第4章 続くアリバイ作り


 男の姿が玄関から消えると、俺は思いきり悪態をついた。
 「畜生! 畜生! 畜生!!」
 半分べそを掻きながら、手首に巻かれたガムテープを必死になって歯で外した。床の上にはソーセージやザーメンがたっぷり入ったコンドームが散乱している。俺が穿いているスカートもザーメンで汚れている。
 こんなところを松田に見られたら、女装ホモだと蔑まれ、きっと恐喝されるだろう。やつが戻ってくる前に縛めを解き、綺麗に片づけておかなければならないのだ。
 (外れた!)
 手首に巻かれたガムテープを外して足首も外す。コンドームを掻き集めてトイレに流しておいた。
 (そうだ。いつ戻ってくるか聞いておけば、そんなに急がなくてもいいんだ)
 携帯を手にする。
 「もしもし。今どこだ?」
 《ああ、もう30分ほどで着く》
 「さ、30分!」
 《そうだ。飯は食ったか?》
 「いや、まだだ」
 返事をしながら、床の上を雑巾で拭いていく。
 《じゃ、何か買っていってやろう。何がいい?》
 「そ、そうだな。牛丼の特盛を頼むよ」
 《わかった。待ってろ》
 俺は大急ぎで着ていたものを脱ぎ捨てて洗濯機の中に入れ、洗剤を入れたスイッチを押した。
 (俺が犯された痕跡は・・・)
 もう一度床の上を拭く。大丈夫と判断してから、大急ぎで化粧を落としてシャワーを浴びた。もちろん、身体をざっと流すだけだ。シャワーしながらケツの穴を触ってみたけれど、かなり緩くなったような気がした。
 身体を拭いてトランクスを穿き、ズボンを上げたところで玄関からガチャガチャと鍵を開く音がした。
 (やべえ、もう帰ってきた)
 Tシャツを頭から被る。松田はなかなか入ってこない。もう一度ガチャガチャ音がして今度はドアが開いた。
 「ヒロシ! 鍵を掛けてなかったのか?」
 「あ、イヤ。掛けたはずだけどな」
 男が出て行ったあと、慌てていたから鍵を掛けていなかったのだ。
 「誰も来なかったから、気がつかなかったよ」
 「そうか。・・ヒロシ、おまえ、おかしいな? 何かあったのか?」
 「い、いや。何もなかったよ」
 隠したつもりでも同様は消せていないようだ。
 「言われた通りにしたな?」
 「ああ、もちろんだよ。おまえのスケはまだ生きてると思ってるだろう。で? 上手く埋めてきたのか?」
 「そうじゃなかったら戻ってこないさ」
 ムッと来た。いつもこんな言い方だ。
 「じゃあ、もう帰ってもいいな」
 「バカなことを言うなよ。まだだぜ」
 出て行こうとする俺の前に松田が立ち塞がった。
 「はあ? どうしてだよ」
 「おまえ、その頭の中には脳みそが入ってねえのか?」
 「そりゃあ、どういう意味だよ!」
 「だから、考えてみろってんだ。良美の死体が出てこなきゃ、アリバイ作りに意味はないんだよ」
 「な、何だって!」
 「良美は盲腸も手術してねえし、歯も治療したことがねえのが自慢で、死体から身元がわかる気遣いはねえ。裸で埋めたから、着ていたものから足が付く恐れもねえ。だから、良美の死体が出たとき、おまえが良美としてここで生活していれば、良美の死体が良美だと疑われることはないってことよ」
 「良美の死体が出るまで俺に良美の振りをしろってことか?」
 「そう言ってるじゃないか」
 「ひと晩のつもりだったのに・・・」
 「200万だぞ。200万をチャラにして貰うんだ。ひと晩ですむと思う方が間違いだぜ」
 確かに言われる通りかも知れない。
 「いつまでだよ。いつまで良美の振りをしていればいいんだ?」
 「そうだな。ひと月。いや、最低限2週間と言うところだな」
 「良美の死体が発見されなかったらどうするんだよ」
 「発見されなきゃ、発見されなくてもいいさ。ひと月たって発見されなければ、良美が俺に愛想を尽かして出て行ったことにするからな」
 「ひと月も女の振りをしなければならないのか・・・」
 「だ・か・ら、200万をチャラにするためだと言ってるだろうが」
 俺はハアと溜め息を吐いた。
 「ここにいる間の食費も俺が支払ってやるんだ。いい取引だぜ」
 アゴ、宿付きで200万の借金が消える。傍目ではいい仕事かも知れないけれど、昨日の晩のようなことがあれば・・・。
 「ここから外には出て行けないよな?」
 「そりゃあ、そうだ。この部屋にいるのは良美だけ。おまえがここにいちゃあ、まずいんだ。おまえの姿を他の人間に見られたら、すべてがパアになる」
 「パチンコにも麻雀にも行けねえな」
 「おまえ、また、借金を作りたいのか? この仕事は、おまえのギャンブル中毒を治す意味もあるんだぞ」
 そんなこと、考えていたはずはないだろうと思ったけれど、黙っていた。
 「何を暗い顔をしてるんだ。さあ、牛丼を食って。それから良美の振りだ」
 松田がポンと俺の肩を叩いた。松田の方は飯を運んでくるだけで、殺人の罪を免れるのだ。この取引は分が悪いと思った。
 「ところで、あの臭いがしないか?」
 「あの臭いって」
 ドキドキしながら聞き返した。
 「ザーメンだよ」
 「あ、ああ。あ、朝立ちして治まらないから、マスを掻いたんだよ」
 「マス掻いた? 掻いたっていいが、後片付けをちゃんとしろよな」
 「わかってるよ」
 どうやら信じてくれたようだ。ボクはホッと胸を撫で下ろした。
 「万が一サツが来たら、俺は昨日の夜はここにいたことにしてくれ」
 「松田よう。カーテン越しだから良美の振りができるるんだぞ。サツが来たときに面と向かってそんな証言ができるわけがないだろう?」
 「あ、ああ。そうか。そうだよな。バカなことを言った。忘れてくれ。疲れたから俺は寝る。12時になったら起こしてくれ」
 言い残して松田はベッドルームに消えた。良美が死んでいたベッドで眠られるものなんだと少し驚きながら、松田の後ろ姿を見ていた。

