第5章 儀式

 儀式が行われる2日前の午後、車が停まる音が耳に届いた。そろそろ太田弁護士が様子を見に来る頃だ。太田弁護士にもボクの女声の感想を尋ねてみようと思い、咳払いをひとつして女声を出す準備を整えた。
 「美子! 美子! いるのか?」
 廊下をバタバタ歩きながら叫ぶ声に聞き覚えはなかった。ボクは身を固くした。バタンとドアが開いた。やはり太田弁護士ではなかった。
 「美子。いたか。相変わらず美人だな」
 にこやかにボクに近寄ってくる男。雰囲気からすると、美子さんの親族らしい。年齢的には40半ばくらいと想像する。
 (美子さんの叔父さんかな?)
 ボクにハグしてきた。葉巻らしいいい香りがした。
 「どうした? わたしの顔を忘れたか?」
 ボクは慌てて首を横に振った。
 「優次郎様。お早いお帰りで」
 里子さんが狼狽えた表情をして入ってきた。ボクが美子さんでないことがばれないか心配なのであろう。優次郎というのは亡くなった海壱郎の弟だと聞いているから、美子さんの叔父に間違いない。
 「美子の顔を早く見たくてな」
 優次郎さんはボクの肩を両手でつかんで、ボクの顔をじっと見つめている。ばれないかともう心臓がバクバクだ。けれど、その表情からするとばれていないようだ。
 「具合が悪いと聞いていたが、もういいのか?」
 そんなことは初耳だ。けれど、うんと頷いておいた。
 「優次郎様。向こうでお茶でも?」
 オロオロしながら里子さんが尋ねた。
 「そうだな。美子。おまえも一緒に行こう」
 ボクの腰を抱いてドアに向かって歩き始めた。ボクから引き離そうとした里子さんの意図は外れた格好だ。里子さんを見ると、仕方ないわねと言うような困った表情を見せた。
 廊下を歩いて食堂へ入っていく。
 「シゲさん! コーヒーを入れてくれ。美子はミルクティーでよかったな?」
 シゲさんが持ってくるのはいつもミルクティーだから、美子さんの好みなのであろう。ボクは頷いた。
 「シゲさん! 美子にミルクティーだ」
 厨房に向かってもう一度叫び、ボクを椅子に座らせて自分はボクの反対側に腰を下ろした。そうしてから、スーツの内ポケットから銀色のケースを取り出して中から葉巻を一本手に取った。紙巻きタバコを吸うよりもずっと高級に見える。
 「いらっしゃいませ、優次郎様」
 シゲさんが頭を下げながらコーヒーの入ったカップを置き、ボクの前にもティーカップを置いた。
 優次郎さんは、葉巻の煙をふうと吐いてから、コーヒーを一口飲んだ。
 「美子、22になったんだったな?」
 美子さんは1月で22歳になっていた。ボクより二つ上と言うことになる。優次郎さんはボクの顔を穴が空くほど見つめる。その眼差しは、叔父と姪の関係を超えているように思えた。
 「久しぶりにわたしが来たというのに、ひと言もしゃべってくれないんだな?」
 ギャアア、万事休すだ。里子さんは優次郎さんの後ろであたふたしている。こういう事態は予想できただろうに、どうやるつもりだったんだろうと思う。
 「どうかしたのか?」
 優次郎さんがボクの目の中を見つめる。ままよとばかり、ボクは咳払いをしてから言った。
 「ちょっと風邪気味なの。声が変わってしまって」
 「そうなのか。式が近いというのに、それはいかんな。薬は飲んだのか?」
 「いえ」
 「里子さん! 美子の健康管理はあなたの役目だろう? しっかりやって貰わなければ困るな!」
 「は、はい。すぐに薬をお持ちいたします」
 里子さんはボクの顔を見て、ちょっと笑いを浮かべてから食堂を出て行った。優次郎さんはにこやかに話をする。矢木沢家の継承順位は、優次郎さんは美子さんに次いで2番目だと聞いた。つまり、美子さんがいなければ、優次郎さんが矢木沢家を継ぐことになるのだ。だから、美子さんがいなければいいのにと思っているのではないかと考えていたのだが、どうもそんな雰囲気はない。財産争いなどないのかもしれないなと思った。
 「お嬢様、お薬をお持ちいたしましたわ」
 里子さんが薬をボクの前に置く。すぐにシゲさんがコップに入った水を持ってきた。ボクが女で、美子さんに成り代われるものならいいなと思った。

