第14章 最後の秘密

 右のこめかみに開いた穴から血液がわずかに零れている。純一は身体を痙攣させ、そして動かなくなった。
 「純一! 純一!」
 里子がその身体にすがって何度も純一と叫ぶ。純一の反応はなかった。そして、純一の握っていた銃を手に取ると胸に当てて引き金を引いた。一瞬のことで止めようがなかった。
 銃声と騒ぎを聞きつけてシゲさんが厨房から走ってきた。
 「だ、旦那様!」
 ボクはどうしていいのかわからずに突っ立っていた。
 「シゲさん、警察を」
 「は、はい」
 シゲさんが電話を掛けに行くと、優次郎はボクの肩をつかんで優次郎の方に向き返らせた。
 「話がある」
 ボクは優次郎を見つめた。
 「本当に美子そっくりだ」
 「申し訳ありません。騙していて」
 ボクは項垂れる。
 「優次郎様。警察はすぐに来るそうです」
 「わかった。美子がショックを受けている。部屋で寝かせるから、警察が来たら呼んでくれ」
 「かしこまりました」
 「あ、それから、ふたりに触ってはいけないよ。もし触って妙に疑われるといけないからね」
 「あ、はい。わかりました」
 シゲさんは、身体を硬くして二つの死体を見つめている。ボクは優次郎に促されて部屋へ移動した。部屋では目が覚めてしまった丞が大きな声を張り上げて泣いていた。
 「丞。よしよし、もう怖くないわよ」
 丞はすぐに泣きやみ、ボクの顔を見てニコニコ笑い始めた。
 「すっかり丞の母親だね?」
 ボクは丞を抱いたまま黙って優次郎を見つめた。
 「どうしてわかったんですか?」
 「キミのご主人、木村剛さんだったね?」
 「は、はい」
 どうしてそのことを知っているんだろうかと訝りながら答えた。
 「先日ここへ来ようとしたとき、涙をボロボロ流しながら彼が門から出てきたんだよ。危うく轢き殺すところだったよ」
 あの日の帰りだろうと思った。
 「事情を聞いてびっくりしたね。自殺したとして対面した女性の遺体が、似ているけれども自分の奥さんじゃないと言うんだ。ま、それは奥さんの死を認めたくないためのことだろうと思ったんだが、キミが、矢木沢美子が自分の妻だと言い張るんだよ。どうしてだと尋ねたら、直感だと。キミに会ったときにわかったと言うんだ」
 どんなに他人の振りをしていてもわかってくれたんだと思うと嬉しかった。
 「そう言えば結婚式の美子はおかしかったなと思い当たったんだよ。声もおかしかったしね。ただ、あの時は、まったく疑っていなかった」
 ちょっとだけ妙な顔をしたのを思い出した。
 「木村君から、キミは桂木美穂という名前で太田精神科病院に入院していて、看護師と入れ替わって脱走したという話を聞いたんだよ。この話を聞いて、ハッとしたね。何故かわかるか?」
 「いえ」
 「桂木美穂という名前は、美子が入院するときの偽名なんだよ」
 「どうしてそのことを?」
 「美子は、高校に入ったあたりから、対人恐怖症というか、精神状態がおかしくなって他人と目を合わせられなくなってしまったんだよ」
 美子が地肌が見えないくらいの厚化粧をしていたのは、そのためだったのかも知れないと思った。一種の仮面だ。
 「それで、太田純二に偽名で診察を受け、酷くなったときに桂木美穂の名前で入院させていたのだよ」
 「そうでしたか」
 「そこでわたしは、太田精神科病院を調査したんだ。もちろん院長の太田純二には内緒でね」
 優次郎はボクにウインクした。
 「何がわかったかというと、美子が結婚式を挙げた日、桂木美穂はまだ入院していた。これがどういうことかわかるな? 結婚式を挙げたのが美子の替え玉だと言うことだ。驚いたね。間近で見ても美子だと思っていた人物が偽物だってことに」
 ボク自身はあまり似ていないと思っていたのに、他人からすれば似ていたようだ。
 「桂木美穂はいったん退院した後、一ヶ月後再入院している。この桂木美穂はキミだ。どうしてそれがわかるかというと、美子が妊娠したという連絡がその頃入っていたからだ」
 ハネムーンベビーというわけだ。
 「美子は子どもを産んだ後、またもやおかしくなっているんだが、今度は入院させていない。子どものそばに置いていた方がいいからだと説明していたけれど、その頃、キミがまだ桂木美穂という名前で入院していたから、太田精神科病院には入院させられなかったんだよ。その後、桂木美穂は死んでしまったから、入院が不可能になってしまった。で、太田純二の往診を受けながら屋敷で暮らしていたわけだ。子どものそばにいた方がいいという言い訳のせいで、他の病院に入院させられなかったんだな」
