第8章 実行された殺人劇

 土曜日の夕方、壮一に変装した三木が千代田のマンションを壮一の車で出て行った。そのすぐあと、絵理子に化けた壮一がマンションを出た。壮一は、どこかのモーテルで壮一の姿に戻るつもりだ。そうしなければ、ふたりの壮一がマンションを出て行くことになり、ガードマンに不審がられるからだ。
 壮一は、スーツ姿に戻って壮一の実家に戻った。そこで親戚を招いてのパーティーを開く予定だった。アリバイ作りのためだ。
 午後6時、パーティーが始まった。壮一は、挨拶をして回る。
 「やあ、叔父さん、元気だった?」
 「壮一、この大事なときに、こんなパーティーなんてやっててもいいのか?」
 「こんな時だからこそ、息抜きが必要なんだ」
 田倉洋治は少し不満そうな顔をしながらも、バーベキューに舌鼓を打っていた。

 午後9時、三木から最終の電話が入った。
 《壮一、俺だ。今からやるぞ。アリバイの方はいいな?》
 「大丈夫だよ。ほら、わいわいやってるだろう? ここにいるみんなが証人だよ。そことこことは車で1時間離れている。どんな手段を使おうとも、ボクがそこで殺人を犯すのは不可能だよ」
 《よし。決行だ》
 「気をつけてね。くれぐれも間違いのないように」
 《わかってるって。あとで会おう》
 電話が切れた。壮一はニヤリと笑ってテープレコーダーの停止ボタンを押した。パーティーは8時にお開きになっていた。しかも、壮一は用事があると言って、午後7時50分頃実家をあとにしていた。壮一は、モーテルで着替えて絵理子の姿になり、千代田のマンションに戻っていた。三木は、テープレコーダーから流された喧騒をパーティーが今行われていると思いこんだのだ。
 壮一は電話帳を見ながらダイアルする。
 「大塚恵さんでしょうか? わたし、田倉の家内です。ええ、いつも主人がお世話になっております。遅くに申し訳ないんですけど、主人のことについてちょっとお話があるんですけど、今からお会いできないでしょうか? ええ、あなたのマンションの場所はわかります。すぐに車で出ますから、30分ほどで行けると思います。下に着いたら、携帯で電話しますから。それでは後ほど」
 大塚恵に彼氏がいないことはわかっていた。だから田倉絵理子からの誘いならば、きっと出てくるだろうと予想していた。もし、断られれば、それはその時だと思っていたのだが、うまく誘い出せそうだ。壮一はこの件で、すべてがうまく運ぶだろうとの予感を強めていた。

 大塚恵のマンションの下に着くと、恵はすでにマンションの下で待っていた。上司の妻からの誘いと言うことで、気を利かしたのだ。
 「大塚恵さんですね?」
 なんの用事かしらと訝しげな目をしながら恵はハイと答えた。
 「田倉です。どうぞ。お乗りになって」
 「失礼します」
 恵はシックなベージュのツーピースを着ていた。車に乗り込んでシートベルトをするのを待って、壮一はあたりに誰もいないことを確かめて、恵に注射の針を突き立てた。
 「奥さん! な、何をなさるんですか!」
 「何をって、あなたにある男と死んで貰うのよ」
 「ええっ!」
 「田倉壮一とね」
 「どうして・・・・」
 「あなた。田倉壮一があれだって気づいていたわね」
 「あれって・・・・」
 恵の身体から力が抜けてくる。
 「そう。あれだよ。気づかなければこんなことはならなかったのに、残念だったな。大塚君」
 壮一はそれまでの高い女言葉から、トーンを落として壮一の口調に戻した。その時には恵は意識を失っていた。
 恵のバッグの中の携帯が鳴った。壮一は表示された番号を確かめてから、手袋をした手で携帯を取ってスイッチを押す。
 「・・・・」
 相手は何も喋らない。相手はわかっている。三木だ。預けておいた壮一の携帯から、恵に電話をかけるように頼んでおいたのだ。
 一分ほど待って電話を切った。