 その後、三々五々矢木沢家の親族が集まってきた。儀式の前日には20人ばかりとなり、広い座敷で前祝いの宴会が行われた。
 風邪気味というボクの言い訳を誰も疑わないのが不思議だけれど、それは化粧したボクの顔が美子さんに極めて似ているからに他ならない。もちろん、身長や体格もほぼ同じだと言うことだ。

 そして儀式の朝がやってきた。
 (このまま美子さんとして家督を引き継いでいいのかなあ。当主なんかになりたくないからどこかに雲隠れしてるんだもんな)
 そんな考えを里子さんにぶつけてみた。
 「お嬢様は本家の血筋ですから、逃げるなんてことは許されないのです。一度分家に渡ってしまえば、二度と取り戻せないんですから、一時の感情に振り回されていては駄目なんです」
 「ホントにいいんですね?」
 「先になれば、お嬢様もきっとあなたに感謝すると思いますわ」
 「わかりました。そういうことなら、やります」
 軽く朝食を終えてから準備に入った。
 「ええっ! 和服なんですか?」
 「そうですよ」
 里子さんは、素っ気なく答えた。
 「だったら、あんなに徹底した脱毛なやらなくてもよかったんじゃないですか?」
 「何がどうなるかわからないのが世の常です。万全を期すのがわたくしの役割ですからね」
 ぴしゃりと言われるのはいつものことだ。長襦袢に手を通し、白い足袋を穿いた。
 「さあ、化粧を」
 和服用の化粧はいつもとは違う。けれど、かなり白塗りなのは同じだ。化粧がすむと、髪の毛をまとめられて、カツラがかぶせられた。
 (あれ? このカツラは・・・)
 かなり派手なカツラで、どこかで見た覚えがあった。それが何なのかわかったのは、長襦袢の上に着物を着せられた後だ。
 「里子さん、この着物は?」
 「儀式用ですわ」
 「儀式って、まさか」
 「そのまさかです」
 儀式とは結婚式のことだ。ボクがかぶっているカツラは文金高島田で、衣装は花嫁衣装だった。
 「誰と? 相手は?」
 「お嬢様がよくご存じの方です」
 思い当たるのは一人しかいない。
 「太田弁護士なんですか?」
 里子さんの表情からするとボクの考えは当たっているようだ。
 「太田弁護士は美子さんよりかなり年上でしょう?」
 「35です」
 「当主になるのがイヤだったんじゃなくて、太田弁護士との結婚がイヤだったんでしょう?」
 「そんなことはありません。年齢は少し離れていますが、矢木沢家の誰もが認める仲なのです。イヤでも結婚はさせます」
 「どうして里子さんがそんなことを強制できるんですか!」
 「お嬢様は、・・あの子は、・・わたしの子どもだからです」
 これ以上のショックはなかった。
 「美子さんの母親は美子さんを産んだときに亡くなったって・・」
 「詳しいことは聞かないでください。ともかくあの子は、海壱郎とわたしの子どもで、あの子の幸せのために太田さんと結婚させて、矢木沢家を継がせたいのです。あの子が矢木沢家を継げなければ、ただの妾の子どもになってしまうのです」
 「そのことを美子さんは、美子さんは知っているのですか? あなたが実の母親だってことを」
 「知りません。知らせてないのです。わたしのようなものが母親だなんて、知らせたくなかったのです」
 里子さんは涙を流す。
 「お願いします。母親として、あの子を幸せにしてあげたいのです」
 好きでもない男と結婚することが幸せなのだろうかとボクは思った。けれど、里子さんの気持ちもわかる。
 「太田弁護士は財産目当てではないんですか? 美子さんを幸せにしてくれる保証はありますか?」
 「太田さんは、実家をごらんになったからわかるように苦労して育っていますから、財産目当てではないという保証はありません。でも、太田さんほど高潔は人格を持った人はいません。それに、美子のことは愛してくれています」
 ボクの目から見ても太田弁護士は悪い人間には見えない。あの父親ありて、この子ありと思った。
 「そんな太田さんをあの子が嫌っているのは、あの子の性格のせいです。成り上がり者だって馬鹿にしているのです。でも、太田さんの本当の姿がわかれば、あの子もきっと太田さんのことを好きになってくれるはずです。もしだめなら・・」
 「もしだめなら?」
 「もしだめなら、あの子が妾の子だと、わたしの子だと告白します。そうすれば、あの子も折れるでしょう」
 高慢ちきな我が儘娘の高い鼻が折れると言ったところだなと思った。太田弁護士のことを成り上がり者と馬鹿にする以外に拒否する理由がなければ、結婚は問題ないと考えた。
 「このまま美子として、儀式を終わらせてくれますね?」
 ボクは頷くしか方法を持たなかった。

