第5章 男であることを明かして


 少したってから、市丸は笑い始めた。
 「別れたいのなら、そんな戯言を言わないではっきり言えよ。俺を馬鹿にしてるとしか思えないぞ」
 真顔になり、そして怒りを露わにして言った。
 「戯言でも何でもないわ。本当なの。事実なの」
 「だったら、ここで裸になって見せろ。そうしたら、信じてやる」
 好美がボクの方を見て、証拠を見せてあげてと命じた。男であることを示せば、この世界の正美に破局が訪れることは目に見えていた。けれど、ここまできたら仕方がない。ボクは着ていたブラウスを脱ぎ、そしてブラジャーを取った。
 「胸が、・・・ない」
 ボクの真っ平らな胸を穴が開くほど見つめている。ボクはそのままスカートを降ろし、パンスト、そして生理用のショーツを脱ぎ去った。
 「あるのか?」
 「中を覗いて確かめたらいいわ。お姉ちゃん、構わないでしょう?」
 「信じて貰うためにはそれも仕方がないわね」
 ボクはショーツの前を引っ張って見えるようにした。
 「も、もういいよ。キミが男なのは認める。けど、キミは正美じゃない。正美によく似た男だ」
 それはある意味当たっている。
 「お姉ちゃんの身体をよく見て。どこかに特徴はないの?」
 好美がそう言うと、市丸はボクの身体をジロジロと見始めた。
 「このホクロ、この痣・・・・。嘘だ!」
 市丸はがっくりと膝を突いた。
 「どうしてこんなことに?」
 「それがわかったら苦労しないわ。ネエ、お姉ちゃん?」
 「先週の木曜日、目が覚めたらこうなっていたの。毎日元に戻れって祈ってるけど・・・・」
 「お姉ちゃんと話したんだけど、魔法を掛けられたか、呪いかなんかじゃないかと考えているの」
 「魔法? 呪い?」
 「そう。それしか考えられないでしょう?」
 この際、パラレルワールドの件は持ち出さなかった。話が複雑になるからだ。
 「魔法や呪いだったら、解く方法があるだろう?」
 「でも、その方法がわからないのよ。誰がこんなことをしたかわかれば聞き出せるでしょうけど、相手もわからないし」
 「何とかそいつを見つけ出して、元に戻る方法を見つけ出そう」
 男だとわかったら逃げ出すと思っていたのに、元に戻る方法を探すという。この世界の正美は何と素晴らしい男と愛し合ってるんだろうと感激した。
 「正美、恨みを買うような奴はいないか?」
 「わたしにはいないわ」
 脱いだ服を着ながら答えた。
 「わたしにはというのはどう言う意味だ?」
 「秀樹さんとわたしが一緒になることを妬んで、わたしにこんな魔法を掛けたのかも」
 それはパラレルワールドの考え方でも同じだ。
 「なるほど。うーん。あいつかな?」
 「心当たりがあるの?」
 「俺のことが好きらしくて、ストーカーまがいのことをしていた女がいるんだよ。もしかしたら、そいつかもしれない」
 好美がきっとそいつだわと叫んだ。
 「よし。早速当たってみよう」
 「秀樹さん、わたしがこんなことになっていることは誰にも言わないでね」
 「当たり前だよ。口が裂けても言わないよ」
 そう言い残して、市丸は部屋を飛び出ていった。
 「市丸さん、お姉ちゃんを凄く愛してるのね?」
 「そうみたいね」
 「それを確かめるために、神様がこんなことをしたのかしら?」
 「もしそうだとしたら、秀樹さんがわたしを愛してくれていることがわかったんだから、元に戻してくれるわ」
 「そうね。明日には元に戻るかも」
 そんな結論を出し、好美を笑顔で送り出したのだけれど、元に戻れないような予感がしていた。

 やっぱりというか、今朝も元には戻っていなかった。もはやため息も出ない。市丸の成果を待つしかない。
 (おっ! 電話だ)
 好美からだった。
 《お姉ちゃん、元に戻った?》
 「好美の想像は間違っていたみたいね」
 《そう。駄目だったの。となると、市丸さんの言ってたストーカーかな?》
 「どうかなあ。だったらいいんだけど」
 その線も期待薄だと思う。もちろん、ボクの予想だけど。

 夕方になっても市丸からの連絡がなかった。
 (ストーカー女を捜すとか言って、その実は逃げ出したりして)
 昨夜は、市丸はボクのことをすごく愛してくれていると話していたのに、人の気持ちってすぐに変わるものだ。

