 「わ、わかったよ。さ、捜してみるよ」
 しばらくして戻ってきた男の手には荷造りヒモが握られていた。
 「こ、これを、つ、使えないかな?」
 「定規があれば、代用できるけど?」
 定規ならあるよと男は答え、30センチの定規をわたしに手渡した。わたしは早速荷造りヒモを胸に巻いて、定規で測ってみた。
 「い、いくら、あ、あるんだ?」
 男が定規を覗き込む。
 「88」
 ブラジャーがD70だったから、予想通りだ。同じように測ったウエストは58、ヒップは86だった。かなりスタイルがいい。
 鏡に映ったわたしの顔は、驚くような美人ではないけれど、十人並み以上だと思う。こんないい女(?)を手に入れたのだ。男が夢中になるはずだ。
 その男、わたしのそばにぴったりくっついていて、早くベッドに行こうと言った様子を見せていた。
 「ここ、テレビとか、映らないの?」
 そう尋ねると、あからさまにガッカリした顔をして映るよと答えた。
 「ずっとテレビを見ていないから見たわ」
 甘えるように言うと、男はトランクスの上にTシャツを着てリビングに行った。わたしはショーツを履き、ネグリジェを着て男のあとを追った。

 テレビはお笑いタレントのくだらないグルメ番組をやっていた。10分も見ないうちに電源を切った。
 「さあ、お楽しみの時間にしましょう」
 そう告げると、男はヘヘヘと下卑た笑みを浮かべて、わたしの手を引いた。ふかふかのベッドにキスしながら倒れ込んだ。
 男のテクニックは、徐々に上達しているようだ。いや、わたしの感度が上がってきているのかもしれない。わたしの乳首への男の愛撫で、わたしは今日も行った。その直後、何と男がわたしのペニスを咥えた。射精後の半立ちのペニスを弄ばれると、気持ちよくて堪らない。
 交代して今度はわたしがフェラチオしてやる。男のペニスはガチガチに勃起していた。コンドームをしてやり、わたし自身がジェリーをアヌスに塗り込む。そうして、両足を抱えて正常位で貫かれた。
 「うん、うん、うん、うん」
 すぐに上っていく。わたしのペニスはまだ回復していない。恥骨の上で、左右に揺れていた。
 後背位へ変換する。突かれるたびにわたしのペニスが前後に揺れる。愛液が漏れ出て、シーツにぽたぽた落ちていった。
 「ああ、す、好きだよ。あ、愛してるよ」
 男のそんな言葉を聞きながら、わたしは達して意識を失っていた。

 翌朝、飯と味噌汁、ハムエッグを作って食べさせた。男は美味い美味いと言って平らげた。
 「し、仕事に、い、行かないと」
 着替えて出て行く男を見送る。男は玄関を出るとドアに鍵を掛けた。この家は、どこのドアも内側と外側から鍵が掛かり、鍵がないと出入りできないようになっていた。つまりわたしが逃げ出せないようになっているのだ。
 (鍵を掛けなくても逃げられないのに)
 することがないのはあの牢獄と同じだ。ただ、ここにはテレビもあり、料理の練習だってできる。

 午後7時前、男が帰ってきた。
 「お帰りなさい。ご飯にする? それともお風呂?」
 「ふ、風呂に、は、入ってくる」
 男は入浴してパジャマに着替えてきた。できあがった料理をテーブルに並べて向かい合って食べた。
 「し、新婚さん、み、みたいだね?」
 わたしに微笑んで、そうねと答えた。男は知能は低いけれど素朴で悪いやつじゃない。しばし、疑似結婚生活を楽しむことにしようと考えていた。



 籠の鳥が粗末な籠から少し上等な籠に移し替えられただけだが、それで満足しているようだ。
 わたしの分身たるあの男との生活が前嶋の心を女に変えてしまうかどうか楽しみだ。
 しばしふたりの生活を観察してから、次の段階に移るとしよう。
 時間はたっぷりある。



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