 矢木沢家の奥座敷に神棚があった。里子さんに手を取られて祭壇の前に置かれている椅子に座った。すぐに羽織り袴姿の太田弁護士が入ってきてボクの横に腰掛けた。
 左右の席には矢木沢家と太田家の親族が並んでいた。太田家の筆頭は当然のことながら太田弁護士の父、太田次郎が着慣れないスーツを着て鯱張っていた。ボクが10日前に世話になった奥田大樹だとは夢にも思っていない様子だ。
 神官が入ってきた。天上の神様を迎える儀式から始まった。神様なんて目に見えないけれど、そこにいると信じて儀式が進められる。
 聞き取りにくい言葉で祝詞が唱えられる。
 「・・・矢木沢海壱郎が長子・美子を矢木沢家第14代当主と成し、矢木沢家千年、万年の発展を期すものなり・・・」
 何となく矢木沢美子が14代当主になったなと考えていた。
 「・・矢木沢美子は、太田純一と夫婦の契りを結び、末永く矢木沢家を守り・・・」
 美子さんは太田弁護士の妻になった。これでいいんだよなともう一度考えた。いいも悪いも、もう後戻りはできない。
 「三三九度の杯を」
 太田弁護士とボクに交互に杯が渡され、注がれた酒を三度に分けて飲む。小、中、大の杯で同じことが行われた。だから三三九度かなどと思っていた。
 酒に弱いボクはそれだけで酔ってしまっていた。
 「親族の固めの杯を」
 親族の持つ杯に酒が注がれ、飲み干された。
 「指輪の交換を」
 神前でもやるんだなあと思いながら、左の薬指に太めの金の指輪をされた。ボクも太田弁護士に指輪を填める。
 誓いの言葉を太田弁護士が読み、太田弁護士に続いて最後にボクが矢木沢美子と宣言した。声の違いに誰も気づいていない。事前に風邪気味とのことで口裏を合わせていたからだろう。
 婚姻届へのサインも、わざと手を振るわせて書いた。そうすることで筆跡の違いを誤魔化せると里子さんに言われていたからだ。
 神様を天上へお返しして儀式は滞りなく終了した。美子さんは矢木沢家の第14代当主となると同時に、太田弁護士の妻となった。ボクはその代役を立派にこなした。少し充実した気分だ。
 「これから披露宴よ。着替えますからね」
 里子さんがボクに告げた。
 「このままじゃないんですか?」
 「いわゆる鯱張った披露宴じゃなくて、披露パーティーと言ったところなのよ。この衣装では動きにくいから、洋装に変えるのよ」
 洋装って、ウエディングドレスかなと思いながら、里子さんに手を引かれて部屋に戻った。

