第13章 瓢箪から駒


 俺が持っていたお守りの中に入っていた茶色に変色した紙切れには、次のように書かれてある。
 『名 廣志 昭和57年11月15日生まれ
         父 達川高廣
         母   芳恵』
 「この廣志とは、まさかキミのことではないだろうな?」
 視線を上げて俺に尋ねた。
 「そのお守りは、わたしが施設に捨てられたときに首にかけられていたものです」
 小野田の手がブルブルと震え始めた。
 「芳恵は子どもを産んでいないはずだ」
 「えっ! でも、孫娘を捜していたんじゃ?」
 「・・・あれは、儂の遊びだ。金の亡者どもが儂の孫だと思いこませようとして押し寄せてくるのを楽しんでいたんだよ」
 「じゃ、じゃあ。最初から偽物だとわかっていて、応対していたんですか?」
 「そうだが、これは・・・」
 小野田は紙切れをもう一度見直す。
 「前田。芳恵の日記を持ってきなさい」
 「はっ! かしこまりました」
 前田はバタバタと食堂を出て行き、しばらくして分厚い日記帳を持って戻ってきた。小野田はそれを受け取り、表紙に書かれている小野田芳恵のサインと紙切れに書かれた芳恵の文字を見比べている。
 「信じられん。芳恵のサインと同じだ」
 日記を捲り、『年月日』『父」『母』『川』の文字をひとつひとつ調べ、それから天井を見上げてハアと溜め息を吐いた。
 それから俺の顔を見た。
 「確かに達川に似ている。本当にキミは儂の孫なのか?」
 「わたしの口からは何とも。そのお守りはわたしの出生を証明するただひとつのものだとしか言えません」
 「・・そうか。わかった。儂の目にはこの紙に書かれた文字は芳恵のものに見えるが、専門家に鑑定を依頼してみよう。前田、すぐに手配してくれ」
 かしこまりましたと前田は頭を下げて出て行った。
 「良美、取り敢えず良美でよいな?」
 「あ、はい」
 「結論が出るまで、この屋敷にいなさい」
 「もし違っていたら?」
 「良美は儂を欺こうとしてはいない。だから、罰を与えるつもりはない。わかったね」
 「はい」
 俺は安堵し、肩の力を抜いた。

 小野田が出て行って数分後、メードがやってきた。
 「良美様、お部屋へご案内いたします。どうぞ」
 恭しく俺に言い、俺の先に立って案内し始めた。階段を上り、右手にある最初の部屋のドアが開かれた。
 その部屋は広さが10畳あまり、真ん中にセミダブルのベッドが置いてあり、左手にクローゼットと小さなタンス、シンプルなドレッサー、入って右の隅にテレビが据えられていた。これでバストイレがあったら、ちょっとした高級ホテルの一室だ。
 「ひと休みされてください。1時間ほどしましたら、浴室へご案内いたします」
 「着替えを持ってないんですけど?」
 「用意させていただきます。ご心配なく」
 メードは頭を下げて出て行った。
 (本当に小野田が祖父なんだろうか?)
 思いながらベッドの上に寝ころぶと、いつの間にか眠り込んでいた。

 ノックの音で目が覚めた。
 「はい?」
 「良美様、入浴の準備が整いました。浴室へご案内いたします」
 ドアを開いて入ってきたメードが丁寧に頭を下げて告げた。浴室は広くて明るくて清潔だ。解放された気分で入浴した。
 浴室を出て準備されていたバスタオルで身体と髪の毛を拭く。俺は脱ぎ捨てた衣服は消えていて、代わりにネグリジェとショーツが置かれていた。
 (うん。可愛いショーツだ)
 純白のビキニショーツで、レース使いがなかなかいい。
 (誰が手に入れたんだろうな)
 小野田のはずもないし、メードは40を越えた感じだ。こんなショーツを買ってくるとは思えなかった。
 ドライヤーで髪の毛を乾かし、手足や肌の手入れをしてからネグリジェを着た。これも純白だ。透けそうで透けていない。男が好みそうなものだ。
 (これは小野田の趣味かな?)
 もしそうだとすれば、ギャップが面白いと思った。

 部屋に戻ってすぐにメードがアイスクリームとフルーツを持ってきた。アイスクリームは凄く甘くて濃いものだった。昔の俺だったら、とても食えた代物ではないだろうけれど、今の俺には美味く感じれらた。フルーツも極上品だった。
 小野田は怖そうな男だけど、こんな生活も悪くないなと思った。

