第11章 訪ねてきた男


 さらにひと月がたった。相変わらずの生活が続いていたけれど、このところ大沢の機嫌が良くないように感じる。俺にあたるとか言うことはないのだが、イライラしているようなのだ。もしかして仕事が上手く行っていないのかも知れない。
 「だから向こうからコンタクトはないんだな? くそっ! 苦労して準備したのに、何とかならないのか? 何か手はないか?」
 電話の様子からして、やはり仕事関係のことでイライラしているようだ。
 「あなた、コーヒー、ここに置くわよ」
 「あ、ああ。ありがとう。なに? しばらくゆっくりしてこいだと? ・・・ああ、なるほどな。わかった。そう言うことなら」
 携帯を切った大沢が、コーヒーカップを抱えて俺のそばにやってきた。
 「話は聞こえていたと思うが、みんながしばらく休暇を取らないかって言うんだよ」
 「休暇? 社長がいなくても大丈夫なの?」
 「社長というのは表向きの話で、共同経営だからな。うちの会社は」
 「そうなの」
 「新婚旅行に行ってないから、ついでに行ってこいって言うんだよ」
 「新婚旅行!」
 いい響きだ。是非行きたいと思った。
 「どこに行くの? 北海道? 九州? 沖縄?」
 「ありきたりだが、ハワイにしようかと思ってる」
 「ハワイ? それもいいわね」
 北海道も救急も沖縄も行ったことがない。ハワイはなおさらだ。俺としてはどこでもいいんだが、海外というのに心動かされた。
 「ただし、パック旅行じゃなくて、航空券とホテルだけを取って、自由気ままにすごそうと思う。それでいいだろう?」
 悪いはずがない。俺は大沢の首に抱きついてキスした。

 パスポートを取りに行った。大沢と一緒だし、すべての書類に間違いはないはずだけど、ドキドキした。
 (あ、酒井良美ならともかく、今は大沢良美なんだから、そんなに心配しなくてもいいんだ)
 そして、5年間有効なパスポートができた。女を示すFを見て嬉しくなった。俺は法律的にも女と認められているのだ。

 ガイドブックを買い込んで定番や穴場の観光地をリストアップし、行程を考える。が、すぐにどうしていいのかわからなくなった。
 「あなた、行きたいところを旅行会社に渡して、コースを作ってもらったらどうかしら? それに沿ってホテルも予約して貰うの」
 「そうだな。じゃあ、そうしてくれ」
 ちょっと気がなさそうに答えた。仕事の方に頭がいっぱいらしい。俺は早速旅行会社に赴いて、プランを作ってもらった。

 プランができあがり、航空券やホテルの予約が開始されたある日の午後、玄関のチャイムが鳴った。
 (誰だろう? 新聞代の集金かな?)
 それ以外のものは銀行引き落としになっているので、それしかないだろうなと考えながら、財布を手にして玄関に行った。
 「どなた?」
 《大沢良美さんはご在宅でしょうか?》
 液晶モニターにスーツ姿の男が映っていた。どう見ても新聞代の集金人には見えない。かといって、怪しげな雰囲気もない。
 「わたしですけど、どう言うご用件でしょうか?」
 《ドアを開けていただくわけには行きませんか? 直接お話ししたいのですが?》
 「すみません。わたし、ひとりですので」
 ここは常識的な線であろう。
 《あ、そうですね》
 少し考える様子を見せてから、男は再びインターフォンに向かった。
 《あるお方があなたにお会いしたいと申しておりまして。こうしてお迎えに上がった次第でして》
 「あるお方? いったい誰なんですか?」
 大沢良美としての俺に会いたいなどと言う人物などあるはずがない。
 《小野田留蔵と申しまして、あなたの祖父に当たる方です》
 ギョッとした。酒井良美に祖父がいただなんて。
 「わ、わたしには祖父などいません。お引き取りください」
 祖父などに会ったら、俺の正体がばれてしまう。断固拒否だ。俺は玄関から離れた。何度かチャイムが鳴ったけれど、無視していると、やがてチャイムは鳴らなくなった。
 (大変だ。どうすりゃ、いいんだ)
 食事の準備も忘れて、考え込んでいた。

