第12章 女になったことを公表した波紋


 会社に向かうバスの中で、昨夜の父の様子を思い浮かべてクスッと笑った。いつもは息子という立場で酒を飲むボクが、娘としてお酌をするのだ。好美から借りたキャミソールから覗く胸の谷間に父は嬉しさと戸惑いの混じった表情を見せていた。いつもは恐い父が可愛く見えた。

 バスを降りて会社に着いたのは午前8時前で、社長との約束に丁度間に合う時間だった。ところが問題が発生した。守衛に会社に入るのを遮られたのだ。
 持っているバッグの中には、女に必需品や免許証に加え、社員証も入っている。しかし、その社員証の写真は男のボクだから、ボクが社員であることを証明するのは難しいのだ。
 「この書類に訪問部署と訪問理由を書いてください」
 差し出された書類を見て、部署は経理課あるいは社長室だとして、理由は何と書こうかと迷った。
 「佐田君、何をしてるんだね?」
 社長が出勤してきて、ボクはホッとした。
 「社員証が役に立たないものですから」
 「おう、そうだな。キミ、この子は大丈夫だ。あとで説明するから。佐田君、わたしと一緒に社長室に上がりなさい」
 守衛は、社長がボクのことを佐田君と呼んだことに少し首を傾げながら、ボクたちの後ろ姿を見ていた。

 社長室に寄って、すぐにボクの働く経理課があるフロアに降りた。
 「社長、こんなに早くからいかが致しましたか?」
 後ろに立っているボクを窺いながら、課長が尋ねた。
 「もうみんな来てるかな?」
 「15分出勤ですから、もうそろそろ」
 話している内に、おはようございますとみんなが出勤してきた。社長がいることにビックリしながら、仕事の準備を始めている。
 「みんな、集まってくれ。社長から話があるそうだ」
 何だろうと話ながら、集まってきた。
 「突然集まって貰ったのは、経理課の佐田君のことについてだ」
 そう言うと、佐田はまだ来てませんと声が上がった。
 「佐田君はすでに来ていて、キミたちの目の前にいる」
 みんなが顔を見合わせ、そしてボクの方を見た。
 「察しの通り、この女性が佐田君だ。イヤ、佐田君だったと言うべきかな?」
 「どう言うことですか?」
 「佐田君から聞いた話によると、先週木曜日、目が覚めると女性になっていたそうだ。そうだね?」
 ちょっと恥ずかしくてボクはハイと小さく答えた。
 「昨日まで待ったが元に戻らないし、どうやら元には戻りそうもないとのことで、女性として働くことになったんだ。今まで通り、付き合ってくれたまえ。わたしからは以上だ。佐田君、キミからもひと言」
 促されてボクは前に出た。
 「突然こうなってしまって、わたし自身も驚いています。何とか元に戻らないかといろいろやってみたのですが、この通りで、元に戻りません。この先元に戻るのか戻らないのかまったくわかりませんが、これまで通り、一生懸命働かせていただきますので、よろしくお願い致します」
 男が女になるなんてあり得るのかと、あちこちから声が聞こえてきた。けれど、社長の頼んだよの声にかき消された。
 社長が去ったあと、ボクはもう一度課長に挨拶をしてロッカーで社長が手配してくれた女性用の制服に着替えると、机につきコンピューターにスイッチを入れて仕事を始めた。
 パラレルワールドの中と同じで伝票がうずたかく積まれていた。

 フロアのみんなの注目を浴びながら、ボクは仕事を進めていった。パラレルワールドの中では、超勤を1時間すればよかった。ところが今回は違った。
 男が女に変わってしまったという話が社内に流れたため、今日提出しなくてもいい伝票を持ってやってくる社員が大勢いたのだ。
 (今日中には終わりそうもないな)
 今日できることは明日もできる主義のボクは、明日の伝票の出方を予想して、今日中に80パーセントをすませておくことにした。
 小便したくなってトイレに行った。女子トイレに入るのは何となく気恥ずかしくて、誰もいない頃合いを見計らって入った。
 すませて服装を整えていると誰かが入ってきた。ボクは息を殺して、ジッとしていた。
 「目が覚めたら女になっていただなんて、そんなこと、あるわけがないでしょう!」
 「そうよね」
 「佐田さんって、いかにも感じでしょう? 今まで隠れて女装していたけど、それだけじゃ物足りなくなって、公表したってところじゃないの?」
 「ホモなのかしら?」
 「きっとそうよ」
 「ああ、いやらしい」
 化粧直しに来たのか、ふたりはそのまま出ていった。
 (あんなことを言ってるのは、あのふたりだけじゃないだろうな)
 ホモだのと言われるのは腹が立った。
 (よし! はっきりさせてやろう)
 トイレから出ると、ボクのいるフロアに戻って、奥野と小林に声を掛けた。
 「ちょっとわたしに付き合ってもらえる?」
 何事かとみんなが顔を上げた。ボクはふたりを連れてトイレに入った。
 「わたしはホモで女装しているだけっていう噂が立っているみたいだから、きちんとさせたいの」
 そう宣言して、スカートの裾をあげてパンストと共にショーツを降ろし便座の上に座った。
 「ちゃんと見て、わたしが男か女か判定して」
 恥ずかしいけれど、そうするしか思いつかなかったのだ。ボクの女を確認したふたりは、ホントに驚いた表情を見せて、トイレを走り出ていった。
 夕方にはボクがホモの女装者であるという噂は消えていた。