 ふわふわのベッド、寝心地はよかったけれど、何故か寝付かれなかった。小野田が俺のことを孫でないと判断を下したら、今度はただではすまないかも知れないと考えたからだ。
 (でも、俺はあのお守りを持っていただけで、騙そうとしている訳じゃないからな。小野田も危害は加えないと約束したし)
 大沢への仕打ちを思い出すと心配だった。

 翌朝、メードに肩を揺すられて起こされた。
 「申し訳ございません。何度もノックしたのですが、お起きにならないもので」
 「ごめんなさい。気がつかなくて」
 「お着替えです。洗面所に歯刷子を用意してございます。お着替えが終わりましたら、食堂へどうぞ。朝食の準備ができております」
 メードが置いていったのは、恐らくショーツとペアであろう純白のブラジャーにやはり白のブラウス、そして細かい襞が入った黒のスカートだった。
 ネグリジェを脱いでブラジャーを着ける。サイズは合っているけれど、ワイヤーが当たって少し痛い。
 ブラウスもスカートもシンプルなデザインだが、かなり高級品のようだ。生地はもちろん、作りががっちりしているのでそれがわかる。
 歯を磨いて洗面し、部屋に戻って化粧を施してから食堂へ降りていった。

 食堂には誰もいなかった。昨日と同じ場所に朝食が設えられてあった。俺が席に着くとすぐに湯気の立っている飯と味噌汁が運ばれてきた。小野田は姿を現さない。
 「あのう、小野田さんは?」
 メードは一瞬首を傾げた。
 「あ、ああ。ご主人様ですか。ご主人様は、お仕事にお出かけです」
 「もう、ですか」
 時計は午前7時半だ。
 「ご主人様は、お忙しい方で、毎日7時にはここを出ます」
 「へえ」
 70を越しているだろうに、元気だと思った。
 「良美様、こう言っては何ですが、小野田さんとお呼びになるのは・・・」
 「じゃあ、何と呼べばいいんですか?」
 「お祖父様とかはいかがでしょう?」
 「お祖父様? まだ、わたしの祖父だと決まったわけではないでしょう?」
 「それはそうですが・・・」
 小野田をお祖父様と呼ぶのはまだ怖い感じがするのだ。
 (この卵焼きは美味い。この塩鯖も極上品だ)
 卵焼きはふんわりとしていて、やや甘めだが、上品な味わいだった。塩鯖は俺が時々食う幕の内に入っているような代物とはまったく別物に感じられた。

 朝食を終え立ち上がるとき、ブラジャーのワイヤーが気になった。メードがそのことに気づいて、どうかしましたかと尋ねてきた。
 「ワイヤーが当たって」
 「そうですか。やはり試着してからないと行けませんね。のちほど、いくつか持ってこさせましょう」
 「えっ? 持ってこさせる?」
 「はい。出入の用品店に良美様の着る服を持ってくるように頼んでありますので、下着も持ってこさせようと思います」
 買いに行くのではなく、持ってこさせるというのが凄いと思った。

 午前10前、それらしき業者が大きなトランクをいくつか抱えてやってきた。
 「まず正確なサイズをお計りいたしましょう」
 トップバスト、アンダーバスト、ウエスト、ヒップはもちろんのこと、肩幅や腕の長さ、足の長さ、首周りなど、数え切れないほどメジャーが当てられた。
 「それではまず下着をごらんいただきましょう」
 トラックのひとつが開かれ、色取り取りの下着がベッドの上に並べられた。
 「お気に入りのものを身に着けてみてください」
 俺自身は、下着を選んだことがない。皆用意されたものばかりだ。
 (お気に入りって言われてもなあ。あ、そうか。俺が女に着せたいと思うものを選べばいいんだ)
 3つほど選んで試着した。ワイヤーは当たらず、いいようだ。
 「それでは、お洋服の方を」
 別のトランクには、ブラウスやスカートが、そしてもうひとつのトランクにはドレスのようなものが入っていた。
 それらのなから、やはりこんなものを着せてやりたいと思うものを選んで試着し、ブラウスを5着、スカートを3着、ワンピースを2着手に入れた。

