第10章 露出されていた過去


 駆け寄ってきた夫が、出て行けなんて言った俺が悪かった、死ぬなと叫んでいました。でも、生き延びてどうなるというのでしょう? 気まずい中でお互い苦しむだけです。このままわたしは死んでしまった方がいいのです。
 彼と出会ったのが不運だったのです。彼と。



 冗談でしょう?とわたしは犀川院長に尋ねた。
 「本当ですよ。前嶋さんは現在月経のまっただ中、イヤ入り口にいるんですよ」
 「先生! あり得ないでしょう? わたしは男だったんですよ。生理なんてあるはずがないじゃないですか。子宮がないのに」
 そう訴えると、犀川医師はフフッと笑って言った。
 「その子宮があるんですよ。前嶋さんのその身体の中には」
 わたしはえっと声を上げた。
 「子宮を移植したんですよ。性転換手術の際にね」
 「し、子宮をわたしの身体に移植した?」
 「そうです。卵巣もね」
 「そんなことができるなんて、聞いたことがありません」
 「聞いたことがなくても現実にあなたの身体には子宮と卵巣が移植されているのです。そして、移植された卵巣と子宮は立派に機能し始めていて、月経へと至ったのですよ」
 「し、信じられません!」
 「信じられないというのなら、エコーで確かめましょうか?」
 一瞬考えたけれど、確かめるにはそれしかないと結論した。
 「では、診察台に上がってください」
 忌まわしき婦人科診察台に上がった。
 「プローブを入れますよ。モニターを見ていてください」
 プローブという細長いものにカバーが被せられたような像が映し出された。
 「この部分がペニスの皮で作った膣壁ですね。ここに少し段があります。これは、移植された子宮に残されていた腟壁との縫合部です。わかりますか?」
 「ま、まあ」
 わたしの膣に入れられたプローブの動きとモニターの中のプローブの動きが連動しているから、わたしの見ているものはわたしの身体の中なんだろうなと漠然と考えていた。
 「これが、ポルチオと呼ばれる子宮頚部です。その先にあるのが子宮体部。月経中ですから、子宮の内膜が肥厚していますね。これが脱落して経血となるのです」
 頭がくらくらしてきた。
 「これが右の卵巣、そしてこれが左の卵巣。どうです? 間違いないでしょう?」
 「これは誰の子宮と卵巣だったんですか?」
 「それは規則で言えません。ドナーの名前はレシピエントには伝えないことになっていますから」
 だとしたら、近親相姦の可能性が出るんじゃないかと考えたけれど黙っていた。
 「実は、この子宮と卵巣は別のドナーに移植するはずだったんですよ。ところが、穣は性転換したら子どもを産めると信じていましてね。穣のために、あなたの身体に子宮と卵巣を移植したんですよ。他人よりも甥の方が大切ですからね。もちろん、これは極秘事項ですがね」
 そう言って犀川院長は笑顔を見せた。
 「じゃあ、わたし、子どもを産めるんですね?」
 「もちろんですよ。是非、穣の子どもを産んでやってください。お願いしますよ」
 頭を下げる犀川院長にハイと返事をしていた。

 病院へ行ったことは穣には内緒にしておいた。性転換手術をしたら子どもを産めると思っている穣に子宮と卵巣の移植を受けたと説明しても仕方がないことだからだ。
 昨夜の膣からの出血も月経のせいだとは説明しないことにした。穣は破爪の出血だと信じて疑わないのだから、それを否定するのは可哀想だったからだ。それに、わたしとしてもあれはわたしが処女だった証として、破爪の出血だと思いこみたいからでもあった。
 (でも、生理って嫌だな)
 そもそも身体から血が出るというのは不快なものだ。怪我でもないのに出てくるのだ。その経血を受け取る生理用ナプキンも決して心地よいとは言えない。男になりたい女の、男になりたい本当の動機は、月経から逃れたいがためではないかと思ってしまう。