 予定した伝票整理を終えるのに退社時間を30分過ぎてしまった。ロッカーで着替えていると携帯が鳴った。
 《おう、俺。飯を一緒に食わないか?》
 「いいけど、みんなに知られたら、変な目で見られない?」
 《どうしてだ?》
 「気にならなければいいけど?」
 《ぜんぜん。下で待ってるからな》
 大竹は、普通の神経を持っていないらしい。

 会社の玄関先でボクを待っていた大竹は、ボクが出ていくと腕を取らせた。会社のみんなが興味深げな顔で見ていたけれど、気にしないことにした。
 (ボクは女で、男と付き合って悪いことはないんだからな)
 ボクが男だったときにもよく行った居酒屋で、刺身の盛り合わせや焼き鳥、肉じゃが、揚げ出し豆腐などを注文して生ビールを飲んだ。
 大竹を目の前にしていると、男に戻った気分だ。
 「奥野と小林にあそこを見せたんだって?」
 「うん」
 「大胆だな?」
 「だって、ホモだの、女装しているのだのって言われるのイヤだったから」
 「なるほどね。けどさあ。今度は、佐田によく似た女が佐田の振りをしてるって言われてるぜ」
 「こんなことあり得ないから、そう考えるのが普通よね」
 大竹は頷く。
 「だから、仕事ぶりで証明するしかないの」
 「そうか。ま、それしかないだろうな」
 「課長はどうやら信じつつあるみたいだけどね」
 「俺はおまえと長年付き合ってるからすぐに信じたけどな」
 そうだったかなと思ったけれど、黙っていた。

 大竹は、どうにかしてホテルに連れ込もうとしていた。けれど、同僚たちに見張られているように思えて行きづらかった。だから、直接アパートに送ってもらった。
 「喉乾いたな。水でも一杯くれないか」
 魂胆はわかっていた。だけども、ボクもそれを欲していた。
 (一晩空いただけで、ムラムラするなんて、ボクも淫乱だな)
 そう考えながら、大竹を部屋に招き入れて、唇を重ねた。

 数日たつと、まるで生まれたときから女だったような日常になった。違ったのは、仕事を終えてからだ。
 以前なら、週に1、2回大竹と酒を飲みナンパしていたのが、大竹とホテルかアパートでベッドを共にするようになったことだ。
 そうして翌週の月曜日、仕事を終えて会社を出たところで、大竹ではなく、スーツ姿の女性が歩み寄ってきた。その手にテープレコーダーが握られていた。
 「佐田正美さんですね?」
 「そうですけど?」
 「以前は男性だったのに、突然女性になったと伺いましたが、本当でしょう?」
 女性の後ろにカメラを構えた男性が立っていた。
 「ええ。本当です」
 「少しお話を聞かせていただいてよろしいでしょうか?」
 「いいですよ」
 別に隠し立てするつもりもなかった。近くにある喫茶店でインタビューを受けた。

 同じ話を何回しただろうかと思いながら、先週の木曜日に目が覚めたときから話していった。
 話を面白くするために、女になっていることを発見して身体が震えただの、自殺しようと考えただのと嘘を交えた。
 男に戻りたいですかとの質問には、もちろんですと答えておいた。そんなことはもはや考えていなかったのだけれど。

