第1章 借金返済の代わりに


 最後の玉が虚しく転がって穴の中へと消えていった。
 (くそ! あそこで止めとけば、3万はあったのにな)
 いつものことなのに、そこで止められないのが、俺の悪いところだ。ポケットの中を探り、最後のコインを手にする。
 (これを使っちまうと、飯代がなくなるな)
 朝から何も食っていないのだ。どうしようか迷ったあげく、投入して玉を出す。アパートの戻れば、真夕美が何か食わせてくれるだろうと考えたのだ。しかし、それらの玉もあっという間に消えてなくなってしまった。
 タバコを吸おうとして箱を取り出してみたけれど、もはや1本も残っていなかった。タバコの箱を捻り潰して、椅子を立ち上がった。
 店の外に向かいながら、午前中やっていた台でドル箱を重ねている奴を見て、どうしてあそこで頑張らなかったのかと、自分で自分に腹を立てた。
 捻り潰したタバコの箱をゴミ箱に叩きつけるようにして捨てて店の外に出た。
 「いよう、ヒロシ。調子はどうだ?」
 いかにもという格好をした松田が、歩み寄ってきた。
 「まあな」
 「わかってると思うが、明後日が期限だぞ」
 「わかってるさ。間違いなく返すよ」
 「返せなかったら、どうなるかわかってるな?」
 わかってると答え、そそくさと松田から逃げていった。
 (何か一発当てられないかな)
 宝くじでも当たればいいけれど、その宝くじを買う金もない。それに、当たったとしても、支払いがあるのはずっと先のことで明後日には間に合わない。
 (参った。賭け麻雀なんて、やらなきゃよかった)
 俺も弱い方じゃないけれど、相手がものすごく強かった。最初から最後まで押されっぱなしで、気がついたときには200万の借金ができていた。その支払い期限が明後日に迫っているのだ。
 賭け麻雀など、違法行為の借金だから、支払わなくてもいいと素人衆は言うだろう。ところが、そう言うところに顔を出す様になってからは、支払わないなんてことができないことが充分わかったのだ。
 小指がなくなるくらいなら、御の字。下手をすれば、東京湾の魚の餌だ。
 (どこへ逃げても追ってくるだろうし・・・。ああ、参った)
 とぼとぼとアパートに歩いて戻った。
 「あんた! どこ、行ってたのさ!」
 真夕美が、鏡に向かって化粧を施しながら問う。
 「どこだって、いいだろう?」
 「また、パチンコでしょう!」
 俺は答えずに、鏡台の上に置いてあったタバコのケースを手に取ろうとした。
 「ひとのものを勝手に吸わないでよ!」
 「おまえのものは俺のものだ」
 「何が、おまえのものは俺のものよ! ろくな稼ぎもない上に、女も満足させられなくて」
 これには相当むかついた。
 「満足してないってか!」
 「ええ。でかけりゃいいってもんじゃないわよ」
 「早漏でも包茎でもないぞ。他に何がいるって言うんだよ」
 「愛情よ」
 「愛情? 愛情が聞いて呆れるぜ。17や18の小娘じゃあるまいし」
 「あんたは駄目よ。女の気持ちなんて、ちっともわかってないんだから」
 「俺は男だからな」
 無理矢理タバコを取り上げて、火を付けた。ふうと煙を吐きながら、真夕美の足元に転がっていたバッグを取り上げた。
 「あんた! 何をするのよ!」
 俺は真夕美を無視してバッグを開き、財布の中から万札を取り出した。
 「もう! 駄目だってば!!」
 俺の腕にしがみついて金を取り戻そうとするけれど、そこは男と女の力の差だ。俺は真夕美の腕を振り切って、アパートを飛び出した。
 「もう戻ってくるな!」
 叫ぶ真夕美。
 (あんなことを言ったって、帰れば、ベッドに引っ張り込む癖して)
 俺はまっすぐに焼き肉屋へ向かった。

