第4章 職場は何とか切り抜けたけれど


 市丸の要求はフェラチオだ。男であるボクがそんなことをすることは、ハードルが高い。けれど、拒否していいものかと考えた。
 この世界の正美は、ボクではないけれど、ボクなのだ。拒否して結婚まで約束している市丸との仲が壊れ、不幸せになるのは許し難い。
 市丸と別れたって、他の男がいるじゃないかというかもしれない。それは、そうだ。ただ、市丸は結婚相手としては条件がいいのだ。
 「俺」とか言って悪ぶっているけれど、優しくて気が利くし、男のボクが見てもかなりいい男なのだ。
 それに、ここが大事なところだ。市丸は母の旧姓で、本当は橋田なのだ。母の旧姓を使っている理由、それは社長の息子であることを隠すためだ。市丸は、将来ボクの勤める会社の社長になる男なのだ。
 この世界の正美がそのことを知っているかどうかはわからない。わからないけれど、ボクと一心同体の正美を社長夫人にしてやりたいと思うのは、当然のことであろう。
 結婚を餌に遊ばれているだけかもしれないけれど、みすみすチャンスを潰すことはないのだ。
 (いや、来年の春結婚することになっていると言ってたな)
 市丸は、すでにトランクスをおろし、少し大きめのペニスを自慢げにさらけ出していた。大きいわりに少し包茎気味だ。
 「正美、何してるんだ?」
 市丸の表情に苛立ちが見える。もはや考える余地はないし、他の結論はないのだ。ボクは、市丸の両足の間に跪いた。
 (ボクはこの世界では女と言うことになっている。市丸も女だと思っている。別に恥ずかしがったり、自分を卑下する必要はないのだ)
 ボクは市丸のペニスを手に取った。硬度が少し増した。包皮を少し後退させてやると、生っちろい亀頭が顔を出した。プンとあの独特な匂いが鼻を突いた。
 (洗ってくれればいいのに。でも、あんまり使い込まれていないみたいだな)
 舌先で舐めた。ペニスがピクリと動いた。ヒモのあたりをペロペロ舐める。さらに硬度を増してきた。
 (結構面白いぞ)
 亀頭を舐める。そして口を開いて中に入れた。舌をくるくる回したり、前後させたりして舐め続けた。
 「ああ、今日は何だか違う。凄くいいよ」
 呻くように言い、腰を動かした。シャフトを唇で擦るようにしながら飲み込んでいき、そして引き抜く。
 (なるほど。する方の感覚はこんな感じなんだ)
 ボク自身がフェラチオをやっているのに、まるで他人がやっているかのように感じてながら行為を続けた。
 (あの女は横向きにシャフトを舐めたよな)
 以前ソ-プでやって貰ったことを思い出しながら、ペニスや袋を舐め続けた。
 「う、うう。う、う・・・」
 市丸が小さく呻き始め、ペニスがぐっと反り上がってきた。
 (出す前兆だな。どうしよう?)
 口を離して手でしごけばいいだろうと思う。けれど、それじゃあ悪いんじゃないかと考えた。
 唇を窄めて、シャフトを擦りあげながら頭を前後に振った。
 「ぐ、ぐふふっ!」
 細かく動かしていた腰を留め呻くと同時に、ボクの口の中に生暖かいものがほとばしり出てきた。
 ボクは市丸のペニスを咥えたまま、その吐き出されてきたものを飲み込んだ。
 「正美、正美。おまえ、飲んでくれたのか? 初めてだな。飲んでくれたのは」
 満足そうな笑みを浮かべる市丸に、ボクは微笑み返した。
 「生理が終わったら、たっぷり可愛がってやるからな」
 そう言ってボクの身体を抱き、唇を重ねてきた。いつものディープキスだ。ザーメンの味がしないのかなと思っていた。

 市丸が帰ったあと、ボクは自己嫌悪に陥っていた。
 (男なのに、あんなことをして。この世界の正美のためにはやむをえなかった? 楽しんでいたじゃないか! バカ、バカ。正美の馬鹿野郎!)
 シャワーを浴びながら、明日には元に戻ってくれよと祈った。

