第14章 変身するなら初恋の人


 お花畑を歩いていた。こっちだ、こっちだと死んだ祖父が手招きしている。三途の川はどこだろうと考えていると、耳を引っ張られた。
 「い、痛い!」
 叫んだとたん、お花畑は視界から消え、誰かの顔が目の前に出てきた。焦点を合わせると、その人物は長谷川だった。
 「先生。先生も死んだんですか?」
 「わたしが死んだんじゃない。おまえが生き返ったんだよ」
 驚いて見回すと、そこは見覚えのある病室だった。
 「どうしてここに?」
 「横山が運んできたんだよ。死体を処分してくれと言ってな」
 首を触ってみた。ヒリヒリとした痛みがある。
 「首を吊ったそうだな?」
 「え? ええ。どうして死ななかったんでしょう?」
 「そんなことはわからないが、死ぬ一歩手前だったことは確かだな。仮死状態という奴だよ。あのまま放置すれば、死んでいた可能性が高いがね。しかし、どうして死のうなんて考えたんだ?」
 「横山の、横山のせいなんです」
 「どう言うことだ?」
 ボクは、横山がボクにやったことを涙を流しながら面々と話した。
 「なるほどね。死のうとする気持ちはよくわかる」
 「死なしてくれればよかったのに」
 「助けられるものは助ける。それが医者の使命だからね。助けないわけにはいかなかったんだよ」
 「殺してください。お願いです」
 ボクは長谷川にすがって頼んだ。
 「まあ待ちなさい。よく考えてみるんだ。横山が首を吊ったキミをそのまま放置していれば死んでいた。死体の処分を焦った横山が仮死状態のキミをここに運んできて、生き返ることになったのは、何らかの運命の働きだと思うよ。つまり、キミにはまだ生きなければならない運命があると言うことだ」
 「そんなこと言われたって、女になったこの身体で、どうやって生きていけばいいと言うんですか?」
 「女だから生きられないなんてことはないだろう? 何も変わりはしない」
 「言ったでしょう? 女に変えられる過程を撮影したビデオをネットで公開されているんですよ。恥ずかしくてとても生きていけません」
 「ああ、なるほど。だったら、別人になればいい」
 長谷川は簡単に答えた。
 「別人に?」
 「そうだよ。キミとはわからないように整形してあげよう」
 「でも、顔が変わっても、戸籍がなければ・・・」
 「戸籍か。それも何とかしてあげよう」
 ボクは長谷川の顔を見てゴクリとツバを飲んだ。
 「本当ですか?」
 「ああ。乗りかかった船だ。キミを助けたのも何かの運命だ。最後まで面倒見てあげよう」
 顔を変えて別人として生きる。それならば生きていけそうな気がした。
 「あ、それから、横山からキミはこの病院で死んだことにして、実家に連絡して欲しいと言われてるんだ。そうしなければ、わたしの不法手術をばらすと暗に言っていたがね」