 いつもは食べきってしまう特盛が残ってしまった。どうも胸につかえて入らないのだ。フェラチオをさせられて、ザーメンを飲み込んだせいかもしれないと思った。
 (くそっ! 今度のことが終わったら、見つけ出してぶっ殺してやる)
 受けた屈辱は倍にして返してやる。そう心に決めた。
 (それにしても、この仕事は、禁固刑を食らったようなものだな)
 テレビも酒もあるから、ムショとは違うかも知れないけれど、この部屋から出られないから、みたいなものだ。
 (パチンコにも行けないし、麻雀もできない。女も抱けない。それに女装もしなけりゃいけないし・・・)
 元はと言えば、200万の借金が原因だから、自業自得と言えばそうなのだが、何だか貧乏くじを引いたような気がしていた。

 牛丼を食ったあと、眠気が差してきてウトウトしていた。あの男に一晩中責められていたからだ。
 ハッと気がつくと、午前9時を回っていた。
 (仕事だ、仕事)
 女装して良美の振りをすることを仕事と割り切ることにしたのだ。仕事ならば、女装も苦にならないと考えたからだ。何をするにも心の持ちようで変わるのだ。
 下着とネグリジェは、ベッドルームにある。ベッドルームを覗くと、トランクス一丁になった松田がゴウゴウと大きな鼾を掻いて眠っていた。
 そっと中に入り、引き出しの中からペアの下着とネグリジェを取りだし、そっと出た。
 (ベランダの鍵、閉めたっけ?)
 あの男が入ってきたのに気づかなかったけれど、そのあと閉めたはずだ。けれど、もう一度確かめた。
 カーテンもきっちりと閉めて着替えた。ブラジャーの締め付けが心地よいと感じたのは、昨日一晩中着けていたからだろう。
 (ここにいる間は俺の服を着なくてもいいか)
 財布と鍵などをサイドボードの上に置き、洗濯機を開いた。先ほど入れた洗濯物が洗い終わっていた。
 (ベランダには干せないし、どうするかな?)
 バスルームを見ると、乾燥機が付いていた。
 (中に干せばいいんだな)
 サニタリーの奥にハンガーが束ねられて置かれていた。それを取りだして、ネグリジェや下着、スカートなどを干して置いた。それから次の洗濯物を投げ入れ、スイッチを入れて置いた。こんなことをするのは初めてだ。俺も結構マメだなと思った。
 (松田が脱いだものはどうしようか? 洗濯までしてやることはないか)
 カーテンを開けようとして、カツラをしていないことに気づき、ソファーの上に放り出して置いたカツラを被ってカーテンを開いた。あの男が今日も覗いていた。

