第13章 安楽な生活が復讐心を殺す

 ボクは計算違いをしていた。刷り込みがうまく言った振りをして二人を騙そうなんて、老獪な精神科医の前では、子どもが大相撲の横綱に立ち向かうようなものだったのだ。
 精神状態がおかしかった美子でさえ手こずった、まともなボクの洗脳は難しいなどと言っていたのは、ボクを油断させるためだったに違いない。
 ボクは奥田大樹としての記憶を完全に押さえ込まれ、矢木沢美子としての欺瞞に満ちた記憶を植え付けられて、憎むべき太田純一の妻として暮らしてしまったのだ。
 今また、太田純二がボクの記憶を暗闇の底に沈めようと躍起になっている。太田純一、医や矢木沢純一の妻になるべく腕を振るっていた。
 二度と同じ轍を踏むものか。ボクは確固たる意志で、太田純二の誘導を拒んでいた。
 「くそ! 止めろ! 訴えてやる!」
 暴れようとしたけれど、薬のせいで身体が思うように動かない。
 「何を訴えると言うんだ?」
 太田がボクの顔を覗き込んで言った。
 「ボクを無理矢理女にしたことをだ!」
 「無理矢理女にした? ふむ。それがどんな罪になると言うのかな?」
 「えっ!」
 「身体の一部を切り取ったに過ぎないな。となると、傷害罪か? 大した罪にはならないな。子供を産めなくしてしまった? これは少し罪は大きいかもしれないな。しかし、それをわたしが命じたと誰が証明してくれるというのだ?」
 「ボクの手術をした医者だよ」
 「それは誰だ? 病院はどこだ?」
 そう問われてボクは言葉が出なかった。
 「医療スタッフはみな帽子を被ってマスクをしていた。例え目の前にいたとしても誰であるかわからんだろう。ま、何とか病院を見つけ出して医者に証言を頼むにしてもだ、金を積まれて違法な手術をしているんだ。証言をしてくれるかな? 手術をしたことは認めるかもしれないな。しかし、それはキミが望んだものだとカルテに記載してあるはずだ。さあ、どうする? わたしを訴えられるかな? 証拠がなければひとを訴えることはできないんだぞ」
 「ぼ、ボクを精神病院に監禁した」
 性転換手術で断罪できなければ、これしかない。
 「キミはこのあたりをうろうろしていて、自分の容姿が美子に似ていることを知った。そこで性転換して美子と入れわかろうとした。それを知ったわたしは、キミの精神が異常を期待していると考え、精神科医である純二の治療を行って貰った。これは精神に異常を来したキミに対する好意の表れだよ。どうだ? このストーリーは? まあ、通じなくても監禁罪はそれほど重い罪ではないな」
 「看護師に命じてボクを陵辱させたじゃないか!」
 「あれはわたしが命じた訳じゃないぞ。それに、キミは陵辱と言うが、あれは立派な医療行為らしいな」
 「なんだって!」
 あんな行為が医療行為だなんて、ありえない。
 「人工的に作った膣は放置すれば狭くなって使い物にならないらしい。そこで、膣の中にダイレーターというシリコンの棒を毎日入れる作業が必要だと医者が言っていた。それを看護師にやらせていたんだよ。陵辱なんてとんでもない。キミはふたりに感謝すべきなんだよ。どんなやり方をしていたかは知らんがね」
 呆れ返って二の句が継げなかった。
 「それよりもだ。キミが脱走するとき、女性看護師を殺しただろう?」
 「あれは事故だ。薬が彼女に合わなかっただけだ」
 「事故? 勝手なことを。少なくとも、過失致死には当たる。もし、死ぬかもしれないと思っていたら、殺人罪だ」
 「そんな・・・・」
 「キミは死んだ女性看護師の戸籍を奪って、誑かした男性看護師と結婚までしている。公文書偽造もあるが、この行為によって、女性看護師の死亡が過失致死ではないと裁定されるだろう。つまりだ。殺人罪で起訴される公算が高いということだ」
 あの時、そんなことまで考えていなかった。
 「ボクを美子さんの代役に立てて結婚式を挙げ、矢木沢家の財産を奪った」
 「美子とわたしはいずれ結婚する予定だった。時期が早まっただけだ。それに、結婚式の花嫁がキミだったという証拠はあるのか? 誰もが美子だと認識しているんだぞ」
 「里子は・・・」
 純一はにやりと笑った。里子は純一の味方だ。不利になる証言はしない。
 「自殺した美子さんの遺体をボクだと、木村小苗だと思わせるように細工して遺棄した。これは立派な犯罪だ」
 「ふん。美子と入れ替わるためにキミがやったことだ。わたしは今でもキミが美子だと信じている。どうだ?」
 ぐうの音も出なかった。
 「キミは美子として生きればいい。莫大な財産があるんだ。一生楽をして暮らせる。わたしもキミを愛してやる。キミが入らぬ抵抗をしない限りはな。まあ、純二の洗脳で、素直な美子に戻ってしまうんだがな」
 純一は弁護士なのだ。とても太刀打ちできそうもない。下手に抵抗したら、殺人罪で起訴されてしまう。
 諦めと絶望がボクを襲い、深い眠りに落ちていった。