 翌週、ボクのポートレートが週刊誌の表紙を飾り、インタビュー記事が掲載された。すると、会社の前はニューハーフたちで溢れかえった。何故かと言えば、ボクと握手すると女になれると誰かがネットに噂を流したらしい。
 1週間は、ニューハーフたちに握手攻めにあった。けれど、効果がないことがわかると、ニューハーフ軍団はやってこなくなった。
 代わりにやってきたのは、某テレビ局のディレクターだ。あの有名な「鉄子ルーム」に出演してくれと言うのだ。テレビに出られるなんてこんな嬉しいことはない。ふたつ返事で引き受けた。
 「まあ、綺麗ですこと。男の方が女性になったとはとても思えませんわ」
 それが第一声だった。それから、再び、あの木曜日の朝の話の蒸し返しだ。
 「ところで、男性と女性、どちらがいいとお思いでしょうか?」
 予想された質問だ。
 「男だったとき、髭を剃るのがめんどくさいなって思ってたんです。けれど、お化粧の方がずっと大変ですね。でも、服は女性の方がいいですね。男物って、色もデザインもバリエーションが少ないでしょう?」
 「そうですね」
 「まあ、基本的には男性も女性も変わらないと思うんです。今ある性を楽しめるかどうかだと思いますよ」
 「佐田さんは楽しんでいらっしゃる?」
 「それなりにですね。あ、そうそう。ひとつだけどうしてもイヤな物がありますね?」
 「それは何でしょうか?」
 「生理です。あれはとってもイヤですね」
 「えっ! 生理がおありになるんですか?」
 「もちろんですよ。女ですから」
 そう答えたけれど、この前々日に始まったばかりだ。生理が来ることについては、心の準備はできていた。けれど、生理用ナプキンを着けるのは、やはりなれない。男に戻りたいと考えるならば、このことが最大の動機だろう。
 「生理があると言うことは、妊娠も可能と言うことでしょうか?」
 「恐らく可能だと思いますけど、まだ試しておりませんので」
 「妊娠出産してみたいとお思いになりますか?」
 「男だったら絶対に不可能なことですよね? せっかく女になったのですから、是非出産を経験してみたいと思っています」
 パラレルワールドでは経験があるのだけれど、もちろんそのことは話せない。
 「好きな男性のタイプはございますか?」
 「ああ、それが問題ですね。わたし、身体は女に変わっていますが、心の方はまだ男なんです。好きな女性と聞かれれば、すぐにでも答えられますけど、好きな男性と言われても、まったく思い浮かびません」
 「では、妊娠出産はしばらく無理ですね?」
 そんなことはないけれど、そうですねと答えておいた。

 俺のことは好きじゃないのかと大竹がボクに尋ねた。
 「好きなんてことはないわよ」
 「じゃあ、どうして俺と寝られるんだ?」
 「わたしの身体は女だから、男とするしかないでしょう?」
 「それだけ?」
 それだけよと答えると、大竹は少しガッカリしたような顔をした。
 (あれえ? ボクのことを女として好きなのか? そうなんだ)
 ボクはただのセフレとしてしか見ていなかった。大竹もそうだと思っていた。だから、少し意外だった。

 その大竹が突然転勤になった。
 「東京出張所だってよ」
 「あら? あそこに行ったひとは、みんな出世してるわよ」
 「そうなんだけどな」
 「何が不満なの?」
 「ったりまえだろう? 正美と会えなくなってしまうじゃないか」
 「ああ、そう言うこと?」
 「すげないな」
 「その気になれば、いつでも戻って来られるじゃない?」
 「それはそうだけどな」
 毎日会えなくなるのが寂しいと言った。この時ばかりは大竹が可愛いと思った。

 何と、某雑誌社からグラビアの話が飛び込んできた。それも水着のグラビアだ。
 「あなたは美人でスタイルもいい。男性から女性になったというプレミアもある。きっと売れますよ」
 担当者がそう言ってボクを口説いた。売れる、売れないは別として、グラビアはボクとしては興味が沸くものだった。
 (ボクのこの肢体を見て、男たちが欲情する。何て素敵なんだ)
 ゾクゾクした。
 「わたしなんかで大丈夫かな?」
 戸惑う振りをして、説得されてやむなくと言うように思わせてグラビア撮影を受けた。

 当初撮影場所としてグアムが予定されていた。ところが、ボクはパスポートを持っていない上に、申請しようにも戸籍はまだ男のままだった。
 国内ならともかく、国外での通関で問題が起こるといけないと言うことで、撮影場所は沖縄となった。年休を取って出掛けた。
 カメラマンにその助手、メイク担当にヘヤーメイク担当、スタイリスト、それにディレクターの大人数だ。
 (水着で撮影だろう? 水着にスタイリストがいるのかな?)
 バッグの中から取り出されるカラフルな水着を見ながら思っていた。
 (うひゃあ、さすがプロ。別人みたいだよ)
 別人は大袈裟としても、化粧のやり方でこうも違うんだと思い知らされた。それにヘヤースタイルでもボクの印象はかなり変わった。
 「まずはこれにしましょう」
 差し出されたのは、白のビキニだ。デザインはちょっとダサイなと感じたけれど、文句を言わずに着替えてポーズを取った。
 「少し上向き加減で。そうそう。笑顔!」
 シャッターが切れる。少しずつ顔の角度や身体の向きを変えてシャッターが切られる。そうして、水着を着替えさせられて再び撮影。水着がだんだん大胆になっていった。最後の水着など、布きれがないに等しい。
 「佐田さん、今回のグラビアとは別に、・・・ヌードとかはいかがですか?」
 その目付きからすれば、最初からそれを目論んでいたことは明白だ。人格が男であるボクとしては、別にヌードが恥ずかしいなんてことはないけれど、一応やんわりと断った。
 「佐田さん、その素晴らしい身体を記録に残しておかない手はないですよ」
 「あとで後悔しますよ」
 などと食い下がる。渋々といった様子でボクは承諾し、ヌードを撮らせた。自分で言うのも何だけれど、乳房の形の良さは、最高だと思った。