 「卑劣な奴だわ」
 「そんな奴に関わったのが運の尽きだよ。横山の言うとおりにしないと、キミが生きていることを疑われてしまう。もしキミが生きていることを知られでもしたら、顔を変えても横山に付きまとわれるだろうね」
 「どうすれば?」
 「戸籍が何とかなると言ったのはだね。先週入院患者のひとりがやはり首を吊ってね。まだ生きてはいるんだが、いわゆる脳死状態でね。この女性とキミを入れ替えようと考えているんだよ。つまり、その女性をキミとしてキミの実家に送るわけだ」
 「一目でわたしじゃないとわかってしまうわ」
 「わからなくする方法がある。荼毘に付して送るんだよ。DNA鑑定でもされない限りはばれることはないだろう」
 「じゃあ、わたしの顔をその女性の顔に変えるんですか?」
 「それでもいいが、キミの好みの顔でも構わないよ」
 「わたしの好みの顔ですか?」
 思いつくのは梓の顔だ。
 「わたしの荷物とかは・・・ないですよね?」
 期待はしていなかったのだけれど、その期待に反して、ボクの荷物があるという。
 「一緒に処分してくれと頼まれたんだよ」
 そう言い、長谷川は部屋の隅に置いてあったボクの鞄をベッドの上に置いた。開いてみると、移動するときボクがいつも持ち出す最低限のものが入っていた。財布もボク名義の預金通帳も残っていた。
 「そう言うものを別に処分すると何かあると疑われるからだろうな」
 長谷川は、預金通帳の残高を見ながら言った。少しずつ貯めたお金が50万ほど残っていた。
 「あいつにとっては、50万なんて金額ははした金だからな」
 「えっ! どう言うことですか?」
 「実を言うとね。横山が開設しているホームページにわたしもアクセスしたことがあるんだよ。手術のお礼だと言ってパスワードを貰ったんだ。キミの処女喪失の瞬間も見させて貰ったよ」
 恥ずかしくて顔に火が付いたようになった。
 「でだね。そのホームページを利用するには月々3000円だそうだ。3000円なんて、大した金額にならないと考えるかもしれないが、会員が1000人はいるそうだ。つまり、月に300万入ることになる。年にすれば、3600万だ。多少の経費はさっ引いても、3000万にはなるだろうな」
 ボクと山口をロスに行かせられたはずだ。
 (ヒモをしているだなんて嘘をついて・・・)
 思いながら、財布を開いた。財布のポケットに写真が入っている。梓の写真だ。
 「ほう。これは美人だな。この顔にして欲しいんだな?」
 「・・はい」
 「どう言う関係だ?」
 「・・初恋の人です」
 「ははは。なるほど。わかった。そうだな。目鼻の位置がほぼ同じだから、この顔にできるよ」
 「本当ですね?」
 「ああ。双子のようにそっくりにしてあげよう」
 ボクはお願いしますと長谷川に頭を下げた。