 目を開くと、夫と夫の弟がわたしの顔を覗き込んでいた。
 「美子、気分はどうだ?」
 「気分って、わたし、どうかしてたの?」
 夫と夫の弟とは顔を見合わせ、わたしに笑顔を向けた。
 「もう大丈夫だな」
 「すまん、純二。もしまた同じことが起こったら頼むよ」
 「任しとけよ。兄さんと義姉さんのためだ。いつでも飛んでくるよ」
 二人は抱き合い肩をたたき合っている。おかしな二人だとわたしは笑った。
 「美子、シゲさんに何か酒のつまみを作ってくれるように頼んでくれないか?」
 「ええ。すぐに頼んでくるわ」
 厨房ではシゲさんが昼食の準備をしていた。
 「シゲさん、あのひとが何かお酒のつまみを作って欲しいって」
 「かしこまりました」
 冷蔵庫の扉を開きながら、シゲさんが尋ねた。
 「ところで、何日か前、先週の初め屋敷に入り込んで大騒ぎした男を見かけたんですけど、何事もありませんでした?」
 「屋敷に入り込んで騒いだ男? 誰のこと?」
 「お嬢様のことを自殺した奥さんと間違えて、美穂、美穂って呼んだ背の高い男ですよ。覚えてらっしゃらないんですか?」
 急に頭痛がし始めた。美穂という言葉が頭の中を反響しながら駆けめぐる。
 (美穂、美穂、美穂、美穂、美穂、美穂、美穂、美穂、美穂、美穂)
 「お嬢様、どうかなさいました? 大丈夫ですか?」
 シゲさんが心配そうな表情をしてボクの顔を覗き込んでくる。太田純二に催眠術を掛けられていたはずなのに、どうしてここにいるんだろうかと頭を押さえながら考える。
 洗脳されまいとしたのに、またもや洗脳されていたことに気づいた。太田純二の洗脳の技術が強力なことを改めて思い知った。
 (今度また催眠術を掛けられたら、ボクがボクでなくなってしまう。洗脳がうまく言っていると思いこませるしかない)
 「旦那様をお呼びしましょう」
 「いいわ、シゲさん。もう大丈夫だから」
 ボクは立ち上がって、不安そうな顔をしているシゲさんを促し、調理を続けさせた。

 二人はリビングに移動してきて、昔話に花を咲かせていた。
 「あなた。準備が出来ましたけど、こちらに持ってきましょうか?」
 二人ともボクの様子を探るような目で見た。
 「どうなさるの?」
 「ああ、こっちに持ってきて貰おうか?」
 安堵の表情をして答えた。洗脳がうまく言っていると思いこんだようだ。シメシメとほくそ笑みながら、厨房に戻って仕上がった料理をリビングに運んでいった。

 太田純二は最終便で戻っていった。純一はボクが美子に戻ったと信じている。疑われないように美子を演じ続け、わからないことを調べ上げなければならない。
 美子を演じることはそれほど難しくないのだけれど、問題は夜の生活だ。復讐すべき相手を愛する夫として受け入れなければならないのだ。しかも、嫌々ではなく、感じた振りをしなければならない。
 辛くイヤなことだけど、やらなければならない。出来るかなと心配していたのは杞憂に終わった。感じた振りなどしなくても感じ、そして行ってしまうのだ。ボクの身体は完全に女として機能している。

