第7章 結婚準備


 霧島の胸に抱かれていると心地よい。母の懐にいるようだ。
 (母の懐か。俺にはまったく記憶がない。記憶のないことを例えるのはおかしいけれど、きっとこんな感じなんだろうな)
 相手が霧島だから、母じゃなくて父かと思い直す。
 「何を考えてるんだ?」
 俺を見下げて霧島が問う。
 「うん? 幸せだなって思ってたの」
 「そうか。うんと幸せにしてやるからな」
 唇が重ねられた。このまま起き抜けの一発かなと考えていると、霧島はベッドから抜け出た。
 「予定が詰まってる。飯を食って出掛けるぞ。急いで準備しろ」
 「予定が詰まってるって?」
 「花嫁はエステに通うものだろう?」
 「花嫁って、昨日は奥さんとか妻とか言ってたのに?」
 「今までは婚前交渉だ。髭の脱毛をしてもらって、それから結婚写真を撮りに行こう。式は挙げられないがそれくらいはできる」
 「ああ、わかったわ」
 「もっと嬉しそうな顔をしたらどうだ? ウエディングドレスを着せてやろうって言ってるんだぞ」
 「あ、そうね。嬉しいわ、とっても」
 作り笑いを浮かべたけれど、ウエディングドレスを着るだなんて、嬉しいと言うよりむしろ恥ずかしい。
 「さあ、準備だ、準備」
 霧島はバタバタとバスルームに消え、シャワーを浴び始めた。俺は、乱れたベッドを整え、脱ぎ捨てられていた服を整理してベッドの上に並べておいた。
 バスルームから出てきた霧島と入れ替わりにシャワーを浴びた。霧島が俺の中に注ぎ込んでいたものが、とろりと流れ落ちてきた。もはや屈辱は覚えない。喜びだ。
 裸の姿はできるだけ霧島には見せたくない。霧島に背中を向けて下着を身に着けた。その間に霧島は携帯を掛けている。俺の髭の脱毛の確認をしているようだ。
 「良美! 今日は髭を剃らないでくれと言ってぞ」
 「えっ! でも、伸びたままじゃお化粧ができないわ」
 「じゃあ、マスクでも買ってこよう」
 携帯を切った霧島は、上着を持つと部屋を出て行った。
 (髭以外の部分は化粧をしておいた方がいいだろうな)
 髭が残ったまま化粧を施すと、まんまオカマだった。

 20分ほどしてチャイムが鳴った。覗き穴から見ると、霧島が左右をキョロキョロ見ながら立っていた。俺は、口に手を当てて招き入れた。
 「これでいいと思うが?」
 花粉症用のものだった。髭の部分が完全に隠れるので完璧だ。
 「マスクをしていては飯を食えないから、これを買ってきた」
 袋の中には調理パンと牛乳が入っていた。霧島は椅子に腰掛け、俺はベッドの端に座って牛乳を飲みながらパンを噛った。
 「何よ。何がおかしいのよ」
 「何でもない」
 それが髭のせいだとわかっていた。だから、それ以上言わなかった。
 「さて、出掛けるか」
 「ちょっと待て。口紅を塗り直しておくから」
 俺はドレッサーに向かってルージュを塗る。こんなことになれてしまった自分がおかしい。けれど、今日からはこれが日常になるのだ。

 エステには鈴木京子というありふれた名前で申し込みしてあった。
 「お化粧を落として、そのベッドに寝てください」
 ニューハーフもよく来ると霧島が言っていったから、妙な目を向けられることはなかった。
 化粧をとして横になると、眼鏡を掛けさせられジェリー状のものを塗られた。眼鏡はレーザーで目を痛めないためだと説明された。
 パチパチと小さな音がして、ピリピリと痛みが走った。痛みと言ってもそれほどではなく、いつの間にか眠り込んでしまうくらいだった。
 「腋を処理いたしますので、トップスをお脱ぎになってください」
 「あ、ああ。そうですか」
 霧島はそんなことを言っていなかったけれど、申し込みをしているらしいし、脇の下を剃るのも面倒だと思っていたので施術して貰った。
 脱毛した部分を除いて軽く化粧を施しマスクして、炎症を抑えるというクリームを貰ってエステを出た。
 エステの店からほど遠くない喫茶店で待っていた霧島と落ち合う。
 「どうだった?」
 「なんてこと、なかったわ」
 「そうか。じゃ、次に行こうか?」
 「次って?」
 「結婚写真を撮りに行くんだよ。ウエディングドレス姿の」
 コーヒーを飲み干して立ち上がった。
 「皮膚が落ち着くまでお化粧ができないのよ。だから、今日は駄目よ」
 「そうなのか?」
 椅子に座り直して腕組みをした。
 「どうするかな? 予約を入れてしまったんだが・・・」
 「じゃあ、見るだけ見に行きましょうか?」
 「そうだな。そうしよう」
 「わたし、コーヒーを飲みたいわ」
 「わかった」
 霧島もコーヒーを追加し、30分ほどして喫茶店を出た。

