第14章 人格交換器には欠点が・・・・

 都内のホテルにある奥まった場所にある小部屋の前に小さな看板が出ている。
 『幸せ研究所・相談会会場』
 部屋の中には、一組の男女とそのふたりに向き合う形でふたりの男が座っていた。その男のひとりは、あの大隈六兵衛だった。
 今日はあのみすぼらしい格好ではなく、ワイシャツにネクタイをして、糊のきいた白衣を着込んでいる。
 「それでは契約成立と言うことで、この書類にサインをお願いいたします」
 もうひとりの男、大隈の助手をしている佐々木井織が男女の前に契約書の書類とボールペンを差し出した。男の方がボールペンを取って書類に名前を書き始めた。
 「何度も言いますが、人格交換後は過量のアルコールを摂取したり、セックスなどの精神的ストレスは避けるようにお願いしますよ」
 「もし、そんなことをしたらどうなるんでしょうか?」
 「元に戻れなかったり、最悪の場合、人格が破壊されて、一生精神病院と言うことになりかねません」
 「わかりました。気を付けます」
 男の方が契約書を書き終わる。
 「それでは、人格交換の実施は次の土曜日午前10時ということで、その地図に従って研究所の方へお越し下さい」
 佐々木が言うと、女の方がハイと答え、男女は立ち上がって部屋を出て行った。
 「何組目だ?」
 「今の夫婦で5組目ですね」
 契約書類を数えて佐々木が答えた。
 「100万と言うことか?」
 「そうですね。このホテルの使用料や機械の電気料などの必要経費を引くと、純益は80万ちょっとですかね?」
 「苦労の割に少ないな。やはり、性別を変えたい男女の方が儲かるな」
 「それはそうですよ。連中なら、ひとり100万と言っても支払いますからね」
 「早く新しい機械を導入しなければならんな」
 「はい」
 「見積もりはどうなっている?」
 「ちょっとお待ち下さい」
 佐々木は床の上に置いてあった鞄の中から茶封筒を取りだし、中から書類を抜き出した。
 「1億2千万あまりですね」
 「そりゃ高い。3千万に負けさせろ」
 「3千万! 4分の一ですよ。ちょっと無理じゃないですか?」
 「スパコンなんて、値段があってないようなものだよ。それくらいまけてくれる。交渉次第だ。佐々木君で埒が明かなかったら、わたしと直接交渉するように言ってくれたまえ」
 「はい、わかりました」

 コンコンコン。
 「おっ! 次のお客だ」
 佐々木が立ち上がって、ドアを開いた。可愛らしい女性が立っていた。
 「あのう、ここでわたしの望みを叶えてくれるって聞いたんですけど」
 「伺いましょう。中へどうぞ」
 佐々木が女性を部屋の中に招き入れ椅子に座らせた。
 「どうも。幸せ研究所の大隈と言います。あなたのお名前と望みというのをお聞かせ下さい」
 ニッコリと笑って大隈はその女性を見た。それから、オヤッというような表情を浮かべた。
 「わたしの名前は、島田洋子と言います。わたし、男になりたいんです」
 大隈は、やっぱりというような表情を浮かべた。
 「島田さん、ちょっとお待ち下さいね。佐々木君、ちょっと」
 大隈は佐々木を部屋の隅に引っ張っていってこそこそと耳打ちした。
 「あの女性、以前も研究所に来たことがあるよな」
 「博士もそうお思いになりましたか。わたしも彼女の顔に見覚えがあるような気がしていました。名前を聞いてこれは間違いないと」
 「うん。この前は、女優さんと同じ名前ですねといった覚えがあるんだよ」
 「そうそう。そうでした」
 「どうするかな?」
 「以前研究所に来たことを覚えていないのなら、幸いですよ。やってあげましょう」
 「ただし、新しい機械でないとダメだな」
 「そうですね。値段交渉を急ぎましょう」
 「頼んだぞ」
 大隈は席に戻った。
 「失礼しました。では、お話の続きを」
 「わたし、子どもの頃から女の身体に違和感があって・・・・」
 島田洋子と名乗った女性は延々と話を続けた。実のところ、大隈も佐々木もこの女性から同じ話を聞いていたから欠伸をかみ殺しながら聞いていた。
 「お話はわかりました。あなたの望みを叶えることができます」
 「ホントですか?」
 「はい。ただし、女性になりたい男性を捜すのに少し時間が掛かります。お待ち頂かなければなりませんが」
 「どれくらい?」
 「そうですね。ひと月くらいでしょうか?」
 「ひと月くらいなら待ちます。是非お願いいたします」
 「それでは契約書にサインを」
 「お支払いは?」
 「成功報酬と言うことにしてあります。我々の良心の表れです」
 「それなら安心です」
 女性は書類にサインした。サインしながら、女性は首を傾げる。
 「どうかなさいましたか?」
 「いえ・・・・。何だか以前にもこうやってサインしたような・・・・」
 大隈と佐々木は困ったように目配せする。
 「わたしの勘違いでしょう」
 「そうでしょうな。それでは、いい相手が見つかりましたら、ご連絡いたしますので、お待ち下さい」
 「お願いいたします」
 女性は頭を下げて出ていった。
 「ビックリしましたね」
 佐々木が椅子にどさりと腰を下ろした。
 「ああ」
 大隈は息を吐く。
 「2度目はダメだと説明していますが、大丈夫ですか?」
 「完全に固定してしまえば、大丈夫だろう」
 「だろう・・・・ですか?」
 「イヤ、間違えた。大丈夫だ」
 大隈の表情に少し不安がありそうに思った佐々木だが、それ以上追求しなかった。