 翌日曜日の昼過ぎ、携帯が鳴った。市丸からだった。
 《・・・正美か?》
 暗く沈んだ声だ。
 「どうしたの? 例の女、見つからないの?」
 《イヤ、見つかった》
 「関係なかったのね?」
 《彼女の仕業だったよ》
 「えっ!」
 《黒魔術を使ったらしい》
 「黒魔術」
 話には聞くけれど、それがなんなのかは知らない。
 《黒魔術で、正美が男になるよう仕掛けたらしい》
 「じゃあ、元に戻せるのね?」
 飛び上がって踊りたい気分だ。けれど、市丸の沈んだ声が気になった。
 《それがね。魔術を掛けた人間でないと元に戻せないらしい》
 「彼女に頼めないの?」
 《この世にいたらね》
 「えっ!」
 《正美を男に変える黒魔術を掛けてから自殺していたんだ》
 「元に戻せないの?」
 《一生に一度だけしか駄目らしいんだ。もう一度黒魔術を掛けると、正美の命に関わるって。だから、だから・・・》
 市丸の泣き声が聞こえてきた。
 《何とか方法を考える。だから、待っていてくれ》
 電話が切れた。
 (何とか方法を考えるって言ったって・・・)
 元の世界に戻る方法があるとは思えない。この世界ではボクは女と言うことになっている。性転換して女になるなんて考えはない。そうなると、黒魔術で男になってしまいましたと公表して男として生きるしかないだろう。
 (好奇の目に曝されるだろうな)
 そこは耐えるしかないだろうなと考えていた。

 1時間ほどして部屋のドアが開き、市丸が入ってきた。
 「何かいい方法がもう見つかったの?」
 「イヤ、そうじゃないんだ」
 思い詰めたような表情だ。
 「一応手は打ってあるけど、恐らくいい方法なんて見つからないと思う」
 「じゃあ、わたしたち、終わりなのね?」
 終わりだねと言う言葉が戻ってくると思っていた。ところが違う言葉が戻ってきた。
 「性転換してくれないか? ボクには正美が必要なんだ。お願いだ。性転換して女に戻ってくれ。そして、結婚してくれ」
 ここまで言うとは思っても見なかった。さっきも性転換については考えたけれど、ボクにはそのつもりはない。
 (この世界ではボクは女だ。男のままでいたいと言うのは困難だろうな)
 ならば、何とか穏便に断ることを考えなければならない。
 「性転換して女になったとしても、子どもを産めないわ」
 「子どもなんていらないよ。正美さえいてくれればいいんだ」
 そう言われてしまうともう断り切れない。
 「お願いだ」
 抱きしめられ、頷くしかなかった。
 「すぐに腕のいい医者を捜してくるから」
 市丸はあたふたと部屋を出て行った。
 (性転換か。どうすればいいんだ?)
 やっぱり断ろうかと思った。けれど、考えてみれば、市丸は将来社長になるのだ。玉の輿なのだ。あくせく働かなくてもいいのだ。
 (男のままでいるよりもいいか)
 手術は恐いけれど、天秤に掛ければ、性転換を受ける方に傾いていった。

 夕食を作っていると、携帯が鳴り始めた。
 (手術をしてくれる医者がもう見つかったのかな?)
 表示を見ると、好美だった。
 《もしもし、お姉ちゃん? 市丸さんから連絡はあった?》
 「うん。あったわ」
 《見つからなかったのね?》
 ボクの声が暗かったのか、そう尋ねてきた。
 「そうじゃないの。見つかったの」
 《よかったじゃない! 女に戻れるのね?》
 「それが、駄目なの」
 《どうしてよ?》
 「黒魔術を掛けてわたしを男にしたらしいんだけど、黒魔術を掛けた本人しか元に戻せないらしいの」
 《頼み込んで元に戻して貰うしかないでしょう?》
 「それがね。わたしを男にしたあと自殺してしまったの」
 《自殺・・・》
 声が途切れた。
 《そうだ。今度は女になる魔術を掛けて貰ったらいいのよ》
 「それも駄目らしいわ」
 《どうしてよ》
 「一生に一度しか使えないんだって。もし使ったら、わたしの命に関わるって」
 《ああ、なんてこと。いいアイデアだと思ったのに。何か他の方法はないの?》
 「うん。ないことはないんだけど・・・」
 《何よ? どう言う方法があるの?》
 「市丸さんがね。性転換して女になって欲しいって。その上で結婚しようって」
 《性転換!? 市丸さん、凄い。やっぱりお姉ちゃんのことが好きなんだ。愛してるんだ!! で? もちろん、手術を受けるのね?》
 「そう考えているんだけど・・・」
 《頑張って。陰ながら応援してるから》
 ボクは小さく返事をして携帯を切った。ボクが本来女ならば、女に戻るために性転換手術を受けることを厭うことはない。けれど、本来は男なのだ。性転換しなければと思っているけれど、どうしても決断が揺らいでしまう。

