第1章 思い出せない夢

 高い切り立った山の頂上に俺は立っていた。見渡すばかりの雲海の遙か向こうに太陽が昇る。太陽の光が俺の雄姿を照らす。俺は両手を大きく広げて身体一杯に太陽の光を浴びていた。
 と、突然、足元が崩れ始め、俺の身体が揺らぐ。懸命にバランスを取ろうとするのだが、ついには俺は山の頂上から落下してしまった。
 切り立った崖を俺は落ちていく。真っ暗闇の底めがけて。
 落ちて落ちて最後に俺は大きな洞穴の中に落ち込んでいた。洞穴の中は山の頂上と違って暖かい。俺は、山の頂上よりも洞穴の中の方がいいなと笑みを浮かべた。

 夢を見ていた。いや、夢を見ていたと思った。と言うのも、見ていたと思った夢の内容をまったく思い出せないのだ。
 思い出せないと言うことは、夢など見ていなかったとも言える。だけど、確かに夢を見ていたという、確信めいたものが俺にはある。何とか思い出そうとするけれど、どうしても思い出せない。
 どうしてだろうか? 俺は考えてみる。
 俺が見た夢は、きっと思い出してはいけない夢なのだと思う。思い出してはいけないと言う自己抑制が掛かっているのだ。
 例えば?
 そうだな。妻以外の女と寝た夢なんかどうだろう? そんな夢だったら、見ているときは楽しくて、結構喜んでいたに違いない。けれど、妻に悪いと思うから思い出したくない。うん。可能性は高いな。
 夢に出てくる浮気の相手は誰だ?
 俺の夢の中に出てくる女性と言えば・・・・、スナック『エモーション』のママ、坂井英子だろうか?
 スナック『エモーション』は、新宿の裏通りにある。ちょっと危なそうな場所にあるから、一見のお客はまずやってこない。俺も会社の同僚の案内がなかったら、絶対に行かなかった場所だ。
 危ない場所にはあるけれど、明朗会計の店で、これまでぼられたことなど一度もない。ボトルキープをしても、万札一枚で足りるくらいだ。
 ママの坂井英子は、銀座にある高級クラブのホステスだったらしいが、3年ほど前そのクラブが不況のあおりで閉店に追い込まれ、それまで貯めていた貯金を叩いてスナックを経営していると言うことだ。
 パトロンがいるという噂があるが、誰もそれを確認してはいない。確認はしていないが、いるのは確かだろう。
 目立たない看板の横にある狭い階段を上がって最初にある右側の扉を開けると、『エモーション』がある。カウンタ席が5席とテーブルがひとつという小さなスナックだ。その小さなスナックがいつも満員なのは、英子ママの美貌に負うところが大きい。『エモーション』を訪れるお客の大部分はママ目当てだろう。ま、女がいないスナックに行く男などいるとも思えない。いるとすれば、そいつはホモだ。間違いない。
 英子ママ。うん、あの人は俺も好みの女性だ。年の頃はせいぜい30過ぎと言ったところ。茶髪のショートカット。少女の様なクルクルと愛らしい瞳。何より、唇の格好がいい。あの少し厚めの唇で俺の大事な息子を銜えられたら、どれほど気持ちがいいだろうか? ぞくぞくする。
 それに、小さな身体に似合わない大きな乳房。あの大きな乳房でパイずりされてみたい。いいなあ。
 ウエストだってキュッと締まっている。抱いたら折れそうだ。ムチッとしたヒップも俺をそそる。
 割れ目は小さいだろうな。それがわからないくらいに濃い毛で覆われているはずだ。情が深い女はあそこの毛が濃いって言うじゃないか。
 英子ママを泣かせてみたいな。きっといい声を挙げるだろうな? 英子ママの声は、俺の大好きな南野陽子に似た可愛らしい声だ。その声で、いいわ、もっと強く抱いて、などと言われた日には、もう耐えられんな。
 俺のデカマラを英子ママのあそこにぶち立てて喘がしてやりたい。自慢じゃないが、俺のは大きいんだ。田舎の農家出で、大学も三流、仕事もそこそこくらいだけど、あそこの大きさだけは自信がある。一時は本気でAV男優を目指したくらいだ。
 英子ママでないとすれば、誰だろう? 俺が浮気するとしたときの第2候補はと・・・・。