 午後7時過ぎに戻ってきた大沢が、俺の様子を見て心配そうに尋ねた。
 「どうしたんだ? 何かあったのか?」
 「今日の午後、妙な男がやってきて・・・」
 「妙な男? いったい誰だ?」
 「それが・・・、わたしの祖父が会いたいって言ってるらしいの」
 「祖父? 良美の年からすれば、祖父さんがいてもおかしくはないが、おまえ、両親の名前も知らないんだろう?」
 「え? ええ。孤児院の前に置き去りにされていたから」
 酒井良美の戸籍には両親は不明と書かれていた。
 「祖父さんのことだって知らないよな?」
 「ええ」
 「その祖父さん、どうしておまえが孫だってわかったんだろうな?」
 「さあ・・・」
 そんなことわかるはずもない。
 「会いたいって言うのなら、会ってみたらどうだ?」
 「でも・・」
 「何を躊躇ってるんだよ。両親のことがわかるかも知れないんだぞ。むしろ会うべきだよ」
 俺は酒井良美じゃない。だから、会いたくないなどと大沢に言えるわけがないのだ。
 「間違いかも知れないわ」
 「間違いだったら、それでいいじゃないか。もしも本当だったら、祖父さんもできるし、両親のこともわかるし」
 大沢は簡単に言うけれど、それですまなかった場合が困るのだ。
 「連絡先は聞いておいたのか?」
 「聞いてないわ」
 「その男、また来るだろうな」
 「わからないわ」
 「孫って言うのは自分のこどもより可愛いと言うだろう?」
 「え、ええ」
 「だったら、必ず来るだろう。もし来たら、ボクに連絡を入れてくれ。ボクが一緒に事情を詳しく聞いてみよう」
 「そうね。そうしてもらえる?」
 俺としてはそう答えざるを得なかった。

 翌日の午後、やはり同じ男がやってきてチャイムを鳴らした。
 《昨日小野田留蔵の使いで来たものです。小野田氏からどうしても連れてきて欲しいと頼まれまして、もう一度伺ったのですが、会っていただくわけには行きませんか?》
 「わかりました。夫に連絡を入れますから、少し待っていただけますか?」
 《お待ちいたします》
 モニターに映った男は直立不動のまま待っていた。

