第7章 決行前夜

 三日後の木曜日、壮一は別荘へ向かっていた。
 (さあ、準備はできた。あとは実行あるのみだ)
 駐車場へ車を停めて外に出ると、玄関から絵理子が走り出てきた。いつものように絵理子を抱きしめキスをする。玄関に向かいながら、壮一は駐車場の方を振り返って見た。
 (ふん。やっぱり来ていたか)
 玄関から漏れる灯に、駐車場の轍が浮かび上がっていた。そこに壮一の車と違うものがあったのだ。
 性欲旺盛な絵理子に対して、三木との関係がありながらカモフラージュのために絵理子と結婚した壮一には女とのセックスにそれほど関心がなかった。結婚して2年がたとうとしているのに、ふたりが褥をともにしたのはほんの数回に過ぎなかった。欲求不満の絵理子に愛人がいないはずはなかった。ただ、壮一の前では壮一だけを愛している振りをしていた。壮一もそのことがわかっていながら、自分にも責任があることだから絵理子の不倫を黙認していたのだった。これまでは・・・・。

 リビングのソファーの上にバッグを置くと壮一はダイニングに行った。テーブルの上には豚ロースのショウガ焼きとキャベツの千切りが載った皿が置かれていた。
 「ごめんなさい。材料がなくって、こんなものしか作れなくて」
 「いいさ。東京に戻れば、もっといいものが食べられる」
 「そうね。これがここでの最後の晩餐ね」
 おまえの最後の晩餐だよと壮一は思いながらショウガ焼きを口に運んだ。
 「明日は何時頃向こうに帰る?」
 「そうだな。ゆっくりして10時頃ここを出ようかと思うけど」
 「10時ね。じゃあ、それに合わせて起きればいいわね」
 「ああ」
 「あなた。片づけをするから、その間にお風呂に入って」
 「そうしよう」
 壮一は着替えの入ったバッグを持って浴室へと向かった。絵理子は洗い物をする。しばらくして、絵理子は壮一が出てこないなと首を傾げた。壮一の入浴は早い。いつもは入ったかと思ったらすぐに出てくるのだ。
 壮一が浴室から出てきたのは、浴室に入ってから30分後だった。
 「遅かったのね?」
 「あ、ちょっとすることがあってね」
 「何をしていたの?」
 「あとで説明するよ。絵理子も入って来いよ」
 「ええ。待ってってね」
 壮一が滅多に相手をしないとわかっていても、絵理子は必ずモーションをかける。
 「ああ、待ってるよ」
 壮一はリビングのソファーに座ってバッグの中をごそごそやり始めた。