 業者が帰ったあと、昼食になった。サラダとスパゲティーだった。ファミレスでしか食ったことがないので、美味いと言ったらなかった。

 午後はゆったりとした時間が過ぎていき、夕方戻ってきた小野田と共に夕食を取った。昨日とは違って、いろいろな料理が並べられていて、食べたいものを選んで食べるようになっていた。つまり、バイキングみたいなものだ。
 小野田は、俺とは会話せずにそそくさと食事を済ませて食堂から消えてしまった。
 (何だよ。ずっとこれかよ。娘が逃げ出すはずだぜ)
 またもやそう思ってしまった。

 食事以外は何もすることがない退屈な日々があっという間に1週間過ぎていった。いったいどうなってるんだろうと思い始めたその日の午後、メードが部屋にやってきて小野田が俺を呼んでいると告げた。
 メードは俺を小野田の書斎に案内した。小野田は椅子に腰掛けて書類を見ていた。
 「そこに座りなさい。コーヒーを頼む。良美はどうする? コーヒーでいいか?」
 「はい」
 「じゃあ、ふたつ」
 メードはかしこまりましたと頭を下げて部屋を出て行った。
 「さて、鑑定の結果だが」
 小野田がじろりと俺の方を見た。鑑定結果が違っているのではないかと一瞬訝った。
 「あの紙切れに書かれていた文字は間違いなく芳恵のものだった」
 「と言うことは?」
 「良美は、間違いなく儂の孫と言うことだ」
 怒ったような顔が急に柔和になった。笑顔さえ見える。
 「瓢箪から駒とはこのことだ。孫が見つかって嬉しいぞ」
 「あ、それはそうでしょうけど・・・」
 「どうかしたのか?」
 「孫と認めていただくのはいいんですけど、わたし、女にされてしまったんですよ。何と説明するんですか?」
 「お、おう。そうだったな。良美のままでは駄目か?」
 「名前はともかくとして、酒井良美を知るひとは結構いると思うんです。本物の酒井良美は、覚醒剤か何かの打ちすぎで死んだと大沢が言ってましたよね? 覚醒剤中毒だった良美が小野田さんの孫になってもいいものでしょうか?」
 「うーん。そうだな。覚醒剤は不味いな」
 「性転換を公表するのはもっと不味いでしょう?」
 「うーん。しかし、自分の意志で性転換したわけではないからなあ」
 「それはそうですけど、わたし、イヤです」
 「そうだろうな。となると、どうしたものかな?」
 小野田は腕組みをして考え込む。
 「孫娘を捜していると言わなければよかったな。しくじった・・・」
 ハアと溜息を吐いた。
 「最後の手段だ。伊藤に依頼して、女の戸籍を手に入れさせよう」
 「そんなこと、できるんですか?」
 「金さえ積めば、死人を生き返らせること以外だったらやれないことはない」
 小野田はにやりと笑って、早速電話をかけ始めた。
 「伊藤か? 急ぎの用事がある。すぐに屋敷に来い。すぐにだ! 他の用事は断れ! さっさと来ないと顧問弁護士を解任するぞ」
 かなり強引だ。金持ちの横暴かも知れない。

 30分ほどして伊藤がやってきた。
 「遅い!」
 小野田のカツに、伊藤は申し訳ありませんと頭を下げてから、事務所をすぐに出たのですがと続けた。
 「渋滞がなくても30分近く掛かりますので」
 「わかった。ともかくそこに座れ」
 小野田はインターフォンで新しいコーヒーを3つ持ってくるように依頼してから、咳払いをひとつして、話を始めた。
 「実は、キミが連れてきたこの良美が、儂の孫だと言うことがわかった」
 「あれは作り話では?」
 「それが、確たる証拠が出てきたんだよ」
 「どんな証拠でしょうか?」
 「それはキミが知らんでもよい。ともかく、良美はわたしの孫に間違いない」
 「は、承知いたしました。そう致しますと、遺言書の書き換えをせねばならないと言うことですね?」
 「うむ。それもあるのだが、実は、良美は戸籍上は男でな」
 「は? はあ?」
 「達川廣志、これが良美の本名だ」
 「え、ええっ!」
 伊藤はまじまじと俺の顔を見た。俺は恥ずかしくなって下を向いた。
 「性転換して女になったのだよ」
 「性転換! どうして、また?」
 「そこのところは、聞かないでくれ。でだな。性転換して女になっていることを公表したくないのだ」
 「わたくしにどうしろとおっしゃるのですか?」
 「女の戸籍を手に入れて欲しい。その女を知るものができるだけ少ない、かつ、犯罪に関わっていない綺麗な戸籍をだ」
 「戸籍を手に入れるだけでも難しいですが・・・」
 「そこを何とかするのが弁護士だろう?」
 伊藤は唸っている。これはかなり難しい注文だろうと俺は思っていた。