 壮一は三木との約束の場所へ車を走らせる。携帯が鳴った。壮一は車を路肩に停めて電話に出た。
 《壮一か? マスクが、マスクが取れないんだ》
 切羽詰まった声がスピーカーから流れてくる。
 「もうすぐ着くから、そこで隠れて待ってて」
 《早く来てくれよ。今捕まったら、まずいことになる》
 「わかってるわよ」
 壮一は再び車を走らせた。10分ほどで約束の場所に着いた。物陰に壮一の車が停まっていた。
 壮一が車を停めると、壮一の顔をした三木が隠れるようにして走り寄ってきた。
 「壮一、待ったぞ。その女は? おまえに会社の秘書か?」
 「そうだよ。ちょっと手伝って」
 「どうするんだ?」
 「わたしの車に乗せるの」
 「載せてどうするんだ?」
 「あとで説明するわ」
 壮一と三木はぐったりとした恵を、三木が乗ってきた車の助手席に乗せ替えた。
 「で、どうするんだ?」
 「こうするの?」
 壮一は、三木に注射の針を突き立てた。
 「な、何をするんだ!」
 「ごめん、洋介。あなたにはここで死んで貰うわ」
 「な、なんだって?」
 「あなたは田倉壮一として、この大塚恵と一緒に死んで貰うの。岡崎を殺して逃走途中に事故で死んだことにしてね」
 「何故だ! 何故そんなことをする?」
 「あなたとの関係を清算したかったの。あなたとの関係を知られた大塚恵も邪魔だったし、会社の中では岡崎が邪魔だったわ。すべてを丸く収めるためには、こうするのが一番よかったのよ」
 「俺がおまえとして死ねば、おまえは壮一として生きられなくなるじゃないか」
 「わたし? わたしは絵理子として生きるわ。誰もわたしが壮一だって気がつかないでしょう?」
 「糞! 殺してやる」
 飛びかかろうとした三木にもはや力はなかった。膝から落ちた。
 「サヨナラ、洋介。愛していたわ」
 その声が洋介に届いたかどうかはわからない。三木はまったく動かなくなった。
 「さて、最後の仕上げよ」
 三木を運転席に乗せ、エンジンをかけて車を通りに出した。前方には下り坂があった。車は坂を下り始め次第にスピードを上げていった。
 その様子を壮一はジッと見ていた。
 「もうすぐあのガードレールを突き破るわ」
 そう思ったとき、対向車線に大型トラックの姿が現れた。壮一がアッと叫んだときには、車はトラックと正面衝突し、爆発炎上した。
 (崖下に転落するよりこの方がよかったかな)
 ニヤリと笑って、壮一は絵理子用のベンツに乗り込んでマンションへ戻っていった。