 30分ほどして絵理子がバスローブ姿で浴室から出てきた。ソファーに座っていると思った壮一がいなかった。
 「ベッドで待ってるのかしら?」
 くすっと笑いを浮かべて絵理子は階段を上った。階段の途中で階段の上に誰かが立っているのに気がついた。
 「誰?」
 壮一じゃないことは一目瞭然だった。白いワンピースを着た長い髪の女だったからだ。女が階段を降りてきた。灯が女の顔を照らす。
 キャアと絵理子は悲鳴を上げた。女は絵理子そっくりだったのだ。絵理子の脳裏にドッペルゲーゲンという言葉が浮かんだ。自分と瓜二つの人物に出会ったら死ぬという逸話を本で読んだばかりだったからだ。
 後ずさって階段を降りながら、絵理子は目の前にいる女が亡霊ではなく実在の女だと気づいた。女が歩を進めるたびに階段が軋むからだ。
 「誰? あなたはいったい誰なの?」
 「わたし? わたしは田倉絵理子よ」
 声まで自分にそっくりだった。
 「嘘! 田倉絵理子はわたしよ。あなたは誰なの?」
 「この別荘には、あなたと田倉壮一しかいない。あなたが田倉絵理子なら、わたしは誰でしょう?」
 「ええっ! あなた? あなたなの?」
 「ピンポン。大正解」
 絵理子が入浴している間に、壮一はバッグの中からふたつのアイテムを取りだして絵理子に変身したのだ。
 妻の顔である絵理子の顔をした人工皮膚を接着剤でくっつけ、胸に双球を取り付けて、下着を着た。壮一の手足、脇などはツルツルになっていた。入浴時間が長かったのは、全身を脱毛剤で処理していたからだ。
 絵理子のお気に入りのひとつである白いワンピースに袖を通し、ウイッグをかぶって化粧を施し、絵理子が浴室から出てくるのを待っていたのだ。
 「その顔、人工皮膚を使ったのね」
 「そうだよ」
 「まるでわたしがふたりいるみたいだわ」
 「そっくりだろう?」
 壮一は、くるりと回って見せた。ワンピースの裾がふわりと回った。
 「あ、そのために痩せたのね?」
 「そうだよ。絵理子の服を着られるようにね」
 「よく似合ってるけど、あなたにそんな趣味があったなんて知らなかったわ」
 「そんな趣味って?」
 「女装よ」
 「ああ、これ? 趣味じゃないよ。ずっとこのまま暮らすつもりだよ」
 「ええっ! 本気なの?」
 絵理子は驚きに目を見張った。
 「アア、本気だよ。ボクは田倉絵理子として暮らしていくつもりなんだ」
 「何冗談言ってるのよ。あなたがわたしとして暮らしていけるはずがないでしょう?」
 「大丈夫。自信があるんだ」
 「いくら自信があったって、わたしがふたりいちゃ、おかしいでしょう?」
 「それも大丈夫。君はいなくなるんだからね」
 「ええっ!」
 絵理子は、両手を口にあてて目を見張った。
 「財産目当ての、浮気女なんてこの世にいなくてもいいんだ」
 「財産目当てだなんて・・・・」
 「そうじゃないなんて言わせないよ。ボクにはわかってるんだから。君の浮気相手と結託して、ボクの財産を奪おうとしていることなんてお見通しさ」
 「そんなことないわ。まして、わたしが浮気をしているなんて」
 「胸を張ってそう言いきれるのかい? 証拠は揃ってるんだよ」
 自信に満ちた言葉に、絵理子は諦めの表情を浮かべた。
 「・・・・わかったわ。あなたの前から消えればいいのね」
 「そうだよ。二度とボクの目の前に現れないで欲しい」
 「じゃあ、すぐに出て行くわ」
 「出て行くだけじゃ駄目なんだ」
 「え?」
 「君にはこの世から消えて貰う。さっき君が行った通りさ。田倉絵理子がふたりいちゃおかしいだろう?」
 「わ、わたしを殺そうって言うの?」
 絵理子は後ずさる。
 「その通りだよ」
 壮一は詰め寄る。
 「わたしを殺したら、捕まるわよ。捕まって死刑だわ」
 「田倉絵理子は生きているんだ。ほら、ここに。だから、田倉絵理子は死んだことにならない。殺人は行われなかったことになる。誰も捕まらないんだ」
 「あなた、あなた自身はどうするのよ?」
 「ボクのことなど心配しないでいいよ。君は君の心配をした方がいいよ」
 「イヤア」
 絵理子は逃げ出す。しかし、壮一がいち早くその行く手を遮った。
 「君に逃げられたら、計画が台無しなんだ。おとなしく死んで貰うよ」
 絵理子は壮一に殴られ意識を失った。

 目が覚めたとき、絵理子は真っ暗な部屋の中にいた。床はひんやりと冷たく、コンクリート製だなと絵理子は思った。冷たく淀んだ空気。絵理子はそこがワインセラーとして作られた地下室だと気づいた。
 「あなた! あなた、助けて!! 何でも言うことを聞くから、命だけは助けて!!」
 力の限り叫び続けたが、返事はなかった。絵理子は出口を求めて地下室の中をはい回った。小さな階段の向こうに鋼鉄製の扉があった。それをたたき続けた。やはり返事はなかった。
 ワイン用の棚以外にはコンクリートの壁で出口らしいものはなく、絵理子は恐怖と絶望に襲われた。
 「財産目当てだっていいじゃない。浮気して何が悪いのよ。あなたがきちんと相手をしてくれれば、あの人とだってとっくの昔に別れたのに」
 そう叫んでみたけれど、誰も返事をしてくれなかった。
 「あなた・・・・、助けて・・・・」
 絵理子は暗い地下室の中で泣き続けた。

 壮一の姿はすでに別荘にはなかった。千代田のマンションで壮一は三木と最後の打ち合わせをしていた。
 「決行直前に、わたしに電話してね。わたしのアリバイが成立することを確かめた上でやって貰わないと、大変なことになるから」
 「わかった、わかった。他に注意点は?」
 「○○で落ち合うことにしましょう。わたしはそこまでタクシーか何かで行っておくから、車をわたしに返して。洋介はそこからタクシーなり電車なりで自分のマンションに帰ればいいから」
 「わかった。それじゃあ、打ち合わせも終わったことだから、一勝負行くか?」
 「いいわ」



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