第1章 誰の悪戯だ!


 夢の中には目覚めて覚えている夢と覚えていない夢がある。ボクの経験からすれば、覚えていない夢は楽しい夢で、覚えている夢は怖い夢のことが多い。覚えていない夢が楽しい夢だとどうしてわかるかって? 覚えている夢が怖い夢ばかりだから、そう思うのだ。

 目が覚めた。朝立ちしたペニスが痛い。
 (今日も元気だ。うっふっふ)
 にやけながら見たはずの夢を思い出そうとした。けれど、思い出せない。
 (いい夢だったんだろうな。何とか思い出せないかな?)
 思い出そうとして、言い表せない違和感に襲われていた。
 (何かが変だ。いつもと違う)
 まだ薄暗い部屋の天井を見上げた。丸い蛍光灯が目に入る。カバーの端にひびが入っていてセロテープが貼られている。ひびを入れたのはボクだ。テニスボールで遊んでいてぶつけてひびが入ったのだ。
 (この違和感はなんなんだ? あ、わかった。布団だ)
 掛かっている布団が羽根布団なのだ。いつもの布団と違ってふわふわで軽い。それに、ベッドもふかふかだ。
 (あれえ、どうなってるんだ?)
 そう思いながら部屋の中を見回して驚いた。
 (なんだ。これは?)
 ボクのベッドは右側を壁につけていたはずなのに、1メートルほど空いていて、枕元近くにドレッサーが置かれていたのだ。そのドレッサーの上には化粧品がずらりと置かれていた。
 さらに足下に置いているタンスも違っていた。ベージュのタンスが、ピンク色のパネルが貼られたものに変わっていたのだ。そのタンスの上には、フランス人形の入ったケースと猫のぬいぐるみが置かれていた。
 左の壁には黒っぽいワンピースがハンガーで吊されていた。
 (まるで女の部屋じゃないか)
 天井の蛍光灯をもう一度見た。ボクが傷つけたひびに間違いないと思った。けれど、部屋の中を見回すと、その自信は急速に揺らいだ。
 カバーに同じようなひびの入った蛍光灯のある女の部屋で寝ているに違いない。そう考え直した。
 (どうして女の部屋なんかに寝ているんだ?)
 考えるけれど、思い出せない。
 (酒を飲んで眠ってしまって、誰か親切な女に助けられてここに寝かされたのかもしれないな)
 そう考え、起き上がって自分の着ているものに気づいて、ボクは顔を顰めた。レモンイエローのパジャマのようなものを着ていたのだけれど、それはどう見ても女物のようなのだ。イヤ、女物だ。
 襟元にレースがあしらわれ、リボンも付いていた。袖は提灯袖と呼ばれるものだ。布団を足下までおろして見ると、穿いているパジャマのズボンは、膝下くらいの長さで裾に小さなリボンが付いていた。
 (参った。こんなものに着替えさせられたのか)
 そのときにはすでに萎えてしまっていたペニスからこれまた違和感が伝えられていた。パジャマのズボンの前を開けてみた。
 (げっ!)
 ウエスト部分にレースがあしらわれたワインレッドのパンツだ。股の部分にもレース飾りがあり、明らかに女性もの、ショーツだった。
 (おい、おい、おい)
 着ていたものを脱がされるのまでは理解できる。女物のパジャマを着せられるのも、何とかわかる。けれど、穿いていたトランクスをショーツに履き替えさせられているなんて、とても信じられなかった。
 (ははあ。これは、大竹の悪戯だな)
 悪友・大竹が、酒で眠ってしまったボクをここへ連れてきてこんなものを着せたんだと考えたのだ。
 ベッドから飛び出て、ベッドルームのドアを開いた。ベッドルームに続く恐らくリビングと思われる部屋に大竹がいて、ボクの姿を見て大笑いするだろうと思っていたのに、そこには誰もいなかった。
 (あれえ? おかしいな。隠しカメラか?)
 部屋の中を見回すけれど、それらしいものは見つけられなかった。
 (ま、いいや。着替えて部屋に戻ろう)
 そう思ってボクの服を捜すけれど、どこにもないのだ。
 (ちっ! どこに隠したんだろう?)