 総務の岡崎恵子だろうか? 岡崎恵子は短大卒で入社して4年目だ。だから、年は23か24だろう。彼女もショートカットだ。
 そう。俺はショートカットの女性が好きだ。それなのに、妻は髪を胸まで伸ばしている。女は髪の毛が長くなければと言うのが、妻の言い分だ。俺はそれに反論できない。どうも他に理由がありそうな気がするのだが、それを聞いたって仕方のないことだからあえて聞かない。まあ、髪の毛の長い女性がまったくダメだというわけではないから、おまえの好きにしろと言っていて別に文句は言わない。
 で、岡崎恵子もボインだ。会社の制服からこぼれ落ちそうに大きい。あの胸の間に顔を埋めてみたいと思う男は俺だけではないだろう。
 タイトスカートから覗く足の格好もいい。あの足首の締まり方からすると、あそこの締まりもいいはずだ。
 そんなのは俗説だって? そんなことはない。現に妻のあそこの締まりは最高だ。妻と結婚するとき、Dカップの胸と締まった足首で最終決定したくらいだ。
 ま、そんなことはどうでもいいことだけど、岡崎恵子の難点と言えば、ウエストが太いことかな? 服の上からしか判断できないから、もしかしたら、思ったよりも細いのかもしれない。彼女もあの時はいい声をあげそうな気がする。
 第3候補は、いつも行く喫茶店のウエイトレスだな。名前は恵美とか言ったな。あの子もショートカットの可愛い子だ。年令はまだ19才とか言っていたけれど、絶対に嘘だ。22は超えている。
 ウエイトレスの制服に包まれたヒップの形がいい。最高だ。ヒップだけを取れば、妻よりもいいとさえ俺は思っている。
 起坐位で彼女のヒップを揉みながら・・・・。ああ、思っただけで興奮するな。
 他に俺の夢に出てきそうな女性と言えば・・・・。もう、いないな。後は妻くらいなものだろうけれど、妻とセックスしている夢だったら思い出すはずだし、そんな夢など見たくもない。見ても何にも面白くないからだ。浮気だからこそワクワクするのだ。
 でも、そんな夢を見たのだったら、勃起していても良さそうなものだが、俺の股間にそんな感触はない。だから、浮気の夢ではなさそうだ。
 となると、どんな夢を見ていたのだろうか? 人に言うにはあまりにばからしい荒唐無稽な夢?
 例えば、スーパーマンになって空を飛ぶ夢? そう言えば空を飛んでいたような気がする。そうか、スーパーマンか。世の中の悪事を暴いてやっつけるヒーローの夢だ。こんな子どもみたいな夢なんて、他人にはとても言えないな。
 人には言えないけれど、俺が覚えている夢の中にはこんな夢が多い。空を飛ぶ能力が備わって、テレビ局がやってきて、俺は一躍時の人になる。日本中の女性から羨望の眼差しを向けられる。どんな美人もよりどりみどりだ。
 でも、こんな夢だったら、思い出せないはずがないのだ。それなのに、思い出せないところを見ると、この手の夢じゃないってことだ。
 やっぱり夢など見ていないんじゃないかって? いや、夢を見ていたのは間違いない。ただ、思い出せないだけだ。ちょっとした、ちょっとしたきっかけがあれば、思い出しそうなんだ。ああ、まどろっこしいなあ。
 「ピッ!」
 小さな電子音が寝室に響き渡った。見上げると、壁に取り付けられたエアコンのスイッチが入っている。起きるとき寒いからと、妻の弘子が起きる30分前にエアコンのタイマーを設定していたのだ。2、3分すれば、エアコンから暖かい風が送り出されてくるだろう。
 弘子がベッドから抜け出す時間は、毎日午前6時半だ。すると、今は午前6時ということになる。いろいろと考えていた時間を考えれば、俺が目覚めた時刻は午前5時半頃だろうか?
 俺はいつも午前7時少し前に弘子に起こされる。洗面所で顔洗い、歯を磨いてダイニングキッチンへ行き、7時のNHKニュースを見ながら新聞を読む。それが俺の朝の日課だ。
 それなのに、今朝は1時間以上も早く目覚めてしまった。昨夜はそんなに早く寝た訳じゃ・・・・。あれ? 何時に寝たんだっけ? いくら考えても、思い出せない。あれ? あれ? おかしいな?