 数日後、ボクは手術室にいた。本当に梓そっくりにしてくれるんだろうかと不安を抱きながら、麻酔薬で眠りに落ちていった。

 顔が痛くて死にそうだ。性転換手術の方がぜんぜん痛くなかった。
 「性転換の時は、痛み止めを持続的に注入できたからな。顔の手術にはあの麻酔が使えないんだよ」
 長谷川はそう言い訳をして、ボクの片に痛み止めの注射をした。その注射をすると眠り込んだ。眠っている間だけは痛みから解放された。
 その痛みも3日目にはほとんどなくなっていた。
 「採血の結果からすれば、経過は順調だよ」
 どんなに経過が順調でも、梓とそっくりにならなければ意味はないと思っていた。

 10日目、顔に巻かれていた包帯が取り除かれた。
 「これで、あの写真そっくりなの?」
 「内出血と腫れが取れてくれば、そっくりになるはずだ」
 「はず?」
 「言い間違えたよ。そっくりになる。わたしを信じたまえ。性転換のときも、最初は綺麗に仕上がるか疑っていただろう?」
 思い出した。だからボクは、信じますと長谷川に笑顔を向けた。

 毎朝目覚めるたびにまっすぐに鏡に向かって顔を確かめた。内出血も腫れも、薄紙を剥ぐように軽くなっていった。
 そして10日目、ボクの顔はついに梓になった。
 「どうだ? その写真そっくりになっただろう?」
 長谷川は自慢げに胸を張った。
 「先生、ありがとう。ホントにありがとう」
 嬉しくて涙がこぼれた。こんなに感激したのは久しぶりだ。
 「もう退院してもいいが、金はあるのか?」
 「あ、いえ」
 「預金通帳は残しておけばよかったのではないか?」
 どこの誰ともしれない遺骨とともにボクの実家へ送っていた。
 「わたしがあの預金通帳を肌身離さず持っていたことは、家族はみんな知ってるんです。だから、あれがないとわたしじゃないって疑われる可能性があるんです」
 「少し下ろしておけばよかったんだ」
 「先生らしくないご意見ですね。死んだあとに下ろしたらおかしくありません?」
 長谷川はそうだったなと頭を掻いた。
 「では、どうするんだ?」
 「先生から借りる」
 長谷川はハハハと笑った。
 「金を貸すには担保が必要だな。キミには担保がないだろう?」
 言われてボクは長谷川を上目遣いに見た。ボクが担保にできるものと言えば、他にはないのだ。
 「そんな目で見るな。毒喰わば皿までだ。貸してやるよ。無担保で。ある時払いの催促なしだ」
 意外な返事に少し驚きながら、ホントですかと尋ねた。
 「わたしの辞書に嘘と偽りの文字はない」
 「先生、大好き」
 ボクは長谷川に抱きつき、頬にキスしてやった。
 「おいおい。看護婦に見られたらどうするんだ?」
 そう言いながら嬉しそうにしている。
 「では、明日、お金を持ってきてあげよう。退院も明日でいいね?」
 「はい。よろしくお願いいたします」
 長谷川を病室から送り出してから、ボクはもう一度鏡を覗き込んだ。顔を左右に振る。どう見ても梓の顔だ。
 (ああ、梓。一生ボクと一緒だよ)
 鏡に顔を近づける。そして、唇を・・・。冷たい感触だけしかないけれど、ボクはそれでも満足だ。
 (梓、梓、梓)
 自然にボクの手は乳房をまさぐり、そしてショーツの中に入っていく。
 (ああ、義彦。そんなことしちゃ、だめ)
 妄想の中でボクは梓に愛撫する。
 (梓、こんなに濡れてるよ)
 (ああ、義彦。好きよ。愛してるわ)
 ボクの指が梓の中に入っていく。指が締められる。
 (梓、感じてくれてるんだね?)
 (感じるわ。義彦。もっとして。もっと奥に)
 指を懸命に動かす。
 (ああ、義彦。行く、行く、行くう・・・)
 ふっと意識が途切れ、床の上に倒れ込んでいた。

 誰かに身体を揺すられている。
 「どうしました? 大丈夫ですか?」
 看護婦だ。
 「あ、いえ。なんでもないです。ちょっとめまいがしただけです」
 「先生を呼んできます」
 「いいですから、騒がないでください」
 そう言ったけれど、結局長谷川が呼ばれてきた。
 「どうしたんだね?」
 「ただの脳貧血です。大丈夫ですから」
 あんなことをして行き、気を失っていただなんて言えるわけがない。
 「念のため、最終検査と言うことで採血をしておこう」
 無駄な検査を受ける羽目になってしまった。

 翌朝、検査結果が印刷されたペーパーと白い封筒を持って長谷川がやってきた。
 「検査に異常はなかったよ。起立性低血圧かな?」
 そう言いながら検査結果をボクに手渡し、封筒の中からA4の書類を取り出した。
 「これはキミの新しいアイデンティティーだ。よく読んで覚え込むこと。それから、これは約束のお金だ。ここへはもう来ない方がいいよ。来たら、手術したことがばれるかもしれないからね」
 「だったら、お金を返せないわ」
 長谷川は肩を竦め、元気でなと言い残して病室を出て行った。ボクは書類を確かめた。
 (小川茜。いい名前だ)
 年齢がふたつも若返って得した気分だ。封筒に書類を収めると、長谷川のもう一つのプレゼントである白いワンピースを着込んで病室をあとにした。

