第12章 生きていた絵理子

 毎日洋治にいたぶられ、毎週秘密のSMクラブで複数の男たちの相手をさせられた。生きているのがイヤになるのに死ねなかったのは、壮一に死ぬ勇気がなかったせいだ。

 壮一があの事件を起こしてから1年が経過した。女性ホルモンの投与で壮一自身の胸が大きくなって、胸に装着していた人工乳房は今は取り去られていた。体の線も完全に女になり、股間のものさえ見なければ、壮一を男だと気づく人間はひとりとしていなかった。
 そんなある日のこと、壮一は、いつものようにSMクラブに連れて行かれて男たちの相手をした。疲れ果てて帰ろうとしたが、迎えにやってくるはずの洋治がいつまでたってもやってこない。どうしたものかと思っていると、入り口に女の陰が現れた。その女の顔を見て壮一は驚きに目を見張った。
 「どうしたの? 妻の顔を忘れたの?」
 絵理子だった。幽霊じゃなかった。
 「し、死んだはずだわ」
 「ちゃんと足があるわよ」
 絵理子は床に転がっている壮一の腹をヒールで踏みつけた。
 「どうして?」
 「どうせやるならちゃんと殺しておくべきだったわね。あの人が助けてくれたのよ」
 あの人とは、当然洋治のことだ。
 「いつ? いつ助けられたのよ?」
 「わたしがあなたにあの地下室に閉じこめられたのは、金曜日だったわね。助けられたのは二日後、日曜日よ」
 「日曜日・・・・。でも、地下室には死体があったわ」
 「あれは、ただの人形よ」
 「人形・・・・。でも、ひどい臭いがしていたわ」
 あの臭いを思い出しただけで吐き気を催した。
 「あの人が、犬か猫の死体を中に詰めるって言ってたわね」
 「じゃあ、洋治があなたが死んだのを確かめたって言うのは嘘だったの?」
 「そう言うことよ」
 「今まで、何故隠れていたのよ?」
 自分が絵理子の立場だったら、すぐ二度も壮一を訴えると思ったのだ。
 「あなたに死ぬほどの屈辱を与えてやるためよ。どう? いい体験をしたでしょう?」
 「ひどい・・・・」
 ぽろりと涙がこぼれた。
 「あなたにひどいなんて言われたくないわ。あの地下室に閉じこめられて、どれほどの恐怖を感じたか、あなたにはわからないでしょう? あの恐怖に比べれば、M嬢なんてたいしたことはないわよ。死ぬことはないんですからね」
 絵理子は壮一の腰を足蹴にした。
 「どうするつもりなの?」
 「どうするって?」
 「あなたよ」
 「わたしは田倉絵理子。一周忌を迎えた可哀相な未亡人だわ」
 薄笑いを浮かべて絵理子は壮一を見下げた。
 「じゃあ、わたしは・・・・」
 「わたしが戻ってきた以上、あなた田倉絵理子にはなれないわ。田倉壮一に戻る? できないわね。三人も殺したことがばれてしまうわね。第一、死んだことになってるもの」
 絵理子の言うとおりだ。
 「あなたには、もうマンションへ戻る必要はないわ。今日からここで専属のM嬢として働いて貰うことにしてるの。ここの支配人とも話が付いているわ」
 「ええっ!」
 「罰よ。あなたは、人殺しをした罰をここで受けるの。一生その罪を償うのよ。いい気味だわ」
 絵理子は笑いながら外へ出て行った。追いかけようとしてドアから入ってきた男に殴られ縛られた。
 「絵理子! 絵理子!! わたしが悪かったわ。助けて!! こんなのイヤよ!!!」
 地下室に壮一の虚しい泣き声がいつまでも響いていた。

 絵理子は待っていた洋治の腕を取って階段を上っていった。
 「壮一がここを抜け出すなんてことはないでしょうね?」
 「ああ。ショー以外は檻に閉じこめるように言ってあるから大丈夫だ」
 「でも、生きていれば、いつかは出てくることもあるわ」
 「殺せと言うのか?」
 眉間にしわを寄せて洋治は絵理子の顔を見た。
 「もう、殺してしまってもいいわ」
 「おまえは恐ろしい女だ」
 「こんな女にしたのは壮一よ。ホントはわたしの手で殺してしまいたいくらいよ」
 「そこまで言うのなら、殺してしまえばいい」
 「・・・・でも、いざとなると人は殺せないわね」
 「そうだろうな。わたしだって、殺人は無理だ。ま、いずれにしろ、二度とわたしたちの前には現れないようにしておこう」
 「そうして」
 ふたりは嬉しそうな笑いを浮かべて車に乗り込んだ。