 だいたい、祈って叶った試しなどない。高校も大学も祈りに祈ったけれど、第一志望も第二志望も通らず、仕方なく三流に通った。
 就職も一次試験には通ったけれど、二次で落とされた。その時、どれほど神や仏に祈ったことか。叔父が世話をしてくれなかったら、今でもプー太郎だろう。
 そう言うわけだから、今日もボクの世界ではない世界で目が覚めた。
 (あ、今日から仕事に行かないといけないんだ)
 大慌てで準備に取りかかった。女装で外食するのは、まだ自信がなかった。だからって、何も食べないと昼までもたない。と言うわけで、今朝も朝食を作って食べた。
 それだけでも時間を取ったのに、さらに時間を取ったのは化粧だ。
 (髭剃りが面倒くさいと思っていたけど、化粧はもっと大変だな)
 30分かかって、何とか満足できる仕上がりになった。ブルーの半袖のシャツブラウスに濃紺のタイトスカートを組み合わせた。パンストは女のたしなみだ。
 マニキュア、ペディキュアもばっちり決めている。左の中指にリングをし、イヤリング、ネックレスも装備した。
 バッグを持ってお出かけだ。

 歩いて3分の場所にバス停がある。覚えていた時刻通りにバスが来た。
 (こんなところは変わってないな)
 いつも見かける人たちが乗っていた。みんな変わっていない。変わっているのはボクだ。いつもは紺のスーツ姿のボクが、紺だけどスカートを穿いているのだ。
 駅前でバスを降りる。会社までは歩いて5分だ。元々は不動産関係の会社だったけれど、アパレル関係や外食関係にも手を伸ばしている。
 ボクは旧来の不動産関係の本社に勤めていて、経理係の末席にいる。
 「おはよう、正美。風邪はもういいの?」
 後ろから駆け寄ってきて声を掛けてきたのは、木曜日の朝、電話を掛けてきた奥野美智子だ。
 「うん。もう大丈夫よ」
 「声が今一歩ね」
 ドキッとしたけれど、別に不審気な表情は浮かべていない。
 「さあ、行きましょう」
 奥野が先に立った。女子更衣室の場所は知っているけれど、正体が男であるボクがそんな場所へひとりで行くのはかなり緊張するなと感じていた。奥野と一緒なら少し安心だ。
 場所は知っていても、中に入るのは初めてだ。大奥の中に入るような気分だ。
 (さて、ロッカーはどこだろう?)
 それが問題だ。奥野は庶務係だけど、フロアが同じだからロッカーの位置も近いと考えた。奥野が自分のロッカーを開いた。
 (うへっ! あったよ。予想通りだ)
 ふたつ左に「経理・佐田」の表札が付いたロッカーがあったのだ。経理係に同姓の女性はいない。そのロッカーがボクのものであるとわかると同時に、仕事も経理係で変わっていないことがわかりホッとしていた。
 ロッカーを開き、白のブラウスにパステルピンクのチョッキとスカートの制服に着替える。
 「あら? 正美。生理なの?」
 「え? ええ。急に始まっちゃったの」
 ショーツでは、男のものを隠せないとの好美の忠告に従って生理用のショーツを穿いてきたのだ。大正解だった。
 「風邪に生理だなんて、ダブルパンチね」
 ボクは肩をすくめた。

 奥野と連れだって部屋に入る。奥野はさっさと自分の机に付いた。
 (ボクの席はあそこのはずだが)
 経理課では一番下っ端のボクは課長の席から一番遠いのだ。その席を見てぞっとした。伝票が堆く積まれていたのだ。
 「佐田! 二日分の仕事が溜まってるぞ。今日中に整理を頼むぞ」
 部屋に入ってきた課長が命じた。
 (誰かやってくれればいいのに・・・)
 そう思うけれど、これはボクの仕事なのだ。早速コンピューターを立ち上げて伝票の整理を始めた。