 長谷川がボクの渡した封筒には10万円入っていた。
 (これじゃあ、仕事をすぐに見つけないと)
 数日前、長谷川とボクの就く仕事について話をしていた。
 「ソープで働けば、簡単に高収入が得られるな」
 ボクは頭を横に振った。そうするくらいなら、自殺なんて図っていない。
 「次は水商売だな。今のキミの容姿なら、すぐにナンバーワンになれるだろう」
 「ホステスって、顔だけじゃないって聞きますけど?」
 「それもそうか。じゃあ、男に言い寄って、永久就職」
 「男だったことを隠して結婚なんてできないわ」
 「それではこの世の中を渡っていけないぞ」
 看護婦がやってきて、話は立ち消えになった。
 (やっぱ水商売かな?)
 新宿の街に出て、ホステス募集の張り紙を探す。あまり高級店は務まらないだろうと思い、中程度の店を訪問してみた。
 「衣装も貸してくれ? うちは貸衣装屋じゃないよ」
 にべもなく断られた。衣装を貸してくれる店があるはずだと探して回った。
 「姉ちゃん、うちで働いてみない?」
 声を掛けてくるのは、風俗産業ばかりだ。それだけはしたくなかった。結局諦めて、安いホテルに部屋を取った。
 (風俗産業に染まりたくなかったら、男に養って貰うしかないかな。それもなあ・・・・)
 実は長谷川をまだ信じ切れていない。仮死状態でボクを助けたと言っていたのは嘘で、顔を変えた上で、ビデオの隠し撮りをしてネットに載せるつもりではないかと勘ぐっていたのだ。もちろん横山の指示で。だから、男が言い寄ってきたときは要注意だと思っているのだ。
 ホテルの部屋の中で、今日も妄想の中で梓を抱いたつもりになってオナニーした。もっと太いものが欲しいと思いながら眠りについた。

 考えた据えに、以前梓として働いていたスーパーにやってきた。幸いなことにパート募集の張り紙が出ていた。
 「レジ打ちの経験あり? だったら、すぐにでもお願いするよ」
 以前のボクの時には見せなかった笑顔でそう言ってくれた。今のボクは以前のボクよりかなり美人だ。男はやはり美人に弱い。
 早速レジ打ちの仕事を始めた。例によって、時給は800円だけれど、今度はフルタイム8時間働ける。
 (これで収入の道は確保できたけど、問題は住むところだな)
 午後2時、交代で昼食をとる。一緒になった山崎とは以前も働いたことがあるけれど、ボクはあの時とは別人だ。まったくの初対面として話す。
 「小川茜です。よろしくお願いいたします」
 「こちらこそ。山崎陽子です」
 「年はいくつなの?」
 「25です」
 27を25というのは少し面はゆい。
 「出身はどこなの?」
 「新潟なの。リストラに遭っちゃって、東京の方が仕事があるかなって思って出てきたんだけど、結構なくって」
 「不況だからね。どこに住んでるの?」
 「それが、まだ決まってないの。探してるところ」
 「あ、そうなの。・・・見つかるまで、うちに来ない?」
 「えっ! 山崎さんのうちに?」
 「ここから近いし、駅にも歩いていけるわ」
 「それはありがたいですけど、どうして? 初対面なのに」
 「何となく気が合いそうだから。それだけよ」
 またもや罠ではないかと勘ぐっていた。けれど、今日泊まるところにも困るのだ。話に乗ることにした。

 仕事を終えると、山崎に付いていった。山崎のアパートは3DKだった。
 「ここを使ってね」
 ガランとした一部屋を与えられた。クローゼットにバッグを収めていると、布団を運んできてくれた。色合いがブルーだ。来客用というわけでもないようだ。
 「同棲していた奴と別れちゃってね」
 聞かないのにそう言った。ひとり暮らしにしては広いと思っていた。
 「引っ越すのも大変だし、家賃を折半してくれる人がいないかなって考えていたところなの」
 お互いに渡りに船と言ったところだった。とんとん拍子に住むところも決まってしまった。今度は運がいいようだ。
 山崎が入浴している間に隠しカメラがないか探してみたけれど、ないようだ。それに、夜は別々に寝る。今度は危険はないようだとホッとした。

 5月最後の水曜日、店は定休日で久しぶりに映画を見に行った。若いカップルや中高年の夫婦が多い中、ひとりで映画を見る女はあまりいないようだ。
 映画館を出て、昼食はスパゲティーにしようと思い歩いていると、男がボクの前に立ちはだかった。
 「梓、どうしてこっちにいるんだ?」
 にこやかに話しかけてくる男に見覚えはなかった。ボクに梓と呼びかけてくるからには、ボクが以前梓と名乗っていて、梓の顔に整形して貰ったことを知っているに違いないと考えた。つまり、その男は横山の手先だと考えた。
 ボクは慌てて逃げ出していた。



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