第13章 衝動が止められない


 目を開く前から異変に気づいていた。ふかふかのベッドではなく、クッションの悪いベッドの上にいたからだ。
 見慣れたボクの部屋にいた。身体を触ってみた。胸はなく、朝立ちしたペニスがボクは男だと宣言していた。
 ベッドを抜け出し、玄関に行って新聞を取り上げる。もちろん日付を確かめるためだ。
 (あの日に戻ってる。てか、今までのはみんな夢か?)
 パラレルワールドを考えるよりも、夢だったと考える方がより現実的だと思った。
 (参った。あんな夢を見るかな?)
 と、目覚まし時計が鳴り始めた。起きる時間だ。仕事になんか行きたくなかった。けれど、行かないと仕事が溜まってしまう。
 歯を磨き、髭を剃って顔を洗い、着替えて部屋を出た。

 バス停近くにあるコンビニでパンと牛乳を買って食べ、バスに乗って出勤した。
 「佐田、眠そうな顔をしてるな?」
 会社の前で大竹が声を掛けてきた。
 (こいつと寝ただなんて)
 気分が悪くなる。
 「ああ。夢見が悪くてな」
 「そうか。今日の合コンは忘れてないだろうな?」
 「合コン? ああ、そうだったな」
 「今度の相手は女子大生だ」
 ヒッヒッヒと笑い声を上げながら、エレベーターのボタンを押した。

 いつもと変わらぬ顔ぶれ、いつもと変わらぬ仕事、夢の中が恋しい。けれど、この世界が現実だ。

 仕事を終えてエレベーターで下りると、受付のそばで大竹が待っていた。いつものように受付嬢を口説いている。
 「大竹! 行くぞ!!」
 声を掛けると、受付嬢に何か言いながら駆け寄ってきた。
 「なかなかガードが堅いぜ」
 「おまえの噂が耳に入っているせいさ」
 「誰だろうな。悪い噂を立てる奴は」
 いい噂など立つはずがないなとボクは思いながら、さっさと目的地へ向かった。

 男性陣は、ボクと大竹に、矢野、飯島を加えたいつものメンバーだ。女性陣は、皆十人並みだが、女子大生とあってピチピチだ。
 自己紹介、乾杯、おしゃべり、ゲームと進んだ。
 「佐田、おまえ、誰にする?」
 トイレに立ったとき、大竹が尋ねてきた。
 「中野って子がいいな」
 「相変わらず巨乳好みだな」
 ボクは照れ笑いした。大きいに越したことはない。
 「飯島と矢野の意見も聞いて見るから。もし、がちあったら、ジャンケンな」
 「わかってるよ」
 がちあって、ジャンケンに負けると悔しいなと思っていたけれど、幸いがち合わなかった。

 二次会では、綺麗に4組のペアができていた。
 「中野美奈子って、女子アナと同姓同名だね?」
 「彼女ほど可愛くはないけど」
 「そんなことないよ。充分可愛いよ」
 そう答えると嬉しそうな表情を見せた。可愛いと言われて気を悪くする女は相当ひねくれものだ。
 「正美って女の子みたいね」
 高校まではそう言われるとむかっと来ていたけれど、最近は軽く受け流せるようになっている。特にこう言った場面では、にこやかに答えるに限るのだ。
 「親父がね。ボクが生まれる前に名前を決めたらしいんだけど、どっちが生まれてもいいようにしたんだって。お陰でいい迷惑だよ」
 これは本当の話だ。
 「ねえ。このあとはどうするの?」
 他の3組の様子を窺いながら尋ねてきた。
 「ふたりでゆっくり話ができるところに行こうか?」
 「いいわね」
 話にもいろいろある。ボディーランゲージだって、立派な話だ。中野もちゃんとわかっているようだ。

 と言うわけで、他の3組は放って置いてラブホテルへ直行した。彼らだって、やがてはホテルに行ってしまうことはわかってる。
 「佐田さん。キスが上手ね。蕩けちゃう」
 甘えた口調で言いながら、着ていたものを脱いでいく。ボクも裸になって中野をベッドの上に押し倒した。
 柔らかくて、ホント女らしいと思った。
 「大きいね。サイズは?」
 「Fよ」
 Fと言えば、アンダーとトップの差が22~23センチだなと頭の中で考えた。
 (これくらいの胸が欲しいな)
 ふと自分の胸を見て思い、慌てて頭を横に振った。
 「どうかした?」
 「いや、なんでもないよ」
 クンニする。中野が身体を震わせている。
 (夢の中で感じたあの感覚は、今中野が感じているものを同じなんだろうか?)
 それは永遠の謎だ。
 「フェラしてあげる」
 しゃぶり付いてきた。なかなか上手だ。
 「なかなか硬くならないわね?」
 「ちょっと飲み過ぎたかな?」
 勃たないほど飲んだ覚えはないのに、半立ち以上にならないのだ。
 「これじゃ駄目だわ」
 「これくらいあれば入るよ。入ったら硬くなるって」
 そう答えて入れようとしたのだけれど、くにゃっとなって挿入できない。
 「行けず!! 包茎でも短小でも我慢できるけど、インポは願い下げよ!」
 ボクに枕を投げつけベッドから飛び起きて、さっさと服を着て部屋を出て行ってしまった。
 (いらぬことを考えなきゃよかった)
 後悔先に立たずだった。