 まず、その出版社の週刊誌に何枚かが掲載された。読者の反応を見るためらしい。
 「凄い評判だよ。ゴーだね」
 ゴーとは写真集の発売と言うことだ。某大手書店で行われた写真集発売記念サイン会には長蛇の列ができた。
 5万部があっと言う間に売り切れ、10万部も超える勢いらしい。
 「ヌードはしばらく秘蔵しておいて、しばらくは水着だけで行きましょうかね?」
 ボクとしては、販売戦力はよくわからないので、お任せしますと答えておいた。

 写真集が売れたことで、テレビ出演の依頼が舞い込んできた。
 (タレントかあ)
 魅力はあったけれど、芸能界で生き残るのは大変だと聞いていた。だから、やはり年休を取って出演し、もしタレントとして生きていけるようだったら退職しようと考えていた。
 安全策を取ったわけだけど、それでは身が入らないわけで、すぐに出演依頼はなくなっていった。

 給料は安くても、地道に働くのが一番と、ボクは経理の仕事に励んだ。

 元に戻らないわねと母が来て、ぼやいた。
 「元に戻って欲しいわけ?」
 「わたしは今の方がいいけどね」
 母と近くなったと思うし、別に父と遠くなったわけではないので、ボク的にも女のままでもいいと思っている。
 「元に戻らないんだったら、戸籍を変えて貰わないといけないわね?」
 「そうね」
 結婚を考えれば、戸籍を変える必要があるのだけれど、今のところその相手がいないので急ぐ必要はない。
 (大竹の奴も結局東京で別の相手を見つけたようだしな)
 別に大竹と結婚しようと考えていたわけではないけれど、その女性に負けたことがちょっと悔しかった。

 ボクの周りの喧騒はほとんど消え、以前と変わらない生活に戻っていた。ごく稀にニューハーフがやってきて、ボクが女になったいきさつを詳しく聞いていくくらいだ。
 そんなある日のこと、仕事を終えて会社を出てすぐ、声を掛けられた。市丸だった。
 「佐田さん、夕食でもどう?」
 いつ見てもいい男だと思う。
 (パラレルワールドでは、夫婦だったんだよな)
 この世界でも夫婦になれないかなと考えながら、わたしなんか誘っていいのと答えた。
 「何か問題でも?」
 そう言われれば、それ以上のことは言えない。市丸に従った。

 連れて行かれたのは、パラレルワールドの中で初めて生理があったあとに連れて行かれたホテルにあるレストランだった。
 「こんな普段着じゃ、入るの恥ずかしいな」
 そう漏らすと、あの時と同じ高級ブティックに連れて行かれて、まったく同じドレスを買ってくれた。
 (何だか、不思議な気分。レストランで指輪をくれたりして)
 そう考えながら、ディナーをご馳走になった。
 「佐田さん、キミは綺麗だ」
 「ありがとう。でも、市丸さんも知ってる通り、わたし、去年までは男だったのよ」
 「今は女だろう?」
 「え? ええ」
 「だったら、ボクと付き合っても何の問題もないだろう?」
 「えっ! それって!?」
 「結婚を前提として付き合って欲しい。どう?」
 驚きのあまり言葉が出なかった。
 「駄目なのかい?」
 「あ、いえ。お受けします」
 「部屋を取ってあるんだ」
 ボクは頷き、市丸の腕を取った。

 次の日曜日、市丸は仲人を伴ってボクの実家にやってきて婚約した。このあとの経過はすべてパラレルワールドの中と同じだった。
 初夜のベッドの中で市丸に突かれながら、ボクはイヤな予感に襲われていた。そう。子どもを産んだとたん、別の世界に行くのではないかと。
 (ああ、いやだ。この世界にいたい。別の世界なんてイヤだ!)
 市丸がボクの中で爆ぜ、ボクは意識を飛ばしていた。



inserted by FC2 system