第7章 元に戻る予定の前日

 翌金曜日、目覚めて時計を見ると、午前6時半少し前だった。目覚ましが鳴らない前に俺は目覚ましのボタンを押して鳴らないようにしておいた。俺になった弘子を起こさないように気を使っている自分に腹がたった。
 なに、月曜日までの辛抱さ。それを過ぎれば元に戻れる。自分が狂っていないことがわかっているから気楽なものだ。
 俺はいつものように朝食を作り、弘子を起こして食べさせてから会社へと送り出した。掃除洗濯をこなし、暇な時間はテレビを見て過ごした。
 こんな楽な生活をしていて何が淋しいだ。贅沢を言うなよ。
 5時まで男がまっすぐ帰ってきたときのことを考えて夕食を作っておいたが、弘子が戻ってきたのは午後11時を回っていた。
 「お食事、すぐに温めますから」
 「遅くなるときは食ってくるって言っただろう?」
 弘子はそう言い残してバスルームへと消えた。予想通りだったので腹も立たなかった。俺は冷えた料理を残飯入れの中に捨てて皿を洗った。
 弘子は今日は俺とセックスするつもりはないようだ。俺が入浴している間に先に眠ってしまっていた。そのことが俺にとっては不満だった。
 これも虐めの一環か?

 元に戻るために13日に休みを取っていると言うことで、俺になった弘子は土曜は朝から会社に出かけていった。午後7時になっても帰ってこない。
 どうせまた遅く帰ってきて、夕食は食べないと言うだろうな。だったら、せっかく作った料理が無駄になるな。
 それでも午後8時まで待ってから、俺の分だけ夕食を作って食べた。片づけが終わった頃、玄関が開く音がした。
 「ただいま。アア、腹減った」
 しまったと俺は思った。しかし、それは顔に出さずに尋ねた。
 「お茶漬けにする?」
 「飯、作ってないのか?」
 「遅くなったらいらないって思って」
 「まだ9時だぞ。うちで食べようと思って少し早く帰ってきたんじゃないかよ。早く作れ!」
 やっぱりそう来たのか。くそ! 昨夜、俺があまり悔しそうな表情をしなかったから、手を変えたのだ。予想できたのに、弘子になったせいか、勘が鈍ったようだ。
 俺は悔しさを滲ませながら食事を作ってやった。弘子はそんな俺の顔を薄ら笑いを浮かべて見ていた。
 弘子のつらさを俺に思い知らせるためとは言え、度が過ぎていないか? 俺の我慢も限界に来ている。しかし、元に戻れない現状ではぐっと我慢するしかない。
 元に戻ったら、仕返ししてやる。いったんは反省しては見たものの、俺はそう思い始めていた。