 イヤ、待てよ。そうそう、入浴して、エアコンのタイマーを入れて寝たんだった。時計は、午前0時だった。そう、午前0時。間違いない。
 「ブオッ」
 エアコンから暖かい風が吹き出始めた。また、3分経過した様だ。弘子に起こされるまでまだ1時間あまりある。
 眠らなきゃ。仕事に差し支えるよ。
 俺は布団を頭から被る。目を瞑る。眠れない。眠ろうと思えば思うほど眠れなくなってしまう。人間とはおかしなものだ。
 あれ? 今まで俺は何を考えていたんだ? そうだ。夢を見たような気がして、どんな夢だったか思い出そうとしたんだが・・・・。
 あれ? あれ? ぜんぜん思い出せないなあ。もう一度やり直しだ。えっと、どんな夢を見ていたんだったかな?
 おや? 何か思い出しそうだ。ぼんやりと夢の輪郭が浮かび上がってきた。
 夢の中で、俺は真っ白な部屋の中にいた。場所はどこだかわからない。床はリノリウムだ。足の裏に冷たい感触があったのをよく覚えている。
 見下ろした俺の足が見えていた。俺の足ではない様な気がした。夢の中で俺は首を傾げてみたけれど、右足を持ち上げると、俺の意志に従って動いたから、これは俺の足だと思ったんだった。俺の足だとは思ったんだけど、違和感は拭いきれなかった。
 そうそう。それから、足を上の方に辿って俺はビックリしたんだ。俺は普段、柄物のトランクスを穿いている。それなのに、その時穿いていたのは、なんと小さな花柄が並んだものだった。それに股とウエストの部分にレースの飾りまでも付いていたんだ。
 あれは男物じゃなかった。女物のパンツだと思った。どうしてこんなものを穿いているんだ! そう思ったとたんに目が覚めたんだった。
 もう一度夢の内容をジッと思い出してみる。・・・・やはり小さな花柄のパンツだ。それもピンク色のものだ。絶対に女の下着だ。間違いない。どうしてあんなものを穿いている夢を見たんだろうか?
 女の下着を身に着けてみたい? 誓って言うが、俺は今までそんなことを思ったことがない。嘘じゃない。絶対にない!
 心の奥底に女物の下着を着てみたいという願望があるんじゃないかって? ない、ない。絶対にない!
 女の下着姿は好きだけどな。だけど、自分で着てみようなんて思ったことなどないぞ。神仏に誓ってこれは本当だ。
 じゃあ、どうしてあんな夢を見たんだろう?
 ドイツのフロイトって学者の説に寄れば、夢というのは抑圧された欲求、特に性的欲求の表れだという。
 女物の下着を穿く夢って言うのは、どんな欲求の表れだろうか? やはり女になりたい? そんなこと思ったことがないけどなあ。
 男だから、夫だからと無理難題を押しつけられるのがイヤで、女に逃げ出したい? ・・・・それならあり得るかも。そうかもしれないな。男として生きるのは結構ストレスだからなあ。
 あ、いや。だからって、今更女になりたいなんて思わないぞ。俺は立派な男だからな。それに、俺が女になったとしたら、とても見られたものじゃないよ。あまりのブスで、そっちの方を悲観して自殺しそうだよ。
 「ジリジリジリリ」
 目覚ましがけたたましく鳴り始めた。弘子が起きる時間だ。と言うことは、午前6時半になったということだ。あああ、もう眠れそうもない。参ったな。
 「ジリジリジリリ」
 それにしても、弘子のヤツ、いつまで目覚まし時計をならすつもりだよ。まったく起きようともしないので、俺は目覚まし時計の頭をポンと叩いてベルを止めた。
 「あれ?」
 妙なことに気がついた。弘子が朝起きるためにセットしてある時計は、弘子の頭の左側に置いてある。俺が時計を止めようとすれば、起きあがらなければ止められないはずだ。だけど、俺はさっき、左手を頭の上に伸ばしただけで時計を止めた。どうなっている?
 言いしれぬ不安が俺を襲ってきた。俺は目を見開きその状況の把握に神経を集中させる。俺は、俺に起こっている事態を理解しつつあった。信じられない事態を。



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