 エステの店も場違いな感じだったけれど、ウエディングドレスがぶら下がったレンタルショップはもっと場違いな感じだった。
 「ちょっと、譲さん」
 「何だ?」
 「ウエディングドレスを着るには、胸がないと無理じゃないの?」
 「ああ、胸に貼り付ける人工乳房を用意してくれるように頼んである」
 「わ、わたしが男だって店に人に言ったの?」
 「言ってるよ」
 アッケラカンとして答えた。
 「この店はニューハーフ御用達でね。店の主人も口が硬いから大丈夫だよ」
 俺を安心させるためか、笑顔でそう言った。本当に大丈夫かなと不安になっていたのは、店の主人が出てくるまでだった。店の主人は一見してオカマとわかる男だったからだ。
 「あら? 可愛いわね? わたしもこれくらい可愛かったら人生が変わっていたわね」
 そう言いながら、俺の周りを一回りした。
 「じゃあ、スリーサイズを測って、人工乳房を着けましょうね。殿方はそちらの控え室でお待ちになって下さいませ」
 「2、3日化粧ができないそうなんだ。今日は衣装を見に来ただけだよ」
 「試着しないと話になりませんわよ。早く!」
 霧島は追い払われ、店の主人に奥の化粧室へ連れて行かれた。
 「着ているものを脱いで、ショーツだけになってくださいな」
 「は、はい」
 服を脱ぎながら、パンティーとは言わないんだと考えていた。同性だけど、女装している姿から裸になるのはかなり恥ずかしい。そんな俺の気持ちなどまったく気にしない様子で、メジャーが当てられ、サイズを測られた。
 「それではこれを着けてみてください」
 手渡されたシリコン製らしい人工乳房はかなり重かった。
 「そこそこ。その位置です。しっかり押さえてくださいね」
 5分ほどして、肩紐のないブラジャーを着けられた。シリコン乳房で谷間ができた。作り物なのに、結構本物らしく見える。
 「さあ、鈴木さんにはこんなものがお似合いになりそうですよ」
 店の主人が両手にウエディングドレスを抱えてやってきた。
 「まずはこれをどうぞ」
 マーメイドラインで、裾元のレースが凄いものだ。
 「ちょっとウエストが・・・」
 「これくらい、我慢、我慢」
 相当強く締められた。息が詰まってしまいそうだ。
 「いかがでしょう?」
 カツラの上にロングのカツラを被せられて、鏡の前に導かれた。
 「悪くはないですけど・・・。彼に聞いていただけますか?」
 「あ、そうですね」
 霧島が呼び込まれた。
 「おお、いいじゃないか」
 「そうですか? 何か、キャバレーのホステスみたいじゃないですか?」
 そういえばそうかと霧島が賛同を示した。
 「では、こちらに着替えていただきましょう。もう一度しばらくお待ちください」
 次はプリンセスラインのものだと言う。これはそれほど苦しくなかった。
 「おお、これはいいじゃないか」
 再びやってきた霧島が唸った。鏡に映っているウエディングドレス姿の女性は俺だとわかっているけれど、勃起するほど綺麗だと感じた。マスクを取り除けば、射精してしまうかも知れない。
 「では、3日後にお願いいたします」
 霧島はそう約束してレンタルショップを出た。
 「結婚写真を撮って、その足で婚姻届を提出しようと思っていたんだが・・・」
 「予定通りにしましょうよ」
 「おまえはそれでいいのか?」
 「ええ」
 本当のところ、男と結婚するなんて、少し戸惑っていたのだ。少し時間があればと考えていたから、ちょうどよかったのだ。
 「なら、そうするか。ところで、良美」
 「ハイ、何でしょう?」
 「おまえ、豊胸術を受けるつもりはないか?」
 「豊胸術・・ですか?」
 先ほど人工乳房を着けてみて、こんなおっぱいがあったらいろいろな服が着られるなと思ったのは確かだ。
 「どうだ?」
 「譲さんがやれって言うのなら」
 「じゃあ、やってもらおう。ちょっと待て」
 霧島は早速携帯をかけ始めた。
 「もしもし、霧島です。いつぞやは大変お世話になりまして」
 以前にも豊胸術を受けさせた男がいるのだろうかと訝った。
 「実は、豊胸していただきたい子がおりまして。はい。そうです。できるだけ早くお願いしたいんですが。取り敢えず、今からそちらに連れて行きましょう。その上で、日程を決めると言うことで。名前は鈴木京子です。では、すぐに伺います」
 霧島は携帯を切ると、通りかかったタクシーを止めた。