 日曜日の朝が来た。いったんは6時半に目が覚めたものの、日曜日だと言うことに気がついた。弘子になって初めての休日。ゆっくり寝ていられると俺はベッドの中で寝返りを打った。
 ゆっくり寝ていようと言う目論見はすぐに消された。『俺』になった弘子が朝っぱらから俺に迫ってきたのだ。
 「イヤだよ!」
 俺は『俺』の手を払いのける。
 「女は女言葉を使えよ!」
 『俺』が俺の上にのしかかって、俺を睨み付ける。そして、俺の首筋に舌を這わせ始めた。
 「イヤだって言ってるだろう? 止めろよ!!」
 「いつもそう言うのに、止めたことがなかったな」
 『俺』がニヤリと笑った。俺の中にある弘子記憶にも、いくら抵抗しても無理矢理相手をさせられたという記憶がある。
 俺は抵抗する。しかし、『俺』の力は想像以上に強い。男と女でこんなにも力が違うのかと思い知らされる。
 いくら抵抗しても敵わなかった。パジャマのボタンが外されていき、露わになった胸を吸われ揉まれた。その間にも、パジャマのズボンもショーツも剥ぎ取られて、俺は全裸にされていた。
 愛撫されているうちに俺は感じてきて、うめき声を上げ始めた。
 「イヤだって言ってる割には濡れてきたじゃないか」
 こんな時に聞かされるいつもの言葉が『俺』の口から漏れる。こうして日曜日の朝は必ず、俺は、弘子は、夫たる『俺』に犯されていた。そう、結婚してからもレイプが続いていたのだ。
 こんな夫とはやり直しなんてもう出来ない!
 そんな思いが俺の中に突如沸いてきた。この思いは、俺のものだ。『俺』にはないだろう。しかし、元に戻ったとき、この記憶はどうなるのだ? この記憶が弘子の中に残るとすれば、俺に離婚届を突きつけるかもしれない。それを回避するためにはどうしたらいいんだ? 仕返しなんて止めて、弘子に優しくしてやらなければならないのだろうか? そう言うことだろうな。
 「あなた?」
 「何だよ?」
 俺の身体から舌を離して顔を上げた。
 「妻が嫌がっているのに無理矢理セックスなんてしたら、離婚されてもおかしくないわよ」
 「俺と離婚したいのか?」
 「こんなことが続けばね」
 「わかってるだろうけれど、止めるのはおまえだぞ」
 「・・・・わかってるわ」
 『俺』の表情が変わった。
 「これで入れ替わり作戦大成功だ」
 俺はふうと溜息をついた。
 「どうする?」
 『俺』が俺の顔を覗き込んできた。
 「えっ?」
 何のことだかわからずに俺は首を傾げて見せた。
 「ここまで来て止めるのか?」
 「別にわたしはどっちだっていいけど」
 それが正直な気持ちだ。俺は『俺』に愛撫されて少し興奮している。けれど、最後まで行ってしまわなくてもいいという気持ちなのだ。女というものはこんなものなんだろうか?
 それに引き替え、『俺』の方は止めるつもりなど毛頭ない様子だ。男はこの段階まで来たら、止めるなんて出来ないのだろう。俺の人格は男なのに、そこのところがどうもぴんと来ない。俺の感性はまったく女なのだ。
 「どっちでもいいのなら、いいな?」
 そう言うと、『俺』は俺への愛撫を再開した。いつもと同じいつものやり方。少しは勉強しなさいよと俺は心の中で呟いていた。呟きながら、元に戻ったら、やり方を変えなければならないのは俺だと気づく。ホントに妙なシチュエーションだ。
 身体の方は、愛撫され貫かれることに喜びを感じているのだが、俺としては、男の俺としては、そうされることへの違和感を拭いきれない。このギャップは如何ともし難い。
 けれど、結局は『俺』が俺の中に射精したとき、俺も行っていて、心地よいと感じていた。

 しばらく眠っていた。起き出したのは午前9時前だった。ブランチになりそうだなと思いながら、野菜サラダを作る。紅茶かコーヒーにトーストの朝食にしようと思っていた。
 9時半を回った。『俺』はまだ起きてこない。俺は洗濯物を洗濯機に入れてスイッチを入れた。
 部屋の掃除をしていると、眠い目をしながら『俺』が起きてきた。
 「今日はどうするの? 男としての最後の日よ」
 「パチンコでも行くかな?」
 頭をがりがりと掻きながら言う。
 「パチンコ? もっと他にすることはないの?」
 「そうだな。してみたいことと言ったら・・・・、他の女と寝ることかな?」
 顔を見たら冗談だと言うことがわかった。けれども、それでも俺は怒りと悲しみに襲われていた。
 「言っていい冗談と悪い冗談があるわ! どうしてあなたはいつもそうなの!!」
 「今後は改めてくれるんだろう?」
 そう言われて俺は言葉に詰まった。改めなければ俺なのか・・・・。
 「パチンコ、行こう。どうだ? おまえも一緒に行くか?」
 弘子の記憶の中には、パチンコに行ったと言う記憶はない。夫に誘われたという記憶もないのだ。
 「うん、行ってみるわ」