 コンコンコン。
 「おや? またまたお客さんのようですね」
 「お通ししなさい」
 「はいはい」
 佐々木が椅子から立ち上がってドアを開いた。
 「先生。男に戻してきましたよ」
 入ってきたのは、がっしりとした体格の男性だった。
 「ああ、キミか。見違えたよ」
 「そうでしょう? ホルモンを止めて、トレーニングして鍛えてきましたから」
 「うん。これなら大丈夫だ。早速契約書にサインを」
 「よかった。じゃあ、すぐに」
 男性は、佐々木が差し出した書類にサインをする。大隈はその男性を見ながら、どうしてこんな男が女になりたいんだろうなと思う。

 その男性が大隈を訪ねてきたのは3ヶ月前のことだ。身長が180センチほどもあり、今ほどではないがそれでも男性らしい体つきをしていた。ただ、なよなよとして気持ち悪いという印象を受けた。
 「わたし、女になろうと思って、ホルモンを始めたんですけど、この研究所のことを聞いて・・・・」
 「ホルモンを始めた? いつ頃から?」
 「半年ほど前です」
 「半年ならまだ間に合うな」
 「どう言うことでしょうか?」
 「説明しましょう。この研究所のやり方についてどれくらいの情報を持っていますか?」
 「え? どれくらいって・・・・。わたし、ただ、作り物じゃなくてホントの女にしてくれるって聞いて・・・・」
 「ふん。そんなことだと思った」
 「噂は嘘なんですか?」
 「いや、本物の女にしてあげられますよ」
 「ホントに?」
 「はい。間違いなく」
 「ホントだったのね」
 大男は喜びの声を挙げた。
 「方法というのは、男性になりたい女性と人格を入れ替えるのです」
 「人格を入れ替える?」
 「そうです」
 「そんなこと、できるんですか?」
 「できるのです。それでみんな幸せになっています」
 「やってください!」
 「やるためには、男性になりたい女性を見つけなければなりません。その上で、お互いに入れ替わってもいいと同意したときに初めて人格の交換を行います」
 「なるほど。ホルモンが何の関係があるのですか?」
 「相手の女性のためです。男になりたがっているわけですから、女性ホルモンなど使っていると拙いわけです。あなたが男性らしければ、らしいほどいいのですね」
 「あ、そうか。なるほどわかりました」
 「今すぐに女性ホルモンの摂取を止めれば、元に戻るでしょう。戻った上で人格交換をやりましょう」
 「わかりました。早速実行して男らしくなってきます」