 そのクリニックは、ごく普通の形成外科を掲げたクリニックだった。受付で予診表というものを渡され、これまで通り鈴木京子の偽名で豊胸したい旨を書いて提出した。
 30分後、診察室へ招き入れられた。
 「豊胸をお望みですね?」
 「はい、そうです」
 「どれくらいの大きさがご希望でしょうか?」
 「あ、いえ。具体的には・・・」
 「ご主人はどうです? 大きい方がいいでしょうか?」
 霧島に尋ねた。医者の霧島に対する応対から、先ほど電話を掛けた医者ではないと思った。
 「そうですね。どうせ大きくするなら、大きい方が。しかし、あまり大きいのもおかしいかも知れませんね」
 「それではシミュレーションしてみましょう」
 はあ?と俺は聞き返した。その時シミュレーションの意味がわからなかったのだ。
 「コンピューターを使って、豊胸後のイメージが確認できるんですよ。上半身、裸になっていただけますか?」
 俺は霧島の顔を見た。問診表の性別は一応女に○をしておいた。裸になれば、男と知れてしまう。俺と霧島の妙な関係が疑われるに決まっているのだ。
 「良美、早くしないか。脱がないとシミュレーションができないだろう?」
 俺の心配をよそにそう言うので、俺はトップスを脱ぎ、促されてブラジャーも取った。
 「では、まず写真を撮りますので、あのカメラの方のそばまでどうぞ」
 カメラで写されると困るなと思っていたけれど、マスクで顔が半分隠れている。まあいいかと思いながら、示された椅子に座った。
 「胸を張って。はい、いですよ。服を着てください」
 「もういいんですか?」
 「はい。すぐにシミュレーションできます。こちらへどうぞ」
 最初椅子に座らされた。いくつか操作すると、たった今撮影された俺の上半身がモニターに映し出された。
 「では、胸を少しずつ大きくしていきますので、適当と思われるところでストップを掛けてください。A、B、C・・」
 麻殖の胸がヒョイヒョイと大きくなっていく。これは見ているだけで面白いと思った。
 「どうでしょう? Fですが?」
 「ちょっと大きすぎませんか?」
 霧島が言う。俺もそう思っていた。
 「ではEに戻しましょう。どうです?」
 霧島は首を傾げる。
 「D。いかがでしょうか?」
 「もう一度Eにしてもらえますか?」
 少し膨らんだ。
 「どっちだろう? 良美。おまえはどうだ?」
 「Dでいいような気がするわ」
 「ご主人、どうですか? 奥さんはDでいいとおっしゃってますが」
 「DがEか迷うところだから、良美の望む方にしましょう」
 「ではDと言うことで」
 話が決まり、医者はどこかへ電話をかけ始めた。
 「鈴木さんの診察、終わりました。は? 今からですか? わかりました。すぐに手配をいたします」
 肩をすくめながら電話を切ると、医者は俺たちに向き直った。
 「院長がすぐに手術してあげなさいと言っておりますので、今日にでもできますが、最後に食事を取ったのはいつですか?」
 「昼食はまだです。朝は時間がなかったので、パンと牛乳を少しだけ」
 「それなら、大丈夫です。さっと検査をして、問題がなければ、午後の3番あたりに手術を入れましょう」
 慌ただしく検査が行われ、問題なしと言うことで午後4時から豊胸手術を受けることになった。