 慣れている仕事だから、すぐに片付くだろうと考えていた。ところが間違い伝票があったり、決算できないような伝票があって、課長の許可を取りに行ったりしていると時間はあっという間にたっていった。
 「正美、お昼に行くわよ」
 奥野に肩を叩かれたとき、伝票はまだ半分も片付いていなかった。少し残業が必要だなと考えながら奥野とともに会社を出た。
 「あら? ハンバーガーショップはこっちよ」
 ボクが行こうとする方向とは真反対を指さした。
 「ハンバーガーなんて、人の食べ物じゃないわ」
 「ええ? 正美はいつもハンバーガーだったじゃない?」
 ミスったと思ったけれど、ここは主張を通すしかない。
 「ハンバーガーはもう止めたの。スパゲティーにしましょう」
 「正美、まさか、できたんじゃ?」
 「馬鹿ねえ。生理だって言ったでしょう?」
 奥野は、あそうかと頭を掻いた。
 「ところで、市丸さんとの結婚話は進んでるの?」
 「え? うーん」
 奥野がどれくらいのことを知っているのかわからない。だから、どこまで答えていいのかわからないのだけれど、この先元に戻らなければ、市丸との仲は当然破綻する。
 (伏線を張っておいた方がいいのかな?)
 そう考えていたのだけれど、伏線を張るまでもなく、ボクの微妙な返事で市丸との関係にひびが入ったのではないかと勘ぐるような表情を浮かべていた。

 午後も伝票整理に追われたけれど、1時間残業してすべてを終えることができた。戸締まりをして退社した。
 バスの中で携帯が鳴った。好美からだった。
 「今、まだバスの中なの。アパートに戻ったら電話するから」
 そう返事をしてから携帯を切った。
 「もしもし、好美? 何か用?」
 アパートに戻って早速電話を掛けた。
 《用って、会社はどうだったかなって思って》
 「心配してくれてありがとう。大丈夫だったわよ。2日も休んで仕事が溜まっていたけど」
 《当然、元には戻っていないわよね?》
 「戻っていないわ」
 《どうしたらいいんだろう?》
 「どうしようもないわ。元に戻るのを祈って待つだけよ」
 《お姉ちゃんって、そんなに楽観的だったかしら?》
 「他に手だてがないもの」
 《そうだね。じゃあ、頑張って》
 「ありがとね」
 姉妹がいるということは、いいものだなと感じた。

 夕食を終え、シャワーを浴びるために着ていたものを脱ぐ。生理用のショーツを脱ぎながら、こんなもの、股間にあるものがなければ楽なのにと思った。
 もちろん、女になってしまいたいとは思わない。けれど、現状で男であることを隠すためには、一時的にでもいいからなくなってしまった方がいいと思ったのだ。
 (生理という言い訳が通じるのはせいぜい1週間だよな。それからあとはどうしようか?)
 会社での着替えは同僚たちに背を向ければいいだろうけれど、問題は市丸だ。1週間後には男であることを告白しなければならなくなるだろう。
 (ああ、早く元の世界に戻りたい)
 時間がたつにつれ、それがますます困難になっていくように思える。

 火曜日の朝、今朝も目覚めて絶望に駆られた。
 (自分の世界に戻れないのなら、せめて女の身体になっていたら)
 そう思い始めていた。

 会社では女の正美として問題なく過ごすことができている。慣れ親しんだ仕事だからだ。そうでなかったら、こうはうまくやれないだろう。
 夕方、やっぱり好美が電話を掛けてくれた。いい妹を持って幸せだと思う。男の世界ではそんなことを感じたことがないから、こうなったのは、そのことを知らしめるためだったのではとも思う。
 けれど、まだ元に戻らないところを見ると、パラレルワールドに放り込まれたのはまだ別の理由があるようだ。
 今晩はシャワーではなく、バスタブに湯を溜めて入浴した。そして、むだ毛を剃った。毎日剃らなくてもいいようだけど、1日おきには剃らないと目立つからだ。