 なるほどと納得した。
 「美子が自殺してしまうとはわたしも思わなかったよ。病状は回復に向かっていると聞かされていたからだ。最近送られてきた写真ではずいぶん元気そうだったからね。それが、替え玉のキミだと言うことにはまったく気づかなかったよ」
 だから時々写真を撮っていたんだとわかった。
 「キミが再び美子の替え玉になったいきさつはわからないんだが、聞かせてもらえるかな?」
 「美子さんの結婚式の代役をしたことを知られないために精神病院に閉じこめられたんです。その恨みを晴らそうと思ってここに来たんです」
 「なるほど。一年もあんなところに閉じこめられれば、そんな気持ちになるだろうな」
 「ええ。ところが、わたしがここを訪れたまさにその日に美子さんが自殺したみたいなんです。美子さんが亡くなってしまうと純一さんはすべてを失う結果になるんです。そうでしょう?」
 「そうだ。矢木沢家の規定でそうなっている」
 「困っていたところに美子さんそっくりなわたしでしょう? 渡りに船とばかりにわたしを再び替え玉に仕立てたんです」
 「用が済めば、再び精神病院に閉じこめられると思わなかったのか?」
 「もちろん協力なんてするつもりはありませんでしたけど、最初は薬を使われて身体の自由が奪われていたんです」
 「最初はと言うと、その次は?」
 「催眠術のようなもので、美子さんだと思いこまされて、ずっと美子さんだと思ってくれしていたんです」
 「そうか。で、今は?」
 「今は木村小苗に戻っています」
 「どうして美子を続けていたんだ?」
 「正直にいます。この贅沢な暮らしから離れられなかったんです」
 ボクは項垂れた。
 「そうか。そうだろうな。どんな高潔な人間でも、金の前には目が眩んでしまう」
 「わたしはどうなるんでしょうか?」
 「どうしたい?」
 そう問われても即答できないのだが・・・・。
 「罪を償って・・・」
 それからどうしたらいいんだろうか?
 「ご主人の元に帰る?」
 「え? あの人の元には戻れません。薬を使われていたとはいえ、他の男性に抱かれていたわけですから・・・」
 「それは、ご主人が決めることだろう? 木村君なら、きっと許してくれるよ」
 ボクもそうは思う。けれど、ボクにはそれだけじゃない秘密があるのだ。本物の女ではないという秘密が。
 別れるつもりだったから知らせていないけれど、もしも迎えに来たらどうすればいいんだろうか?
 「それから、罪を償ってと言ったけど、キミには何の罪もないだろう? きみは太田に利用されただけなんだから」
 「でも・・・」
 「丞はキミに懐いているようだが、キミは丞のことをどう思っている?」
 ボクが抱いている丞のほっぺたをつんとつついた。
 「好きです。可愛くて、食べてしまいたいくらい」
 「嘘偽りはないな?」
 「はい。・・父親も母親も死んでしまって可哀想」
 涙がぽろりと流れ出た。優次郎さんはその涙を指で拭ってくれた。
 「そう思うのなら、丞の母親になってくれないか?」
 「えっ!」
 「美子として丞を立派に育て上げてくれること。それがキミのすべき罪の償いだ」
 「でも、それでは?」
 「財産のことか?」
 「はい」
 「親が残した財産などに興味がない。わたしには自分で築き上げた財産がある。財産を相続するのはいいが、こんな田舎に引っ込むなんてまっぴらだよ」
 何十億という財産がいらないなんて信じられない。
 「もちろん、キミの行動は監視させて貰う。丞をないがしろにしたり、財産をどうにかしようとしたら、わたしが許さないからな」
 「本当にそれでいいんですか?」
 「いいからこそ、こうして提案している。キミがいやというのなら仕方がないがね」
 ボクは考える。財産のためではなく、丞のためというのなら受け入れられる。
 「わかりました。でも、財産管理は優次郎さんがやってくださいね」
 「そちらの方は、わたしの信頼している弁護士を紹介しよう」
 ドアが開いた。シゲさんが警察が来たことを伝えに来たのだ。
 「美子、おまえはここで待っていなさい」
 部屋を出て行きかけて、ボクの方を向き直った。
 「夫に自殺されたんだ。ショックで寝込んでいた方がいい。ベッドの中に入っていなさい」
 ボクは頷き、丞をベビーベッドに寝かせてベッドの中に潜った。