 タンスの中もクロ-ゼットの中も探してみたけれど、ボクの服はなく女物の服ばかりだった。
 (携帯で連絡するしかないか。ボクの服を持ってくるには、何か条件を出してくるんだろうな)
 最悪のシナリオが浮かんだ。それはボクを女装させていることからだ。大竹は、酒を飲むとボクの身体を撫でたり、キスしようとしたことが何度もあるのだ。
 身体がぶるっと震えた。しかし、連絡せざるを得ないのだ。
 (携帯はどこだ?)
 これも見つからない。けれど、ベッドルームにある小さなテーブルの上にハンドバッグがあるのに気がついた。開いてみると、携帯電話が入っていた。
 (ボクのじゃないけど・・・)
 パステルピンクのものだ。取りだして大竹にかけようとして電話番号を覚えていないことに気づいた。
 (まさか、アドレス帳に入っていないだろうな)
 他人の携帯電話にアドレス帳に大竹の電話番号が入っているとは思えないけれど、一応チェックしてみた。
 50件ほど入っている電話番号の中に、やはり大竹の番号はなかった。
 (はあ、どうしたらいいんだ?)
 力を落として携帯の液晶画面を見つめる。
 (「おうち」? 「おかあさん」? 「おとうさん」?)
 「おうち」の電話番号を確かめてぎょっとした。忘れるはずのないボクの実家の電話番号だった。
 (ええっ!どうなってるんだ?)
 「おかあさん」、「おとうさん」の番号も確かめてみた。うろ覚えだけど、ボクの両親の電話番号のようだ。
 (手が込んだ悪戯だな)
 笑ってしまう。
 (しかし、この窮地から脱出するためには、誰かの手を借りないと)
 まさか両親に助けを求めるわけにはいかない。誰か助けてくれる人間を捜そうと電話帳を調べていった。
 (愛、あずさ、井上、石ちゃん)
 最初は漠然と見ていたのだけれど、ハッとして見直してみると、ほとんど同僚の女の子たちなのだ。
 (こんな電話番号、ボクは知らないぞ。どうやって調べたんだろう?)
 悪戯も、ここまで来ると呆れてしまう。
 (うーん。好美に頼むしかないか)
 好美というのはボクのみっつ下の妹だ。笑われ、今後頭が上がらなくなるかもしれないけれど、他人よりはましだ。
 それでも決断に時間は掛かった。
 (仕方がない。他に選択枝はないんだから)
 好美に電話を掛けた。呼び出し音が鳴り始めた。胸がドキドキする。
 《なに? お姉ちゃん。こんな朝早くから》
 まだ寝ていたのか、寝ぼけ半分の声が戻ってきた。
 (お、お姉ちゃん!?)
 ボクは慌てて電話を切った。
 (好美っていう名前の別人か。ビックリしたな。でも、声はよく似ていたような・・・・)
 受話器を見つめていると、着信を知らせるメロディーが鳴り始めた。表示は「好美」だった。何も言わずに切ったから、コールバックしてきたのだ。
 (どうしよう?)
 迷っている間も携帯は鳴り続けている。やむなく受話ボタンを押した。
 《何よ、お姉ちゃん! 掛けてきて切ることはないでしょう!》
 声はやっぱり妹の好美だと思う。けれど、ボクたちはふたり兄弟で姉はいないのだ。
 《お姉ちゃん、何故黙ってるの? 身体の調子でも悪いの?》
 「ま、間違いです。すみません」
 そう答えて、携帯を切った。混乱していてそうするしか思いつかなかったのだ。
 (どうなってるんだ? いや、いや。好美に声が似ているだけだ)
 そう考えていると再び携帯が鳴り始めた。今度の表示は「おうち」だった。恐る恐る受話ボタンを押した。
 《もしもし、正美?》
 母の声だ。ボクの名前を呼んでいるし、ボクの実家からなのだ。電話の主は母に間違いないと答えようとした。ところが、続いて出てきた言葉にボクは絶句した。
 《好美に電話を掛けたでしょう? 様子がおかしいって言うから掛けたの。どうかしたの?》
 先ほど掛けた相手はやはり妹の好美だったのだ。
 《正美? 正美? どうかしたの?》
 声が心配そうなものに変わった。
 「な、なんでもないよ。間違えただけだよ」
 《何だ。そうだったの。・・正美、声がおかしいけど?》
 「えっ! 声が?」
 《まるで男の子みたいだよ》
 ガーンと来た。その言葉の意味は、ボクが女の子だと言うことを示している。
 「あ、ああ。風邪、風邪を引いちゃって」
 《風邪? 熱は?》
 「ね、熱はないよ」
 《薬はあるの?》
 「く、薬ならあるよ」
 《正美、なんかおかしいけど、大丈夫なの?》
 「大丈夫。心配しないでいいよ」
 《好美行かせましょうか?》
 「いいってば」
 《じゃあ、悪かったら電話をするのよ》
 ハイと返事をしてボクは携帯を切った。
 (お袋も好美もボクのことを女の子として扱っている。どうしてだ?)