 壮一が絵理子の格好のままマンションに帰り着いたのは、午後10時半頃だった。マンションに帰ってきた壮一をガードマンに見られている。壮一はバスルームの中で、もしそのことを聞かれたときにはどう言い訳しようかと考えを巡らせた。
 午前0時前、チャイムが鳴った。壮一は来たなと思い、鏡に向かって自分の姿を点検したあと、玄関へ向かった。
 「はい、どなたでしょう?」
 チェーンロックをしたままドアを少し開けて壮一は答えた。
 「遅くにすみません。北署のものですが、田倉壮一さんのお宅ですね?」
 中年の男が警察手帳を取り出して壮一の目の前に差し出した。後ろに若い刑事らしい男が立っていた。
 「はい、そうですけど」
 絵理子の声で答える。
 「奥様ですね?」
 「はい」
 そんな壮一の返事に刑事たちは不審そうな表情は見せない。
 「ご主人は、田倉壮一さんはご在宅でしょうか?」
 「まだ帰ってきてないんですけど・・・・」
 壮一はちょっと不安そうな表情を浮かべて見せて、振り返って部屋の壁にぶら下がっている時計を見た。
 「まだ帰ってきていない? そうですか。どこへいるかご存じでしょうか?」
 「夕方、実家でパーティーをするとかで、今朝、会社に出かけたまま戻ってきていませんけど・・・・」
 「奥さんはパーティーには参加されなかったんですか?」
 当然聞かれる質問だ。壮一は用意していた答えを告げた。
 「ちょっと体調が悪くて、お暇しました」
 「そうですか。ご主人からパーティーのあとの予定とかは聞いていませんか?」
 「午後9時に、岡崎常務と会う約束があると言っていましたわ」
 これも用意されていた答えだ。
 「午後9時ですね。どういう用件で岡崎常務と会うか聞いていませんか?」
 「さあ・・・・」
 壮一は首を傾げてみせる。刑事は、ひと言ひと言手帳に記録している。
 「ご主人から連絡は?」
 「まったくありませんけど。あのう、主人がどうかしたんでしょうか?」
 「あ、いや、まだはっきりとしたわけではないんですが・・・・。部屋の中を拝見させていただいていよろしいでしょうか?」
 刑事の言葉は、妻が犯罪を犯した夫を隠していると言った雰囲気だった。
 「あのう、わたし、こんな格好をしてますから、困るんですけど・・・・」
 壮一は、ノーブラですけすけのネグリジェを着て、ガウンを羽織っていた。そのガウンの前をわざとらしく開いていたのだった。質問している刑事の目がずっと壮一の胸に釘付けになっていた。直接見ても本物と見まがうほどの人工乳房なのだ。まして透けているとはいえネグリジェ越しだ。絶対に見破れない自信があった。
 「着替えて貰うって言うわけにはいきませんか?」
 「主人が帰ってきてからにしていただけませんか?」
 刑事たちは顔を見合わせる。そして、仕方ないなと言うような表情を浮かべた。
 「わかりました。それではここで待たせていただきます」
 「申し訳ありません」
 そう言って壮一はドアを閉めた。
 (ボクを壮一だとはつゆも疑っていないな。うまくいきそうだ)
 壮一はほくそ笑んだ。

 壮一はベッドに入って、これからの計画をもう一度確認していた。電話が鳴った。時計を見ると、午前3時だった。少し眠っていたようだった。さてどこからの電話だろうかと思いながら壮一は受話器を取った。
 「もしもし、田倉です」
 《絵理子か? わたしだ》
 絵理子と呼び捨てにし、名前を言わずにわたしだと言う。あの男だ。
 「あら、どうしたの? こんな時間に?」
 《壮一が大それたことをやってくれたぞ》
 「大それたこと?」
 《そうだ。どうも岡崎を殺したらしい》
 「殺した! ホントに?」
 壮一はせいぜい驚いてみせた。
 《そうなんだ。さっき警察がやってきて、壮一の居所を知らないかと言うんだ》
 「あのひとに、そんなことをする度胸があったの?」
 《おまえもそう思うか? わたしもあいつの仕業とは思えないんだが、あいつが逃げるのを目撃した人間がいるらしい》
 壮一は人を殺したりできそうもない人間に見えるらしい。今の所業を知ったら、ビックリするだろうなと壮一はおかしくてならなかった。
 「嘘・・・・」
 《おまえのところには警察が行ってないか?》
 「来たわ。午前0時前くらいに。あの人の居場所を知らないかって」
 《なんと答えたんだ?》
 「知らないって言ったわ。だって、8時頃出かけたまま何の連絡もないんですもの」
 《そうか。そっちにも帰っていないのか・・・・。すると、どこかへ隠れたのかな?》
 「あの人が逃げる場所なんてないでしょう? きっと連絡してくるわ」
 《そうだな。もし連絡してきたら、自首するように言ってくれ。恐らく何かの弾みで殺してしまったんだろう。自首すれば情状酌量されるだろうから》
 「ええ、そうするわ」
 《絵理子?》
 「はい、なんでしょう?」
 《壮一がいなくなれば、隠れないで会えるな》
 「そうね。でも、まだそう決まった訳じゃないわ」
 《そうだな。ま、もし連絡してきたら、自首させるんだぞ》
 「わかったわ」
 電話が切れた。計画通りことが進んでいると、壮一はにやりと笑った。
 (さてと・・・・。夫が人殺しをしたかもしれないと聞かされた妻はどうするか? 眠れないだろうな。じゃあ、このまま起きていよう。朝になって刑事でもやってきたときに、心配して眠れたかったという演技をするんだ)
 壮一は、眠気をこらえて、ずっとソファーに座っていた。