 部屋には思った通り、ウエディングドレスが吊り下げられていた。
 (ウエディングドレスを着るなんて、すごく恥ずかしいな)
 里子さんは、そんなボクの思いに気づきもしないで、さっさとボクの着ている着物を脱がしていく。
 早朝に身に着けさせられていたシルクのブラジャーとショーツ姿になった。
 「はい、これを」
 ガーターベルトだった。さらにストッキング。いずれも白でシルク製のようだ。
 「和装の時は入らなかったけれど、洋装では必要よ」
 そう言って里子さんがボクに差し出したのは白いコルセットだった。今日は目一杯絞られた。息が詰まりそうだ。
 「お化粧を洋装用に変えましょう」
 化粧室へ移され、いったん化粧を落とされた。洋装用の化粧はいつもの美子さんの化粧だ。ただ、少しピンクが強く派手目だ。
 髪の毛がブラッシングされて、いくつかピンで留められた後、可愛らしい髪飾りが付けられた。
 「さあ、ウエディングを着ましょうね」
 ウエディングドレスのスカートをふわっと広げるというスカートのようなものを穿かされ、それからウエディングドレスに足を通した。コルセットのおかげで細いウエストも容易に上がった。
 「ネックレスもイヤリングも明治時代から矢木沢家に伝わるものなのよ」
 そう言って、真珠のネックレスとイヤリングを付けられた。ネックレスは3連のものだ。 真珠の玉が今まで見たものの倍はあるなと思った。これまた白のグローブを付けさせられる。白のハイヒールを履いて準備完了だ。
 「口紅をもう一度」
 里子さんが上唇にちょっとだけ口紅を塗った。
 「そろそろできたかな?」
 太田弁護士が部屋に入ってきた。
 「丁度準備ができたところですよ。さあ、新郎様、新婦の手を取って」
 替え玉だというのに、里子さんは嬉しそうだ。ボクに娘を投影しているのだろう。

 披露宴会場は、5、60畳はあろうかという大広間だ。奥に料理が並び、手前に飲み物が準備されていた。
 ボクたちが入っていくと、拍手が沸き上がる。
 「おめでとう」
 「結婚、おめでとう」
 「おめでとう、おふたりさん」
 次々に声を掛けられる。太田弁護士は握手をして回り、ボクはそばにいてにこやかに頭を下げた。
 「美子さんの第14代当主就任と、二人の結婚を祝って万歳三唱をしましょう」
 誰かが言った。
 「発声は、優次郎さん、お願いします」
 声を掛けたけれど、優次郎さんは隅の椅子に座ったままで立ち上がろうとしない。美子さんが当主に就任することには文句はないようだけれど、この結婚にはあまり賛成していないように思えた。結局、美子さんの祖父の弟という男性が代わりに万歳三唱をした。
 ボクに親しげに話しかけてくる人はいない。悲しいことに、美子には腹を割って話せる相手がいないようだ。ま、それはボクにとっては好都合といえる。話しかけられて辻褄の合わないことを言ってしまうとばれる危険があるからだ。
 (お腹が減ったなあ)
 朝食は一応きちんと食べたのだけれど、新婦がガツガツ食べてはいけないと思い、ほんの2、3手を付けただけだったから、かなり腹が減っていたのだ。
 テーブルに並んだ美味しそうな料理を見て涎が出た。ただ、食べようとしても食べられないような気がする。コルセットがきつく締められているからだ。
 (披露宴が終わったら、コルセットを取って何かを食べさせて貰おう)
 そう思っていた。一般の結婚披露宴と言えば、2時間くらいが普通だろう。それは会場の都合だからだ。
 けれど、自宅で開かれていることもあって、なかなかお開きにならない。結局4時間の間、ボクは空腹にめまいを覚えながら耐えなければならなかった。