 両手で胸を触ってみた。胸はない。股間を触ってみた。男の徴がある。意味がぜんぜんわからない。
 (そうか。これは夢だ。夢に違いない)
 そう思って頬を抓ってみた。痛かった。けれど夢は覚めなかった。
 (頬を抓って痛んだ夢を見ているだけだ。きっと、そうだ)
 頬をパチパチと叩き、タマタマをギュッと握ってみた。やはり夢は覚めなかった。
 (これは夢じゃない。現実だ)
 母や妹までも、こんな悪戯に加担しているとは思えない。何が何やらわからない。
 (冷たい水で顔を洗ってみよう)
 現実だと考えていることが間違いだと思った。洗面所に行き、顔を洗おうとして鏡を見て驚いた。眉が女の子のように細く切り揃えられていたのだ。
 (悪戯もここまで来ると嫌みだよ)
 そう考えながら水道を捻って顔をぶるぶると洗った。
 (これじゃあ、夢は覚めそうにないな)
 顔を上げて鏡を見た。やはり細い眉のボクが鏡を見ていた。
 (あれ? 髪の毛を結んでいるのか?)
 ぜんぜん気づかなかった。髪の毛を纏めていたゴムの輪っかを外してみると長い髪の毛が広がった。セミロングの女の子のヘヤーになっていた。引っ張ってみた。ウイッグじゃなかった。
 顔を拭くとふらふらとリビング戻った。
 (あれは?)
 テレビ台の横に本棚があり、その中にアルバムがあるのに気がついたのだ。それを引っ張り出して開いてみた。
 ボクの持っているアルバムと同じものだけれど、色が違う。ボクのはブルーだが、このアルバムはピンクなのだ。
 表紙を開いてみた。裏表紙に「命名・正美」とある。その右側にはピンクのおくるみに包まれた赤ん坊の写真。おくるみの色が違うだけで、見覚えのある写真だ。
 次のページに、裸の赤ん坊の写真が並んでいた。顔はどう見てもボクなのだけれど、おちんちんがついていないのだ。
 (好美の写真と入れ替えたのでは?)
 そうとしか思えないのだ。けれど、抱いている父や母が若い。さらにページを捲っていく。
 保育園の園服を着た写真だ。黄色の帽子に青の園服だけれど、スカートを穿いていた。別の写真に、同じ園服を着た女の子が立っていて、その横に赤ん坊を抱いた母が立っていた。その赤ん坊こそ、好美だ。
 (てことは、この女の子はボクってことになるけど・・・・)
 小学校入学の写真。ピンクのスーツを着せられてはにかむ女の子が写っていた。さらに捲っていくと、好美らしい女の子と一緒に写った写真が貼られていた。もちろん、スカートを穿いていた。
 中学校のセーラー服を着た女の子の写真が並ぶ。顔の感じからすると、それはボクだ。好美じゃない。
 高校もセーラー服で、その顔はボク以外の誰でもないと感じた。
 (ボクは男で、詰め襟の学生服を着ていたはずなのに)
 頭がくらくらする。気が狂ってしまいそうだ。
 「わっ!」
 携帯が突然鳴り始め、息が止まりそうになった。表示は「美智子」だった。どうしようか迷いながら受話スイッチを押した。
 《まちゃみ? まだバスの中? 遅刻するのなら課長に断っておくけど?》
 「か、風邪を引いちゃって。今日は休みたいんだけど・・・」
 《風邪? 酷い声ね。わかったわ。年休で処理してくれるように頼んでおくから。お大事に》
 携帯を切って、美智子、美智子と復唱する。同僚の奥野美智子に違いないと思った。それほど仲がいいとは思えないのに、まちゃみと呼んだことに驚きを隠せなかった。
 アルバムを閉じて本棚に戻す。尿意を催してトイレで小便をした。小便の出ているペニスを見ながらジッと考えた。どう考えても、これは手の込んだ悪戯にしか思えない。
 ぎゅうと腹が鳴った。時計を見ると、8時半を回っていた。