 夕食を終えると穣がわたしに迫ってきた。
 「今日はだめよ」
 「ど、どうしてだよ?」
 男のわたしに月経がある理由を説明しても理解できないだろうし、そもそも女に月経があることすら知らない可能性もあるのだ。
 「昨日わたしとセックスしたとき、血が出たでしょう?」
 「う、うん」
 「傷がまだ治っていないの。無理をしてセックスすると傷がひどくなって、二度とセックスできなくなってしまうのよ。それでもいい?」
 穣は考え込み、傷が治るまで我慢すると答えた。けれど不満そうにしている。
 「傷が治るまで、お口でしてあげるわ」
 そう告げると俄に笑顔になった。わたしもフェラチオは嫌いじゃない。早速穣のペニスを咥えた。

 経血は3日目にはほとんど出なくなり、4日目には生理用ナプキンはまったく汚れなくなった。
 穣から尋ねられる前に傷は治ったみたいよと伝えた。穣はやったあと大喜びでわたしをベッドに押し倒した。
 普通の男ならば、手順を飛ばして挿入へ一直線だと思うのだけれど、穣は違った。キスから始まり、首筋から胸への愛撫、乳首への丁寧な舌技など、ともかく前戯に時間をかけるのだ。
 そのおかげでわたしの膣から愛液が溢れ出た。穣はその愛液をぴちゃぴちゃと舐め取り、ようやくわたしの間に入ってきた。
 そうしてわたしの膣に宛がうと一気に貫いてきた。
 「うん」
 やはり少しの痛みと違和感がある。けれど、その痛みも違和感も心地よいと感じた。穣はガンガン突く。
 「ああ、いい。ああ、いい・・・」
 性転換してみんなこんなに早くに感じることができるのだろうかと考えながら腰を振った。
 穣が呻き始め、行きそうになっているのを感じた。わたしの中で膨らんでくるのも。そして、穣がウガアと声を上げると同時にわたしの中でビクンビクンと痙攣するのがはっきりとわかった。
 (ああ、いい気持ち・・・)
 フウッと意識が薄れた。