 パチンコに行くと言っても一応外出だから、俺は化粧を施した。『俺』はまだかまだかとやかましい。
 「お待たせ」
 俺は『俺』の腕を取った。弘子の記憶が俺にそんな行動を取らせる。
 「馬鹿野郎。いい年して」
 「いい年って、わたしたちまだ若いわよ」
 嫌がる『俺』に無理矢理くっついて近くのパチンコ店まで歩いていった。
 「わあ、脂臭い!」
 俺はタバコを吸う。しかし、弘子は吸わない。弘子の身体になって、タバコがこんなイヤな匂いなのかと実感させられた。
 「パチンコ屋はみんなこんな匂いだ。さて、どの台にするかな?」
 麻雀ではいつも負けているけれど、パチンコでは結構勝って大きな袋を持って帰っていた。『俺』は台を見て回り、俺にこれでやれと座らせ、『俺』は少し離れた台で打ち始めた。
 ハンドルを回せばタマが出るとはわかっていたけれど、どうやったらうまく穴に入れられるのかわからない。迷っているうちにタマがなくなってしまった。
 『俺』の方はと言うと、早速リーチが掛かりすぐに大当たりとなった。俺の方を見てやったとばかり笑顔を向けてきた。
 「タマをやるよ」
 両手一杯のタマを俺にくれる。『俺』はタマを出し続けたが、俺の方はすぐになくなってしまった。
 そんなことの繰り返しで、結局俺は台から離れて『俺』のプレーが終わるのを待っていた。
 「勝った。勝った」
 大きな袋をふたつずつ抱えてマンションまで戻った。

 「パチンコって面白いな」
 マンションに帰り着くと、『俺』が言った。
 「そう?」
 俺は不機嫌そうに答えた。
 「麻雀は止めて、パチンコだけにしたらいいわね」
 女言葉で『俺』が言う。
 「そう言うわけにはいかなかったんじゃないの?」
 俺自身が弘子に語っている。付き合いだから、負けるとわかっていてもやらざるを得ないのだ。
 「そうか。そうだよな」
 ピンポーン。
 チャイムが鳴った。
 「あら? 誰かしら? 宅配便かしらね」
 俺は立ち上がって玄関へ向かった。
 ピンポーン。
 ずいぶん性急な人物だなと思いながら、ドアを開いた。
 「はい。どなたでしょう?」
 「ご主人はおられますか?」
 人相の悪い男だった。後ろにもうひとり男が立っていたが、この男も決して人相がいいとは言えなかった。
 「いますけど、いったい何の用でしょうか?」
 「すみませんがここへ呼んで頂けますか?」
 丁寧だが、威嚇の籠もった口調だった。
 「あなた! お客さんよ」
 「誰?」
 『俺』がふらふらと玄関に出てきた。男が懐から一枚の書類を取り出した。
 「横領と背任の罪であなたに逮捕状が出ています。署までご同行願います」
 横領と背任! 俺は『俺』の顔を見た。
 「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 『俺』が青ざめる。青ざめたところを見ると、覚えがあるのだ。覚えがある。つまりそれは俺の記憶だ。俺がやったことだ。しかし、俺の記憶がない今の俺には、まったく覚えがない。
 「待つわけにはいきません。さあ!」
 男が玄関へグイと入り込んできた。
 「一日。一日だけ待ってくれ。そうしたら、こちらからで向いていく」
 「それは出来ません」
 「お願いです」
 『俺』は涙目になる。
 「ダメです」
 冷たい返事を男は返した。
 「イヤだ!」
 『俺』は部屋の中に逃げ込む。失礼しますよと言い放って男たちがなだれ込んできた。部屋の中に逃げてもどこへも逃げられない。窓から飛び出そうものなら、転落死してしまうからだ。
 「お願いだよ。一日だけ待ってくれよ」
 そう喚きながら、『俺』は手錠を掛けられて引っ立てられた。
 「あなた! 助けて! お願い!」
 『俺』が俺に向かって叫んだ。刑事たちはちょっと驚いた顔をして『俺』を見た。
 「あなた! 何とか言ってよ!!」
 なんと言えばいいのだろう? 俺が『俺』だと言えばいいのか? そんなこと言っても誰も信じないだろう。
 『俺』は助けて助けてと叫びながら、連行されていった。



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