 そう言う話をしたのが3ヶ月前だったのだ。
 「相手を捜すまでもう少し待って頂かなければなりませんが」
 大隈が言うと、大男はニッコリと笑った。
 「わたしと入れ替わってくれる女性を見つけてきました。下の喫茶店で待っています。彼女が来たら今日にでもやって頂けますか?」
 「今日? 今日は遅いですから、そうですね、じゃあ、明日研究所の方に来て頂くことにしましょうか?」
 「明日ですね。よかった。じゃあ、彼女を呼び寄せてもいいですね?」
 「いいですよ。彼女にも説明した上で契約書にサインして頂きましょう」
 大男は、一階にある喫茶店へと駆け下っていった。しばらくして大男が小柄な女性を連れて戻ってきた。
 ショートカットで、Tシャツにジーンズ、スニーカーを履いている。一見すると可愛らしい男の子に見えた。
 「話は聞きました。男になりたい、彼になりたいと?」
 「ハイ。その通りです」
 「男性ホルモンなどは使っていないでしょうね?」
 「使っていましたが、彼の話を聞いて止めました」
 「女性としての機能は?」
 「先月から生理が戻っています。だから、大丈夫だと思います」
 「そう。それなら、いいでしょう。今回のように、入れ替わる相手を見つけて一緒に来て頂けると手間が省けて助かりますよ」
 大男とボーイッシュな女は顔を見合わせニコリと笑った。
 「それでは説明いたしましょう」
 大隈の長々とした説明がなされた。
 「説明はわかりました。是非お願いいたします」
 「では、契約書にサインを」
 サインの終わった契約書を大隈は確かめる。
 「明日は何時に伺えばよろしいでしょうか?」
 「ちょっと待って下さいよ」
 大隈は手帳を取り出してペラペラとめくる。
 「午前10時ではいかがでしょう?」
 「午前10時ですね。いいかな?」
 大男がボーイッシュな女性に尋ねる。
 「いいよ」
 「じゃあ、10時に伺います」
 ふたりが出て行ったあと、大隈は時計を見た。
 「今日はこれまでだな」
 「そうですね」