 あの日、壮一が岡崎常務を殺したと警察から連絡があった日、絵理子(実は壮一)に電話したあと、洋治は壮一を警察より先に見つけ出して自首させようとした。隠れ家として、真っ先に浮かんだのが、奥軽井沢の別荘だった。
 車を飛ばして別荘へ着いたが、壮一の車はなく、あたりはしんと静まりかえっていた。すべてのドアというドア、窓という窓には鍵がかかっていた。
 「ここだと思ったが・・・・」
 引き返そうとして洋治は何か不思議な感じに捕らわれ別荘を見つめた。
 「誰かが呼んでいるような気がする」
 もう一度別荘の周りを調べてみたが、やはり鍵が掛かっていて中には入れなかった。ふと、キッチンの裏に合い鍵が隠してあったのを思い出して裏口に回ってみた。
 植木鉢の中に鍵があった。それを使ってキッチンへ入った。
 (確かに何かの気配がする)
 洋治はは廊下へ出た。見回すが、何もない。ふうと溜息をつき、外に出ようとして地下室に通じるドアから微かに人の声が聞こえてくるのに気がついた。
 ドアを開いて階段を降りていくと、その小さな声が次第にはっきりしてきた。助けて、助けてと言う女の声だった。その声はまごうことなく絵理子のものだった。
 洋治は混乱した。ちょっと前にマンションの電話に絵理子が出た。それなのに、どうしてこの地下室から絵理子の声がするのかと。
 「誰だ? 絵理子か?」
 「あなた! あなたなの!!」
 絵理子に間違いなかった。扉を開けようとしたが、鍵が掛かっていてびくともしなかった。
 「絵理子? 鍵は? 鍵はどこだ?」
 「マスターは壮一が持っていると思うわ。だけど、予備があるわ。壮一が持って行っていなければ、レンジの下に置いてあるはずだわ」
 「わかった。ちょっと待っていろ」
 洋治は階段を駆け上がり、レンジの下を探した。なかった。壮一が抜け目なく持っていったようだった。
 洋治はもう一度絵理子のそばに戻った。
 「鍵がないんだ」
 「壊せない?」
 洋治は鍵を手に持ってがちゃがちゃと引っ張ってみる。
 「ちょっと無理だ」
 洋治は、階段に座り込んだ。
 「そうだ。鍵のナンバーを控えた紙がキッチンの一番左の引き出しの中にあるわ。それで合い鍵を作ってきて」
 「キッチンの左側の引き出しだな」
 洋治はもう一度駆け上がり、指定された引き出しを開いた。ごそごそ探ってみて、数字の並んだ紙を見つけ出した。別荘にあるすべての鍵のナンバーが書かれていた。
 「絵理子! あったぞ。合い鍵を作ってくるから、待っていろ」
 「あなた。合い鍵屋はまだ開いていないでしょう?」
 そうかと洋治は腰を下ろす。
 「3時頃マンションに電話したが、おまえらしい女が電話に出たぞ。いったいどうなってるんだ?」
 「あれは壮一よ」
 「何?」
 「わたしに火傷を隠すマスクを作ると言って、実はわたしに成り代わるためのマスクを作っていたのよ」
 「おまえに成り代わる! 信じられない。ヤツは男だぞ。どうするつもりなんだ? 性転換でもするつもりなのか?」
 「わたしにはわからないわ」
 それから絵理子は、それまでの経緯を詳しく洋治に説明した。
 「そうすると、壮一のヤツ、岡崎常務を殺して、おまえにすり替わって罪を逃れるつもりだな」
 「えっ! 岡崎さんを殺したの?」
 「そう言う情報が入ったんだ。口論でもしてカッとなって殺したと思ったのに、とんでもないヤツだ」
 「何もかも計画的なのね」
 「ヤツの犯罪を暴いてやろう」
 その時、洋治の携帯電話が鳴った。
 「もしもし田倉ですが。ええっ! 壮一らしい男が事故で死んだ? 今、本人かどうか確認中ですか。何時頃ですか? 昨日の午後10時? 10時ですね? どうもありがとうございます。あ、絵理子に確認をするんですね。わかりました。絵理子の方にはこちらから連絡を入れておきます」
 洋治は電話を切った。
 「壮一が死んだですって?」
 「イヤ、違うな。午前3時に携帯でおまえに化けた壮一と話をしている。死んだのは別人だ。ちょっと壮一に電話を掛けてみよう」
 洋治は絵理子に化けている壮一に電話を掛けた。絵理子が生きていることなど知らない振りをして洋治は話をした。
 携帯を切ってから、洋治はため息をついた。
 「ふむ。壮一のこの反応からすると、どうやら、壮一は自分の身代わりまで用意して、そいつも殺したみたいだな」
 「なんて人なの? そんな人だなんて思わなかったわ」
 「待てよ。岡崎を殺したのは、壮一だろうかな?」
 「えっ? どう言うこと?」
 「死んだという壮一の身代わりに岡崎を殺させたんじゃないかと思ってな」
 「どうして?」
 「岡崎を殺して、逃げる途中で身代わりを事故に見せかけて殺し、絵理子になりすますよりも、身代わりに岡崎を殺させて、その間に絵理子としてアリバイを作っておいて、あとで身代わりを殺す方が格段に安全だと思わないか?」
 「そう言えばそうね」
 「もしそうだとすると、壮一が岡崎を殺させた証拠がない。壮一の身代わりの事故死だって、壮一が殺したと言う確実な証拠がなければ、壮一を攻め落とせない」
 「壮一らしい男が死んだって言ってたでしょう?」
 「ああ」
 「壮一の顔のマスクを被っていたんじゃないかしら?」
 「そうかもしれないな」
 「だったら、壮一が岡崎さんを殺させたって証拠にならないかしら? あのマスクは壮一にしか作れないのよ」
 「殺人を依頼したという確実な証拠とはならないだろう。マスクを作ってやっただけで、殺人なんて依頼していない。壮一に罪を着せるために壮一のマスクを被っていたのだと言われれば、どうしようもない」
 「わたしに化けていることは? 岡崎さんを殺した罪から逃れようとしているからでしょう? それに、わたしを殺そうとしたのよ。」
 「そうなんだろうが、岡崎を殺そうなんてしていない。ただ、ちょっとの間だけ絵理子と入れ替わりたかっただけだ。2、3日すれば元に戻るつもりだった。その間に偶然事件が起こっただけだと言われれば、おまえが生きている以上、監禁罪、せいぜい殺人未遂くらいにしかならないだろう」
 「そうか・・・・。じゃあ、どうすれば?」
 「どうしようか?」
 扉のこちらと向こうでふたりは腕組みをして考える。
 「あなた?」
 「なんだ?」
 「あなた、最近わたしに縛らせてくれって言ってなかった?」
 「あ、いや、言ったかな?」
 洋治の目が宙を舞った。
 「壮一はわたしとあなたの関係には気づいているみたいだけど、どんなことをやっているかなんてことは知らないわね」
 「特別なことはやっていないだろう?」
 「だけど、そのことを壮一は知らないでしょう?」
 「そうだろうね。だけど、それと縛るのと、どう関係があるんだ?」
 「壮一をM嬢に仕立て上げるの。あなたがわたしにいつもやっていたと思わせてね」
 「はあ、なるほど」
 「落ちるところまで落として、惨めな思いをさせてやればいいわ。そうしたら、少しはわたしの気も済むから」
 「わかった。面白そうだ」
 「あなた。あとになってわたしにしようなんて思っちゃイヤよ。あくまでも壮一にだけやってよ」
 「わかった。おう、そろそろ下って鍵を作ってこよう。絵理子、待ってるんだぞ」
 「ええ。待ってるわ。何か食べ物も買ってきてね」
 「わかったよ」