 久しぶりに一人でタクシーに乗って買い物に出た。もちろん、顔見知りに会わないようにわたしが働いていた会社のある街ではなく、隣街の方だ。
 今日は穣の下着と靴下を買った。それから食料品を買うつもりだ。地下の食料品売り場に向かってエスカレーターを降りていった。
 (えっと野菜のコーナーは?)
 焼きたてパン屋の前を通り過ぎようとしたとき、後ろから声を掛けられた。
 「もしもし、あのう、ちょっといいですか?」
 何気なく振り向いて息を飲んだ。そこに吉良が立っていたのだ。
 「キミ、前嶋だよね?」
 否定も肯定もできないうちに吉良は捲し立てた。
 「いやあ、久しぶりだな。2年ちょっとぶりかな? 最後に会ってから。綺麗になっちまったから見違えたよ」
 この会話だけなら、昔の顔見知りの女性に声を掛けたくらいにしか思われないだろう。けれど、このまま話を続けられたら、わたしが男だと周りの人たちに知られてしまう。
 「こんなところで立ち話も何だから、お茶でもしながら話しましょうか?」
 「あ、そうだな」
 吉良は辺りを見回す。
 「あそこならいいかな?」
 吉良が指し示したのは、ちょっとした軽食を提供する小さなショップのそばにあるスペースの中で、少し離れたふたりがけの椅子が置かれている場所だった。
 「コーヒー、飲むか?」
 尋ねるので、ええと答えた。吉良は流行のプレミアムコーヒーを注文して、わたしの隣に座った。
 「ネットでおまえの顔を見ていなかったら、絶対わからなかったな」
 「ネットで?」
 「ああ。おまえが女になりたいから女物の服が欲しいだの、化粧品が欲しいだの、女性ホルモンを打ってくれだの言ってるシーンがネットに上がってるんだよ」
 穣が流したのだろうか? いや、彼がそんなことをするはずがない。するとすれば八神の方だ。
 「化粧した顔がアップされてるのね?」
 「ああ。ただ、それだけじゃないんだな」
 吉良がニタリと笑う。
 「それだけじゃないって?」
 「わかってるだろう? おまえが男のチンポを咥えてるところとか、ケツにペニスを填められて喘いでいるとことかが上がってるんだよ。こっちの方は外国のポルノサイトなんだけどな。知らないのか?」
 恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だ。
 「まあ、女になりたい男なんだから、そうするのは当然のことなんだろう?」
 みんながみんなそうとは限らないだろうけれど、頷くしかなかった。
 「しっかし、おまえが女になりたい男だったなんて今でも信じられないな」
 「・・・ずっと隠していたから」
 こう答えるしかない。
 「そうか。あのプロジェクトと女になりたい気持ちを天秤に掛けて、女になる方を選んだんだから、よっぽど女になりたかったんだな?」
 「ええ。あのプロジェクトはあなたが立てた案が採用されたの?」
 「何を言ってるんだよ。おまえが退職届と一緒に会社に送ってきた最終案が採用されたに決まってるじゃないか」
 「わたしが退職届を? 最終案の書類が会社に送られてきた?」
 「そうだよ。おまえが送ったんじゃないか?」
 「あ、いえ。送り忘れていたと思っていたから」
 吉良はふうんと少し首を傾げた。
 「あのまま会社にいたら、今頃は係長、いや、部長補佐にはなっていただろうに、勿体ない話だぜ」
 「わたしは今の方が幸せだから」
 「それはそうかもな。工事はもうすんでいるのか?」
 「工事?」
 意味がすぐには理解できなかった。
 「手術のことだよ。いらないところを切り取る」
 そう言われて性転換手術のことだとわかった。
 「ああ。すませてるわ」
 「へえ。じゃあ、もうすっかり女だってことか?」
 「ええ。今は戸籍の変更が認められるのを待っているの」
 そうかと言いつつ、視線がわたしの手元に注がれた。
 「うん? 指輪をその薬指にしているけど、どういうことだ?」
 「あ、いえ。これは・・・」
 独身女性なら男よけとでも理由付けができるだろう。けれど、わたしは女になりたい男と認識されている。男よけはおかしいと思った。
 「まだ戸籍が男のままだから結婚できないけど、結婚を約束した人がいるの。その人から貰ったの」
 「ほう」
 吉良は侮蔑に似た表情を見せた。ちょっと腹が立った。けれど、何も言わなかった。
 「それはおめでとう。それでこそ女になった意味があるってものだよ」
 コーヒーをグビッと飲む。
 「おっ! 電話だ」
 吉良は携帯を取りだす。
 「ああ、俺だ。地下の食品売り場にいるよ。はあ? ああ、反対側だな。すぐに行くよ。動かずに待ってろよ」
 携帯を切ると吉良は女房からだとわたしに言った。
 「嫉妬深いからおまえといるところを見られると不味い。じゃあな。彼氏によろしく」
 そう言い残して吉良は去っていった。吉良の後ろ姿を見ながら、ちょっとおかしいなと思った。
 わたしを監禁し、わたしを女に導いたのは最初は吉良だと考えていた。それは八神の出現で否定された。
 八神が吉良の指示で動いていたという可能性は残されていた。けれど、先ほどの話では、わたしの最終案が会社に届けられていたという。吉良が首謀者ならば、わたしのプロジェクト案を潰すのが目的だろうから、自分の不利になるようなことをするはずがない。
 八神が首謀者ならば、退職届はまだしも、あのプロジェクト案まで会社に届ける必要はまったくない。
 (わたしを拉致・監禁するカモフラージュのために送った?)
 そうとも考えられるが釈然としないものを感じた。