 30分ほどたったとき、玄関先で大沢が男と話をする声が届いてきた。
 「取り敢えず、中で話を伺いましょう。入ってください」
 大沢がモニターに映っていた男と共に入ってきた。リビングに通された男は、スーツの内ポケットから名刺を取りだして俺に渡した。
 「小野田留蔵氏の顧問弁護士をしております伊藤と申します。急な訪問でさぞ驚きと存じます。事情を詳しくお話しいたしましょう」
 伊藤は持っていたスーツケースからいくつかの書類を取りだした。
 「大沢良美様、旧姓酒井良美様、昭和58年8月30日生まれ。本籍地大阪府。血液型はB型。間違いないですね?」
 「はい。そうです」
 酒井良美の戸籍ではそうなっている。
 「生後まもなく、天使の森・さくら園に置き去りにされているところを保護され、そのままさくら園で育ったと言うことですが?」
 「中学を卒業するまでです」
 これは俺自身が調べた。酒井良美としてのアイデンティティーを確かにするためだ。
 「その後東京に出てきた?」
 「ええ」
 「どうやって東京で暮らしていたんでしょうか?」
 「言いたくありません」
 言いたくても知らないから言いようがないのだ。それに、伊藤が調べてきたことと異なっていたらいいわけに困るからだ。
 「なるほど。そこのところは聞かないことにしておきます。2ヶ月前大沢氏と出会い、結婚。間違いないですね?」
 バーでホステスをやっていたことは調べが付いていると感じた。妙なことを言わなくてよかったとホッとした。
 「そうですけど。わたしがその小野田さんという方の孫という証拠か何かがあるんでしょうか?」
 「今から説明するところです」
 伊藤は別の書類を取りだした。
 「小野田氏には、芳恵さんとおっしゃるお嬢さんがおりましたが、30年ほど前、ある男と駆け落ちしてしまったのです」
 よくある話だなと思いながら聞いていた。
 「その5年後、芳恵さんは遺骨となって小野田氏の元に戻って参りました。死因は風邪をこじらせたための肺炎と言うことでした」
 「駆け落ちした男の人はどうなったんですか?」
 「芳恵さんが亡くなって半年ほどした頃、酒に酔って喧嘩をして刺されて死んでおります。その際、病院へ運ばれる救急車の中で、妻が死んでやむなくこどもを施設に捨てたと話したそうです」
 「その施設がさくら園だと言うんですか?」
 「いや、そこのところはわかっていないのです。わかっていれば、もっと早くにあなたを見つけ出していたことでしょう」
 伊藤は書類を捲りながら話を続けた。
 「芳恵さんと男が住んでいた場所がわかりましたので、年齢が5才以下で、施設に捨てられた、血液型がB型のこどもをその住所に近い施設から捜し始めました。しかし、見つかりませんでした。捜索範囲をさらに広げて探しましたが見つからず、10年以上がたってしまいました。それでも捜索は続けていたのです。さくら園に該当する子どもがいたことがわかったのは去年のことです。それが酒井良美さん、あなたです。ふたりの住居地が仙台でしたので、まさか大阪に捨てに行ったとは思っても見なかったのです」
 「本当にわたしなんですか? たまたま年齢が同じくらいで血液型が一致していただけではないのですか?」
 俺は酒井良美ではない。だから、何とかして逃れようと考えていた。
 「もしかしたら違うかも知れません。ただ、この条件に見合う人物は他にはいないのです。是非小野田氏と会っていただきたいのです」
 「良美、おまえの祖父かも知れないんだぞ。会った方がいいと思うよ」
 伊藤がお願いしますと頭を下げた。
 「小野田氏は小野田商事という会社の会長をされております。妻の満子さんは、20年前子宮ガンで他界。現在独り身です。今年73才になりますが、心臓を患っており、死ぬ前にお孫さんをその手に抱きたいとおっしゃっているのです。どうか、小野田氏の願いを聞き入れてください」
 小野田商事と言えば結構大きな会社だ。その会社の会長の孫娘となれば、今よりもずっといい暮らしができると俺の中に住んでいる悪魔が囁いた。
 「そんなにおっしゃるのなら、会うだけ会ってみます」
 謙遜気味に俺は答えた。

 伊藤が手配した車で、俺と大沢は小野田留蔵の屋敷に向かっていた。
 「小野田さんがおまえの祖父だといいね」
 大沢はニコニコしながら俺に言った。天涯孤独とされている良美に親族が見つかるというのは確かにめでたいことだろう。
 「ええ、そうね」
 俺としては、小野田留蔵が惚け老人であって欲しいと願っていた。俺を孫と認めて、財産を相続させると言ってくれることを夢見ていた。
 「さあ、着きましたよ。ここが小野田氏の屋敷です」
 屋敷の想像以上の大きさに驚き、うまく行けばこれが手に入るんだと心の中でほくそ笑んでいた。

 広い応接間に通され、メードらしい女が紅茶を運んできた。しばらく待っているとドアが開いて、車椅子に乗った老人が執事ふうの男に押されて入ってきた。
 老人の目には鋭い光が感じられ、これは欺せないと感じた。例え酒井良美がこの男の孫娘であったとしても、違うと言って逃げた方がいいと感じた。大沢との生活で充分だ。高望みしない方がいいと考え直していた。
 「伊藤、その子か?」
 「はい。大沢良美様。旧姓酒井良美様です。こちらはご主人です」
 伊藤が大沢を紹介し、大沢は小野田に向かって頭を下げた。俺はあまりの威圧感に身動きができなかった。
 「良美か。いい名前だ。こっちへ来て、よく顔を見せなさい」
 小野田が少し笑顔を見せて言った。
 「ホントにお祖父さんなんですか? わたし、信じられません」
 俺は完全に逃げ腰になっていた。
 「娘には似ていないが、あの男に似ているな。伊藤、そうではないか?」
 「はい。わたくしもそう思っておりました」
 「似ている、似ていないだけで、孫娘と判断するのはおかしくありませんか?」
 俺がそう言うと、小野田は首を傾げた。
 「儂の孫娘となれば、何十億という財産が手に入るのだぞ。それでもそう考えるのかな?」
 何十億という言葉にぐらっと来そうになった。けれど、俺は酒井良美ではないのだ。それに、この老人は一筋縄ではいかない。俺の勘がそう知らせていた。
 「確たる証拠がなければ、簡単にお決めにならない方がいいと思いますけど」
 「お、おい。良美。小野田さんはおまえが孫だと言ってるんだぞ」
 大沢が少し青くなって横から言った。
 「わたしくらいの年齢で血液型がBで、施設に捨てられて両親の名前がわからない子ならいくらでもいるわよ」
 「良美。いくらでもいないから、こうして連れに来てくれたんだろう?」
 「でも、違うかも知れないでしょう?」
 「しかしなあ」
 「わたし、財産なんていらないわよ。あなたさえいてくれたらいいいの」
 もちろん、大沢程度の経済力があればいいという意味も含めてだ。
 「気に入った。良美さんと言ったな。儂はあんたが儂の孫娘だと信じとる。例え孫娘だなかったとしても、財産をあんたに譲ろう」
 ホントですかと喜びの声を上げたのは大沢だった。俺は半信半疑でその言葉を聞いていた。