 純一が仕事に出かけた後、里子の目を盗んでいろいろと調べ回った。矢木沢家に関する諸々のことをだ。そしてボクが美子に仕立て上げられた細かい理由を考えてみた。
 矢木沢家は、元々このあたりの大地主で、昔から大金持ちだったらしい。戦後の農地改革で大部分の土地を失ったけれど、美子の祖父が戦後のどさくさに紛れて進駐軍の物資を横流しして大儲けしたと言う。現在は投資信託等に分散投資していて、財産は増える一方とのことだ。
 その相続方法は一風変わっている。恐らく民法に触れると思うのだけれど、第1子に全財産を相続させることになっている。他に相続人がいたとしても相続を放棄させている。財産が分散してなくなってしまうことを恐れたためだ。ただし、財産相続を放棄すると言ってもそれは形だけのことで、年金のような形で一生贅沢できるくらいの現金が支給されているとのことだ。筆頭相続人以外の相続人が財産放棄するのであれば、民法に触れないのかも知れない。
 第1子に遺産が相続されるのだけれど、男子は20歳以上、女子は20歳以上で婚姻していなければ相続の資格がなく、次の相続人に財産が渡ることになっている。
 矢木沢美子には実は三つ年上の兄がいたのだけれど、17歳の時に事故死していて美子が筆頭相続人になっていた。
 純一は、筆頭相続人の美子に近寄り結婚して逆玉に載るつもりだったのだけれど、美子はしばらくは結婚するつもりはなかったようだ。
 ところが、美子の父・海壱郎が急逝したために事情が変わった。海壱郎の死去後50日以内に婚姻が成立しなければ、相続権は自動的に優次郎に渡ることになっていた。いったん優次郎が相続すると、優次郎が死なない限り相続権は美子には戻ってこないことになっていた。だから純一は、なんとかして美子と結婚しようとした。美子と結婚しなければ、手が届きそうなところにある莫大な財産を手に入れられなくなってしまうのだ。
 純一にとって都合がよかったのは、父・海壱郎の死のショックで美子の精神状態がおかしくなっていたことだ。純一は、これ幸いと治療と偽って美子を純二の病院へ送って、美子が純一と早々に結婚するように洗脳を試みた。
 洗脳に手こずり、50日の期限が迫っているときに現れたのがボクだ。男だけれど華奢で背丈も美子とほとんど変わらず、しかも美子に似たボクを利用するアイデアを思いついた。ボクに女装させ、婚姻をでっち上げたのだ。もしも美子の洗脳がもっと早くにすんでいればボクが巻き込まれることはなかっただろう。
 洗脳がもっと長引いていれば、ボクが新婚旅行に行くことになっただろうけれど、直前になって洗脳に成功したからボクはお払い箱となった。美子には純一と結婚したと刷り込みを行い、まんまと美子の夫の座についたわけだ。
 ところが、美子は子供を産んだ後精神状態が再び悪化し、ついには自殺してしまった。矢木沢家の規定では、配偶者には相続の権利はなく、幼い息子・丞にも相続権はまだ存在しない。純一は、優次郎に財産が渡されるのを黙ってみている他はなかったのだ。
 そんなとき、降って湧いたように美子そっくりなボクが純一の前に姿を現した。渡りに船と言うことで、純一はボクを美子に仕立て上げたのだ。
 純一にとって、太田精神科病院でボクが死んでいなかったことで九死に一生を得た形となった。ただ、あのときボクを殺してしまえと言ったのは本性ではないようだ。逃げたら殺すという脅しを掛けたに過ぎないとボクは思っている。いくら財産目当てであっても、殺人は割が合わないことがわかっているからだ。精神病者に仕立て上げて死ぬまで閉じこめていれば、事実が露見することがまずないだろう。そして、万が一美子が死んでしまったときのスペアとして残しておいたのだ。そう言うことなのだ。

 弁護士の純一に法の裁きを受けさせるのは恐らく無理だ。そうなると、ボク自身が手を下すしかない。
 殺す? 憎いけれど、殺人まで犯すつもりはない。どうすればいいんだ?
 (純一が言ったように、このまま美子としてくらしたら? 贅沢ができるし、純一だって、優しいじゃない?)
 悪魔がボクに囁いた。それもいいかもしれないと思った。精神病院に閉じこめられていたときの純一に対する煮えたぎるような増悪も、最近は薄れていたからだ。
 純一への増悪が薄れているとは言っても、奥田大樹の人格を保ったまま純一に抱かれるのは抵抗がある。こんなことなら、奥田大樹の人格を取り戻さなければよかったと思った。