 翌日午前10時に研究所にやってきた大男とボーイッシュな女は、人格交換器で入れ替わり、飛び上がって喜び帰っていった。
 そのふたりと入れ替わりに、島田洋子が男性を伴ってやってきた。大隈は、先のふたりと同様島田洋子が自分で相手を見つけてきたと喜びながら部屋に導いた。
 「御自分で相手を見つけてきたんですな。ならば、早速今からやりましょうか?」
 両手を揉みながら大隈が島田洋子に言うと、島田洋子は憮然として答えた。
 「昨日、何だかおかしいなって思ったんですけど、わたし、以前もこの研究所に来ていますよね!」
 「あ、は、はあ」
 「2年前、この大塚幹弘さんと人格交換したはずです。なのに、どうして元に戻ってしまったんですか!」
 「大塚幹弘さん・・・・。顔に見覚えがあると思いましたよ」
 「そんなことはどうでもいいでしょう? いったいどうなってるんですか!」
 「あ、まあ、落ち着いて。どうぞおかけになって下さい。説明いたしましょう」
 怒りを露わにしていた島田洋子は、大隈を睨みながら椅子に腰掛けた。
 「島田洋子さんと大塚幹弘さんは、2年ちょっと前、互いに人格を交換しました。そうでしたね?」
 「そうです。昨日、家に帰ってから思い出しました」
 「我々の機械で入れ替えたのは、人格と一部の記憶だけでして、大部分の記憶の方は元のままです。これは説明しましたが、覚えておられますか?」
 「ええ」
 「記憶が元のままというのは、入れ替えたあとで生活していく上ではまことに便利なのですが、どうも問題が発生したようでして」
 「元に戻るという?」
 「いえ、そうではないのです」
 「じゃあ、どうして元に戻っているの?」
 「元には戻ってはいないのです」
 「でも戻っているわ!!」
 島田洋子は椅子を蹴倒して立ち上がった。
 「ま、まあ、まだ説明の途中ですから、お座りになって」
 怒りに肩を振るわせながらも島田洋子は椅子を起こして座った。
 「そもそも人格というものは、多少は個性があるにしても育った環境によって形成されるものなのです」
 島田洋子は黙って聞いている。
 「何番目に生まれたかとか、性別とか、親子関係、親の経済状態、友人関係その他いろいろの要素によって変わります。長男はおっとりしているとか、末っ子は我が儘とかそう言ったことですね。おわかりですか?」
 「ええ、わかります。それがどうしたと言うんです?」
 「交換した人格部分は、元の記憶部分に比べて小さなものでしてね。あなたには、大塚幹弘さんの人格があるはずなのですが、島田洋子さんの膨大な過去の記憶によって人格が変えられていくのです」
 「はあ?」
 「変えられると言うよりも、置き換えられると言った方が正しいでしょうか?」
 島田洋子は目を見張った。
 「このことは最近あなたと同じように元に戻った人が現れて初めてわかったことでして・・・・」
 「さっき元には戻っていないと言ったわ」
 「大塚幹弘さんの人格が完全に消えてしまったわけではないのです。大部分は、島田洋子さんの人格ですけれど、大塚幹弘さんの人格も少し残っているはずです。だから、元に戻ったわけではないと」
 「大部分がわたしの人格なら、元に戻ったのを同じだわ」
 「ま、そうも言えますが・・・・」
 「わたしに記憶が戻らなければ、もう一度同じことをやって儲けようと思っていたんでしょう!!」
 「あ、イヤ。そう言う訳じゃなくて」
 言い寄られて大隈は冷や汗を流す。
 「返して! 2年前に払った100万を!!」
 「い、いえ、ですから、今度は完璧に入れ替えてお見せします。もちろん今回は料金はいただかないと言うことで」
 「また元に戻るんでしょう? お断りだわ」
 「今度は大丈夫です。間違いありません」
 「自信があるの?」
 「もちろんです。説明しましょう」
 話を聞いてからでも遅くないと思ったのか、島田洋子は椅子に座った。
 「実は人格交換器2号を制作中でしてね」
 「制作中? いつできるのよ。何年も待てだなんて言うつもりじゃないでしょうね?」
 かなり激しい口調で尋ねた。
 「来月にはできあがります」
 「どこが違うの?」
 「今度は、人格部分だけではなく、記憶部分も入れ替えます。そうすれば、自分の記憶ですから今回のように人格が影響を受けませんから決して元には戻りません」
 島田洋子はちょっと考える。怒りの表情が消えた。
 「大丈夫なんですね?」
 「はい。ただ問題が・・・・」
 「問題! また問題があるの?」
 島田洋子は目をつり上げた。
 「先ほど言いましたように、人格部分と同時に記憶部分を入れ替えますと、元の記憶がまったくないわけですから、入れ替わった相手としてすぐに暮らしていくのが困難なのです。おわかりですか?」
 「あ、そうか。そうですよね」
 「一時的な人格交換の場合は、1号機の方が便利なのですが、あなたがたのように永久に入れ替わりたいと望む人にとっては、1号機は不向きで、2号機がいいと言うことになります」
 「でも、相手の記憶がないから不便ね」
 島田洋子は大塚幹弘の顔を見る。大塚幹弘が頷いた。
 「それを解決するためには、ノートなどに生活していく上で必要なことを書き記しておけばいいと思います。例えば、家族のことや友人のことなどです」
 「わかりました。2号機は来月できるんですね?」
 「来月の中頃には」
 「もちろん無料でやっていただけますね」
 「・・・・はい」
 仕方がないと大隈は返事をした。
 「じゃあ、また来るわ」
 怒りの顔はもはやなくなったふたりが出ていった。
 「教授、2号機を手がけていてよかったですね」
 「うん。しかし、これまで入れ替えた連中が押しかけてこなければいいが。そうなれば儲けがフイだ」
 「そうなったらそうなったときでしょう。教授、楽観的に行きましょうよ」
 「そうだな」
 佐々木の考えは甘く、2号機が完成してからしばらくの間は、以前性別を変えたいと言って1号機に掛かった連中の再交換に時間が潰されたのだった。

 吉岡弘子は、うっとりとした表情を見せながら赤ん坊におっぱいをやっていた。弘子にはもはや『俺』の人格の欠片もなかった。いや、めそめそと泣き虫でいつも悲観的だった弘子の性格が、いつも明るく楽観的になったのは『俺』の性格の名残かもしれない。
 一方、精神病院に収容されていた『俺』の方は、『わたしは弘子よ』と言うことはなくなり、いつも涙を流して横領の罪を反省していた。医者は薬が効いたせいだと思いこんでいたのだが、交換された弘子の人格が、『俺』の記憶によって書き換えられたなどとは到底想像できなかった。



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