 ジッとしていると眠くなるので、コーヒーを湧かして飲むことにした。良美の日常だからちょうどいい。
 新聞を取ってきて、コーヒーを飲みながらテーブルの上に広げて読む。今日も大した記事は載っていないようだ。良美の死体もまだ発見されていない。
 油断すると眠くなってくるので、腿を抓ったりして眠気を押さえた。
 (そろそろ1時間か。着替えるとするか)
 着替えるのはいいけれど、着られるものが少ないのだ。
 (あのふわっと広がるドレスだったら大丈夫だけど、昼間っから着るものなんだろうか? 何着か松田に用意させないと行けないな)
 考えて結局あのドレスを着ることにした。肩は丸出しだし、胸の下あたりから広がっているので、着た感じが心許ない。
 (こんなもの、女はよく着るよ)
 スネ毛が気になり、今日は柄物のパンストを履いた。
 (腋毛も気になるなあ)
 仕事が終わるのがひと月先ならば、剃ったとしても生えてくるだろうと思ったけれど、今度は松田だ。カーテン越しでそこまでは見られないだろうにどうして剃ったんだと笑われそうな気がする。
 (起きてきたときの松田の反応を見るか)
 そう考えながら、アリバイ工作のために掃除をしたりして窓のそばをうろうろした。