 ビールを飲みながら焼き肉をたらふく食ってアパートに戻る。何が気にくわないのか、犬が俺に吠え掛かってきた。じわっと距離を詰めていって、蹴飛ばしてやった。
 「ふん、馬鹿犬が」
 キャイン、キャインと泣き叫びながら走り去っている犬を見ながら、アパートの階段を上っていった。
 「帰ったぞ」
 ドアを開いて、部屋の中に異変に気づいた。真夕美がいないのは、時間的に見れば、仕事に出掛ける時間だから、それはそれでいい。しかし、真夕美の持ち物が見あたらないのだ。例えば、壁のハンガーに吊られているワンピースとか、ドレスとか。それに、棚の上に置かれていた人形などだ。
 奥の部屋にあるタンスを引いてみた。真夕美の服が一着も入っていなかった。
 (出て行ったのか?)
 それは紛れもない事実だった。
 (くそ! ま、いいか。また、戻ってくるさ。戻ってこなけりゃ、別の女を見つければいいさ)
 部屋の奥に敷かれたままのせんべい布団に潜り込んで眠った。

 どこかで何かが鳴っている。うるさいなあと考えながら、携帯の着信音だと気づいた。枕元に置いていた携帯を取り上げる。
 「もしもし」
 《ヒロシか? 俺だ》
 松田だ。独特のだみ声だからすぐにわかる。時計を見ると、午前5時半過ぎだった。
 「期限は明日だろう?」
 《そっちの話じゃないんだ。ちょっと、来てくれないか?》
 「来てくれって、どこに?」
 明日まで待てなくて、今からリンチにでも掛けるのではないかと俺は恐れた。
 《3丁目にあるサンセットマンションだ。303号室だ。急いで来てくれ》
 切羽詰まった言い方だ。
 「本当に借金の件じゃないんだな?」
 《言っただろう? 違うって。もし来てくれたら、借金を棒引きにしてやってもいい》
 「ホントか?」
 《俺が嘘を言ったことがあるか?》
 いつも嘘だらけだと思うが。
 《ともかくすぐに来てくれ。恩に着るから》
 珍しく下手に出ている。借金を棒引きにしてくれるというなら、行かざるを得ない。俺は脱ぎ捨てていたジャケットを羽織ってアパートを駆け出した。