 タクシーで帰路につこうとしてふと思いつき、ネットカフェに入った。『女になりたい男』で検索を掛けてみたが、ヒット数があまりに多くてわたしの動画は見つからない。
 さらに『前嶋』を入れてみた。AV女優と共にわたしの動画がヒットした。ただ、女になりたいと嘆願する動画だけだ。これだけでも充分恥ずかしい。
 (外国のポルノサイトと言っていたな。するとキーワードは英語か?)
 『newhalf』『maeshima』で検索したけれど、出てこない。
 (ニューハーフじゃないか)
 『newhalf』を『ladyboy』に変えてみた。ヒットした。わたしがフェラチオをしている動画、そしてアヌスを貫かれて喘いでいる動画だ。
 最悪だ。死にたい気分だ。

 フラフラと家に戻った。
 (そうだ。わたしには子宮がある。わたしは女だと主張できる。前嶋勝治じゃないと)
 がしかし、ポストに入っていた性別と名の変更を認めるという裁判所からの書類を見て、その主張は完璧ではないことを悟った。
 (どうすれば・・・)
 穣と結婚して新たな戸籍を作れば、過去を消せる可能性が高い。
 (ただ、吉良に今のわたしを見られている)
 吉良から噂が広まれば、前嶋勝治とは別人だと主張しにくい。
 (いっそどこか遠くへいくか?)
 穣がうんと言うか? 遠くへ行って穣ではない別の男を見つけて結婚するか?
 (穣とは別れたくない。別の選択枝は?)
 ひとつあった。それはわたしの顔を変えることだ。穣がそれでもいいといえばの話だが・・・・。

 戻ってきた穣は、裁判所からの書類を見て、わたしと結婚できると喜んだ。
 「穣、あなたとわたしがセックスしている動画がネットにアップされているのを知ってる?」
 「し、知らないよ。ご、ご主人様が、や、やったのかな?」
 「あんな動画があると恥ずかしいわ」
 穣の顔は幸い画面に出てこないから、穣は平気かもしれないけれど、妻が元男だと知られてしまうだろう。
 「じゃ、じゃあ、か、顔を、か、変えれば、い、いいよ」
 穣からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
 「穣、あなた、それでもいいの?」
 「か、香澄は、か、香澄だから」
 穣が同意してくれれば、問題はない。

 穣は伯父に頼もうと言ったけれど、犀川病院で手術すれば、顔を変えたことが漏れてしまう恐れがある。だから、遠くにある病院で手術をしたいと申し出た。
 「それならいいドクターを知っている。紹介してあげよう」
 そう言うことになって、犀川院長に渡された紹介状を持って大阪にある朝永病院を訪れた。
 「はいはい。犀川先生の紹介ですね。電話もありましたよ」
 「わたしとわからない顔にできるんでしょうか?」
 「任せてください。今よりもずっと美人にしてあげますよ」
 自信たっぷりに言う。ネットで調べた口コミでも、かなり腕がいいとの評判だったから、安心して手術に望んだ。

 痛くて痛くて死にそうだ。今まで生きていて一番の痛みと言ってよかった。そんなひどい痛みも時間と共に引いていった。
 そして手術後2週間目、ようやく包帯が取れることになった。
 「おお、我ながらいいできだ」
 本田医師はにこやかにわたしにて鏡を差し出した。鏡を覗いてわたしは絶句した。そこには思いもよらない顔が映っていた。



 ネットにあげた動画は、まだ前嶋に子宮を移植することになる以前のものだ。当初の方針と変わって、前嶋に子宮を移植して穣との間に子どもを産ませようと考えたとき、ネット内の動画を削除しようとしたが無理だとわかった。だから、そのままにしておいた。
 どう言う経緯かわからないが前嶋がその動画を見たようだ。譲の口から顔を変えればいいと提案すると即座に頷いた。前嶋自身も顔を変えることを考えていたようだ。
 変わった顔を見て前嶋がどう考えるか? 今からそれを確かめることにしよう。



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