 しばらくして優次郎が警察官を伴って戻ってきた。
 「目の前で夫が自殺してしまったものですから、ごらんのようにショックで寝込んでいまして」
 ベッドの中のボクの肩を叩いた。
 「美子、美子。大丈夫か?」
 ボクは布団の中に潜ったまま返事をしない。恐らく警察官は夫である純一の自殺について状況を聞きたがっているのだろう。優次郎がどう説明したかわからないから、ボクとしては黙っているしかないのだ。
 「後日ということにしていただけませんか?」
 「仕方がないですね。では、後日ということで」
 野太い声がして、足音が去っていった。
 「美子。検死がまだ終わっていないんだ。少し待っていてくれ」
 言い残して優次郎も去っていった。

 1時間ほどしてドタドタと大きな足音が響いてきた。優次郎の足音にしては大きすぎるなと思っていると、ドアを開けて入ってきたのは木村だった。
 「美穂!」
 美子として生きることに決めたばかりだ。ここでどう答えていいのかわからない。ボクは戸惑っていた。
 「美穂! 美穂なんだろう?」
 木村の後から入ってきた優次郎がそんなボクと木村の間に割って入った。
 「木村君。この女性はキミの探している美穂だったんだが、今は美子なんだ」
 そんなことを言っても木村に理解できるはずがない。思った通り、木村は口をぽかんと開き、首を傾げた。
 「美穂には戻れないのか?」
 「ここに眠っている子どものために美子として生きることになったんだよ」
 「じゃあ、俺はどうしたらいいんだ」
 悲しそうな表情でボクを見た。
 「美子と再婚すればいい」
 エッとボクは目を丸くして優次郎を見た。
 「他人にいろいろと詮索されないためにはそれが一番だ。二人ともいいかな?」
 ボクたちは揃って頷いた。
 「ただしだ。女性は配偶者の死後6ヶ月は再婚できないはずだ。結婚は少し待って貰わないといけないだろうな」
 「待つよ。美穂と一緒になれるのなら」
 「剛、わたしは美穂じゃなくて美子だからね」
 「あ、わかった」
 頭を掻く木村は本当に可愛い。
 「普通なら、この再婚には賛成できないんだが、美子が子どもを産めないから許可できるんだよ」
 ボクはギョッとして優次郎の顔を見た。優次郎はにっこり笑ってボクを見返した。
 「わたしがどうして子どもを産めないと?」
 「キミは性転換して女性になった元男性なんだろう?」
 はっきりと口にされて、ボクはちらりと木村の方を見た。
 「木村君も知ってるよ。知っていると言うよりも、わたしは木村君から聞いたんだよ」
 「ええっ!」
 これにはビックリ仰天だ。
 「い、いつから? いつから知ってたの、剛?」
 「美穂が、イヤ、美子が太田先生の病院に入院したときから」
 「じゃあ、最初から知ってたのね」
 「うん。ボクも田中さんも、院長先生も知ってたよ」
 木村は平然として答えた。
 「知ってて、わたしと結婚したの?」
 「はあ? 結婚できなかったの?」
 「いえ、そう言うことじゃなくて・・・」
 「俺、美穂・・じゃなかった美子のことが好きなんだ。だから結婚した。それでいいんだろう? どこか間違ってるのか?」
 「間違ってないよ、木村君。美子は今は立派な女だ。だから、問題なく木村君と結婚できるんだ。わかったね」
 「わかった」
 素直に答える木村に、何だかほほえましさを感じた。
 「美子、美子が子供を産めたら、安心して丞のことを任せられないだろう?」
 「そう言うことですね。わかりました。丞を我が子と思って育てます。いえ、むしろ子どもを持てることが嬉しいです。ホントに」
 「そう言うことだから木村君、6ヶ月間、静岡に戻っていてくれないか?」
 「6ヶ月も美子と離れていなければならないのか・・・・」
 「6ヶ月の辛抱よ。そうしたら、一生一緒だから」
 木村はにっこりと笑って、部屋を出て行った。
 「素直な男だな」
 「そうね。ところで、警察にはどんな説明をしたの?」
 「純一の自殺の件か?」
 「ええ。もちろん」
 「替え玉の美子を使って矢木沢家の財産を横取りしようとしたなんて言えないからね」
 それはそうだろう。そんなことを言ったら、ボクが美子として生きていけなくなってしまう。
 「里子がどうして後追い自殺をしたかわかるか?」
 「純一さんと里子さんは親子だったんでしょう?」
 「知ってたのか?」
 「ええ。一度だけでしたけど、里子さんが純一さんの前で自分のことを『お母さんが』って言ってましたもの。でも純一さんは太田次郎夫妻の子どもと言うことになってるんでしょう」
 「里子は太田次郎の妹でね。レイプされて出来た子供を産んで、仕方なく兄の太田次郎に預けたんだよ。太田次郎の妻もちょうど出産したあとで、双子として届けを出しているんだよ」
 純一と純二は本当は従兄弟と言うことになる。
 「でもそれがどう関係するんですか?」
 「里子をレイプした相手は誰だと思う?」
 尋ねるところをみると、ボクが知っている男だ。
 「優次郎さんではないですよね?」
 「当たり前だ! あんな女に興味はない」
 吐き捨てるように言った。
 「まさか・・・」
 「兄貴だ」
 「うそ・・・・」
 それが事実ならば、純一は矢木沢家の財産を手に入れるために腹違いの妹と結婚し、子供を産ませたことになる。
 「美子の想像通りだ。その事実を知って自殺したことにした」
 「そんなことって・・」
 「それが里子の復讐だ。レイプした兄貴へのね。だから、兄貴は美子と太田純一が付き合うことに大反対だった。ふたりが腹違いの兄妹だと知っていたからだ」
 「丞は・・・・」
 腹違いの兄妹の間に出来た子どもなんて、不憫でならない。
 「警察にはそこまでしか話していないんだが、もうひとつ秘密があるんだよ」
 「何なの?」
 「実はね・・・」
 優次郎さんは、つと窓の方に歩いて行って庭を眺め、そして言った。
 「美子は・・わたしの子なんだ」
 「ええっ!」
 これは最大の驚きだった。
 「兄貴は恐らく知らなかったと思う。義姉の麻佐子のことを好きになったのは兄貴よりもわたしの方が先だったんだ。しかし、いろいろな事情があって、麻佐子は兄貴の嫁になった。兄貴が銀行との会合でいなかった夜、わたしたちは結ばれ、美子ができたんだ。だから、美子と純一は従兄弟と言うことになるんだ」
 従兄弟なら安心だ。その話を聞いてボクはひとつ理解した。優次郎さんが美子の結婚を妨害しなかったわけは、ふたりが腹違いの兄妹ではないことを知っており、しかも美子が優次郎さんの娘だったからだと。そうでなかったら、美子の結婚をあれほど喜んだりはしなかっただろう。
 「美子がわたしの娘だと言うことは、この件が片付いてから親族を集めて公表しようと考えている。そうしないと、丞の立場がないからな」