 一週間たって純二が再びやってきた。洗脳を補強するためらしい。奥田大樹の人格を消してしまった方が楽だと思ったけれど、ボクはボクで、ボク以外の何者でもない。ボクの人格がなくなってしまうなんてまっぴらだと思い直した。
 「さあ、美子さん。このメダルを見て」
 「純一さん、純二さん。もうこんなことは止めましょうよ。わたし、美子として生きてあげる。あなたたちに協力するから洗脳は止めて」
 ボクがそう言うと、ふたりとも驚いた顔をした。
 「人格が戻っていたのか?」
 「ええ。でも、今言ったように、わたし、美子として生きるわ。あなた、あなたが言ったでしょう? 贅沢ができるし、わたしを愛してやるって」
 「おまえがそう言うのなら、洗脳など無駄なことはしないが、本心だろうな?」
 ボクは頷いた。これがボクの出した結論だ。こんなこと、悪いことだと思うけれど、正義を貫くことがボク自身にデメリットをもたらすのなら、仕方がないと思ったのだ。
 気になるのは、木村のことだ。純一よりも、人間的には木村の方が好きだ。木村が夫で、この贅沢ができるならと、身勝手なことを思う。その木村はあれから姿を現さない。諦めてしまったのかと思うと寂しくなる。

 丞は可愛い。ボクの子どもじゃないのに、ボクの顔を見てニコニコと笑っているのを見ると、財産のためではなく、この子のために美子であり続けなければと思う。
 丞を抱いてあやしていると、玄関からシゲさんの声が聞こえてきた。誰か来客があるようだ。足音が近づいてきて、ドアが開いた。
 「美子、久しぶりだな。元気にしていたか?」
 笑顔を見せたのは、美子の叔父、優次郎だった。優次郎の顔を見て、ハッとした。優次郎に見破られたら、美子として生きてはいけなくなるのだ。
 優次郎がボクのことを美子ではないと疑えば、徹底して調べてくるだろう。なにしろ、美子が偽物とわかれば、矢木沢家の財産はすべて優次郎の手に渡ってしまうのだから。
 「丞を抱かせてくれ」
 ボクに近寄ってきて丞を奪い取った。丞は優次郎の顔をじっと見て、急に泣き始めた。
 「おやおや。わたしが怖いのかな?」
 「顔見知りの時期は過ぎてるんですけど、初めて見た顔だからでしょうね」
 「いつも来ないと懐いてくれんようだな」
 そう言いながらボクに丞を戻した。丞はすぐに泣きやんでくれた。
 「優次郎様、いらっしゃいませ」
 里子が硬い表情をして部屋に入ってきた。里子もまた、ボクが美子でないと優次郎にばれるのを恐れていたからだ。
 「お茶でもお入れいたしますわ」
 「そうだな。うん、美子。久しぶりにお茶を点ててくれないか?」
 お茶など点てたことがない。舌が急速に乾いていくのを感じた。
 「叔父様、お茶を切らしていて、今日は駄目だわ」
 それだけ言えたのは奇跡だった。次に優次郎が来るまでにやり方を教えて貰えばいいと考えていた。
 「そうか。ならば仕方がないな。コーヒーでもご馳走になるか」
 「丞を寝かしつけたら行きます」
 「里子さんに頼んで、一緒にお茶を飲もう」
 強引にボクの手を引っ張る。
 「里子さん、丞をお願い」
 眉を顰めながら里子は丞を抱き取って、ボクたちが出て行くのを見ていた。
 「シゲさん! シゲさん! お茶を入れてくれ!」
 「はい。かしこまりました」
 シゲさんが厨房から顔だけを出して答えて引っ込んだ。
 「二人目はまだなのか?」
 「丞に手がかかるから、少し先にって思ってるの」
 「そうだな。少し太ったかな?」
 「そんなことないわ。イヤな叔父様」
 優次郎はニタニタ笑っている。美子の話し方は再度ビデオを見て覚え直したから、これでいいはずだ。先ほどのお茶のように不測の事態がなければいいのだがと考えていた。
 「はい、どうぞ」
 シゲさんがコーヒーカップをテーブルの上に二つ置いた。
 「おや? 美子はコーヒーは飲めなかったんじゃなかったのか?」
 「あ、いえ。飲めるようになったんです」
 「そうか」
 優次郎の目つきが怪しい。疑っているのだろうか?
 「純一君はいつ頃帰る?」
 「6時には戻ってくると思います」
 「そうか」
 「何か用事でも?」
 「ああ。ちょっと話したいことがあるんだ」
 何の話だろうかと心配になる。