 お開きになるとすぐにボクは部屋に戻ってウエディングドレスを脱いで、ワンピースに着替えた。
 「里子さん、何か食べるものを持ってきて。お腹がすいちゃって」
 「あら? どうして食べなかったの?」
 「だって、新婦がそんなに食べちゃいけないと思って」
 「食べてもよかったのに」
 そう言いながら、料理を運んできてくれた。食べようとしたけれど、半分も入らない。お腹がすき過ぎているせいだ。
 「いやあ、無事すんだね」
 笑顔で太田弁護士が部屋に入ってきた。
 「結局美子さんは見つからなかったんですね?」
 「いや。ついさっき見つかったと連絡が入ったんだ」
 「えっ! そうなんですか。もう少し早く見つかっていたら、今日の晴れ舞台に出られていたのに」
 「そうなんだ。しかし、これも運命だよ」
 「美子さん、どこにいたんですか?」
 「千葉なんだよ」
 「千葉ですか」
 「それでだね。第14代就任とわたしとの結婚を報告したところ、拒否するのは止めて従うと言うことなんだ」
 「早く決断すればよかったのに」
 「でだね。これから、新婚旅行に向かうという明目で羽田行きの最終便に乗ろうと思う。向こうで奥田君と美子に入れ替わって貰い、わたしと美子は新婚旅行に、奥田君はそのまま東京に戻って貰おうと思ってるんだが、それでいいね?」
 東京に戻らないと春休みが終わってしまう。旅費が浮くなと心の中でほくそ笑んで、いいですと答えた。
 「ボクの荷物も一緒にお願いしますね」
 「わかってるよ。それでは、すぐに出発の準備をしよう」
 披露宴の途中で、そんな方針が決められていたと言うことで、すでに新婚旅行に行く準備は整っていた。
 大きな旅行用鞄を車のトランクに詰め、松本の運転する車で空港へと向かった。

 チェックインがすみ、搭乗を待つ間、ボクたちは喫茶店に入った。披露宴で多くの人たちの前にいることになれていたせいで、女の姿でいることに違和感を覚えないようになっていた。
 「ホントによくやってくれた」
 「里子さんの協力のおかげです」
 「お礼と言っては何だが、向こうに着いて、無事入れ替わりがすんだら、現金を渡そうと思って準備してある」
 スーツの内ポケットに潜ませた分厚い封筒をちらりと見せた。
 「お礼だなんて・・」
 「いらないのか?」
 「あ、いえ。いただけるものなら」
 太田弁護士はフフッと笑った。
 「なければ困るが、あっても困るものじゃないからね」
 太田弁護士は、パイプにタバコを詰め始めた。
 「ここ、禁煙ですよ」
 「禁煙? くそ! 最近はどこもかしこも禁煙だな」
 パイプをポケットにしまい、コーヒーを飲み干した。

 飛行機に乗ってから、あの封筒にはいくら入ってるんだろうかと想像を巡らせた。
 (50万? イヤ、もっと入っていたみたいだ。100万かな。100万あったら、ノートパソコンに大型テレビが買えるぞ)
 捕らぬ狸の皮算用だけど、すでに手に届くところに来ていた。
 (しかし、これから夏に向かうというのに、すね毛がないから半パンなんて穿けないな。ま、しかたないか。あの大金だものな。文句は言えないよ)
 ワンピースから覗いた両足を見ながら思った。

 羽田に着いた。荷物が多いから、ハイヤーに乗っていくと言う。お金を出すのは太田弁護士だから、異存はなかった。
 首都高湾岸線を使って千葉に向かった。
 「どこで彼女と落ち合うんですか?」
 「もう10分ほどで着くよ」
 7分ほどで、大きな建物の玄関に着いた。太田弁護士はタクシーの運転手に少し待っていてくれと告げてボクと一緒にタクシーを降りた。
 「ここですか?」
 「ここだ」
 「病院ですか?」
 「ああ」
 「美子さん、どこか悪いんですか?」
 「大したことはない。さあ、入って」
 通用口のドアを抜けると、白衣を着た男が立っていた。
 「おお、これはまた、美子さんにうり二つですな」
 「美子を連れてきてくれ」
 「わかった。その部屋で着替えをして貰おう」
 太田弁護士は指定された部屋のドアを開いて、ボクにどうぞと言った。
 「太田さん、ボクの服を美子さんに着せるのはいいけど、ボクが着る服はトランクの中ですよね。持ってこなくちゃ」
 「いいんだ」
 太田弁護士がボクの口にハンカチを当てた。つんと薬品の臭いがして、ボクは意識を失った。



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