 30分ほどしてチャイムが鳴った。市丸ならば鍵を掛かっていても開けて入ってくるはずだ。
 「はあい。どなた?」
 「わたしよ。ドアを開けて」
 一瞬誰かなと思ったけれど、母の声だと気がついた。ドアを開けると、やはり母が好美を従えて入ってきた。
 「どうしたの? 突然」
 「話は好美に聞いたわ」
 好美のことを顎で差した。
 「もう少し内緒にして欲しかったのに」
 膨れて好美を睨むと、好美はさっきの電話を聞かれたのと言い訳をした。
 「性転換とか妙なことを言ってるのを聞いたから、好美を問い質したのよ」
 わざと聞こえるように話したのかもしれないけれど、好美にそう問い質したとしてもそんなことはないと言うに決まっている。
 「どうなの? 男になったなんて、冗談なんでしょう?」
 「ホントなの」
 またもやボクは男である証拠を見せなければならなくなった。母は、娘だったはずなのに、ペニスが生えていることに驚愕していた。
 「信じられない。どうして・・・」
 「だから言ったでしょう? 市丸さんにストーカー行為をしていた女が、嫉妬に狂ってお姉ちゃんに黒魔術を掛けて男にしたって」
 「そんなこと、あり得るの?」
 「あり得るも何も、現にお姉ちゃんが男になっているでしょう?」
 母ははあと溜息をついて床の上に座り込んだ。
 「性転換して女になって、どうするつもりなの? まさか、市丸さんと結婚しようなんて言わないでしょうね?」
 そうするつもりなのとボクが答えると、母はとんでもないと言い出した。
 「市丸さんが承知するはずがないわ」
 「性転換して女に戻った上で結婚しようって言い出したのは市丸さんの方なの」
 「嘘。信じられないわ」
 「ホントよ」
 「親御さんはそれを許したの?」
 そう問われて言い淀んだ。
 「市丸さんの親御さんがいいと言うのならそれでもいいかもしれないけど、性転換して女に戻ったところで、子どもを産めないわけでしょう?」
 「え、ええ」
 ボクは項垂れながら答えた。
 「子どもを産めない子を嫁に出すわけにはいかないわ。先様に申し訳ないもの」
 「市丸さんの両親がいいと言ったらどうするの?」
 そんな好美の問いに、それならやむを得ないわねと母は答えた。
 「お姉ちゃん、市丸さんに説得して貰いましょうね」
 「え、ええ」
 本物の女ならば、例え子どもを産めなくてもいいというかもしれない。けれど、今は男であるボクに性転換手術を施し、その上で結婚するなんてことを普通の親だったら許すはずはないとボクは考えていた。

 不安げな表情の母を見送ってから、すぐに市丸に電話を掛けた。
 「もしもし、正美ですけど?」
 《正美。いま、方々手を打って手術をしてくれる医者を捜しているから。早ければ、明日にでも見つかると思うよ》
 「わかったわ。それはいいんだけど、実は、母がわたしのことを知って、市丸さんのご両親は性転換の件を承諾してるのかって」
 《俺の両親? 言ってないよ》
 「一応話してみて。手術が終わったあとに反対されて結婚できないなんてことになったら困るでしょう?」
 《反対されたっていいさ。結婚するのは俺なんだから》
 心強い言葉だ。
 「でも、話しておいた方がいいと思うの」
 《わかった。そうするよ》
 少し不満そうな様子で電話が切れた。

 それから数日、市丸からの連絡はまったくなかった。会社で顔を合わせても素知らぬ顔だ。もっとも、それはいつものことで、会社内では付き合っていることを大っぴらにしないという約束だからだ。
 (それにしても、メールくらいくれたらいいのに)
 ボクの方からメールを送っても、電話を掛けても返事はまったくなかった。あんなことをいったけれど、両親に反対されてボクとの結婚はご破算になったのかもしれないと考えていた。
 「それが当然でしょう? 性転換なんて止めて、男として生きなさい。お父さんも喜ぶでしょうから」
 父は、男の子が欲しいと常々言っていたらしい。もちろんボクの世界では、ボクと父はいつも一緒に酒を飲んだりしていたのだ。
 「黒魔術で男になったって公表して信じてもらえるかしら?」
 「あら? そんなことはしなくていいわ。生まれたときから男だったけど、間違っていたってことにすればいいのよ。ほら。昔、オリンピックに出た女性スキーヤーが、実は男で成人してから男に戻ったって言う話があったでしょう?」
 「それが無難でしょうけど・・・」
 黒魔術よりはましだと思っていた。

 日曜日の午後2時過ぎ、ドアが激しく開いて市丸が入ってきた。
 「正美! 喜べ。見つかったぞ!」
 「ご両親は許してくれたの?」
 「手術じゃないんだ。薬で女になれるんだ」
 「えっ!? 薬で?」
 「そうだよ。しかも本物の女だ。子どもだって産めるんだよ」
 ボクは茫然として市丸の顔を見ていた。



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