 純一は予定よりやや早めの午後5時半過ぎに戻ってきた。
 「あなた、優次郎叔父様が待ってるわ」
 純一はギョッとした顔をした。
 「何か言われなかったか?」
 「お茶を点ててくれないかって」
 「何と答えたんだ?」
 「お茶を切らしているから次回にって答えたわ」
 「機転はよかったが、ミスったな」
 「どこがいけなかったの?」
 「美子はお茶を点てられないんだ。習い事が嫌いでね。ピアノだけは弾けるが、おまえ、ピアノは弾けるか?」
 ボクは首を横に振った。
 「弾けと言われたらどうするかな?」
 いったん書斎に入った純一は、唇を噛み締め腕組みをしながら優次郎のいるリビングへと歩いていった。

 少し遅れていくと、純一が優次郎にしきりに酒を勧めていた。酔わせて潰そうという魂胆だろう。
 「おお、愛する美子。こっちへおいで」
 優次郎が大げさに言う。
 「優次郎叔父様、もう酔ってしまったんですか?」
 「ここの酒は美味いからな。美子もここへ来て飲め」
 「わたしがお酒を飲めないのは知ってるでしょう?」
 これは知っていた。ボクも飲めない方だし、女性ホルモンを飲んでいるせいか、極端に弱くなっていたのだ。
 「そうか。コーヒーと一緒で蕁麻疹が出るんだったな」
 言葉に詰まった。ボクの様子に何かを感じたのか、純一も表情を硬くした。
 「美子が子どもの頃には一緒に風呂に入ったものだが、もう一緒には入ってもらえないだろうな?」
 「それはそうよ」
 「純一君は一緒に入ったりするのか?」
 「え? ああ、たまには」
 優次郎が何かの思惑があってそんな話をしているようで、不気味だった。
 「そうか。子どもの頃は寸胴だったが、メリハリが付いただろうな」
 ボクを見てにやりと笑った。
 「イヤな叔父様」
 「そう言えば、盲腸の傷がケロイドになっていたが、あれは治したのか?」
 これは完全にボクを疑っての質問だと感じた。それは純一も同じことだった。
 「優次郎さん、美子は盲腸はまだ切ってませんよ。誰かと勘違いしてるんじゃないですか?」
 「そうか? 美子じゃなかったかな? じゃあ、恥ずかしいところにベンツマークがあったのが美子だったかな?」
 「優次郎さん! 何を言い出すんだ!!」
 「美子。ピアノを弾いてみろ。難しい曲はいい。猫踏んじゃったでいいぞ」
 完璧だ。これは明らかにボクが美子ではないことを知っていての言葉だ。
 「優次郎さん! あんた、いったい、何を言いたいんだ?」
 「美子はどこだ? 本物の美子は?」
 純一を睨み付けて呻くようにして言った。
 「言っておくが、この美子は偽物だ。替え玉だ。本物の美子を出せ」
 もう駄目だと感じた。
 「やかましい! 戯言を言うな!」
 純一は立ち上がり、懐から拳銃を取り出して優次郎に向けた。
 「そんなものを出すところを見ると、この美子が偽物だと告白したも同然だな」
 「あんたがいなければ、本物で通る」
 「わたしを殺すつもりか?」
 「殺したりしたくはないが、こうなったら仕方がないな」
 純一は薄笑いを浮かべた。
 「金の亡者め」
 「優次郎、おまえだって、矢木沢家の財産が目当てだろう?」
 「わたしは、おまえとは違う」
 「何を言うか? 同じ穴の狢の癖して。覚悟しろ!」
 純一が銃の狙いを定めた。
 「止めて! もう終わりよ。もう終わりにしましょう」
 人殺しはさせたくなかった。人殺しをさせてまで、今の生活を守りたいとは思わなかった。ボクは優次郎の前に立った。
 「退け! 退かないと・・・」
 「わたしを殺したら、それこそ財産はあなたのものではなくなってしまうわ」
 そうなのだ。純一はボクを殺せない。絶対に。
 「く、くそ!」
 「観念しろ、純一君。何もかもすべて調べは付いているんだ」
 純一は構えていた銃をこめかみに当てた。
 「やめて! あなた!」
 「もう終わりだ。美子、俺のことをあなたと呼んでくれて嬉しいぞ」
 パンと花火が弾けたような音がした。純一がゆっくりと倒れていくのをボクは茫然と見ていた。



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