 正午になった。
 「おい! 松田! 12時だぞ!!」
 唸るけれど、なかなか起きない。
 「松田! 起きなくていいのか?」
 そばに行って身体を揺すると、寝ぼけた目をした松田が俺に抱きついてきた。
 「ユキちゃん。愛してる」
 「こ、こら! 俺だ! 放せ!!」
 頬をピシャリと叩くと、ようやく目覚めた。
 「ああ、ヒロシだったのか」
 「ユキちゃんって、誰だ?」
 「誰だ? ユキちゃんって?」
 床に脱ぎ捨てていたズボンを手に取って履き始めた。
 「俺の方が聞いてんだよ。俺に抱きついて、ユキちゃん、愛してるって言ってたぞ」
 苦虫を噛み殺したような顔をして、黙ったままベッドルームを出て行った。
 「おまえの姿、外から見られてもいいのか?」
 「一緒に暮らしてるんだからいいんだ」
 「ユキって誰だ? もしかして、そのことで良美と口論になって」
 「まあ、そんなところだ。それにしても、おまえ、なんて格好をしてるんだ?」
 振り向いて、俺の姿を見て笑う。
 「他の服は入らないんだよ。ウエストがきつくてな」
 「そうか? 入ると思ったけどな」
 「俺が着られそうな服を2、3着手に入れてくれないか?」
 「そうだな。1日中ネグリジェでいるわけにも行かないだろうからな。わかった。食料と一緒に手に入れてくる」
 言いながらまだ含み笑いをしている。
 「何だよ。何がおかしいんだよ」
 「その腋毛。何とかならないのか?」
 くすくす笑い始めた。
 「剃れってか?」
 「カーテン越しには見えないだろうがな」
 ついにげらげら笑い始めた。
 「剃ればいいんだろう? 剃れば」
 「おまえがそうしたければな」
 「俺は別に剃りたきゃないぞ。おまえが笑うから剃ろうかって言ってるんだ」
 「そうしてくれ。そのままでいたら、笑い死にそうだ」
 腹を抱えながらトイレに入っていった。そこまで笑わなくていいのにと思ったけれど、腋毛を剃る口実ができてよかったと思っていた。
 「ヒロシ、飯を作ってくれ」
 「飯なんか作れると思ってるのか?」
 「そうか。やっぱりな。じゃあ、昨日はどうしたんだ?」
 「冷凍ピラフをチンして食べた」
 「ああ、なるほどな。冷凍ピラフがあったか。ちっ! どうするかな。女がいねえとこんなとき困るな」
 まったくと俺も賛意を示した。
 「となると、当分は冷凍食品と言うことだな」
 「冷凍食品以外の食料品を買ってきて貰っても、調理が出来ねえからな」
 「仕方ねえな。さて、じゃあ、何にするかな?」
 冷凍庫を探り、ゴボウピラフを取り出してレンジの中に入れ、サーバーの中に残っていたコーヒーをカップに注いで飲み始めた。
 俺はサニタリーに行き、シェービングクリームを塗って腋毛を剃り落とした。見かけはすっきりしたけれど、腋がべたついた感じになって気持ちが悪かった。
 「おう、すっきりしたな。どうする? どうせやるなら、化粧もやったらどうだ?」
 ピラフを頬張りながら言った。
 「バカを言うなよ」
 即座に否定したけれど、洗面所の鏡で剃り上げた腋の下を見ているとき、化粧をしないとおかしいなと思っていた。
 「イヤならいいさ」
 「イヤ、待てよ。うっかりカーテンを開けてしまったときのことを考えると、化粧した方がいいかな?」
 白々しくそう言ってみた。
 「おまえも天の邪鬼だなあ。やれって言えば、イヤだと言うし、やらなくていいと言えば、やると言う」
 そんなところがあるのはわかっている。
 「いつもそう言われるよ。俺、決断力がないんだ。おまえが決めてくれ。どうしたら、いい?」
 「まあ、俺としては、腋毛まで剃ったんだし、化粧をして貰った方がいいわな」
 「わかった。やってやるよ」
 「やり方はわかるのか? 女を連れてきて教えて貰うわけには行かないんだぞ」
 「その辺に、化粧のやり方を書いた雑誌がある。それを見ながらやってみるよ」
 すでに試したことは当然話さない。話せない。
 「じゃあ、おまえが化粧をした姿を楽しみにしてるぞ。出掛けてくる」
 「どこに行くんだ?」
 「どこだっていいだろう? 良美みたいなことを言うなよ」
 少し怒ったような表情を見せて、松田は出て行った。俺は鍵を確かめると、サニタリーに行って服を脱ぎ始めた。
 俺がまずしようとしていたのは化粧じゃない。どうせやるなら徹底的にと考え、スネ毛も剃ることにしたのだ。そうすれば、服に合わないストッキングを穿かなくてすむからだ。それに俺は女の生足が好きだからだ。
 シェービングクリームをヘソから下に塗り広げ、女性用のシェーバーで剃っていった。
 (陰毛も少し剃った方がいいかな?)
 パンティーからはみ出ていた陰毛のことが気になっていた。
 (これくらいでいいだろうな)
 剃り終わって身体を拭き、パンティーを穿いてみた。まだかなりはみ出ていた。
 (ちっ! もう少し剃らないと)
 パンティーからはみ出ないほどに剃ると、陰毛がほとんど残っていなかった。その残った陰毛がやたら長いのが気になった。
 ハサミで短く切り揃えた。ずいぶん残っていると思ったのに、シャワーで洗い流すと、陰毛がほとんどなくなっていた。
 (チトやり過ぎたな)
 もはや元には戻せない。
 (ま、いいか。パンティーに完全に隠れてしまうから)
 ブラジャーをしてストッキングを詰める。
 (シリコンの人工乳房でも買って貰うとぐっとよくなるんだが・・・)
 そこまでやろうとしている自分がおかしい。ドレスを着た。パンストは履かなかった。スカートの裾から覗く足が綺麗だとほくそ笑んだ。
 (次は化粧だ)
 髭を剃ったあと、ベッドルームに行ってドレッサーの前に座り、手順に従って化粧を施した。
 (俺、天才かも)
 手順書を見ながらだけど、一発で綺麗に仕上がったのだ。鏡に全身を映してみた。男には見えなかった。

 夕方、食料品といくつかの服を買って戻ってきた松田は、俺の姿を見て、ぽかんと口を開けた。
 「おまえ、本当にヒロシか?」
 「これなら文句はないだろう?」
 「もちろんだが。すげえな。痩せてる上に女顔だとは思っていたが、これほど化けるとは。惚れちましそうだぜ」
 思い出してぞっとして鳥肌が立った。
 「バカなことを言うなよ。見かけは女でも俺は男だからな」
 「わかってるよ。そっちの趣味はないから安心しろ」
 冷凍食品を冷蔵庫に詰めると、松田はまた出掛けると言った。今度はどこに行くのか尋ねなかった。
 「麻雀の面子が足りないって呼ばれたんだ。2時頃帰ってくる」
 尋ねないのに、そう言い残して出掛けていった。
 (松田も天の邪鬼だよな)
 おかしくて笑ってしまった。

 夕飯をすませて歯を磨いていると、玄関の鍵が開く音がした。忘れ物でもして戻ってきたのだろうかと思っていると、首筋に冷たいものが当てられた。バタフライナイフだった。鏡に目出し帽を被った男の姿が映っていた。



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