 サンセットマンションは俺にアパートから歩いて10分ほどの場所にある。マンションとは名ばかりで、少し上等なアパートと言ったところだ。
 (303、303)
 階段を駆け上って、303号室のチャイムを鳴らした。ガチャリとドアが開いて、松田が頭だけを覗かせ、部屋の外を見回してから、俺に中に入るように命じた。
 「朝っぱらから、いったい、何の用だよ?」
 「誰にも言ってないな?」
 「何を?」
 「おまえがここに来るってこと」
 「言ってないよ」
 「おまえのスケにもか?」
 俺は頷いた。出て行ったとは言えなかった。まだ、確定したことではない。真夕美はこれまでも2度ほど出ていっては、数日で戻ってきていた。俺のデカマラから離れられないのだ。
 「ちょっと、こっちへ来てくれ」
 松田はドアに鍵を掛け、さらにチェーンも掛けてから、俺を奥の部屋へと誘った。松田はベッドルームのドアを開いた。ベッドの上に全裸の女が横たわっていた。寝ているにしては何だかおかしい。
 「死んでるのか?」
 「夕べ、ちょっとしたことで言い争いになって、殺っちまったんだ」
 松田はベッドルームから俺を押し出してドアを閉め、ソファーに座るように言った。
 「どうするんだよ?」
 「どっか、山ん中に埋めようと思う」
 「俺に手伝えってか?」
 死体遺棄の共犯が、借金棒引きの条件かと考えた。
 「いや、埋めるのは俺がやる」
 (違うのか?)
 俺は首を傾げた。
 「じゃあ、俺は何をすればいいんだ?」
 「アリバイ作りをして欲しい」
 「アリバイ作り? 誰の?」
 「良美のだよ。良美って言うのは、あいつのことだ」
 ベッドルームの方を顎で差して言った。話が見えない俺は、ハアと聞き返した。
 「あいつがまだ生きているって装いたいんだよ」
 「どう言うことだ?」
 「おまえ、細いだろう? あいつの格好をして、うろうろしていて欲しいんだよ」
 「ば、馬鹿な!」
 「頼む! この通りだ。借金もゼロにしてやるから。頼む。頼むよ」
 土下座して床に頭をすりつけるようにして言う。
 「例え俺が、良美とか言う女の服を着たって、女には見えないだろう?」
 「それがな。そこのカーテンだが、良美は夜が明けると、レースのカーテンを残して開けるんだよ。それから、ネグリジェ姿で、コーヒーを沸かして飲みながら、おまえが座っている場所で新聞を読むんだ」
 「だから?」
 「このマンションの向かいにあるアパートの住人が、しばしばそんな良美の姿をのぞき見しているらしい」
 「ちゃんとした服に着替えるか、カーテンを閉めとけばいいのに」
 「見せるのが趣味なんだよ、良美の奴は」
 「いわゆる露出狂って奴か?」
 「ああ。時々、裸になって、見せているらしい。カーテン越しだがな」
 「カーテン越し? ああ、カーテン越しだから、俺がネグリジェを着てカツラでも被ってここで新聞を読めば、良美に見えるって寸法だな?」
 「そうなんだ。やってくれるな?」
 体格的には松田では無理だ。細い俺に適任と言うことだ。
 「死体の方は触らなくていいんだな?」
 「触らない方がいいな。アリバイ作りだけなら、良美が死んだことは知らなかったって言い訳できるじゃないか。おまえにとってはいい条件だろう?」
 「それで借金を棒引きにしてくれるんだな?」
 「ああ。間違いなく」
 ネグリジェを着るのは恥ずかしいような気がするが、指を詰められたり、殺されたりするよりはましだと考えた。
 「ネグリジェとカツラは?」
 「やってくれるんだな?」
 「おまえのためだ」
 当然俺のためでもある。
 「待ってろ。すぐに取ってくる」
 松田はベッドルームへ戻り、すぐに白いネグリジェとカツラを持って戻ってきた。
 「これ、穿くのか?」
 黒のパンティーがネグリジェの上に乗っていたのだ。
 「ヒロシ、おまえ、トランクスを穿いているだろう?」
 「そうだけど?」
 「カーテン越しだと言っても、ネグリジェの下にトランクスを穿いているのがわかったら不味いだろう?」
 「あ、そうか・・・」
 毒食らわば皿までかと考え、わかったと返事をした。
 「じゃあ、俺は、死体を旅行鞄に詰めるから、その間に着替えてくれ」
 松田はベッドルームへ引っ込み、俺は、着替えを始めた。着ていたものを脱いで、黒のパンティーを穿いた。
 (こんなもの、脱がせるもので、自分が穿くとは思ってもみなかったな。やべ! 勃ってきた)
 ネグリジェを頭から被って隠した。隠したと言っても、ネグリジェが短いから、ようやく隠れるほどだ。
 それから、カツラを被る。
 (鏡は?)
 洗面所に行き、鏡を覗いてみた。
 (これで女に見えるかな?)
 絶対に女には見えないだろう。けれど、カーテン越しなら、女に見えるかも知れない。
 「ヒロシ、用意はできたか?」
 重そうに旅行鞄を引っ張り出しながら、松田が声を掛けてきた。
 「これで女に見えるかな?」
 「大丈夫だろう。ともかく、さっき言ったようにやってくれ」
 「カーテンを開いて、コーヒーを飲みながら、ソファーに座って新聞を読むんだな?」
 「そうだ。カーテンを開くのは、9時過ぎでいいぞ。良美は寝坊だからな」
 「まだ、3時間以上もあるじゃないか」
 「ヒロシの方はいいが、俺の方は人目に付くといかんだろう?」
 「あ、そうか。運ぶの、手伝おうか?」
 「馬鹿だな、おまえは。その姿を人に見られたら、それこそ身も蓋もないだろう?」
 「あ、そうか。おまえひとりで運べるのか?」
 「廊下に出てしまえばな」
 車が付いているから、押していけるのだ。
 「俺が部屋から出たら、鍵をがっちり掛けておけよ。俺以外の人間が来たら、絶対に入れるなよ」
 「それくらいわかってるよ」
 俺の返事を聞くと、松田は部屋のドアを開き、外をキョロキョロと見回してから、旅行鞄を外に押し出した。
 松田が部屋から出ると、俺は鍵を掛けて、チェーンを引っかけておいた。リビングに行ったとたん、携帯が鳴った。
 《もしもし、俺だ》
 「どうしたんだ? 誰かに見つかったのか?」
 《違うんだ。ベッドのシーツを洗っといてくれ。それから、冷蔵庫の中やその辺にあるものは何でも食っていいからな》
 「わかった」
 携帯を切って時計を見た。まだ10分しかたっていない。
 (この時計、していてもいいんだろうか?)
 大振りのごつい時計だ。女がしているのはおかしいと感じ、腕時計を外して、脱いだ服の上に置いておいた。
 (コーヒーって、インスタントなのか?)
 調べてみると、マメを挽いてドリップして作るようだ。玄関の方からガタンと音がして、心臓が止まりそうになる。
 (新聞が来たのか。今読むわけには行かないな)
 うろうろしながらベッドルームを見る。さっきまで良美とか言う女の死体が横たわっていたベッドルームだ。気持ちが悪いったらない。
 (シーツを洗っといてくれ? 中に入らないといけないんだよな。参ったな)
 恐る恐るベッドルームのドアを開いて中を覗き込む。当然の如く、何もない。幽霊もいないようだ。
 シーツを外す。大急ぎで丸めて、バタバタと走って洗濯機の中に放り込んでおいた。で、洗面台の鏡をもう一度見た。
 (これじゃあ、いくらなんでも)
 ブラシを掛けてみた。少しはましになったような気がした。
 (うーん。胸がなくてもいいのか?)
 カーテン越しだから、膨らみなんてわからないだろうと思う。けれど、もし、膨らんでいないと思われたらいけないと考え始めた。考え始めると気になって仕方がない。
 (ブラジャーか・・・)
 良美とか言う女じゃないと疑われたら、200万の借金を返す宛てがなくなってしまう。そうなったら、困るのだ。
 俺は意を決して、ベッドルームへ入っていき、タンスを開いた。パンティーと同じ黒のブラジャーを探す。
 ネグリジェを脱いで、ブラジャーをする。
 (何か詰め物をしないと・・・)
 別の引き出しを開くと、ストッキングが入っていた。それを丸めてカップの中に詰め込む。鏡に映してみると、見た目はいいようだ。ネグリジェを頭から被り尚し、もう一度ブラッシングしておいた。
 (まだ2時間半もあるか)
 もう何もすることがない。そう思うと眠くなってきた。死体のあったベッドの上では寝る気がしない。だから、ソファーの上に寝転がって目を閉じた。
 目を剥き、舌を半分以上突きだした良美という女の死体が目の裏に焼き付いていて、なかなか寝付かれない。しかし、寝返りを打っているうちにいつの間にか眠り込んでいた。