 こうして、絵理子は洋治によって助けられた。真っ暗闇の中から救い出されて、絵理子の表情は明るかった。
 「壮一がここに確かめに来たらどうしよう?」
 「何か偽物を置いておくといいが」
 「本物の死体を手に入れるなんてことはできないわね」
 「もちろんだよ。何かいい手があるかな?」
 「あ、それだったら、いいのがあるわ」
 絵理子は奥の部屋に行った。棚の能面を取り出して洋治に見せた。能面には絵理子の顔をしたマスクが張られたままになっていた。
 「ほう。よくできてるな」
 「化粧を施して、人形にこれを被せておいておくの。そうすればいいわ」
 「顔はともかく、人形じゃあ、触ったらすぐにわかるぞ」
 「そうね・・・・。ねえ、こんなところで死んだら、腐るでしょうね?」
 「ああ。腐ってひどい臭いがするだろうね」
 「ひどい臭いがしたら、近寄ってまで調べないと思わない?」
 「そうか。じゃあ、犬か猫の死骸でも中に詰めておこうか?」
 「それがいいわ。それでばれれば、仕方がないわ」
 壮一の殺人と言うことでてんやわんやの会社の中で、洋治は落ち着きを払って小野社長を追い落とし社長の椅子に座り、その合間を縫って人形を別荘に運んで、道の途中で拾った犬の死骸を中に詰めておいた。
 壮一はこんな工作にまんまと騙されたのだった。

 壮一が葬儀などでいない間に、絵理子は堂々と正面玄関からマンションの部屋に入り、隠しカメラを設置した。洋治が用意した別のマンションにいて、壮一のアラレもない姿を見たりビデオに撮ったりしていた。
 洋治が最初の日以外は壮一とアナルファックをしなかったのは、絵理子が見ているからだった。壮一をいたぶったあと、絵理子のいるマンションを訪れて、興奮を治めていたというわけだった。
 あの日、時間が早かったので、絵理子が見ていないだろうと思って、絵理子とは違うマスクを付けさせて壮一を犯したのだが、絵理子にしっかりと見られていて、あとでお仕置きを食らっていた。
 「あなたに任せておいたら、あなたまで引き込まれてしまうわ」
 そう言うわけで、秘密のSMクラブを見つけてきて、壮一をその生け贄とすることにしたのだ。



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