 ディナーをご馳走するからと言うこうことで屋敷に留まることになった。大沢は屋敷に置かれている調度を見て、みんな俺たちのものになるんだなと嬉しそうな声を上げていた。
 (こんな浅ましい男だとは思わなかったな)
 大沢に少しがっかりしていた。
 「ディナーの準備が整いました。食堂へどうぞ」
 執事らしき男が迎えに来て、食堂へと移動した。
 (うわあ、広い)
 俺と大沢が住んでいるマンション全体くらい広いのだ。屋敷の主人が座る場所に小野田が陣取り、その右側の俺と大沢が座った。俺のちょうど真向かいに伊藤が腰を下ろした。
 「じゃあ、始めてくれ」
 メードたちによって料理が運ばれてくる。前菜に始まり、スープや魚料理、肉料理とまるでフルコースのような料理だ。専属のシェフでもいるようで、まるで高級レストランに行ったように感じられた。
 最後にコーヒーが出たところで、小野田がおもむろに尋ねた。
 「大沢君は、どんな仕事をやっているのかな?」
 「は? わたしですか? わたしは、不動産関係の仕事をやっております」
 「不動産関係の仕事? どのような物件を扱っているのかな?」
 「あ、そうですね。主にマンション関係を扱っております」
 「マンション関係だね?」
 「はい」
 「会社の名前は?」
 「えっ! 会社ですか? 会社の名前は・・・」
 言い淀む大沢に、そう言えば俺も聞いていなかったなと思った。
 「自分が社長をしている会社の名前がすぐに出てこないのかね?」
 「あ、いや。いわゆる会社としては登録しておりませんで・・」
 大沢は汗を拭う素振りを見せた。
 「登録しないで不動産売買がやれるのかね?」
 「そ、それは・・・」
 「会社など経営していないんだろう? この女を儂の孫娘に仕立て上げて、夫として儂の財産をかすめ取ろうとしたんだろう?」
 違いますと大沢は首を振った。俺にはどうして小野田がそんなことを考えるのかわからなかった。
 「小野田さん、わたしはあなたの孫娘じゃないと言ったのに、孫娘だと言ったのはあなたですよ。それを大沢がわたしをあなたの孫娘に仕立て上げただなんて。どう考えてもおかしくありませんか?」
 「キミは何も知らないで、この男の片棒を担がされたようだな」
 「そんなことはありません。大沢はわたしがホステスをしていたときに偶然やって来たお客で」
 「偶然? キミを利用するために、偶然を装ったと考えることはできないのか?」
 「そ、それは・・・」
 俺は大沢を見た。大沢は憮然として腕組みをしていた。
 「どうやら図星のようだな。ところで、大阪の施設で拾われて15年の間大阪で育ったというのに、キミには関西訛りがまったくないな? どうしてだ?」
 ホステス仲間に言ったような言い訳はできない。俺は言葉に詰まった。
 「キミは儂の孫娘ではないと言ったが、酒井良美でもないのではないのか? 正直に言いたまえ」
 射貫くような目で睨まれ、俺は後先のことも考えずにハイと答えてしまった。



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