 小野田は近寄りがたい雰囲気で、その小野田が祖父だなんて、大変だろうなと思っていたけれど、俺を孫だと認めた瞬間から雰囲気ががらりと変わった。端的に言えば、ただの爺に成り下がったという感じだ。それは俺にとっては歓迎すべきことだ。
 今までいた部屋が変えられ、さらに広く豪華な部屋になった。メードから孫娘に相応しい部屋にしろと命じられて、カーテンはもちろんのこと、カーペットまで取り替えさせられたとのことだった。
 さらに、例の業者がトランクを抱えてやってきて、さらに数着のドレスを置いていき、別の業者がオーダーメイドのドレスを作ると言って再び採寸していった。
 俺の生活は一変した。

 10日後、伊藤が書類を抱えて屋敷にやってきた。
 「小野田様、戸籍を作って参りました」
 「どれどれ」
 小野田は戸籍謄本に目を通している。
 「よし。これなら完璧だ」
 小野田が俺に戸籍謄本を手渡した。それには、父・達川高廣、母・芳恵の間に生まれた長女・良美との記載があり、両親とも死亡になっていた。
 要するに、別の戸籍を手に入れたのではなく、生まれたのが長男の廣志ではなくて。長女・良美と変えられていたのだ。
 戸籍謄本と共に一葉の書類が入っていて、それにはこれまでの達川良美の履歴が記されていた。
 「この施設はすでに廃業していて、関係者もほとんどが死亡あるいは行方がわかりません。ですから、妙な人間があなたを訪ねてくることはないでしょう」
 伊藤は胸を張って俺にそう告げた。小野田が言うように確かに完璧な仕事だった。
 「大沢が何か言ってこないか心配です」
 「大沢? 良美は新聞を見ていないのか?」
 「えっ! どう言うこと?」
 「奴は事故で死んだよ。死人に口なしだ」
 笑顔を向ける小野田はやはり怖い男だと思った。小野田が事故に見せかけて大沢を殺したに間違いないだろう。
 「伊藤弁護士は大丈夫ですよね?」
 「あやつは大丈夫だ。もしこのことを公表すれば、自分の首を絞めるようなものだからな」
 「わたしの性転換手術をした医者は?」
 「奴も叩けば埃が出る人物だ。問題はない。それに、儂の孫娘にいちゃもんを付ける奴はいない。安心しなさい」
 戸籍が女なのだ。それも生まれたときから。だから、まず安心だと俺は思った。

 それから毎日、生け花や舞踊、料理などの習い事をさせられた。そして、小野田の孫娘となって1年後、見合いさせられた。
 「お祖父ちゃん、わたし、子どもが産めないのよ」
 「そんなことはどうでもいいんだ。相手が結婚を申し込んできたら、おまえはただ頷けばいい」
 この時ばかりは初めて会ったときの小野田の目になっていた。得体の知れない、怪物染みた目だ。俺はわかりましたと返事をするしかなかった。
 髪をアップに結い上げ、振り袖を着せられて見合いの席に望んだ。年齢が32だというその見合い相手の男は、体育会系でお世辞もいい男とは言えなかった。
 (こんな男と結婚しなければならないのか・・・)
 断りたいところだけれど、小野田の厳命に従って、結婚の申し出を受けた。

 招待客が1000人を超す披露宴が催され、そして新郎・大津一寿の仕事を兼ねた新婚旅行へアメリカへ渡った。
 新婚初夜、久しぶりに男を受け入れた痛みに顔をしかめると、大津は俺が処女だと思ったのか凄く喜んでいた。
 こどもができないことは織り込み済みだったらしく、不妊治療のことなどひと言もないまま5年が過ぎた。
 そして、その日がやってきた。小野田の寿命が尽きる日が。俺は入院している小野田から呼び出しを受けた。
 「良美、儂ももう長くない」
 「お祖父ちゃん、そんなこと言わないで。まだ大丈夫よ」
 「いいんだ。あとのことは伊藤に任せてある。奴の言いつけを守って、儂が築いた財産を守ってくれ」
 「お祖父ちゃん・・・」
 心優しい孫娘を演じ、俺は50億を超える財産を手に入れた。
 (ヒロシ、サンキュー。おまえに出会ったお陰でいい人生が送れそうだ)
 俺は心の中でほくそ笑んだ。



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