 (何か食い物は・・・)
 冷蔵庫を開いてみると、コーンの缶詰や豆腐、固形ヨーグルトなど、ボクの冷蔵庫にはなかったものがいっぱい詰まっていた。さらに、イチゴの載ったショートケーキも入っていた。
 (朝っぱらからケーキはなあ)
 野菜室にはタマネギ、にんじん、ジャガイモネギなどが入っている。味噌汁も作れそうだけれど、手っ取り早く食べられそうなものを探した。
 (カップラーメンか・・・)
 これもまた朝っぱらから食べるものではないと思ったけれど、他にはすぐに食べられそうなものはなかった。
 仕方なく、ポットからお湯を注ぎ、できる間に玄関の新聞受けから新聞を取り出してきて読んだ。
 (衆院選、直前情報か。こんなもの、当たった試しがないな)
 大した記事は載っていなかった。できあがったカップラーメンを食べながら、いつになったら、どっきりでしたと大竹が看板をかざして出てくるんだろうかと考えていた。

 空になったカップラーメンの容器をゴミ箱に捨て、ふと状差しを見た。請求書とか、ダイレクトメールなどが入っていた。
 (これは?)
 衆院選の投票用のはがきだった。住所はボクの部屋になっている。別の部屋に運ばれているわけではないことを再確認した。
 (げっ!)
 開いてみてボクは記載された文字に釘付けになった。氏名に続く性別の蘭が「女」になっていたのだ。
 このはがきを見て、さすがに悪戯ではないと考え始めていた。
 (確かめるすべは?)
 役場に行って、戸籍を調べることだ。そのためには着替えないといけない。ボクはすぐに着られそうなものを探した。
 ベッドルームのタンスの一番下の段にジーンズが入っていた。ホワイト、グリーン、そしてブルーのものだ。無難なブルーを取りだし、上に着るものを探す。
 リボンとか刺繍の入ったものばかりだったけれど、一枚だけ男性用と言ってもおかしくないTシャツがあった。
 パジャマを脱ぐ。上は白っぽいキャミソールを着ていた。それも脱ぎ捨て、ショーツ一枚になってジーンズを穿き、Tシャツをかぶった。
 (さて、出かけよう)
 玄関で履ける靴を探す。スニーカーがあった。
 (ピンクの線が入っているけど・・・)
 他のものはヒールのある女性ものばかりだ。ここは目を瞑るしかない。スニーカーを履いて、いざ玄関を出ようとして、靴箱の上にある鏡に目が行った。
 (うわっ! これじゃ駄目だ)
 ヘヤースタイルが女なのだ。
 (ゴムバンドは洗面台の上に置いたな)
 洗面所に戻って髪の毛をゴムバンドでくくった。そうしてから鏡をのぞいてみた。
 (男には見えないぞ。怪しげなおかま?)
 顔を隠せばいいと考え、帽子を捜した。都合のいいことに野球帽が出てきた。ボクの嫌いな巨人軍のものだけど、他にないんだから仕方がない。
 目深にかぶって鏡を見た。怪しさはやはり変わらない。
 (ま、いいか)
 出かけようとして、身分を証明するものがあった方がいいと考えた。
 (投票用のはがきでもいいけど、免許証は?)
 テーブルの上にあるバッグをもう一度開いてみると、内ポケットに免許証が入っていた。綺麗に化粧したボクの写真が貼られていることに、もはや驚かなかった。

 顔を見られないように下を向いて歩く。行き交う人たちが笑っているように思えるけれど、無視した。
 やがて役場に着いた。戸籍謄本を請求する紙に必要事項を書き込んで提出し、じっと待った。
 「佐田さん! 佐田正美さん!」
 呼ばれてボクは立ち上がり、お金を支払って戸籍謄本を受け取った。開いてみて、間違っていると思った。
 「佐田正美・長女」になっていたのだ。



inserted by FC2 system