 水曜日の朝、元の世界に戻ることは、もはや期待しない方がいいのではないかと考えていた。
 ブラジャーの締め付けにもなれたし、30分掛けて施す化粧も苦痛ではなくなってきていた。
 今日も仕事をそつなくこなし、退社時間になった。ロッカーで着替えをしていると携帯が鳴り始めた。携帯を手に取ると、相手は市丸だった。
 「あら? 彼からお誘いかしら?」
 肩越しに携帯の表示を見た奥野が冷やかす。
 「もしもし?」
 《あ、俺。駅前の居酒屋で待ってるから》
 返事をする前に電話が切れた。
 「何だったの?」
 携帯の画面を見つめるボクに奥野が尋ねてきた。
 「もちろんデートのお誘いよ」
 「あ、そう。楽しんできてね。じゃあ」
 笑顔を向けるとさっさとロッカールームを出て行った。ボクは大急ぎで着替えを終えると、駅前にある居酒屋に向かった。

 市丸は奥の座敷で熱燗らしきものをちびりちびりと飲んでいた。
 「正美、今日も綺麗だ」
 ボクだったら、とてもそんな言葉は吐けない。
 「飲めよ」
 「今日はいいわ。ウーロン茶を貰うわ」
 店員に注文する。酒が入ったら、女を演じることが難しくなると考えたからだ。
 「正美、俺が嫌いになったのか?」
 「えっ!? そんなこと、ないわよ」
 「俺とは結婚したくないって噂が社内で立ってるの、知らないのか?」
 奥野がそんな噂を流したなとすぐに気がついた。
 「知らないわよ。誰がそんな噂を流したのよ」
 「結婚したくないなんてことはないよな?」
 「もちろんよ」
 ここはそう答えるしかないのだ。
 「じゃあ、食おう」
 並んでいた一品料理をつまんでいった。

 会計を終えると、市丸は駅を抜けて駅裏へと俺を誘った。そこにはモーテル街がある。
 「まだ駄目よ」
 そんなボクの言葉を無視して市丸はボクをモーテルに引っ張っていった。部屋に入ると、市丸はボクをソファーに座らせた。
 「生理だっていうのは本当か?」
 睨むようにした尋ねてきた。
 「ほ、本当に決まってるでしょう?」
 「先月は三週間前だった。俺とのセックスを断る口実だろう?」
 「違うわよ。ホントに生理なの。そうでなかったら、フェラなんてやってあげないわよ。そうでしょう?」
 一瞬に言葉に詰まり、本当なんだなともう一度尋ねた。
 「本当よ。風邪で狂っただけよ」
 そう答えると、ホッとした表情になった。
 「俺、正美のことが好きなんだ。正美なしでは生きていけないんだ。俺を捨てないでくれよ」
 まるで女の台詞だ。急に頼りなく思えた。けれど、愛してくれていることがよく理解できた。
 モーテルに入って、普通にセックスできなければやることはひとつ。それに、生理を口実にセックスを断ったと思われないようにと、フェラチオしてやった。
 市丸は、安心し満足して帰って行った。

 金曜日の夕方、好美を呼び寄せておいた。生理が終わる時期になっていたから、市丸がやってくるのが目に見えていた。ボクひとりでは、説明に窮すると考え、好美の援助を仰いだのだ。
 「えっ!? どうして好美ちゃんがいるんだ?」
 お邪魔虫がいるとばかりに市丸は不快な表情を見せた。生理が終わっていたら、すぐにでもベッドインのつもりできたのに出鼻をくじかれた形になったからだ。
 「お姉ちゃんから市丸さんに告白したいことがあるんだけど、お姉ちゃんの口からは言いにくいらしくて、わたしに代弁してくれって頼まれたの」
 「やっぱり別れたいって言うのか?」
 泣き出しそうな顔になった。
 「結果的にそうなるかもしれないわ」
 「どう言うことなんだ? 他に男ができたのか?」
 「違うわ。お姉ちゃんは市丸さんのことを愛してる。他の男なんて考えたこともないわ。そうでしょう? お姉ちゃん」
 ボクはこの世界の正美ではないから答えようがないけれど、ここは頷くしかない。
 「じゃあ、何なんだ?」
 「お姉ちゃん、市丸さんに愛される身体じゃなくなってしまったの」
 なかなかいい表現を使うなと思った。市丸ははあ?と首を傾げた。
 「先週の木曜日、目が覚めたら、お姉ちゃん、男になっていたの」
 市丸はこれ以上ないというくらい目を見開き、ボクの顔を見つめた。



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