 眠るまいとしたのに、ついウトウトしていると電話が鳴った。
 《もしもし、絵理子か? わたしだ》
 「ああ、あなた。いったいどうしたの?」
 《壮一が事故で死んだらしいぞ》
 「ええっ!!」
 驚きの声を精一杯上げてみた。
 《どうも岡崎常務を殺して逃げる途中の事故らしい》
 「ホントなの?」
 《ああ、今警察から連絡があった。そろそろそっちにも警察が行く頃だ》
 丁度その時玄関のチャイムが鳴った。
 「来たみたいだわ。電話を切るわ」
 壮一は、服装を確かめ、髪の乱れはちょっと残して玄関へ向かった。やはりチェ-ンロックだけを残してドアを少し開いた。
 「奥さん、田倉壮一さんは帰っていませんか?」
 どうやら、壮一の事故死の件ではないようだ。
 「帰っていませんわ。あなた方、見張っていたんでしょう?」
 皮肉を言ってみた。刑事はあからさまにイヤな顔をした。
 「・・・・田倉さんの乗っていた車は、青色のBMWでしたね?」
 「そうですけど、それが何か?」
 「登録番号はわかりますか?」
 「登録番号?」
 「車の番号のことですよ」
 「車の番号? ああ。ええっとですね。たしか・・・・、4423はわたしの車だから、9732・・・・、いえ、9742だったと思います」
 「足立ナンバーでしたかね?」
 「え? あ? どうでしたでしょうか? よく覚えていないんです。下のガードマンに聞いたら正確なところがわかると思いますけど」
 「おい! 下に行って確かめてこい」
 年上の刑事が下っ端に言った。下っ端は駆け出していった。
 「あのひとの叔父から夜中に電話がありましたけど、ほんとにあの人が人殺しをしたんですか?」
 「現在、捜査中です」
 「捜査中って、まるで犯人扱いですわ」
 刑事は黙り込んだ。その時、ガードマンの詰め所に降りていった下っ端の刑事が戻ってきた。
 「山さん、間違いないです」
 「そうか」
 山さんと呼ばれた年上の刑事が壮一の方に向き直ってちょっと目を伏せて言った。
 「奥さん、ちょっとご確認を頂きたいことがありまして、署までご足労いただけますか?」
 「どんなことでしょうか?」
 「ご主人らしい人が事故を起こしまして、奥さんに確認をしていただこうと思いましてね」
 「主人は、主人はやっぱり死んだのですか?」
 「やっぱりと言いますと?」
 「ついさっき、あのひとが事故で死んだらしいと連絡があって・・・・」
 ここで壮一は涙を流し始める。
 「あ、お聞きですか。しかし、ご主人の車が事故を起こしたと言うことで、ご主人が亡くなったというわけではありませんから」
 「わかりました。すぐに着替えてきますから、ちょっとお待ちになってください」
 壮一はガウンとネグリジェを脱ぎ、ショーツ一枚になってからブラジャーをした。それから、パンストを履いたが、膨らみが気になったのだ、ペニスを隠すためにガードルを穿いて隠した。あまり大きくない壮一の持ち物はガードルに押さえられてほとんど目立たなくなっていた。
 胸元にレースの飾りのあるブラウスを着て、ライトイエローのツーピースを着た。ウイッグを調節し、化粧を簡単にすませるとバッグを持って玄関のドアを開けた。
 「お待たせしました」
 刑事たちは、待ちくたびれたというように壁にもたれていたが、壮一が出て行くと、姿勢を正した。
 「それではご案内いたします」
 誰も壮一のことを女、田倉壮一の妻だと思っている。計画はまだうまく運んでいた。



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