 左手に点滴をされ、時間が来るのをじっと待っている。不安が押し寄せてくる。こんなことをしてもいいのかと思う。
 (サツに捕まれば面倒なことになるし、借金取りに捕まったら一巻の終わりだ。霧島と結婚すれば、生活の面倒を見てくれそうだから、やむを得ないな)
 椅子に座って手術が始まるのを待っている霧島の顔を見ながら思っていた。
 「ハイ、もしもし、霧島です」
 バイブモードにしてあった携帯を手にして霧島が話し始めた。
 「今日は休むと連絡しておいただろう? わたしがいないとどうしても駄目なのか? 困ったな」
 俺の顔を見て舌打ちをした。
 「わかった。すぐに戻るから、待たせておいてくれ」
 携帯を切ると、霧島は俺の手を握った。
 「すまん。顧客がどうしてもわたしじゃないと取引しないと言ってるらしいんだ。だから、手術には立ち会えない。ひとりでいいな?」
 「子どもじゃないんだから、大丈夫よ」
 「じゃあ、仕事が終わったら、すぐに戻ってくるからな」
 霧島は俺にキスして病室を出て行った。ちょっと心配だけど仕方がない。

 午後3時45分。看護師がやってきて尻に注射をされた。しばらくしてふわっとなって気持ちがよくなった。ヤクをやったときのようだと考えていると、看護師が迎えにやってきた。
 「さあ、鈴木さん。手術室に行きますよ」
 ストレッチャーというものに移されて、ガラガラと廊下を進んでいく。手術中と書かれた赤いランプの下をくぐった。
 「お願いいたします」
 病棟の看護師から手術室の看護師に渡された。さらに進み、天井からでかいランプがぶら下がった部屋に入れられた。
 「ヨシミさんですね?」
 俺はぼんやりとしながらハイと答えた。
 「すぐに手術が始まりますからね。これは酸素です。マスクが苦しいかも知れませんが、心配ありませんよ」
 麻酔医らしい男が俺にそう言い、マスクが当てられた。看護師や医者が慌ただしく歩き回っている。
 「じゃ、ヨシミさん、眠くなりますよ」
 もう充分眠いぞと俺は思っていた。左手が痛くなりますよと言う言葉を最後に、俺は完全に眠ってしまった。

 終わりましたよと言われたけれど、俺にとってはいつの間にと言う思いだった。
 「喉の管を抜きますよ。痰は飲み込まないで、吐き出して」
 喉の奥から何かが抜けていった。痰が詰まって苦しい。口の中をジュルジュルと細い管で吸われる。そして、マスクが当てらた。酸素が送り込まれてきて、生き返った様な気がした。
 ストレッチャーに移されて、手術室を出る。再び眠くなってきた。

 目覚めたとき、病室の窓から朝の光が差し込んでいた。胸がかなり重くなったような気がした。
 しばらくして医者と看護師がやってきた。
 「傷の状態を見ますから」
 医者が俺にそう言い、看護師が病衣を開いた。胸が膨らんでいた。
 (へえ、こんなふうに見えるのか)
 俺は少し感慨を持って隆起した胸を見つめた。
 「上半身を起こして」
 看護師がスイッチを押すと、ベッドが起きてきて、座った格好になった。
 「鏡を」
 看護師が鏡を俺の前に差し出す。その鏡に俺の膨らんだ胸が映し出された。
 「どうですか? 綺麗に仕上がっているでしょう?」
 「はい。凄く綺麗です」
 両手で胸を持ち上げて答えながら、俺はある違和感に襲われていた。
 (おかしい。どうしてだ?)
 あるべきものの存在感が感じられないのだ。右手を股間にやってみた。
 「ない! ない! ない!」
 俺の自慢のペニスも睾丸も消え失せていた。



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