 またもや携帯の着信音で起こされた。松田からだ。
 《そろそろ9時だぞ。アリバイ工作は始めたか?》
 「今から始めるところだ」
 左手だけで伸びをしながら答える。
 《じゃあ、しっかり頼むぞ》
 「わかってるよ」
 携帯を切って早速行動開始だ。カーテンに手を掛けたけれど、開くのに少し躊躇った。しかし、勇気を振り絞ってカーテンを開いた。部屋の中が一気に明るくなった。
 俺はそのままキッチンへ歩いていき、コーヒー豆をミルで挽き、フィルターを取り付けてお湯を注いだ。
 (インスタントと違っていい香りだなあ)
 そう思いながら、玄関に新聞を取りに行った。新聞を手に戻ると、コーヒーがカップの中に溜まっていた。カップを持ってソファーに移動して、新聞を読み始めた。
 (女はどうやって新聞を読むんだろうな? 両手で開いて読むか? いや待てよ。真夕美はテーブルの上に置いて読んでいたな。うん、そうするか)
 それがいいのか悪いのかわからない。しかし、そうするしかないと思ったのだ。

 1面からじっくりと読み進んでいった。こんなに真面目に新聞を読んだのは初めてだ。それでもやがてテレビ欄へ達した。コーヒーも飲み終わった。壁に掛けられている時計は午前11時を指していた。
 (これからどうすればいいんだ?)
 俺は携帯を取りだして、松田に電話を掛けた。
 「新聞を読み終わったぞ。次はどうすればいいんだ?」
 《洗濯はしたか?》
 「まだだが、あれはスイッチを入れるだけだろう?」
 《そうだな。ネグリジェを別の服に着替えて、掃除でもしておいてくれ》
 「はあ? スカートを穿けってか?」
 《ジーンズでも悪くはないが、良美に見えるようにスカートの方がいいだろうな》
 「・・・わかったよ。で? いつ頃戻ってくるんだ?」
 《まだ埋める場所を探してるところだ。真っ昼間になってしまったからな。夜まで待って、それから適当な場所に埋めるさ》
 「じゃあ、当分戻ってこられないのか?」
 《そうだな。早くても明日の朝だ》
 「それまで、ずっと女の格好をしてアリバイ作りをしておかないといけないのか?」
 《当たり前だ。200万の代わりなんだぞ。簡単に仕事が終わると思うなよ》
 そう言われれば、確かにそうだ。わかったと返事をするしかなかった。



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