 純一の葬儀は数日後に行われたけれど、妻の美子はショックで精神状態が思わしくないとの理由を付け、優次郎さんに喪主代理をして貰い、ボクは喪服を着て椅子に座って放心状態を装っていた。

 里子の代わりにマサミと言う家政婦が雇われ、ボクと丞の身の回りお世話をやってくれている。厨房のシゲさんはいったんは辞めたいと言い出したけれど、ボクが慰留した。彼女が好きだからだ。
 惨劇のあったリビングは、壁紙が貼り替えられ、床も畳からフローリングに改装されて、跡形も残っていない。

 木村は、毎日のように電話を掛けてくる。そして、毎日、毎日、愛してるを連発する。木村にとっては、ボクが元は男性で、性転換して女性になったことなど関係ないようだ。
 3ヶ月後、優次郎さんが木村と共にやってきて、木村を紹介した。もちろんボクの再婚相手としてだ。
 「お嬢様、あの木村とか言う男性、お嬢様のことを美穂、美穂って言って押しかけてきたひとじゃありませんか?」
 シゲさんがお茶を出すとき、首を傾げた。
 「そうみたいね。でも、今は優次郎叔父様の片腕みたいよ」
 馬鹿だ、とろいと思っていた木村だったけれど、優次郎さんの会社で株取引の仕事を始めたとたん、才能が一気に開花し、100万を1億近くにしてしまったのだ。あのまま看護師をしていたら、大した人生は送っていなかっただろう。人生とは不思議なものだ。
 それはボクにとっても同じことで、あの時、あの道を間違えなければ、こんなことにはならなかったに違いない。
 ボクと木村は、その後婚約し、純一が死亡してから6ヶ月目に丞を連れて結婚式を挙げた。
 「お父様、わたし、幸せになります」
 父親としてボクの腕を取った優次郎さんにそう囁くと、優次郎さんはボロボロと涙を流した。
 優次郎さんの孫である丞を立派に育て上げますと心に誓って、木村の熱いキスを受けた。



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