 翌朝大竹が首尾はどうだったと尋ねてきた。
 「もちろん、ばっちりさ」
 「そうか。おれ、3発もやっちまったよ。佐田は?」
 やれなかったなんて答えるわけにはいかなかった。指を二本立てて見せた。
 「今晩も誘われちまってな。佐田の方は?」
 「今日は実家だよ。月に1回は戻らないとお袋がうるさいんでね」
 「実家が近いと大変だな。じゃあな」
 どうして勃起しなかったんだろうかと一日中気が重かった。

 月に1回と言ったけれど、6週間ぶりに実家に戻った。母から久しぶりねと嫌みを言われた。
 「好美は?」
 「クラブでキャンプだって。今日明日はいないわ」
 「学生はいいな。学生は」
 「あんただって、学生時代は遊んでばかりだったでしょう?」
 「遊んでばかりじゃないさ。勉強もちゃんとしたよ」
 母は肩をすくめ、着替えてらっしゃいと告げた。汚れ物を洗濯機に放り込むと、二階に上がって着替えた。
 ふと好美の部屋を見た。
 (ふうん。今日明日はいないのか)
 ドアをそっと開く。ふわっと女の匂いが鼻腔をくすぐった。
 「正美! お茶を入れたわよ!」
 階下から母の声が届いてきて、慌ててドアを閉めると、階段を下っていった。

 いつものように父と晩酌をした。父はボクと酒を飲むのが楽しみのようだ。父は飲みすぎたと言い、午後10時には部屋に引っ込んでしまった。
 「じゃあ、ボクも寝るよ」
 母に告げて階段を上った。部屋の中で階下の様子を窺っていると、片付けを終えた母が浴室に入る音がした。
 母は長風呂だから、すぐに出てくる気遣いはない。父はすでに夢の中だろう。ボクはそっと部屋のドアを開き、好美の部屋に忍び込んだ。
 タンスの引き出しを開き、下着を見る。ショーツとブラジャーを取り出す。引き出しの下の段から、キャミソールとミニスカートを取り出した。
 ボクは女装しようとしていた。夢の中のボク自身を思い出すと、いてもたってもいられなくなったのだ。もちろん、酔っていなかったら、好美が家にいたら、こんなことはしなかっただろう。
 裸になってショーツを穿く。それからブラジャーをした。D70のカップが情けなくへこんでいる。
 (えっと、何を詰めようかな?)
 迷うことなくパンストを詰めた。他のものは思いつかなかった。キャミソールを着て、スカートを穿く。そうして部屋の入り口にある縦長の姿見に映してみた。
 前髪を下ろし、ポーズを取ってみた。
 (やっぱり髪の毛が長くないとなあ。それに化粧だ)
 酔っていなくてもこんなことをしようとしていたのかもしれないと思った。何故なら、夕食前に入った風呂の中で、髭をこれ以上ないくらい丁寧に剃っていたからだ。
 化粧品を探す。なければ諦めるしかない。
 (あった!)
 タンスの上に化粧箱が置かれていたのだ。床の上に降ろし、姿見の前に座り込んで化粧を始めた。
 化粧なんてやったことがないのに、すいすいやれてしまう。きっと夢の中で化粧をやったせいだ。
 (夢じゃなくて、やっぱりパラレルワールドかもしれないな)
 そう考えながら、化粧を終えた。
 (ただいま、正美)
 鏡に向かって言うと、鏡の中のボクが、お帰り、正美と返事をした。嬉しくなって鏡の前で踊っていた。

 グワン、グワンと音が聞こえてきた。何の音だろうかと耳を澄ます。
 (洗濯機?)
 実家の洗濯機はかなり古くて大きな音を出すのだ。
 (こんな真夜中に?)
 そう思ったのだけれど、カーテンの隙間から光が入っていた。
 (えっ! まさか?)
 時計を見ると6時前を差していた。夜が明けようとしていた。いつの間にか眠り込んでいたのだ。
 (やばっ! 早く着替えないと)
 大急ぎで着ていたものを脱ぎ、脱ぎ捨てていたボクの服に着替えた。
 (汗臭くないかな?)
 心配しながらスカート、キャミソール、パンストを畳んでタンスに戻す。
 (ブラジャーは大丈夫だけど、ショーツが・・・・)
 寝ている間に卑猥な夢を見たのかシミができていた。
 (拙いぞ。拙い)
 そのまま戻すわけにはいかない。タンスを開いて下着を見た。
 (これだけあれば、一枚くらいなくなっても気づかないよな)
 好美が気づかないことを祈りながら、ブラジャーは戻しショーツの方は手に握りしめて部屋のドアをそっと開いた。
 階下を確かめてから、ドアを閉めてボクの部屋に戻った。
 (さて、どこに隠しておこうか?)
 取り敢えず持って帰ったバッグのチャック付き内ポケットの中に入れておいた。
 (これでよしと)
 部屋を出て、階段を下り始めて気がついた。化粧をしたままだと言うことに。部屋に戻ろうとしたら、母がボクに気づいた。
 「正美、もう起きたの?」
 キッチンから母が顔を出した。ボクは母に顔を見られないように天井を見遣りながら答えた。
 「あ、ああ。早く寝たからね」
 「お茶を入れてあげるから、顔を洗ってらっしゃい」
 キッチンの中に消えた。顔を見られなかったようだ。早足で洗面所に行く。
 (クレンジングはないか・・・)
 仕方がないので、石けんを泡立てて顔を洗った。鏡を見ると、髪の毛の生え際や耳の前あたりに化粧が残っていた。目の回りも充分に落ちていないようだ。
 もう一度石けんを泡立てて洗った。
 (ほとんど落ちたけど、マスカラと口紅がまだ残ってるよ)
 まつげを引っ張りマスカラを落とす。唇をごしごし擦って口紅を落とした。
 (これでいいか)
 顔を上下左右に振って化粧が残っていないか確かめる。
 (少し残っているような)
 化粧をしたのがばれるとどうなるか不安だ。
 「正美! お茶が入ったわよ」
 「あ、ああ。すぐ行くよ」
 歯は磨かずにうがいだけしてダイニングに行った。

 化粧していたことがばれないか戦々恐々だ。けれど、ばれなかったようだ。
 「ご馳走さん。母さんの味噌汁は相変わらず美味いな」
 「あら? 正美らしからぬお世辞ね。何かあるんじゃないの?」
 ギョッとしながら、馬鹿を言うなよと言葉を残して部屋に上がった。
 (危ない、危ない)
 実家では昨夜のようなことは二度とできないと感じた。もっとも好美がいないなんてことは珍しいから、やろうにもやれないだろう。

 部屋で本を読んでいると父から声が掛かった。ボクに碁の相手をさせるためだ。ボクが月に一度実家に戻ってくる理由のひとつだ。
 「今日はボクが白だよね?」
 父は苦虫を噛み殺したような顔をして、持っていた白石をボクに渡した。
 「今日は負けんぞ」
 父は正座して石を打った。

 午前中は1勝1敗だった。昼食を挟んでの対局は、2目半の僅差で負けた。
 「次はわたしが白だな」
 白黒が交互に入れ替わっている。毎日囲碁の本を読んで勉強している父に比べ、ボクはまったく勉強しないでこの勝敗だ。どちらが強いか明白だとボクは思っている。
 「ちょっと散歩に行ってくるよ」
 いつもは3番もやると肩が凝るから気晴らしも兼ねて外出するのだけれど、今日はもうひとつ目的があった。汚れたショーツをどこかに捨ててこようと考えたのだ。
 ジーンズのポケットに収めたショーツをいつ、どこで捨てようかと算段する。
 (誰かが見ていそうだな)
 見かけたゴミ捨て場に捨てようとしたけれど、見られたら不味いと思って捨てられなかった。
 結局は実家に持ち帰ることになってしまった。
 (どうするかな? アパートに持って帰ってゴミと一緒に捨てるしかないな)
 そう結論して、再びバッグの内ポケットに隠しておいた。

 夕食を食べながらアパートに戻っても捨てるのは困難と考え直した。で、どうするかと言えば、洗って元に戻すことを考えたのだ。
 そのために父との晩酌はほどほどにして、バスルームにショーツを持っていった。身体を洗う合間にショーツを洗い、よく絞って部屋に持って帰った。
 ハンガーにぶら下げ、机の奥に吊しておいた。
 (覗き込まない限り見えないな)
 母がボクの部屋に入ってくることはまずないから、安全だと考えたのだ。それでも、何かの拍子に母が入ってきて見つかるんじゃないかと思うと、まんじりともしなかった。

 翌朝ショーツを手に取ってみると、何とか乾いていた。母は日曜日も朝早く起きて主婦業を熟している。
 (女は大変だね)
 思いながら、好美の部屋にそっと入って、ショーツを畳んでタンスの中に収めておいた。ついでに一昨日ボクが着た服の匂いを嗅いでみた。
 (汗臭くない。大丈夫だ)
 言い聞かせて部屋に戻った。
 (やっぱ、自分用のものを買うべきだな)
 アパートにいれば、金曜日の夕方から日曜日に夕方までゆっくり、誰にも気兼ねせずに女装できるのだ。



inserted by FC2 system